
なぜ、毒親は、毒親になってしまうのでしょうか?
毒親とは…いつも自分の欲求を満たすことが第一。子供を不安や恐怖で従わせ、道具のように使用することを平気でしてしまう、人でなしという言葉がよくにあう人間のことです
この記事では、うちの毒父の生い立ちをたどることで、毒親とは、一体どういう環境や条件下で誕生してしまうのか?ということを見ていきたいと思います
毒親に共通している部分とは?
毒親の生い立ちを丁寧に振り返ってみると、彼らのもつエピソードには、共通している部分がいくつもあります。
それは以下になります
- 生まれた家の人間(父母、祖父母)がおかしい
- 父母、祖父母から生涯にわたって粗末に扱われ続ける
- 親のためにどんなに頑張っても、親から十分な承認や肯定をもらえなかった
- 親の異常性に気づく機会や、自分の本当の気持ちを大切にすることができなかった
くわしくみていきましょう
生まれた家の人間(父母、祖父母)がおかしい
毒は連鎖します。毒の親は毒、そのまた親も毒というケースが多いのです
子は親がお手本です。それがたとえおかしな手本でも、幼い子供は当然そのおかしさには気づくことができずに、生存のために必死で親の言う通りに物事を行ったり、親に似た考え方をインストールして成長していきます
目の前に生きる親がスタンダードになってしまうため、どうしても、その連鎖は続いてしまいます
こうして、毒が連綿と受け継がれてきてしまったのでしょう
父母、祖父母から生涯にわたって粗末に扱われ続ける
毒の親や祖父母は、自分の子供、特に搾取対象として決めた特定の子供を、道具やサンドバッグとして使います。
そこに、子供の個の尊重やのびのび育ってほしいなどという、普通の家で子供に願われる気持ちなどは存在しません。毒は毒の欲望を満たすことで頭がいっぱいなのです
毒は、そんな親の勝手で踏みにじられ、粗末に扱われながら成長していくのです。そしてやがて自分が大人になって家庭を持つと、その形を再生産してしまいます。
かつて生まれ育った家庭でインストールされたものの考え方や行動様式を、自分が作った家庭でも、そのまま発揮してしまう。こうして、負の連鎖は続くのです
親のためにどんなに頑張っても、親から十分な承認や肯定をもらえなかった
親から適切な承認や肯定を得られないと、子供は、何歳になっても親のため、親ファーストで必死に親の顔色を伺って生きる人間になってしまうようです。
それほど、親の言動というのは、何歳になっても子に大きく影響を与え続けるということなのですね
親のために生きる人生。そのおかしさに気づき、断ち切る努力をしない限りは、それは一生涯続きます。そのためには、自分の家族をはじめ、周りの人間を道具のように平気で利用するようになります。
そして、利用価値がないと判断すると、平気でなじり、時には捨て去ります。
人を人とも思わずに利用する。やっていることは完全に人でなしですが、毒親からすると、親の承認や肯定を得るために必死なだけで、それがいかにひどいことなのかということに気づけないのです
親の異常性に気づく機会や、自分の本当の気持ちを大切にすることができなかった
幼い頃の刷り込みの成果なのでしょうか、毒親持ちとは、親の異常性を認めることが出来ずに、ずっとおかしな親のいいなりに動いてしまいがちなのです
毒親の異常性に気づき、異常な親を否定し、逃げるということは大変なエネルギーを要します。
それは自分のこれまでの人生や、尽くしてきた親を全否定するという大仕事になるため、現実を直視し、断ち切るということを実行するのは大変な作業になります。
断ち切ることの大変さ故、おかしさになんとなく気づいても、気づかないふりをして親孝行を続ける毒親持ちも少なくないと思われます
また彼らは、子供の頃からずっと親ファーストで生き続けているため、自分の本当の気持ちややりたいことなどは、長年押し殺した状態です
毒親の心の中は、いつまでたっても満たされないことへの不満、親ファーストの生き方ゆえ、自分の好きなものを好きと言えない、楽しいことを楽しめないことへの怒り。そんな不平不満のかたまりが、ドロドロと絡み合った悲惨な状態なのです。
しつけと称した子供いじめ、虐待

このような生い立ちを持ち、長年毒が支配する環境下で長年生きてきた人間は、一体どのようにしてストレスを発散するかというと…
妻や子供や動物など、自分より圧倒的に弱い立場である存在をいじめることによって解消しているのです。最低ですね。
特に、子供へのいじめというのは、「しつけ」「子供のため」というきれいな言葉にくるんでしまえば、どんなに陰湿な子供いじめであっても正当化が可能ですし、密室である家の中で行えば、家庭内で完全に隠ぺいすることができます
毒父の特徴
それではここで、ひとつの具体例として、猛毒であった私の父のことを詳しく見ていきたいと思います
外面がいい、家では鬼
父は外面が良く、外では、評判のとてもよい人間でした。しかし、家庭内ではまったく違う顔だったのです
どんなに機嫌がよくても、スイッチが入ると瞬間で不機嫌になります。具体的にはどんなことをするかというと、家族からの話しかけに対しては完全に無視をします。物に当たり、大声を出します。私たちが少しでも大きな物音を立てると怒鳴り散らして怒り狂います。
場合によっては暴力を振るうのですが、暴力に関しては、母と妹には全く振るわず、殴る蹴るなどの暴力行為をする対象は、なぜか私だけでした。
母曰く、「お前が生意気だから悪い」のだそうです。母からかばってもらったことは一度もありませんでした。なんていうか、どっちも人として終わってますよね。毒親とは、このように人としての一般的なモラルが決定的に欠けている部分がたくさんあります
サイコパス

サイコパスという言葉を知っていますか?
