子供に習い事や勉強を押し付ける毒親・疲れて病む子供

毒親育ち

毒親は、まわりの人たちに向かって自慢できる何かが欲しい時、自分で努力をして結果をつかみとる!なんてことはしません。

ではどうするかというと…子供にやらせます。子供を利用します。

自慢できる結果や賞を取るように子供に努力を押し付け、いい結果を出すことを強要するんです。

そのときの子供の意志や気持ちなんて二の次なんです。いつだって親自身の欲望ファースト。子が何を思おうが無視。親が結果を出してほしいことをあれこれいちゃもんを付けながら、子供に押し付けます

子が親の権力に逆らうことができず、押し付けられたことに必死に力をつくした結果、合格や賞を受けるとします。そうするとそれは子供の手から奪われ、瞬間的に毒親の手柄となります。

子供が出した、おいしい結果だけをちゃっかり自分の手柄として奪い、かすめ取り、自分の持ちネタとしてあちこちに触れ回り利用するんです

強要されている途中に、子供が「もうやりたくない。やめたい」本音や弱音を吐くと、「誰が高い金出してやってるんだ!」「ここまでどれだけ金を出していると思っているんだ!」とこれまで使ったお金のことを持ち出すなどして子の口をふさぎます。お金の話なんて出されれば、子供は何も言えなくなりますからね…

子供一人ではどうにもできない生命や金銭を持ち出して、子を黙らせる。恫喝の手段としては大変卑怯な手口です

毒親は、子供が抱える辛さや苦しい感情なんてすこしも気にしません。本当に人間の心を持っているのか?と疑うくらいに冷酷で残酷なことを平気でやってのけます

最近は教育虐待という言葉を耳にします。子に教育と称した押し付けをし、立派な結果を出すように要求する。教育の名を借りた、親の我欲による虐待です。

親の我欲を満たすために、嫌がる子に強制的に教育を押し付け、結果をださせる…こんなことを幼い頃からされてきた子供も心身が無傷でいられるわけはなく、大きな疲労はもちろん、どこか心に傷や後遺症ができてしまい、それを一生涯引きずったまま生きることを余儀なくされるんです

この記事では、かつて私が毒親から受けてきた習い事であるピアノとその強制されてきた苦しい日々の記憶、

そして長く強制されて果てに、私はピアノに対してどのような感情を抱くようになったか?どんな後遺症を引きずるようになったのか?ということを書いていきたいと思います。

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ピアノを10年間強制されてきた子供時代

私は子供の頃、ピアノをさせられていました。その期間、なんと10年間

ピアノって毎日弾かないとだめなんですよ。1日休んだら3日分の技術が後退してしまうから、練習は一日も休んではだめだよ!と先生にいわれていました。

だから体調が悪かろうがなんだろうが、10年間毎日ピアノを弾かされつづけてきました。旅行などの外出時は、鍵盤が書かれた絵を持参させられ、それに指を動かし続けてエアレッスンです

毒母はいつも、「お前がピアノをやりたいって言ったからさせてやってるんだ!」と主張していました。

私がピアノを始めたのは4歳ごろ。こんなこの世に生まれたての幼児が言う「ピアノやりたーい!」を言質にとってお前がやりたいって言ったんだろう!という言いがかりをつけるって正直頭おかしいですよね?

ピアノを始めた頃は、私は一人で隣町のピアノの先生の所まで1人でレッスンに通っていたんですよ…。今考えると4歳の幼児を1人で送迎なしで隣町までやるってどうなんでしょうね?これは昭和だからで済まされることでしょうか?一人の子供としてはそれほど大切にされてなかったんだなぁということが伝わってきますよね

いくら金がかかってると思ってるんだ!

