「この辛く苦しい場所から逃れたい」…これは私の人生の前半のテーマでした。
でも、どんなにがんばっても理想の場所にはたどりつけません
それどころか、現実にどんどん打ちのめされ、ある時ついに心身が動けなくなってしまったんです
社会で居場所をついに得られることなく、誇れるものなんて何ひとつ持たず、長くうつ病を患って思うように動くことすらできない。これは現在の私の状態です。ひとことでいって悲惨ですよね。でも、悲惨なのになぜか、心はこれまでになく穏やかなんです
悲惨なのに心は穏やか…私のこの、一見相反するこの状況と、ここに来るまでたどってきた経路をあらためて振り返ってみたいと思います
おかしな人たちばかりの場所から逃れたい…
私は毒親や、おかしな親族達ばかりが勢ぞろいしている一族の元に生まれ育ちました。
毒親や親族からは折に触れて物理的な暴力を受けたりひどいことを言われることも多く、一緒にいるだけで自尊感情が削られて苦痛でした。
ここから逃れたい。もっと居心地のいい場所に行きたい
そう願っていました。
でも、子供が家を出ても一人では暮らせません。そもそも外に出たとして、頼れる人なんていません。
この環境から離れるために今私が出来ることは何だろう?必死に考えた当時の私が出した結論は、
- 一生懸命勉強をして、できるだけいい学校に入れば、居心地の良い場所を得られるんじゃないかな?
- そこには私のように、今の苦しい場所から逃れたい!ともがいてきた人たちがいっぱいいるんじゃないかな?
自分が現在できることは勉強。私のすることになにかとケチをつけて妨害する毒両親は、私が中学にあがった途端「勉強しろ!いい成績を取れ!」と私になんとかの一つ覚えのように言うようになりましたし、勉強することはさすがに妨害されることはないだろうと考えました。
「だから勉強して少しでもいい学校に行こう」。自分にとっての心地よい居場所、わかりあえる人たちが周りにいる未来があることを励みに、私は受験勉強を続けたんです
そうしてたどりついた高校は、果たして私にとっての居心地のいい天国のような場所だったかというと…全く違いました。
そこには、勉強ができるだけではなく、豊かな家庭出身で穏やかで明るく満ち足りた人たちがたくさん集まっていたんです…想像してるのと違った。
想像では、もっと私みたいに「この嫌な場所から逃れたい」という一心で勉強にしがみついて、心身ボロボロでやっとここにきたって人ばかりだと思っていたのに…。
そして同じ苦しみを味わってきた者同士、やっとたどりついた場所でお互いこれまでの苦労を語り合い労りあえると思ってたのに。
実際に出会った人たちは、仏のような穏やかさと笑みとマインドで豊かに暮らしながらも勉強や趣味に軽やかに取り組むような人たちばかり。まるで私とは正反対です。私はあてがはずれて途方にくれました。
周りのみんなは、とってもいい人たちばかりなんです。毒親と違ってケンカ腰な人は1人もいなくていつも穏やかで優しい。「金持ち喧嘩せず」とはこういうことかと実感しました
でも…残念ながら、私はこの場にいるすてきな人たちと、心から分かり合えることはありませんでした。
自分の家庭でのエピソードを何気なく話しただけでもなんか変な空気になったり、逆に彼女たちから聞かされた話がまるでおとぎ話のような幸せ話で、今度は私の方が理解が及ばずフリーズしてしまったり…とにかくこれまでの生きてきた世界が違いすぎて、雑談一つすら難しい。
あまりのかみ合わなさに、私は早々に窮屈感を感じ始めました。必死で勉強をしてきたこれまでの無理が祟ったのか、勉強や通学に使うエネルギーもなくなり、やがて私は不登校になってしまいました
今度こそは、居場所を見つける!
この想定外の出来事について、私はこう考えました
- きっとこれはこの高校の特性であって、私が高校の選択ミスをしてしまった。
- この次こそは、今度こそは、私が居心地のいい場所にいけるはず!
