「毒父からの恐ろしい虐待行為」を認めたり、言葉にして外に出すのにとても時間がかかった理由

毒親育ち

安易な比較はできないのですが、それでも‥

毒父と毒母からの虐待行為や仕打ちの、どちらがきつかったか?というと、

命の危険を感じるレベルの恐怖を感じたのは、圧倒的に毒父からの仕打ち・虐待行為でした。

彼は成人男性の腕力で私を殴り、「誰が食わせてやっていると思っている!」の決め台詞で経済を握っていることをちらつかせて、幼い私を恐怖のどん底に突き落としました

でもなぜか…私はその毒父からのひどく恐ろしい仕打ちと、それがどれだけ怖くて酷いものだったのかを長年うまく思い出せなかったんです。

毒父からの仕打ちをちゃんと言葉にしたり、あれは自分にとって恐ろしかったんだ、と客観視できるようになるまでには、とても時間がかかりました

どうしてなんだろう?と考えると、それは恐らく‥

  • 毒父からの仕打ちは、命の維持に直結する大きな恐怖であったこと。
  • 命を脅かされる不安や恐怖を、誰でもない実の親からされるというおそろしい事実を客観視したり、受け止めることは、私にとって大変困難なことだった

こういう事だったのだと思います。

その恐ろしく忌まわしい記憶を自力で解釈することはとても困難だったため、そのままの形で瞬間冷凍して梱包し、心の奥底に押し込めっぱなしだったんです。

毒父からの仕打ちは、幼い子が正面から受け止め、それを理解するにはあまりに苛烈な経験でした。

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毒父の加害行為①成人男性の腕力での暴力②妻子の経済を握っていること

毒父からの加害行為は2つに大別できます。

①男性の腕力から繰り出される暴力、②経済を握られている

です。

暴力

幼い子が、大きな体の成人男性から大声で罵倒されたり、殴る蹴るの暴力を受ければ、大きな恐怖を感じ、命の危険に直結するにきまっていますよね‥

毒父は不機嫌になると何かと因縁をつけて、幼くて細くて小さい私を大声で怒鳴りつけ、平気で殴ったり蹴りつけたりしました

余談ですが、私は小さい頃は体がちっちゃくてガリガリだったのですが、中学生になると身長がぐんぐん伸びたんです。

そうすると、毒父からの暴力はピタッと止まりました

体が小さい幼い子じゃないと、自分の力で圧倒し屈服できなそうなので、暴力は止めるというマインド。おぞましいですよね‥

経済

毒父はよく「おまえら誰に食わせてもらっているんだ!」「俺が働いてるからお前らは生きられるんだぞ」ということを言いました

特に母は日常的にグチグチと言われていたようで、母は私にその愚痴をこぼしました。

でも母は、私に愚痴をこぼしながらも、毒父のその言い方にのっかっていたんです。

私と同じく経済という命綱を握られている(彼女は長い間専業主婦志向でした)ために、毒父にのっかるしかない、と考えていたのだと思います

毒母
毒母

お父さんが働いているお金で私たちは生きているのよ!

(=だからお父さんに逆らってはいけない!)

私によくこういうふうに言っていました。

毒父はこのように、彼が持つ男性の腕力からふるわれる暴力や、生きるために必要な経済力を握っていることをちらつかせ、私を幼い頃から不安と恐怖のどん底に突き落とし、私の心身の活動を停止させ、コントロールしてきました

幼い子にとって、成人男性に暴力を振るわれることや、「俺が金を稼いでるんだ!お前は俺に従わないと生きられないんだぞ!」と経済を盾に脅されると、命を守るためにはもう感情や何やらを抑え込み、従うしかありませんよね。

立場の弱い妻子に対して、暴力や経済という自分だけが持つ者をちらつかせて脅してコントロールする毒父。人として最低ですよね

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毒父からのひどい仕打ちを取り出し、客観視するのにとても時間がかかった理由

