私には霊感はありません。
直感が鋭いわけでもない、ごく普通の人間なのですが、
幼い時からなんとなく、一つの予感めいた考えが心の中にあったんです
どんな考えだったのかというと…
私の人生って、17歳ぐらいで終わってしまうのではないかな
なぜか、この悲しい予感が頭から離れなかったんですよね
私が生まれ育ったのは毒親が棲む家庭。毎日緊張や不安でいっぱいで、心穏やかに暮らすことは許されませんでした。
何をやってもやらなくても親からは日常的に怒鳴られ暴力を振るわれ、命の危険を感じる日々。
かといって家の外にも気を許せる人はなく、どの場所にいても気が休まらず…
物心ついたころからは、身も心も常に緊張して生きていました。
「自分の親が毒親だ」という気づきが得られないほど幼かったこの頃にはすでに、毒親と毎日暮らす日々によって、すでに心身がクタクタに疲れ切っていたのでしょう
私はもうこんなに疲れている。ずっと元気に生きられる自信がない。
たぶん、疲れすぎて、17歳以上生きられなさそう…
もしくは、頭がおかしくなってしまいそう…
幼い子供ながらに、今の疲れた自分から予想できる近い将来の悲惨な姿が、心に思い浮かんで離れなくなってしまっていたんです
一つ目の悲しい予測「17歳で倒れる」
この幼い頃の悲しい予想は意外と当たっていました。
私が「動けなくなるんじゃないか?」とほんのり予測していた十代後半の高校生で何が起こったかというと、学校を不登校になったんです。
学校に行けなくなるほど疲労が激しく、動けなくなってしまったんですね
それまでは親に命令された通りに、やりたくもない習い事を続けたり、親の望みの学校に進学したりと体は動けていたのですが…
受験戦争を戦ったことで、恐らく疲労は規定量をはるかに超えてしまいました
これまで通りに親の言う通りに動き続けるのが困難になり、学校に行くことができなくなってしまったんです
人生が完全に終わったわけではありませんが、私の人生が実質停止状態になったのが、幼い頃より心にほのかに浮かんでいた悲しい予測の通り。17歳の頃でした
しかし、当時の私には10代の若さや力、柔軟さがありました。
上記のブログでも書きましたが、スピリチュアル本などを読んで心の支えとしたり、しばらく学校を休んで心身への負荷を減らしていくうちに、少しずつエネルギーを回復することができました
停止状態だった人生を、何とか再び進めることができたんです
不登校中の毒親の無慈悲な言動
この人生停止状態、十代の子供にとってこれまで最大のピンチの時でした
そんなときにわが毒親はどんな言動を取ったかというと・・
不登校になったのはお前が悪い
お前の弱さが不登校を引き起こした
普通の子みたいに、毎日元気に学校に行けないお前はおかしい
と決めつけ、暴言を投げつけ、心身が弱り切ったわたしをますます叩きのめしました
子供が不登校になったのは、我々親になにか原因があるんじゃないか…なんて普通の感覚を持つ親のように自省するような気持ちなど、毒親は微塵も持ち合わせません。
みんな悪いのは私でした
私は当時、長年の毒親との暮らしにより、心のすみずみまで毒に汚染されていたため、
「親がそういうのなら、私が弱くておかしくて悪いのだろう」こう毒親の言いなりに思っていました
毒親と暮らし続けて十数年、不登校になるまで追い詰められていた私には、もはや毒親のおかしさに真正面に向き合い反発する気力すら失われていました。
そもそも未成年の私は、このような私をボロボロにする悪の根源である毒親からは離れることなんてできません。
少しパワーが回復して前進が可能になったとはいえ、治りきらない傷を抱えながら、同居する毒親からは新たな暴言暴力をぶつけられながらも、何とか日々を生きていました
例えるならば、傷や痛みでボロボロの状態の私が落ちないように、止まらないように…と必死で綱渡りをする中、毒親から物や暴言をどんどん投げつけられているような状態でした
二つ目の悲しい予測「30歳で倒れる」
幼い頃の悲しい予測がなんとなく当たってしまった10代後半を何とか乗り越えた後。
私はかつてのように、再び近い未来の自分の限界が心に思い浮かぶようになってしまったんです
心にわきあがってくる悲しい予測とは・・
- 私は、これから十数年後の30歳ごろには恐らく限界がくる
- もうそれ以上は前に進めなくなってしまうのではないか?
30歳ごろというのは、進学や就職を果たした後に、続けてきた仕事が身についたぐらいの年代ですね
自分の足で立ち、進むことができることを実感することができる、人としてとても充実した時期です。
私は恐らく、その辺で燃え尽きて倒れて動けなくなってしまうのではないか?という予感が心に浮かんでいました。
またこの予感…当たらずとも遠からずだった前回17歳のときのように、私はどうにかなってしまうのだろうか?
どうしてこの考えが浮かんだのか?辛く苦しい日々を過ごす中、己の限界を悟ってしまっていたのでしょうか?真相はわからないのですが…
私が人生において第二の限界を迎えたのは、この予感通り、まさしく30歳の頃でした。
何が起きたかというと、うつ病の発症と、自分の親が毒親であると言うことをはっきりと自覚した、ということです。
ここでも私の人生自体が終わったわけではありませんでした
でも、それまでの生き方・考え方とはまるで別の人生を生き始めた、という意味では、一度これまでの人生をすっかり手放したといっても過言ではありません
親が毒親だということへの確信、毒親との疎遠という、これまでの価値観とは180度違った生き方・考え方を持ち、まるで別の人間に生まれ変わったかのような、新たな生き方を模索し進み始める起点となりました
不思議となんとなく当たっていた2つの予感
「17歳と30歳で、私はこの人生を継続することが困難となり、力尽きて動けなくなるだろう」
苦しく辛い毒親家庭に生まれ生きる中で、このような悲しい予測が心に思い浮かび頭から離れなかったのですが、結局この悲しい予測は当たらずとも遠からず、私は17歳と30歳で実際に倒れました。
しかしながら、倒れたその後、これはもはや以前の私とは違う人間じゃないか?というくらいに違う生き方・考え方を模索し進む、人生の大きなターニングポイントとなったんですよね
先ほども言った通り、私には霊感も直感も何も持っていないのですが、生まれ落ちた毒親家庭で生活することで、精神の限界ギリギリで生きることを強いられるうちに嫌でも神経は研ぎ澄まされ、すべて終わりはせずとも自分の人生の大きな転換点となる時期を、自然に思い浮かべるようになっていたのかもしれません
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