その後も大学、就職と人生のターニングポイントが来るたびに、私は持つ力を振り絞りました。しかし…なんとたどりつく場所にいる人たちの雰囲気は変わらないんです。
必死にがんばればがんばるほど、そのたどりついた先にいるのは、穏やかで豊かで恵まれし人たちが多数派。優秀な人、裕福な家の人、年単位の留学経験を持ち外国語がペラペラな人など…
あのさ…そもそもお金ある人は学費の高い大学に行ってよ?というか家とか一族がすでに十分に豊かな人は働かなくてもいいじゃん。働かなきゃ生きていけない貧乏人に譲ってよ!居場所のない悲惨な私にその場所譲ってよ!!…そんな見当違いの不満を抱くほどには、私の心根はどんどん歪んでいきました
今いる辛く苦しい場所から逃れたい。その一心で必死に這い上がってもどんなにもがいても、たどり着いた場所にはどこにも心安らぐ居場所はなく、同じ境遇を生きてわかりあえる人はいなかった。毒親とはまた違った”わかりあえなさ”を抱えるような人たちばかりの中、私は絶望を感じました
うつ病に沈み、がんばりがきかなくなってしまった
若くエネルギーがある時は、もがいたり這い上がるための努力にたくさんのパワーを使うことができたのですが、歳をとるにつれてそんな力も衰えます。そしてこれまでの無理からくる疲れは心身にどんどんたまります。
やがて私に限界がきました。うつ病になり、今までのように、無理に体も心も動かすことが出来なくなってしまいました。
これまでのように必死に動き回るような活動は一切できなくなってしまいました。そもそも気力がわかず、頭が働かず、日常生活すらあやういくらいに体も動きません。
しばらくの間、家にじっとして、引きこもりの状態が続きました。
この間、もはやリアルでの友達の作り方なんて忘れました。
時期を同じくして、生まれてから長い間、私に多大な感情労働をはじめ様々なものを搾取し消耗させられてきた毒親とは、苦しい格闘の末疎遠にし、会うことはなくなりました
これまでの人生の大きな二本立てだった①社会の居場所獲得②親孝行行動、これらが一気に停止することとなったんです
なぜか気持ちが穏やか
社会に居場所を見つけようともがいた長い格闘の末、病を得て動けなくなってしまい、これまで必死に行ってきたすべてのことから撤退して、家に引きこもり続けぼんやりと過ごす日々。
うつ病のために体も心も思うように動くことができなくなり、そのため仕事も家事も満足にできず、子供もいないし趣味もない。そもそも病の影響で、なにも手につかない状態が本当に長かった。「私はこれをやっています!」と胸をはれることが何一つない。私が陥ったこの状態は、一言で言って人として悲惨ですよね。なんと私は、現在もこの延長上に生きています。
でも…こんな悲惨な状態なのになぜか、かつての苦闘の日々よりも、現在の私の心はこれまでになく穏やかなんです。ろくに動けず人ともうまく関われず、誇れるものが何一つないこんな状況だっていうのに、どうして私は心が穏やかなのでしょうか?
1つ心あたりがあるのは、どん底に沈んで久しいある時、上がらなきゃ!戻らなきゃ!という焦る心よりも「もういいや、もうなんでもいい」というあきらめと開き直りの気持ちが勝ったんですよね
そこから少しずつ体の力が抜け、だんだん楽になってきたんです
そして毒親と決別したこと、これもまた大きな転換点だったように思います。
私は毒親家庭に生まれ育ったことで、長年親の言いなりに行動し、搾取をされ続け、心身を傷つけられてきました。そんな毒親とは、私がうつ病を発症した付近で疎遠にしました。うつ病を発症し、毎日を生きるので精いっぱいなのに、毒親は私の状態なんて構わず相変わらず「構って!いい子でいて!」と我欲からくる要求を押し付けてきたんです。それに応えきれなくなり、そして毒親の自己中にいい加減限界がきてぶちぎれました
私に危害を加え消耗させる毒親という存在と離れられたことで、これまで消耗してきた多大なエネルギーが節約されて、使えるパワーが少しずつチャージされてきたのだと思います
どんなにがんばっても、社会での場所も誇れるものも何一つ得られず、「わたし終わったな」というところまでおちた。でも、私は終わってないんですよね。まだ生きている。そして落ちるがままにどん底まで沈んだら、これまでになかったあきらめと開き直りという感覚が体内から湧いてき始めて、そうすると何ならこれまでになく力が抜けて穏やかな心の状態で生きられている。
毒親という消耗の原点から離れられたことで、エネルギーが漏れ出すのを抑えられるようになった。
心身共に、予測や期待していた場所とは全く違うところにいるのですが、居心地も気分も案外悪くないんです。
努力をしても期待したものが得られなかった経験。打ちのめされてもう私の人生終わったと思ったら終わってなくて、そこでは案外心が軽く生きられている経験。全く方向性こそちがいますが、自分が願っていた未来予測とは全く違う場所にいるという部分は共通していますね。人生ってなんとも奇妙で予測不能でおかしなものだな、と自分のこれまでを振り返ってしみじみ思ってしまいます
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