私は幼い頃から、毒父からのこのような恐ろしい仕打ちを受けてきたわけですが、

なぜかこの、毒父からの苛烈な仕打ちを具体的に思い出したり、「辛かった」と改めて実感したり、言葉にするのにはものすごく時間がかかったんです。

すぐに簡単に思い出したり言葉にできるのは、毒母からのネチネチとした陰湿な、でも命の存続にはあまり直結しないエピソードばかりでした。

“毒親の毒の種類”についてー子の内面に侵入し、破壊する毒 編ー
毒親が発する毒の種類についてです。腕力での暴力とは違って一見わかりにくく、でも確実に子を内面から蝕む「侵入的な毒」というものがあります。わが毒母がそれで私の内面を長年踏みにじり、私をコントロールしやすいように”地ならし”をし続けました。

10年以上も前になりますが、生きていくことの辛さに限界を感じて心療内科にはじめて駆け込んだとき。

医師からははじめに、「あなたの生い立ちを、少しずつでいいので話してください」と言われました。

そして私の話を黙って聞いていた医師が、こう言ったんです

はっとしました。

確かに、母からされた辛い仕打ちは頭にいっぱいあって、それはどんどん口から出てくるのですが、父からされた事の記憶は、なかなか出て来ない。

なんなら、まるでなにもなかったかのような、なんなら父は最初からいなかったんじゃないか?くらいに存在感がない感じだったんです

でも実際は‥”まったくない”どころか、毒父からは、特に幼い頃、命を脅かされるような恐怖を感じる仕打ちを、私は毒父から受けていた。

どうして父からのひどい仕打ちをパッと思い出せなかったのかというと‥

恐らく、毒父からの仕打ちは、当時の幼い私には抱えきれないほどの恐ろしさだったからなのだと思います

…暴力で脅される、経済を盾に脅される。

父からされてきたことは、当時の幼い私が命の存続に直結するレベルの恐怖であったので、幼い私の頭では恐ろしさの余り思考停止状態、解釈などは到底不可能だった

だって、幼い子を慈しみサポートする存在である実の父親から、命の危険を感じさせられるんですよ?

そんなの、理解できるわけないし、受け止めることなんてできるわけないじゃないですか‥

だから、①思考停止のままに、②そのものすごく恐ろしい出来事を瞬間冷凍し、厳重に梱包して、③そのまま心の奥にしまいこむしかなかったのだと思います

”冷凍保存したままの恐ろしい記憶”を取り出せるようになったのは‥

そんな、長年理解や解釈できないレベルの恐ろしい仕打ちを取り出し、客観視したり言葉にして外にだすことができるようになったのは、ほんのつい最近なんです

どうしてできるようになったか?というと、

  • 恐ろしい仕打ちをうけてから、長い時間が経った
  • 恐ろしい仕打ちをした張本人である毒父が死んだ
  • 「親がいなくても生きていける」という実感をもてるようになった

このような理由が挙げられます。

記憶を凍らせたそのときから時間が長くたち、加害者である父が死に、そして自分は、親がいなくても自分は生きられるという実感をどんどん得られるようになった。

加害されたときから、加害された人から、時間も身も心も離れることによって、客観視がやっと可能になったんですよね

ここまで来るのに何十年もの時を費やしました‥

終わりに

私は命が損なわれるレベルの危険を、あろうことか、同居する実の親である毒父から日常的に感じさせられていた。

それはあまりに恐ろしいことすぎて、当時の私には、そしてその後もずっと、その事実を正面から受け止めることができなかったんです。

私は奴らから時間・肉体・精神、すべてどんどん離れていっている。そして私は、たとえ奴らがいなくても生きていけている。

その確信を持てるようになってやっと、その苛烈な記憶を取り出して解釈することができるようになりました。それほどのひどい仕打ちを、実の親から受けていたということなんですね‥

コメント

  1. りな より:

