毒親と疎遠後。葛藤や罪悪感はどうなったか?

毒親育ち

毒親と疎遠にして、数年が過ぎました

自分を守るため、彼らと付き合うことに限界を感じたため、実行に移しました。これは自分にできる、最良の選択だったと思います

私は親に対して悪いことをしたのではないか?という葛藤や罪悪感こそ、完全にはなくならないのですが、年々少しずつ、その葛藤や罪悪感は薄れ、自分らしく穏やかに生きる日々を取り戻しているというポジティブな実感があります

時間薬が少しずつ、私を楽にしてくれています

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絶縁当初、毒親の恐ろしい行動の数々

私はあるとき、これ以上、親と関わりあうことに対して、心身に限界がきたため、毒親との関わりを断ちました

その時の経過をくわしくまとめた記事はこちらです

疎遠直後、半狂乱となった毒親

いままで言いなりになっていた私が疎遠を開始したところ、毒親、特に母親は半狂乱状態になりました

過去を振り返ると、毒親にとっての私は、長年、都合よく使える道具のような存在だったと思います

そんな、とても都合のいい存在であった私が、突然目の前から消えたのです

例えれば、今までずっと、叩いても投げても文句を言わずに言うことをきいてくれるおもちゃに突然逃げ出され、毒親は手足をバタバタして、ワーワー泣き叫ぶ子供のような状態だったのだと思います

具体的に、毒親は、私に対して、どのような行動をしたのかというと…

電話はしょっちゅう鳴り響き、メールが毎日のようにどっさり届きました。重い念がこもっているような、手書きの長文の手紙も何度も届きました。それらを受け取り、手にすることすら辛かったです

しかし一方で、それを捨てると何か罰が当たるのではないか?という恐怖にとらわれ、手紙の束は、押し入れの奥にしまい込んでいました。これもまた毒親からの長年にわたる呪いの影響でしょう

当時の私は、正常な精神状態ではありませんでした

アポなしの突撃

また、恐ろしいことに、毒親は、私の住む家に、アポなしで突然突撃してくるのです

毒親の住むところと、私の住むところは、新幹線や在来線を乗り継がなければならないほどの遠い距離がありますが、そんなことはおかまいなしに、連絡も何もなく、突然、突撃してくるんです

家のチャイムがなると、モニターに、ぎらついた笑顔の毒母が映っている…ホラー映画のように恐怖で足がすくみました。それがリアルに頻繁に起こり続けました。やっとのことで毒母を追い返した後は、私は疲労で数日寝込みました

私はそのような毒親の行動の数々に、日々大きな恐怖を感じて毎日を過ごしていました。いつ、どんな攻撃がくるのか…電話やメールの着信音がなるだけでも、恐怖でエネルギーが消耗する日々でした

疎遠を選択したことへの罪悪感

恐怖感と同時に、私は大きな罪悪感を抱えていました

  • これまで何十年もの間、私はずっと、親のいいなりに生きつづけてきた
  • ずっと「親孝行」をし続けてきた人生と、今はまったく逆のことをしてしまっている
  • 私はとんでもなく悪いことをしているのではないか?
  • こんなことをしていると、やがて大きな罰を受けるのではないか?

親からのやむことがない強烈な攻撃と、自分の内からとめどなく湧き出る罪悪感で、しばらくの間、パニック状態でした。このような、絶縁当初の大きな苦しみと混乱は、しばらく続きました

辛い私を支えた存在

この辛い時期をなんとか乗り越えることができたのは、私を支えてくれていた存在があったからです

それは、

  • 心療内科の先生
  • 自分と同じような毒親育ちの人たちの体験談

この3つの存在です

心療内科の先生

私は、まだ毒親育ちの自覚が持てていなかった頃、

どうしてどんなにがんばっても、ここまで何もかもうまくいかないのか?身動きが取れなくなってしまったのか?本当にわからなくて混乱していました。どんなに努力しても後退しかしないような、辛い日々が何年も続き、もう限界が来ていました

そこで、一度もアプローチしたことのなかった分野である心療内科に、生まれて初めて訪れました。何をしてもだめな状態で、藁をもすがる、という状態です

先生は、私の訴えを一通り静かに聞いてくれて、一言こういいました

「あなた、親との関係ってどうなってるの?」

「あなたのような症状が出る人って、親との関係があまりよくない人が多いんだよ」

・・・えっ?

