周りの優しい人たちに、必死に愛情を求めた毒親育ち

毒親育ち

毒親家庭に生まれ育つ子供は、家庭で親から十分な愛情をもらうことができません。

毒親がくれるのは、条件付きの愛情や、気分で可愛がるなどのろくでもない愛情のまがいもののようなもの。

しかもそれらは毒親の気まぐれでくれたりくれなかったり。ランダムにしか受け取ることしかできません

そのため、毒親育ちは、人からの愛ややさしさにいつも飢えています

愛に飢えた毒親育ちこと私は、家の外で出会う優しい人たち、特に優しい女性のみなさんから愛のおすそわけをもらえた時などはとても幸せな気持ちになったものでした。

しかし…飢えた私はおすそわけでは足りず、「もっとちょうだい!ずっとちょうだい!」と優しいその人たちにしがみついて困らせてしまったことも少なくありませんでした

でも、当然のことなのですが…外の人というのは、ほんの一時を共にする他人です。

優しい人が一時的なおすそわけの愛をくれることはあっても、普通の親が子に与えるような、止めどない愛をくれる他人なんてどこにもいるわけはないんですよね。

外で出会った優しい人たちに愛ややさしさをわけてもらっても、毒親育ちが抱える根底の深刻な愛情不足や寂しさ、孤独感を完全に埋めることは叶いませんでした。

この記事では、毒家庭で毒親から得られる質の悪い愛の解説と、愛情飢餓に苦しんでいた幼い頃の私が、愛をもとめてさまよっていた頃のお話をしたいと思います

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毒親育ちが家庭内で得られる愛情とは?

子供は生まれた瞬間から今までずっと、親からの無条件で浴びるような愛情をもらうことができる…

毒親育ちにとっては、そんな親子の愛あふれる世界からはほど遠いんです。

毒親育ちが毒親からもらえる愛というのは、はっきり言ってろくでもないものばかりです。

たとえば条件付きの愛情

成績がよければ褒めてやる。小遣いもやるぞ

俺の言うことを聞けば、お前のことは認めてやる

このように毒親が設定した条件を満たしたときにだけ、一時の承認や愛のようなものを得ることが出来ます

また、幼い子供の頃に限っては、毒親が気分で猫かわいがりをするような愛情を受けることがあります。

恐らく、幼い子供というのは見た目がちっちゃくてかわいいので、子供が幼い頃、毒親は子供をペットのように見ているのだと思います。

しかし毒親は出来の悪い飼い主です。

出来の悪い飼い主は、自分の気分が乗った時しかペットを可愛がりません

気分がいいときは笑顔で子供を構います。「子供思いの親」を演じるために、休日に家族ででかけ、いい家族である証拠(記念写真)を残すこともあります。

しかし…気持ちが乗らないと態度は一変。

「おまえいつまでもうるせえ!あっち行け!」「黙ってろ!」「もう疲れたから家に帰るぞ!」

子を蹴散らしたり、お出かけを突然中止して帰宅するなど、子供の心身を振り回します

毒親家庭ではこのように、子供の扱いは毒親の気分一つでコロコロと変わり、子供はそれに振り回され本当に困惑します。

一体どうしたら可愛がってもらえるのか…毒親の顔色を必死で伺い、前回の経験を教訓としてもそれが生きるとは限りません。毒親の変動する感情というのはルールも何もなく、その場その場で変わっていくものだからです。子供はただ、振り回されるだけです

毒親の気分で振り回され、もらえるのはランダムに放出される質の悪い愛しかない。

こんな世界で育った毒親育ちは、親から子に恒久的に与えられる無償の愛なんて、まるで都市伝説・作り物のように遠い世界の出来事のように思ってしまうんですよね…

本当にあるの?そんな世界…

いつも変わらない暖かい無償の愛なんて、動物(ペット)にしかもらったことないよ…?

こんな状況で幼い頃を生き延びなければならない毒親育ちは常に愛の飢餓状態となっています。

まるでサバンナで空腹を抱えた野生動物のように、外で出会う優しい人からおすそわけしてもらえる愛に、必死にしがみついてしまうのですよね…

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私に優しさを分けてくれた、暖かい”外の”人たちの思い出

八百屋の奥さん

私は幼児の頃、外を毒母と歩くとき、よく母からガミガミと歩きながら説教されていたものでした。

親がお前を叱るのは、おまえが生意気なのが悪い。立ちむかってくるから悪い。と両親に言われていましたが、今改めて考えると、なんか言いがかりというかつまり毒親は私がいまいましくて嫌いで、なんか文句言いたかったんだったんだろうなぁと推測されます。言いがかりが多すぎました

妹をしっかりと抱っこしながら、私に頭から小言を浴びせてくる母。私は下を向き黙って母について歩いていました

そんな時、近所の八百屋の奥さんが毒母の方を見ることなく、私の方をまっすぐに見て、あなたがんばってるよ、いいこよ、というはげましの言葉をかけてくれたんです

びっくりしましたが本当にうれしくて、何十年経った今でも大切な思い出として記憶に残っています

未婚時代の叔母と、近所の優しい奥さん

私が幼児の時に未婚だった叔母は、我が家にしょっちゅう遊びに来ては、私を可愛がってくれました

母はいつも妹にかかりきりなため、あまり構われていなかった私は、私一人だけを見てくれる人がいてくれるという状態が本当にうれしくて、おばちゃんおばちゃん!と叔母を慕っていました。