    てぃーこさんはじめまして。
    SNSに詳しくなく、過去の古いTwitterは読むことができませんが、私なりに遡れる範囲のツイートは見させていただいてます。
    blogは全て読みましたし、記事は何度も何度も読み返してます。
    てぃーこさんのことを“毒親育ち間の不幸競争”をしていると思ったことはないです。
    ずっと続く私の心労が、”てぃーこさんの考え”を読みことで大人の私も過去の私も救われています。「お互い傷だらけだけれども、でも、みんなで何とか、今よりも少しでも生きやすくなれればいいな」と言うてぃーこさんの気持ち、私にひしひしと伝わってます。
    てぃーこさんの生い立ちが丸々私と同じでして、普通育ちには理解不能な毒家族育ちの私にとって「てぃーこさんのツイートやblog、私のこと?私のこと見てきたの?私が書いてる??」と驚くほど、私と同じです。
    両親ともに毒、私の容姿&中身をけなし何をしても猫可愛がりされている姉2人(※私は3姉妹の末っ子です)、友人作りが下手で、搾取する人に近寄られてしまうがその対処ができない…など全て共感します。
    (性的虐待以外の全ての虐待は受けてきました)

    これまで苦しんで生きていて、ネットで毒親と調べても“子供を憎い親はいない、つらい過去は糧になる、腹を痛めて産んだ子は可愛い”など綺麗事ばかりで、それがさらに私を苦しめてきました。
    私達毒家族のほとんどを見てきた親戚の女性から「私も人の親だから、私は、りなちゃんのお母さんの気持ちわかるよ」と母の味方をするようなことを言われるたびに絶望でした。
    毒家族を身近に見てきた人でさえ、私の苦しみは理解されず、“子供を産んだというだけの毒母”の肩を持つ…。
    まるで原因は私であり、私だけが悪いかのように感じてしまい、苦しみ続けていた時に、てぃーこさんのTwitterに辿り着きました。
    「これまでの毒育ちの本や情報などと違う。本当に毒育ちの人に寄り添ってくれてる…」と、小さな頃の私に優しく手を差し伸べられている気持ちになります。
    てぃーこさんの気持ちを文章化することで、私の心も整ってきています。

    私の父は突然死しました。
    突然死でしたので、その時は悲しくて泣いてしまいましたが、その後に結婚して、普通育ちの夫と過ごしていくうちに“脅かされない毎日”を送ることで、父のしてきた虐待に気づき、「死んでくれてよかった!父が生きてるうちに“過去の私になんてことしてくれたんだ!”と言ってやりたい」という気持ちになりました。←でも、こんなことを言うと、私が悪いように思われるんですよね。私も「生きてる時に、両親に仕返ししないだけ、偉いと思ってよね」と思ってます。
    「パパと結婚したくなかった。お見合いの時パパが嫌で3キロ痩せた!」と小さな頃から母に散々聞かされ、ずっと喧嘩してきた両親ですが、父が死んだ途端、母は手のひらを返し、父を神格化しました。通夜の時私が泣き崩れてしまい、葬儀後に母は私に「突然泣いて、あんたおかしくなったんかと思ったわ!あんた泣いてて、女優かと思ったわ!」「なんや偉そうに!自分のことをキャリアウーマンかと思ってるかもしれんけど!」と罵倒されました。(※私が父の死亡診断書を病院に受け取りに行き、支払いをし、葬式の打ち合わせなど私がやりました。長女は何もせず、次女は通夜に出ず葬儀ではつけまつげをつけたりしてましたが、1番貢献した私が母に怒鳴られました。)
    私も小さな頃に母に甘えようとすると、「あっち行け!」「あんたと喋って無駄な時間やった」と言われたり…。
    ただ、それ以上に私の心の中で蓋をしていたことがあり、そのことが今日までの私を縛り付けてました。
    物心ついた時には既に姉に「りなのぶす!」などと容姿をバカにされ(母いわく、次女は妹である私のことを、私が物心つく前からぶすと言ってたそうです。母に笑いながら言われました)、姉には暴力をふるわれ、姉から「家族の中でりなだけ1人で死ぬね」など言われ続け、それを母は見てみぬふり、私の自尊心を根こそぎたたき潰されて、私はいまだに生きづらいです。
    けれど、この苦しさは普通育ちの他者には理解されず…。
    なので、てぃーこさんのblogを読むたびに、私が救われてます。
    本当にありがとうございます。

