毒親って、子供が心から欲しがるものや楽しみなんかを、いつも異常に禁止したり奪ったりするんです。
特に子供が幼い頃、親としての強権を発動しやすい時期にそんな行動を取られることは多かった。
わが毒親たちが、私から大切なものや好きなことを奪う時、よく口にしていたセリフは
しつけのため!
あんたのためを思って!
だったのですが‥
今あらためて、彼らの行動を振り返ってみると、言葉通りに子供のため、しつけのため、とは到底思えないんです。
私から大切なものを奪った時の、あの毒親の行動というのは‥
1・子への無関心・無理解から発していて、
2・子が持ち込んでくる未知のもの・新しいものを知ろうとする姿勢なんてゼロ→
自分たちが知らないものなんて思考停止状態でとにかく禁止!
3・子が喜ぶ姿を見るのがいまいましい
自分が体験したことのないことを子が経験しているのがむかつく→
子から楽しみを奪ってストレス解消したい
こんな残念な気持ちの数々から発していたとしか思えないんですよね
あれは、しつけでもなんでもなく、ただの子どもいじめでしかなかった。
子供の頃に大切なものを、理不尽に強制的に禁止されたり奪われた毒親育ちは、大人になって力をもってから、あれを何とか取り戻したい、再び手にしたい、と苦闘するのですが‥
大人になって、たとえ物理的に取り戻すことが出来たとしても、当時のような大きな感激や感動というものを同時に取り戻すことは不可能でした
やっとのことで取り戻した!と思ったら、いつだってそうではなかった。
毒親育ちは親に奪われ、失われたものの喪失感というものを、子供の頃に引き続き、大人になってまでも感じさせられるんです
毒親はきれいごとが大好き。きれいごとで、己の所業をくるむ
毒親はきれいごとが大好きです
きれいごとで、己の汚いマインドや行動を押し隠します。
こどものしつけ、親の愛、こどものために‥という美しい親だけが使える言葉なんて、そりゃあもう利用するに決まってます。
美しい言葉にくるんだひどい仕打ち、言動の数々‥その毒親被害の実体験を、ブログに書き続けてきました
親子という圧倒的な立場を悪用し、しつけや親の愛という非難しようのないきれいな言葉で言動をくるんだ毒親からの仕打ち。
子供はそれを黙って受け止めるしかありません‥
奪われたものを取り戻すーでも、二度と戻ってこない
スイッチやポケモンを禁じられた子ー窓際三等兵さんのツイッター小説より
Twitter小説で人気の窓際三等兵さん(@nekogal21)の作品の中で、子供の頃にほしかったおもちゃを買ってもらえなかった人の姿、を描いたものがあります。
私は窓際三等兵さんの小説のファンで、いつもTwitter上にアップされる小説を楽しく読んでいるのですが、こちらは昔の自分とリンクする部分が多くあり、悲しくも大きな共感を抱きながら、いつもよりもじっくりと読みました。
ここにその一部を引用してご紹介したいと思います
「ファミコンは目が悪くなるから」。
僕と弟がゲームをねだるたび、母は困った顔をして、でも決して折れなかった。図鑑、世界名作全集、蟻の観察セット。
サンタさんは毎年、僕のリクエストを無視して高島屋の包装に包まれた立派なプレゼントをくれた。嬉しくないのに、喜んだふりをするのが辛かった。
窓際三等兵氏のツイートより引用
子供の頃に買ってもらえなかったおもちゃ。
大人になり、経済的に豊かになった登場人物は、やっとのことで手にします。
でも‥
深夜、家族が寝静まったタワマン低層階のリビングで1人、Switchの電源を入れる。