また、近所に住む若い優しいご夫婦も、私一人を家に招いてくれたり、一緒にお散歩をしてくれたりと、楽しく遊んでくれました。

叔母や近所の優しいご夫婦と一緒にいる時。こうやって私ただ一人を見てくれて、誰も邪魔されずに私一人に向けられた愛情や優しさを独占できるというのはこれほど幸せなことなんだ…

と幼いながらに幸せな気持ちに包まれていました。家ではいつも甘え上手、かつ年下の妹がいるので、こんな幸せなシチュエーションを味わうことなんて到底不可能でしたから…

しかし。この幸せな時間も長くは続きませんでした。

叔母は結婚して出産をし、そして近所のご夫婦にもお子さんが生まれました。

そうすると・・叔母もご近所さんも、産まれた自分の子供を最優先に可愛がるようになり、前のように私の相手を相手してくれることが驚くほどパタッとなくなってしまったんです。

今考えると、姪っ子や近所の子供なんかよりも、可愛い我が子を最優先するなんて当然のことですよね。

でも…当時の私は

あんなに私のことを優しく呼んでくれて、見てくれて、一緒に遊んでくれたのに…

人ってこんなに変わってしまうんだ

叔母やご近所さんの態度の大きな変化に、ショックを受けてしまったんです。

親から十分な愛をもらえず、伯母やご近所さんに必死にすがり、必死にもらっていた愛すらもらえなくなってしまった。

しかもこれが割と同時期に起きた出来事だったので、私は愛のおすそわけをしてくれる人たちを一気に失った気持ちでした

小学校の優しい女性の先生

小学校で担任になった、若くてきれいで優しいお姉さんのような先生

私は先生が本当に大好きでした。この先生に、私はものすごく甘えてしまったんですよね。

いつも先生にべったりとはりついたり、親には言えないようなわがままを言ったり…私だけを相手してほしくて、ずっと私を見てほしくて、甘えやわがままを先生にぶつけてしまいました。

おそらく先生はほんとに困ったことと思います。

先生はクラス全員のことを見なければならないのですもの、重く寄りかかってくる子供を特別に相手するのは不可能なことですよね。

その後どうなったかというと…学年が上がった時。先生も同じ学年の担任となったのですが、先生は私とは違うクラスを受け持ったんです。

一方で、私は暴力的な若い男性教師教師の担任クラスとなってしまいました‥

昨年とは大違い。男性教師の怒鳴り声と、鉄拳が飛ぶ恐怖の教室で怯えて過ごしました

優しいお姉さん先生のクラスにいる女の子たちをよく見てみると、私のような重たい愛を求めるような難があるタイプは1人もいなくて、しっかりと家庭で愛情をかけられているような優しく穏やかな女の子ばかりだったのですよね

学校のクラス分けの方法などは分からない私なりの推測なのですが‥

私は昨年一年間、優しい女性の先生を困らせてしまったので、「この子供は扱いが難しい。優しさよりも、力でねじ伏せる必要がある」と判断され、物理的な力や大声で怒鳴って子を制御するような暴力男性教師の元に送られることとなったのかもしれません。

優しい先生のクラスに配置された穏やか女の子たちを見ると、そんな気がしてなりませんでした

クラスが変わってしばらくしたあるとき、その優しい女性の先生に声をかけられたんです。

私が振り向くと、先生は、担任しているクラスの優しい女の子たちと楽しそうに一緒に笑顔で立っていました。

先生は私が写ってる1枚の写真を私にくれたんです。

「先生ね、運動会でこの子たちの写真を撮ろうとしたら、手元がくるってティーコちゃんが写ってたの。だからこの写真あげるね!」

先生はこう言って私が写ってしまったミステイク写真を私に手渡し、クラスの女の子たちと共に、楽しそうにおしゃべりしながら私のもとを去っていきました。

この時、私は「私は先生とは、完全に離れてしまったんだな…」ということを改めて思い知りました

去年と今年との違い。先生と私との間にできた、心や物理的な距離を嫌というほど感じました。

私はたまたま写真にうつっちゃったから先生に話しかけてもらっただけ。先生の心の中にはもう、先生が今担任している女の子たちしかいない。

自分が”十分に満たされる愛情”をくれる人はどこにもいなかった

外で出会った優しい皆さん。その時々での精いっぱいの愛や優しさを分けてくれて本当にうれしかったです。

でも、その人たちに、私が100%満たされる愛情を求めても、それはいつでも決して叶いませんでした

そして時が経つにつれ、彼女たちには私よりもずっと大切で愛を惜しみなく与える存在ー自分の子供、自分が担任する生徒ーができます。

その大切な存在を優しく慈しみながら、静かに私の元から去っていきました。

毒親家庭に生まれ、いつも愛情に飢えていた子供だった私は、少しでも優しくしてくれた人たちに必死に食らいついてしまったんですよね…

この愛を、ずっとちょうだい!もっとちょうだい!

でも…誰からも、おすそ分け以上の愛は決してもらえなかったんです。

私はたんなる近所の子供や他のクラスの子供であって、みなさんには自分の子供や担任する生徒など、私よりももっと大切でたくさんの愛をあげる対象が生まれたり存在しました

しかし、おすそわけしてもらえる愛すら簡単に失うものだ、という悲しい体験を重ねた幼い私は…

「この人もそうなのか。前もこんなことがあった。」

私にずっと愛をくれる人なんて、この世のどこにもいないのかもしれない」

一連の出来事を、こんな寂しい気づきとして、心身が理解をしてしまいました。そこから私は

「どんな人からも”自分が満たされるクラスの大きな深い愛”をもらうということは不可能なんだ」ということを思い知ってしまったんです

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