そして毒母は、私がピアノを始めると決まると、誰も頼んでもないのに新しい立派なピアノを勝手に選んで買ったんです。家は貧乏でお金がないのでもちろんフルローンです。

ピアノのローンの支払いをするたびに、「お前が使ってるこのピアノはあとこんなに支払いが残っているんだ。うちは苦しいけれど、ピアノのためにこんなにたくさんのローンを払っている」領収書を片手に我が家のピアノローン状況を聞かされてきました。

そんなことをずっと言われていれば、簡単に「ピアノ辞めたい」なんて言えるわけがありません。貧乏人のくせに見栄張って勝手に高いピアノをローンで買って、その罪悪感を植え付けさせてピアノをやめられなくするという非常に悪質な手口です。

それでもピアノはどうしても好きになれず、いつも辞めたかったんです。辛くて辞めたいんです、お願いしますと必死でお願いすると、今度は「今までお前のレッスンに、一体いくら金を払ってきたと思っているんだ!」ここでまた金の話を持ち出して、子の言論を封殺にかかります。

毒親からはこのように、金目の話を出されては、ピアノを辞めることを禁じる何重ものトラップを敷かれていました。私はこの先、絶対にピアノをやめられないんだ…と絶望を感じながら、意識を殺して日々ピアノに向かっていたものです

クラシック曲ばかり弾かされていました。基本どれも嫌いでしたがバッハの旋律は子供ながらにどこか神聖な雰囲気だなぁ…と思いながら弾いていました

みんな簡単にやめられてるのに…

周りの友達はピアノを始めても、ほとんどの子は数年位でやめていきました

彼女たちは、辞めたいと親に相談しすれば、ちゃんと辞めることができるんですよね

たとえ高いピアノを買ってもらっていても、それとは関係なく、ちゃんと辞めたいという意志を親に尊重してもらえる。本当にうらやましかったですし、ピアノを通して見えてくる、友達の家の親と、我が家の鬼親との違いにショックを受けたものでした。

そもそも子供の話すことに聞く耳を持ってくれて意思を尊重してくれる親が多数派だってこと?じゃあどうして私は聞く耳を持たない鬼母の元に生まれて苦しんでるの?どうして私ばかりが金金言われながら長年嫌なことをやめさせてもらえない鬼の家にいるの?

…いくら考えても答えが出てこない、この身が置かれている地獄の家と他の家との違い、この理不尽な現実にひたすら打ちのめされていました

こんなに辞めることを禁じるくらいだから、母は私のレッスンに、熱心に付きっ切りだと思うじゃないですか?違うんです。ピアノのレッスンに母親が付き添ってくれることなんてめったにありませんでした。

新しい曲を渡されたときの譜読みや、ちゃんと曲を暗譜(楽譜を見ずに曲を弾くこと)できているか、その確認のために一緒にそばで見ていてほしい、とお願いすると「あたしは忙しいんだ!あんたに付き合ってられる時間はない」と拒否します。ピアノの置かれた部屋で、いつもたった一人鍵盤に向かって練習をしていました

ピアノと言うのはなかなかの音がする楽器なので、家中に音が響きます。ボロ家である我が実家なんて当然そうなります。というかもちろん音は確実に外にもれてたよね…近所への防音配慮とか絶対してなかったよねあのクソ親…

長い間ガキのピアノの騒音を聞かされ続けたご近所さんには、本当に申し訳ない思いでいっぱいです…

だから私が何を弾いているのかっていうのは家中筒抜けなんですよね。今日はちょっとクラシック曲を楽しくアレンジしてみようかな?なんてふざけて弾いていると、そういう時だけ毒母は過剰に反応し、激怒してピアノ部屋に飛んでくるんです。

何くだらないことしてるんだ!ちゃんと練習をしろ!