ニャオハがマスカーニャまで進化しても、チャンピオンロードでオモダカを倒しても、驚きや喜びを共有できる友人はどこにもいない。
プレミアムモルツを一口飲む。僕が本当に欲しかったものは、もう二度と手に入らない(完
窓際三等兵氏のツイートより引用
大人になれば自由や経済力が手に入るので、かつてほしかったものを購入という形で手にすることができますが‥
でも、たとえ物がついに手に入っても、あの頃に味わうはずだった大きな喜びは、どうやっても取り戻せないんですよね
それは、周りに同じ熱気で喜びを分かち合える同世代がいないから、という事も大きいと思います
だって自分の同世代は、子供の頃に好きだったことなんて、すでに大昔に遊びつくし終わっているんです。
同世代のみんなは、毒親育ちが大人になって物理的に取り戻した”子供の頃の楽しみ”なんてとっくに卒業して、そんなもの過去の通過点、思い出の1つでしかなくなっています
彼らは、新たな取り組むべきことー仕事や家庭、そして新たな趣味などーをもち、ますます前進し続けています
たとえかつて欲しかったものを大人になって、やっと手に入れても、あの時の熱気や興奮はもう取り戻せないし、一緒にその喜びをわかちあえる同世代なんて、もうどこにもいない
子供の頃に熱烈に欲しい!大好き!だと思ったものを、親に一方的に、理不尽に禁止されて、
しかもそれは二度と取り戻せないことを、大人になって再確認させられる‥
奪われる悲しさ、必死で取り戻そうとしても、取り戻せないやるせなさ‥
毒親育ちというのは、毒親の仕打ちによって、そんな辛さや絶望を何度も味わわされるんです。
悲しい記憶ーお菓子作り
私にも「かつて奪われた・与えられなかったものを自分で満たそう」と試みるも、満足感は少なく、虚しさだけが残る、という経験をしたことがあります
私は、母とキッチンで一緒にお菓子作りをする、という経験がただの一度もありません。
「子供は邪魔だからあっちにいってテレビでも見てろ!」と、毒母からはいつも、キッチンから追い出されていました
そんな悲しい過去を上書きしようと、ある時、一人でお菓子作りを始めました
本やお菓子作り道具を購入し、お菓子を一人黙々と作るのですが…これがまったく楽しくないんです。
次はこれ、次はこれ、とまるで課題や作業のようにお菓子作りをこなすだけ‥
虚しさだけが募りました。
つくったお菓子も食べきれずに処分し、買い集めたお菓子作り用品も本も、そのうち全く触らなくなってしまいました
寂しく悲しい記憶を上書きしようとしても、大人になってしまった自分一人の自助努力だけでは、だめだったんです‥
おままごとを禁じられた子だった
幼児の頃、私はおままごとが大好きだったのですが、毒親には絶対に買ってもらえませんでした。
どうしてだと思いますか?
毒母は
ままごとみたいなあんな細かいおもちゃ、汚れるし散らかるから買わない!
どうせ子供は汚く遊び散らかすから、そんなもの、家に持ち込まれたくないという毒親の思いが優先され、ままごとのおもちゃを買い与えてもらえませんでした
まわりの友達や年下の親せきの女の子たちは、当然のように、ちいさくてかわいいままごとグッズをたくさん持っていてほんとうにうらやましかった。
与えられなかった私は、友達の家に遊びに行くと、ひとり貪るようにおままごと遊びをして、友達に引かれていました
時は流れて小学校高学年。
友達とはおままごとをして遊ぶ事がなくなって久しかったのですが‥
あるとき、お店で、小さくてカラフルでとてもかわいいミニおままごとセットを見つけたんです。
私は胸が高鳴りました。
しかも、いま持っているお小遣いで買える‥!