私のように暴虐型の毒親をお持ちの方、ぜひサイコパスという語句を調べてみてください。説明文そのものが、毒親の自己紹介文になっていて驚きますよ。私はこの概念を知ったとき、あまりに毒父にあてはまりすぎてひっくり返りそうになりました
ここに、「サイコパス」についてまとめられた、ウィキの一部を引用したいと思います
中野信子により以下のような具体的な特徴が挙げられている
「良心の欠如」「表面的な愛想の良さ」「言葉の巧みさ」「節操のなさ」「長期的な人間関係の欠如」という特徴がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%97%85%E8%B3%AA
どうですか?「あれ、うちの親の説明文がなんでここに載っているの?」って思いませんでしたか?
この引用したウィキに登場する中野信子氏は、サイコパスについてくわしくまとめた著書を出版しています。その説明文を一部引用します
外見はクールで魅力的。会話やプレゼンテーションも抜群に面白い。しかし、じつはトンでもないウソつきである。
サイコパス (文春新書) Amazon説明文より引用
不正や捏造が露見しても、まったく恥じることなく平然としている。時にはあたかも自分が被害者であるかのようにふるまう。
残虐な殺人や善良な人を陥れる犯罪を冷静沈着に遂行する。他人を利用することに長け、人の痛みなどこれっぽっちも感じない。
私の父も、口がうまく、外面がよく、人前でのプレゼンテーションのような派手な言動を大変得意としていました。そして一方で、周りの人間や生き物などに残虐な行為を働いても、ヘラヘラと笑って楽しそうにしていて、罪悪感を少しも感じていない様子でした
父はいつも、気分で私をこけにしたり、ひどい言葉を投げつけたり、いじめて笑っていました。外にでかけると、人前で私にわざと恥をかかせて笑っていました
自分が「こいつをいじめてもOK」と決めた対象には、気分で殴ったり小馬鹿にして笑うなどの行為を空気を吸うように平気で行う人間でした
家の中で、幼い私に暴力を振るい終わると、まるで便秘が解消したかのようなスッキリとした顔をして、何事もなかったかのようにニコニコと話しかけてくる父を目の前にして、混乱と恐怖の思いを抱いた覚えがあります
サイコパスにとって、人はサンドバッグ、便利道具
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%97%85%E8%B3%AA
父は、同僚でも友人でも、まるで便利グッズのように目の前の人間を利用していました。
自分にとってその人が役に立たなくなったらケンカ別れをして絶縁する、その繰り返しでした。「人を人とも思わないというのはこのことか」という冷酷な扱いを日常的に平気でしていたものでした
まるで人には感情があるということを知らないような振る舞いだったのです
他人ならケンカ別れで一生会わずに済みますが、この人間を父として生まれてしまった子供である私には、どこにも逃げ場がありません。
父から定期的に暴力を振るわれ、父の気分で人前でバカにされたり恥をかかされながらも、私は心を殺して日々をやり過ごしていました。
子供が親のおかしさに気づいても、一人で暮らせるわけがありませんし、本当にどうしようもありません。私が親のおかしさに気づいた後、一体どうやってサバイブしてきたのか、それをまとめた記事がこちらです
父がサイコパス毒親になるまで
父はどうしてこのような人格異常者であり、かつ家族を虐待する毒親となったのか?彼の生い立ちを振り返ることで、その成り立ちを探っていきたいと思います
父の不幸な生い立ちを毎晩聞かされ続けた幼少期