たまにこんなポップな曲集を渡されたときは、いつものクラシックのときよりも、やや息苦しさは減りました

プロになってはだめ。でもピアノは絶対やめてはならない

ピアノを始めて7、8年ほど経った頃でしょうか。

先生から「あなた、そろそろプロを目指すかどうかを決めなさい。それによってレッスンの内容を変更します」ということを言われました

嫌々やっていたとはいえ、これは先生にプロを目指してもいいというくらいに認められたのかな…ということにうれしさを感じました。

同時に、大嫌いだとはいえ、せっかくここまで心血を注いだピアノを極めてプロになるという道も、私にはあるということに気づきました。

しかし…このことを毒母に伝えると、こう即答されました

「何言ってんの?うちにはピアノのプロさせるようなお金なんてあるわけないじゃない!先生にはプロなんてなりませんって断りなさい」

プロは目指してはだめだ。でもピアノは絶対やめてはいけない。

私は混乱しました。それならば、私は一体、なにを目標にピアノをがんばればいいのだろう…

プロにはなるな。でもピアノは辞めてはならない。

辛い思いをさせられているのに、でもここから逃げてはならない、辛い状態をキープしろと言われているような息苦しさを感じました

この出来事により、私はピアノとの向き合い方がますますわからなくなり、ピアノを弾くときの意識の乖離状態は、ますますひどくなったように思います

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やっとピアノをやめられた!どうしてやめられたのか?その理由


こんなふうにピアノに縛られ続けた地獄のような状況で、私は10年経って、やっとピアノを辞めることができたんです

あの鬼母がどうして辞めることを許したのか?というと、こんな出来事があったからです

それは、これまで毎年選ばれていた、学校の合唱コンクールでの伴奏係に選ばれなかったから、なんです

私よりもピアノが上手な女の子が選ばれ、私が選ばれなかったと聞くと、毒母はあからさまに落胆しました。

毒母のこれまで見せなかったその様子を見て、私はピアノを辞められるタイミングは今だ!と察しました。「もうピアノ辞めていい?」と尋ねると「もう辞めれば。勝手にすれば」という長年待ち望んだ答えが返ってきたんです。

私はそこで、やっと、ピアノをやめることに成功したのです。10年もの月日が流れていました。辛く苦しい日々。本当に長かった…

あんなにひどい強制をしてたのに、伴奏係に選ばれなくなる=自分の見栄を張る道具として機能しなくなると、あっけなくやめろという。もう私のピアノは用なし、ということでした。

いつだってどこだって毒親というのは見栄第一、見栄を張れなきゃ即やめさせる。

そこに子供の感情や意思の尊重なんて全くないし、そんなのは二の次以下だということがよくわかるエピソードですよね

ピアノがトラウマレベルで嫌いになった

ピアノ辞めて以来長い月日が流れましたが、以降、ピアノはただの1度も触っていません。何十年も。

触りたくもないし見たくもない。それどころか、外を歩いていてピアノのBGMを聞くと吐き気が催されるくらいの拒絶反応が出ます。

ピアノに対してここまでものすごい嫌悪感を覚えるようなってしまいました。

恐らく花粉症のメカニズムと同じで、体のキャパを超えるとアレルギー反応が出てしまうように、私は一生分以上のピアノを強制的に浴びせかけられた結果、もはや相当な拒絶がでる体になってしまったのでしょう

それにしても、生きていく上でこんなに何かに対して強い拒絶感や吐き気を催すほどの嫌悪感を抱かせせるようなトラウマを、毒母は十年もかけて子である私に植え付けたんですよね。

これは教育ではない。毒親による子に対する傷害であり、子にいらない重荷を背負わせるという、たいへんな重罪を犯していると思います

一生ひきずる「教育の名を借りた強要・押し付け」の後遺症

私はこのように、毒親の浅はかな欲深さによって、やりたくもない苦痛なものごとを人生開始早々から長いこと強要させられ続けてきたんです。

そしてやっと辞められたその後も、かつての強要のせいで、持たなくていい罪悪感やトラウマを抱かされてしまった。

改めて毒親の悪行を振り返ると、私は何という攻撃を、実の親から長期間にわたってされ続けてきたのだろうと愕然としてしまいます

恐らく私のように、毒親の身勝手な欲求により、幼い頃からたくさんの余計なものを背負わされた子供=被害者=毒親育ちはこの世の毒親の数だけいるのでしょう。教育の名を借りた、子の心身への攻撃を受けた、かつての子供たちである毒親育ち。

運悪く毒親の元に生まれてしまうと、このように、その家ごとの毒親オリジナルの攻撃に遭い、逃げることもできずに消耗させられながら生きなければならないんです

やっと生き延びたと思ったら、大人になっても嫌悪感や疲労感などの辛い後遺症を引きずっていかなければならない…一体なんの罰ゲームなのでしょうか?



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