当時の私は「親との関係は良好で、親は私のことをよく考えてくれています」と即答しました。実際、当時、親子関係は良好である、と思い込んでいたのです。

私は、自分ができる親孝行を続けているだけだし、親はちょっとおかしいところはあるけど、ただ個性的で不器用なだけで、本当は子供のことをよく考えてくれる親だ、と思っていました

先生は、静かに「そうなんだ」、否定も肯定もせずに、その場は流れました

その後もこの心療内科に通い続け、投薬治療を続けながら、診察でこれまであった親とのエピソードをひたすら先生に伝える日々が続きました

頭の中にぐちゃぐちゃに詰め込まれている記憶の数々は、うまくサッと説明するのが困難だったため、診察の度に、大量にメモに書きだした紙の束を用意してから臨みました

そのエピソードを伝えると、先生は、

「えー!それは自己中なお母さんだなあ」

「あなた、親がそんな感じだったら大変だったでしょう。本当によくがんばってきたねえ」

という予想外のリアクションを返してきました。先生に親のエピソードを話すと、たいていそのような反応が返ってくることに、私は驚きました

自分にとっての「普通の親子関係」は、客観的にみると、異常だったんだ…

心療内科での先生のやりとりで、そのことにはじめて気づいたんです

そして先生は、「あなた、親と関わるのが辛かったらさ、無理に会わなくていいんだよ」ともアドバイスをくれました

先生に、私と親との、これまでのエピソードの数々をひたすら話し続け、それに対する先生の反応を聞き続けるうちに、私と親とは、自分が思いこんでいたような良い関係ではないことに少しずつ気づき、そしてその事実を受け止め始めました

  • 私はおかしな親から、おかしな言動を取られ続けていた状態だった
  • それによって、私は疲れきっている
  • 疲れているどころか、うつ病を発症するまでに追い詰められている

自分が置かれている状況に気づくことができたことで、私がどうして身動きが取れない状態が続いていたのか、原因がだんだんと、やっとわかったのです

そして、毒親は、罪悪感や親孝行などの、一般的に否定することが難しいようなエモーションなワードをうまく使用して、長年、私のことを思い通りに、巧妙にコントロールし続けていたことに気づいたのです

自分と同じ、毒親育ちの体験談

その頃、巷では、毒親ブームと言われ、関連の書籍や告白ブログなどが話題になっていました

「子供をひどい扱いをする親は、この世に存在する。それを認めてもいい。」そんなことが、やっと表に出るようになり始めたタイミングでした

私は実は、これまで、なんとなくそれらを避けていたんです。

なぜ避けていたのか?

今思うと、当時私は、親には親孝行しなければならない、私は一生懸命親孝行してると思い込んでいました

実際には毒親にいいようにコントロールされてるだけだったのですが…

自分の意識下では親孝行している状態だったので、その逆である、親を毒親扱いすることなんて、絶対に許されないことだ!この人たちは何ていうこと言ってるんだろう。自分とはまったく反対の親不孝な人たちだ…

私はそんな風に決めつけて、毒親本を避けていました。

それからもしかしたら、毒親にコントロールされている状態である自分が全否定される恐怖というものを、実はどこか本能的にかぎ取っていて、避けていたのかもしれません。

毒親という概念、毒親にコントロールされている現在の自分をはっきりと自覚してしまうと、

ガチな毒親を持つ自分の惨めさ、毒親にコントロールされつづけて、長年無駄なことばかりしている自分の惨めさが浮き彫りになってしまうことが、怖かったのだと思います

でも、心療内科に通院し、親と私の関係性を客観視できるようになるにつれて、私は、関連するブログや書籍を、手あたり次第貪るように読むようになりました。

心療内科で徹底的に自分の立ち位置を客観視する作業を続けて、現実に立ち向かう下地がやっとできたのです

いざ読み進めると、どうしてうちと、ここまで同じなんだろう?と驚くほどに、毒親からされた仕打ちには、自分と似たような体験談が本当にたくさんあることに気づきました。まるで同じ毒親養成学校にでも入っているの?と思えるくらいに、毒親被害というのは大変似通ったものが多いんです