私は、父の生い立ちをがっちりと暗唱してるんです。
なぜだと思いますか?それは、私が幼い頃、父から自分が幼い頃の辛かった思い出を、毎晩毎晩寝床で聞かされ続けていたため、彼の生い立ちをしっかりと覚えてしまったんです。子守歌ならぬ子守恨み話ですね
何度も聞かされ続けすっかり暗記してしまったた彼の生い立ち話を思い返してみると、どうして彼はあんな人間になってしまったのか?それがうっすらと見えてきます。
持って生まれた性質+家庭環境
彼がサイコパス毒父となってしまったその理由とは、生まれ持った性質の他、彼の生まれ育った家庭環境、周りの人間からの扱われ方からの影響が大きいと思われます
父は長男として生を受けた家には、激しい性格の祖母と、すぐにキレて暴れる父がおり、生来活発な性格だった父は、彼らの虐待のメインターゲットだったそうです。
祖母、つまり私から見た曾祖母からは、父はいつも暴言や暴力を受け、時には縄で縛られ外に一晩中放置されたり、刃物を振り回して追いかけまわされていたそうです。
子供に刃物振り回す婆さんですよ?このあたまのおかしさ、脈々と受け継がれている狂気性が私にガッツリと受け継がれている思うと心底ぞっとします。
私は刃物こそ振り回しませんが、なんとなく自分の中にはほのかな狂気性を感じることがあるので、血って恐ろしいなと心底思います。狂気の血が発動しないように、いつも細心の注意を払って生きているので、私は人より疲れやすいのかもしれません
その暴虐の血を受け継いだ祖父もまた、いつもキレて暴れて手に負えない男だったそうです。
父は、祖母と父に暴力を受けながら、小さい頃から朝から晩まで家業を手伝わされ、俺の人生は本当に辛かった、と幼い私にいつもいつも語っていたものでした
このように、私に毎晩毎晩愚痴を聞かせ続け、幼い私を愚痴のゴミ箱にし続けた父ですが、その後、その恨み言をしっかり記憶した娘によって、グチグチと吐き続けた内容をブログでこと細かく文章化され、全世界に披露されるという恥ずかしい報いを受けています。
イェーイあの世の父見てるぅー?これからもどんどんその悪行の数々を書いて公開してやるから、心臓もんで待ってな!(死んだ存在に心臓があるかは不明ですけどね!)
弟とのあからさまな扱いの違い

ちなみに、父の下には弟、私にとっての叔父がいるのですが、彼は恐ろしいほどにノーダメージなのです。溺愛され、父と違って家業の手伝いも一切要求されることなく、のんびり好きなことをして暮らしていたようです。
兄弟の扱い方のあからさまな違いすぎる違いにも、この一族のほのかな狂気性を感じますね
父が高卒で都会に出た後、働き続けて祖父母の元に送金されるお金で、溺愛されていた叔父は浪人や留年を繰り返しながら、のんびり都会の私立大学に通いました
叔父は現在、大学で学んだことを生かして、地位のある立派な立場についています。
自信に満ちた顔で、自分の立派な仕事を語る叔父の顔を見ていると、父からの被害に長年遭い続けてきた私としては、
「高卒の父が、頭がおかしくなるまで搾取され稼ぎ出した金で得た、その学位と地位の味はそんなに美味しいかい?」そんな言葉がつい頭を駆け巡ります
叔父は帰省すると、いつも祖父母と川の字で仲良く寝ていたそうです。離れの部屋で一人寝かせられていた父は、家に帰宅後、「あいつ(叔父)はいつも、祖父母と一緒に寝ている!あいつはおかしい!」とギャーギャー騒ぎ立てていたものです。
あれは恐らく、叔父に対する嫉妬の感情だったのでしょう。お父さんもきっと、爺と婆にはさまれながら、川の字で一緒に寝たかったんだね…今は、3人揃ってあの世で一緒にオネンネできていますか?