    幼い頃のてぃーこさんが「お母さんと窓辺で景色を見ながらおしゃべりしたい、二人だけでゆっくり過ごしてみたいな」と母親に照れくさそうに打ち明けたのに、母親にないがしろにされた一文は涙が出ました。
    私が、その時の可愛いてぃーこさんを抱きしめてあげたいです。

    てぃーこさんのTwitterやblogが更新されることを心待ちにしています。

    • ティーコ ティーコ より:

      りな さま

      はじめまして。私のTwitterやブログをとても丁寧に読んでくださり、本当にうれしいです。ありがとうございます!
      ブログやSNSというのは、かつて同じ方向性の辛い経験をし、そして現在も苦しみを抱えながら、それでも一生懸命生きている皆さんと出会うことができて、
      そして皆さんが大変な思いをしてきた経験や得た知恵や知識を披露してくださって、それをシェアし合うことができる素晴らしい場だな…と日々実感しています。
      現実社会では、こんなことを打ち明けても、共感や理解されることはめったにありませんものね‥

      私の経験や、それを文章化したもので、りなさんのお役に立てることがあればとてもうれしいです。
      これからも、自分の過去の記憶の整理や、それに伴って気づいたことなどを言葉にして発信していきたいと考えています。
      もしよかったら、これからも読んでみてくださいね。

  2. りな より:

    2度もコメントすいません。
    先ほどコメントした“りな”です。

    ”ただ、それ以上に私の心の中で蓋をしていたことがあり、そのことが今日までの私を縛り付けてました。”の文章の続きを打つ前に送信してしまいました…。
    姉が私に意地悪(というか陰湿なイジメ)をするたびに、母は私を怒鳴りつけていました。
    幼稚園児の私は「どうしてお姉ちゃんが悪いのに、お母さんはりなを怒るの?」と聞くと、母が「お姉ちゃん怒ると泣くから面倒。だから、聞き分けのいいりなちゃんを怒る」と言われました。
    幼稚園児だった私は、母に好かれたかった。
    だから、私は私の中で“お母さんに嫌われないように、これからもお母さんに八つ当たりされよう”と心に誓いました。
    幼さゆえに、言語化できたのは最近です。
    私はその自分の気持ちに蓋をしたせいで、猫可愛がりされた姉2人が厄介な事件を起こすたびに、ずーっと母に“何もしてない私”が八つ当たりされて怒鳴られてきました。
    あの頃の私を救ってあげたい。
    なので、てぃーこさんの言葉が心に響きました。
    てぃーこさん、いつもありがとうございます。

  3. ひめ より:

    ティーコさん、こんにちは。
    幼い子供を成人男性が殴る蹴る。

    暴行罪ですね。(怪我をしたら傷害罪)。

    令和4年に民法が改正されて、親権者から懲戒権が剥奪され、現在は次のように規定されています。
    「親権者は、子の人格を尊重するとともに、子の年齢及び発達の程度に配慮しなければなら
    ず、かつ、体罰等の、子の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動をしてはならない
    ものとする(民法821条)」

    でもこの改正される前から子供を殴る蹴るすることは暴行罪であることに変わりありません。
    子供が一人で警察に行っても父親が逮捕されたりしますよ。
    ただ、ここで、母親が父親を捨てて子供と生きる決意をしてくれないと、子供が児相に保護されてしまいます。

    施設で生きるか、実家で生きて大学を出るか、ティーコさんはどちらが良かったと思いますか?

    • ティーコ ティーコ より:

      ひめ さま
      どちらが良かったですか?と問われれば、どちらでもありません。
      もうそれこそ生まれてこなければこんな目に遭わなかったのに、という思いが浮かびます
      どのような法律が存在しようと、私にとっては、誰ひとり助けてくれない環境下での親からの暴行がかつて日常的にあり、
      その悪影響・後遺症は今に至るまで続いている。けっしてなくならない。
      そんな残酷な現実が存在するだけです。

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