前回の記事では
毒親育ちは、毒親家庭に生まれ育ってしまったことで、いやでも搾取されやすい体質になってしまうこと。
そのわかりやすい例である、搾取子だったわが母が生きた軌跡を書いていきました。
続きのこの記事では、
・搾取に慣れた毒親育ちは、「自ら搾取を望むような行動」をとってしまいがち
ということについて、書いていきたいと思います
搾取に慣れた毒親育ちは、「自ら搾取を望むような行動」をとってしまいがち
前回の記事で書いたように、
毒親家庭(=親からの搾取があたりまえの世界)に運悪く生まれてしまった子は、そこで生き延びるために、毒親からの搾取や粗末な扱いをだまって耐えるしかなかった。
そうすると、「搾取され体質」「感情を殺してがまん体質」が自然と嫌でも、身についてしまうんですね
搾取され体質・感情を殺す体質になると、家庭の中でだけではなく、家庭の外でも搾取をしたくてしょうがない人たちに目をつけられて、無残に搾取や踏みにじられることを許してしまうことで、
自分の大切なエネルギーをなくしてしまうことも少なくありません
時には、哀しいことながら‥
そういう搾取体質な人や団体に、自分から近づいていって、時間やエネルギーや自尊心や‥そんな自分の大切なものを、自分から差し出してしまうこともあるんです
なぜかというと、
毒親家庭で搾取され続けてきた人が、搾取団体や搾取好きな人を見ると、もう無意識でなんていうか懐かしいというかなじみぶかいというか‥、
この雰囲気、よく知ってる‥
生まれ育った場所と、同じ匂い‥
こんなふうに感じでしまうことがあるんですよね‥
心が弱っているときなどはなおさら、「助けて!」と自分からそちらの方へ、飛び込んでしまうんです
私はたばこを吸ったことがないのですが、わが毒父はいつでもたばこを手放せないヘビースモーカーだったので、私はたばこの煙と共に暮らしてきました。
今もまったく吸ってはいないのですが、街を歩いているときにたばこのにおいがすると、その瞬間、妙に懐かしい気持ちがわきおこるんです。
自分では決して好きだと思ってないのに、幼い頃に嫌でも接するしかなかったものが、無意識になつかしアイテムになっている
これもまた、搾取されてきた人が、外での搾取に親しみを感じてしまうのと似た心の動きですね‥
なつかしく親しんできたもの(搾取)に、つい自分から、近寄ってしまう
子供のころから身近だったものに、なつかしさを感じるだけではなく、つい、自らフラッと近寄ってしまう。
自分のこれまでを振り返ると、不安や寂しさなどが大きいときなどは、特にそうなりがちでした
例えば‥
私は高校生の時、不登校になってしまったのですが、
毒親は「俺たちに面倒をかけるな!」とばかりに、私の行動を封じたり、騒いだりあわてふためくばかりで、目の前の子供がどんなに心細く不安であっても、よりそう姿勢などありませんでした
もちろん、そんな彼らを、私は頼ることなんてできません
学校にいけない。どうしたらいいかわからない。
不安なのに、頼れる人がいない‥
大きな不安と心細さにおしつぶされそうだった当時の私は、なにか頼るものを探し回り、本屋をさまよい、出会ったスピリチュアル本に心の助けを求めました。
当時の私の詳しい状況をかいた記事があります↓
この時の私は、本や、そこに書いてある考え方にはまるだけだったから、まだ助かったんですよね‥
スピリチュアルと一言で言っても様々な種類があり、中には人の時間やお金、そして考え方などの自由を制限したり、中の偉い人の言うことに絶対に従う、という仕組みのものも存在しないことはないですからね‥
私が高校生の時に手を伸ばして没頭したスピリチュアルはたまたま、拘束性がなく、考え方やエッセンスだけを体内にインストールして心の支えにする、というところでとどまれたのですが、
もしもこれが悪質な搾取団体や搾取の大好きな人など、うっかり踏み込む場所を間違えていたら、いまごろどうなっていたのか‥考えるだけでぞっとします
こんなふうに、毒親育ちというのは、生まれた毒家庭でナチュラルに搾取され、踏みにじられ続けてきたために、
家の外で出会う”搾取するのが大好きな人や団体” に無意識に馴染みを感じてしまい、
時に(特に心が弱った時など)自分から近づいてしまったり、時に、大切なものを自分から差し出してしまうことがあるんです
好きで生まれ育っわけでもない毒親家庭に、自分の意志など関係なく、心が、脳が、染まってしまうがため、自ら搾取されることを選び、身も心も投げ出してしまう。
哀しいですね‥
次の記事では、
・普通の人は、こうして搾取から身を守るんだ‥搾取体質の自分との違いを思い知ったツイート
こんなことについて書いていきたいと思います
コメント