毒家族の話(父・2)

毒親育ち

その1からの続きです

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強烈に記憶に残った、理不尽な暴力

父から受けた暴力の中でも、最も理不尽で、強烈に記憶に残っているものがあります。私が中学生の時のことです。夏休みに、自室で学校の宿題や、受験に向けての自主学習に励んでいた時のことです。

父が突然、私の部屋に入ってきました。「お前の部屋に扇風機を置いてやる。」私は父に、扇風機の設置をお願いしたことはないし、部屋が暑いなどの苦情を父に伝えたことは一度もなかったので、正直戸惑いましたが、とりあえず「ありがとう」と感謝の気持ちを伝え、勉強を続行していました。

すると、父が突然怒り出したのです。「俺がせっかくお前のために骨を折ってやったのに、その態度は何だ!」父は、なにかわからないことを大声で叫びながら、私の使用している参考書を奪い取り、それを丸めたもので、私を何度も殴打し始めました

それだけでは飽き足らず、私を椅子から床に思い切り蹴り倒しました。恐怖で泣き叫ぶ私を、父は何度も何度も殴り、蹴り続けました

気が済むまで私を怒鳴りつけ、殴打した父は、最後に参考書をボロボロにして私に投げつけ、部屋を出ていきました。私は何が何だかわからず、殴られ蹴られた痛みと恐怖で泣き叫んでいました

ちなみに季節は夏で、家中の窓は全開、一部始終は外に丸聞こえ状態だったと思うのですが、近所の人たちからの助けや通報などは一切ありませんでした

あのときの考察

父は勉強が大嫌いで、「俺は中学生くらいからまともな勉強をしたことがない」ということを、私が小さなころから武勇伝のように豪語していました。悪い仲間とつるんで、おとなしい先生にいたずらをして楽しんでいたそうです

その後は時代と運の良さで、比較的いい会社に就職しました。それも「俺がすごいからだ」とよく自慢していましたが、残念ですが客観的に見て明らかに時代と運のおかげだと思います

私に対しては「もっと勉強しろ、この馬鹿野郎が!」と怒鳴ったり、「そんなに勉強ばかりしてると頭が固くて嫌味な人間になるぞ」とバカにしたり、その時の父の気分によって、言うことがコロコロ変わっていました

勉強しろ、という、親から子に一方的に使用できる「正当な説教」という手段を用いつつも、自分自身は勉強をしてこなかったという負い目を持つ、という矛盾する気持ちが彼の中でせめぎあっていたのだと思います

その頃、母はパートに励んでいました。シフトをたくさん入れていて、休日にも家にはあまりいませんでした。パートの後も仲間と集まったり、楽しい時間を過ごしてから帰ることもしばしばでした

母は日頃のワンオペ育児に疲れ、その上父と一緒に過ごしたり、父の相手をするのがいつも嫌そうだったので、家計を助けるという名目で、意図的に家庭から離れる時間を作っていたのかもしれません

父は貧しい家に生まれ育った影響かお金に対する執着が非常に強く、お金を稼いでくれて、家計を助けてくれる母には何も言えなかったのでしょう

また、父には友達もいませんでした。母は不在がちで家庭で相手をしてくれる人もいなくて、しかも娘は腹立たしくも勉強をしているという状況で、必然的に力関係が下である、娘の私につまらない因縁をつけ、暴力と暴言によってうっ憤を晴らしたのだと思います。ただの八つ当たりです

どう冷静に考えても、あの時のあの所業には、こんなクソな理由しか思いつきません

父の手口、そして他の家族の反応

父の手口が陰湿だな、と思うのは、私に対して殴る蹴るなどが長時間続くなどの、特別にひどい暴力行為を働くときは、ほかの家族が家にいないときを狙って行われていたことです。他の家族がいる時は、せいぜい軽く殴るか怒鳴りつけたり、私の所有している物をぐちゃぐちゃにするくらいでした

また、そして私の顔に傷や腫れなどができたりすると暴力を振るわれたことがばれてしまうため、わからないように、胴体や頭など、服や髪で覆われ傷がわかりにくいところを狙います。頬は最初の一発くらいでとどめます。やはり顔は一度くらいは張りたかったようです

そのほか、この家庭のメンバーが絶望的構成員でできているのがわかる事実は、母が一度も私を助けてくれなかったということです

どんなに父からひどい暴力や暴言を受けても、こんなに酷い目にあったと泣きながら母に訴えても「私たちはお父さんに食べさせてもらってるんだから、何をされても我慢しなきゃいけない」そんなコメントを吐き、私がうけた暴力への非難や抗議は一度たりとも父へ向けることはありませんでした

妹は虐げられる私の姿を見て、チック症になっていました。妹は溺愛されていたので、ただの一度も暴力を振るわれることも、怒鳴られる経験もありませんでしたが、父の私への暴力行為を見てるだけでダメージがあったようです。母はそんな妹に「妹ちゃん、かわいそうに、かわいそうに」と病院に連れていき、一生懸命寄り添っていました

私は、人間が信用できない人間になった

そのような環境下で生まれ育った私は、どのような人間になったかというと、ごく幼いころから、

  • 人間というのは全く信用ができない
  • それどころか、こちらに何の非がなくとも、突然害を与えてくるモンスターのような恐ろしい存在だ

という強烈な人間不信人間嫌悪の感情を、幼い頃から抱えてしまっていました

共に暮らす、自分より圧倒的に力の強い人間たちに、日常的に自分だけが突然暴力を振るわれる、怒鳴り散らされる、八つ当たりのような理不尽な害になる言動を取られる。そして、そのような状態に置かれた自分を誰も助けてくれない

このような状態が続く家庭にいつづければ、人間不信、人間嫌悪になるのも当然の流れだと思います

そしてやがて、

  • 自分のことは、自分で守らなければならない。守ってくれる人などどこにもいない。人に頼らずとも一人で生きられるようにならなければならない
  • 人に気を許してはならない。人からいつどのような危害を加えられるかわからないから、常に警戒を怠ってはならない
  • 将来は人間という恐ろしくおぞましい存在に邪魔されることなく、一人でのんびりと生きていきたい

子供であるため、家を出て自活することなど当然できません。逃げることもできません。ほかに頼れる人も、逃げられるところも、どこにもありませんでした

恐ろしい人間というモンスターだらけの家庭にいるしかなかった私は、日常的にひどい目に遭い、心身を傷つけられながら生きる中で、幼い頃からごく自然に、上記のようなことを自然と考えるようになってしまいました

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