私は思い切ってそのおままごとセットを買いました。
そして、ウキウキしながら家で一人、おままごとを並べてし始めたんです。
でも‥あのころのワクワクは戻ってきませんでした。
それに、誰かと一緒に楽しみたくても、もうまわりの友達でお互い夢中になっておままごとをして遊べるような子達はいません
みんなおままごとからはすでに卒業して、流行の歌とかおしゃれとか、そういう方向に興味が向いていました
遊びたい!大好き!と熱狂的に欲する時期に、それらを毒親から禁止され、取り上げられ、思うように遊べなかったことを大きくなってから取り戻そうとしても、
あの時のような熱中やワクワクは決して二度と手に入らない、というかなしい事実をつきつけられました
まとめ
子供に欲しいものややりたいことができたとき。それを手に入れたい、やってみたいと子が強く願うと、毒親は、簡単に、無慈悲に、それを禁止したり取り上げます。
その理由にしつけとか子のためとかきれいなことを言っているけど、
要は自分が理解できないものを子がやるのがむかつくし、
なんか面倒だから安直に禁じて面倒を減らしてるだけ。
もしくは子が喜ぶ姿を見るのがいまいましいからわざと強く禁止したりとりあげ、悲しむ子を見て、実は心の底で喜んでいる‥
そんなひどい理由で、子から大切なものを安易に奪うのが毒親なんです
本当に子を思う親ならば、子がやりたい!好き!欲しい!と言ったものを闇雲に禁止せず、↓のような丁寧なプロセスを経るはずです
もしかしたらその子の生涯にわたる心の支えや生きる糧となるかもしれない、そんな大切な「子が出会った”楽しみや好きなこと”」の数々を大切にするはずですよね
でも、毒親は真逆。受け止める気などゼロ。
ろくに考えたり調べることもせず、安易に奪い、禁止します。
それによる子供にとっての大ダメージとなるさまざまな損失というものは計り知れない、かもしれないのに‥
毒親はそんな可能性になど微塵も思いをやることなく、子から様々な大切なものを安易に奪い、子をどんどん生き辛く仕向けるんです
コメント
この記事と、好きなことを続けさせてもらった人とそうでない人の違いの記事、とても共感しました。
私も、好きで習っていたダンスは3年間で辞めさせられ、どうでもいいピアノと英語は約11年、辞めたいと何度もお願いした水泳は7年、そんなの通わなくていいと事前に言っていたはずの塾は3年通わされました。
ダンスは本当に大好きで、このまま続ければ私も将来はテーマパークダンサーとかなれるかも!?とまで思っていましたが、特に理由の説明もなくやめさせられました。私がやめたくないと抗議すると、「うるさい!あんな教室で続けたって上手くならない!」とわめき散らかされました。
その後も幾度となく段差を再開させたいと相談しましたがダメでした。高校の時は、吹奏楽部とダンス教室どっちを取るか迷い、1年でいいから両方やらせてほしいとお願いしました。ちなみに高校の入学祝いでサックスを買ってもらう予定だったので(私がねだったのではなく母の方から買ってやると言ってきた)、サックスはいらないからダンスを試させてほしいと言ったところ、「そんなお金はない」と言われました。でも、30万のサックスを買うお金はあったみたいです。
大人になって、ジャズダンスのレッスンに通いましたが、子供の時のように純粋に楽しめませんでした。むしろ、クラスがまだ将来のある子供と同じなせいで、どんどん休止やして上手くなっていく子供たちを見て、今から始めるのは遅い、という現実ばかり感じてしまいました。
それなのに、ダンスのプロに憧れる気持ちはまだ残っていて、もう年齢的に遅いという現実とどう折り合いをつければいいかわからず、悔しくて泣くことも多々ありました。
ちなみにダンス業界のプロの方は、小さい頃からやりたいことは邪魔されないのが当たり前という人が90%で、こちらも見ていて腹が立ってきます。健全育ちのプロの方は何も悪いことしてないのですがね…
リアルでは毒親関連の恨みは語れないので、こちらにコメさせていただきました。
すみません、念のため補足です。
高校でもダンスを再開させようと思えば再開させることはできましたが、そのためには一つ条件がありました。
それは、ダンスのレッスン代は自分でバイトをして支払うこと。
しかし、中学生の時の私は、校則で強制参加だった部活動に入るにあたり、吹奏楽部に入りたかったのですが、そこの学校は普通の吹奏楽部がありませんでした(身バレ防止のため詳細は控えます)。そのため、「高校では普通の吹奏楽部に入りたい」という気持ちも芽生えてしまいました…
高校の吹奏楽部は非常に忙しく、休みは週に1日しかなかったため、吹奏楽部に入ったらバイトしながらダンス教室に通うのは無理でした。
そこで先程書いたような交換条件を出しましたが却下されてしまった、という経緯です。