そんな驚きと共に、私と同じ苦しみを体験した人たちが、こんなにたくさんいるんだ。こんな辛い思いをしているのは、私だけじゃなかったんだ。仲間を見つけた安心感を得ることができました

彼女たち(毒親被害者は、アラフォーの同世代~年上の女性が多いのです)の体験談を読んでいくと、毒親からの苦しさから脱却するには、毒親から距離を取るのが一番、ということが一様に述べられていました

自分が辛い思いをする場所からは、自分を辛い思いにさせる人からは、心身すべて離れる。距離を取る。それによって、ようやく自分の人生が取り戻せると。

最初にそのような表現を読んだとき「私には絶対に不可能だ」と思いました。親と縁を切るなんて、疎遠にするなんて、罪悪感で押しつぶされてだめになってしまう。

何より、私があの家族をしっかり支えないと、彼らはますますおかしくなってしまう。家族が崩壊してしまう。そのような強い思い込みが、しばらく私を動けなくしていました

しかし、それから数年、苦闘の日々の果てに、私はついに、親からの疎遠を実行することができました。毒親から自分の身を離し、自分の人生を少しずつ取り戻すルートに就くことができたのは、彼女たちの渾身のメッセージの数々が、絶えず私の背中を押してくれて、励ましてくれたおかげです

妻である私が、親との絶縁という非常事態を起こしたことに対し、夫は、頭ごなしの否定はしませんでした

理解、というよりも、毒親の奇怪な行動の数々を目の当たりにし、私のさらされている現実を目の当たりにしてのドン引き状態、という方が、正解かもしれません…

しかし、夫がもし、私の毒親のように、世間体第一のタイプでしたら

「いい年して親と疎遠なんてやめてくれ。周りになんて思われるかわかっているのか?」

こんな「正論」を私に押し付け、引き続き毒親との関わりを行うことを強いられていたと思います

夫は、私が親と距離を取ることは、私の苦しみを取るのに大切なことだ、ということに、少なくとも同意をしてくれました。夫の同意がなかったならば、今の私はありませんし、今、命を継続できていたかもわかりません

罪悪感は取り切れない

上記のように、私のことを肯定し、そっと背中をおしてくれる存在のおかげで、私は毒親と疎遠にすることができて、自分の人生を少しずつ取り戻すことができています

自分のポジティブな変化を感じ、喜びやうれしさを感じることができています

しかしながら、親を振り切ったことへの罪悪感は、未だに、完全には拭い去ることはできていないんです

  • 「私はこんなことをしていいんだろうか」
  • 「いつまでこんなことで、悩まなければならないのか」
  • 「もしかして、親は何も悪くなくて、自分のわがままでこんな大変なことをしてしまってるのではないか?」

こんなネガティブな考えの数々により、不安や混乱の渦に巻き込まれてしまいます

しかしながら、最近、このような考えに支配されるタイミングは、疲れた時、夜、体調が悪いときであることに気づきました。心身のコンディションが悪いときや疲れが、このようなネガティブな考えを引き起こしやすいのです

疎遠にしたらすべて解決、気分スッキリ、なんて、簡単にいきませんでした。何年たっても、未だに、こうやって苦しくなる時があります。苦しみが発生する残骸、つまり毒親からの長年にわたる呪いが、私の体内には今でも残り続けているということですね

しかし、毒は確実に薄まってきている

救いとなっているのは、このようなネガティブな考えは、年を重ねるごとに薄まり、減っているということです。

「毒親からの解毒は、毒にさらされた年数と同じくらいかかる」という言葉を聞いたことがあります

一体あと何十年かかるんだろう…と暗い気持ちになりますが、それでも、体内から毒親の呪いは完全に出る日はきっとくる、ということがわかるだけでも、暗い道に光がさしているような思いになります

夢を見る

疎遠後に、よく見る夢があります。両親と、妹と、親族と、何事もなく仲良くしている夢です。みんなで実家に集まり、何気ない会話をして、楽しいひとときを過ごしているのです

  • 「私は、家族とこんなに仲が良かったんだ」
  • 「問題なんて何もなかったんだ。本当によかった」

私は深い安堵と喜びで満たされています

そして、次の瞬間に目が覚めて、すべては夢だったことに気がつき、現実との落差に、朝から深く絶望するのです

ときには夢と現実の余りのギャップに耐え切れず、枕元に常備してある精神安定剤を飲むところから、私の一日は始まります

毒親は、現状に対してどう思っているか?

悪いのはお前。お前が全部悪い

私への手紙や電話攻撃の内容から察するに、毒親は、変化した私を、このように思っていることがわかります

  • あいつ(私)が勝手に頭がおかしくなった。自分たちは何も悪くない
  • あいつが精神科になんか行くから、ますますおかしくなったのだ。精神科になんか行くな、と止めてやったのに、行ったあいつが悪い
  • すべてはあいつが悪いのだ

私が変わったのは、私が勝手に頭がおかしくなったのであって自分達のせいなどとは少しも考えていません。そして私が、精神科などという、行ってはならないおかしな病院に通ったせいなのだそうです

悪いのは全部私のせいなのだそうです

疎遠にしてからしばらくたちますが、彼らは、「相変わらず」な様子です。なぜそれがわかると思いますか?

再び私を支配できる日を心待ちにする毒親

毒親は今でも、定期的に、こちらの様子を伺うようなメールや電話、手紙を送ってきます。その内容から、毒親の考えていることを容易に察することが出来ます。子供の頃から、親の顔色を窺って生きなければならない環境だったので、親の考えていることを察するのは、悲しいくらい得意なんです

私は一方的に投げつけてくるメールや手紙で親の意図を汲み、その度に気分が沈みます

毒親からのメールや手紙からは、私のおかしな行動が収まれば、また再び昔のような関係性に戻れるだろう、と様子をうかがっている気配を強く感じます

  • もう、あいつ(私)の、頭のおかしい状態は治ったかな?
  • 元の、言いなりになる、役に立つ娘に戻ったかな?

そんなの考えすぎだ!親は、私とただ純粋に会話したいだけなのかもしれない!

そう思いますか?そうでしょうか。

老化や病気というワードで哀れを演出する毒親

最近、毒親からくるメールや手紙の内容は、老化と病気というワードが頻繁に綴られるようになりました

「私はこんなに歳を取った、こんな病にかかって辛い、寂しい」と、自分の置かれている辛さや寂しさを、これでもかというくらいに表現しています

私に植え付ける罪悪感のダメ押しです。どのように娘の罪悪感をつついてやればよいのかを、本能で熟知しているのでしょう

頭ではそのような毒親の動きを、またやってるよ…と、客観的に理解することはできます。それでも、私の心身の調子が悪いときなどに、そのような内容にうっかり被弾すると

「私は、年老いて、病を持つ親を無視するという、とても残酷なことをしている悪い娘なのかな…」

こんな風に自分を責める考えに支配され、混乱に陥ってしまうことが未だにあります

明るい兆しはある

私は今後も、こうやって、罪悪感に支配され続けるのでしょうか?罪悪感にさいなまれつづけた果てに、根負けして、また毒親に支配される日々が、いつか復活してしまうのでしょうか?

もはや、根競べのような様相を呈しています…命を懸けた、ばかげたチキンレースです

このように、毒親との疎遠こそはしましたが、定期的にくる毒親からの攻撃の度に、罪悪感が復活するなど、毒親の呪いは完全には取り除けていない状態です。これが、毒親生まれ、毒親育ちが毒親を疎遠にしたときの、とある一つの現実です

ただし、明るい兆しはあります、先ほども述べましたが、時が経つにつれて、以前と比べ、親に対する罪悪感が噴き出す回数は減り、その罪悪感自体も小さくなってきています

時間薬という言葉がある通り、時間の流れがゆるやかに、毒親への必要のない罪悪感を消してくれているようです。そして今でも読み続けている毒親被害の体験談や書籍によって、自分のしたことは間違いではなかった、そんな、自信や確信をより強く持てるようになったことも大きいかもしれません

毒親との疎遠と、その後の心境。これはリアルタイムで動き続けており、まだ結論をつけられるものではありませんが、辛さや罪悪感は時と共に薄れていることは確かです。毒親と疎遠にしたことで、穏やかに暮らせる時間がどんどん増えたこともまた事実です

毒親との疎遠を続け、自分を大切にする生き方を続けることによって、毒親へのおかしな思いがこのまま少しずつフェードアウトして、完全に毒親からの呪いから解放される日がくることを願いながら、この毎日を大切に過ごしていきたいと思っています

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