搾取と溺愛。私と妹で自然に再現されている、負の再生産
暴力で搾取される父、いつまでも溺愛される叔父。まるで私と妹の関係性のようです。
「昔の俺の家とは違って、お前たち姉妹は平等だ」というのが父の口癖でしたが、それ本気で言ってんの?おめえ目ん玉ついてんのか?と驚き呆れるほど、私と妹との扱いは、天と地ほどの違いがありました。
妹は溺愛され、私は暴力でいうことを聞かされ搾取をされていました。まるで、父と叔父の扱いの違いを再現しているかのようでした。
負の再生産というのは、こうして「元被害者である加害者」によって、無意識下に行われるのです。
もっと詳しくいうと、
「”被害者であることに無自覚なまま来てしまった元被害者” による加害」です。
もし父が、親の悪行を認め、されてきたひどいことを認識し、親をしっかりと恨む機会を持つことができていれば、このような負の再生産から逃れられたはずなのです。
しかし父は、いつまでも両親の愛情が欲しいがゆえに、両親の悪行を決して認めることはなく、両親への不満を自分の心の中で握りつぶし、自分の本心を抑え込み、晩年まで両親の承認を得るための努力をしてしまいました。
置き去りにされた本心、抑え込まれた搾取元(両親)への怒りがおかしな方向に噴き出すことによって、人は、毒人間となってしまうのです
父は両親に反発し、自分にたまった恨みを晴らす機会を持てないまま、罪もない周りの人間に対して暴れ狂う毒人間として、一生を終えました。
父はいつも、顔をしかめてどこか辛そうな表情をしていたんです。子供の頃の私は、なんでいつもお父さんはつらそうなんだろう?そう思っていましたが、今はその理由がわかります。
人生をかけて、どんなに親のために身を削ってがんばっても、両親はいつまでたっても認めてくれない。自分のことを振り向いてくれない。報われない一方的ながんばりばかりが続き、彼はいつも、辛く苦しい日々を過ごしていたので、いつも顔をしかめていたんです
そのストレスを理不尽に発散され続ける、搾取娘に設定された私も、顔どころかすべてが歪むほどに相当辛かったですけどね!
搾取を続ける祖父母、搾取されつづける父

父が家庭を持った後も、祖父母からの金の無心は続きました。家業はとうの昔にたたんでいました。
当時祖父母はまだ若いのに、何かと理由をつけて、定職につかずに父から金を搾り取ります。
父にせびれば、寝てても金が入るという搾取システムのうまみを知ってしまったとしか思えません
生活費をせびるだけではありません。祖父母は思い付きで、「二階を好みの部屋にリフォームしたい」「お店をやりたいから、一階を作り直したい」など、夢見るティーンエージャーみたいなクソ希望を父にぶつけ、そのたびに父から大金を搾り取っていたんです。
父はいつも、親の言いなりに金を出しました。恐らく、「今回お金を出せば、今度こそ俺のことを認めてもらえるだろう」そんなほのかな期待を持ちながらいつもいつも金を出していたのでしょう。しかしいつまでたっても、父は金を奪われるだけで、祖父母からは、十分な承認も肯定ももらうことはありませんでした
もちろん祖父母がそんなアホみたいな甘い気持ちで始めた店は大失敗、父の金によって作られた店は、数年後には廃墟&物置になっていました。祖父母宅に帰省するたびに、その廃墟を恨みや憤怒が入り混じったすごい目で見ていた父の姿が思い出されます
祖父母への送金の影響で家にはいつもお金がなく、両親はいつもケンカばかりでした。まだ言葉も話せないくらい幼い私が、いつも泣きながらケンカの仲裁をしていたそうです。
それをほのぼのエピソードとして笑いながら話す両親は、やはりどこかおかしいとしか思えません。生まれて間もない幼児に一体なにさせてんだよお前らさぁ…
サイコパス毒父の土台は、こうやって作られた!
以上、父の生い立ちを振り返ったことで、サイコパス毒父が作られた要因を一覧にしたものを、ここに改めて見てみたいと思います
- 生まれた家の人間(父母、祖父母)がおかしい
- 父母、祖父母から生涯にわたって粗末に扱われ続ける
- 親のためにどんなに頑張っても、親から十分な承認や肯定をもらえなかった
- 親の異常性に気づく機会や、自分の本当の気持ちを大切にすることができなかった
連綿と続く狂気の血、そして一族からの長年にわたるクソみたいな扱われ方。
そして何より父自身が、自分の両親の異常性に気づく機会や反発する機会を持てず、おかしな両親のいいなりのまま、一生を送ってしまった。
自分のクソ親のいいなりになるため、自分の本当の気持ちや、やりたいことを一切握りつぶしてしまった。
こんな出来事の積み重ねによって、あのサイコパス猛毒父はかたち作られました
そして、辛いばかりの人生は続き、彼の性質はどんどん歪んでいったのです
妻子をいじめてストレス解消する男=毒親・毒父の誕生
そしてある時、彼は妻と子を得ました。得てしまいました。これが妻子にとっての地獄の始まりだったのです
家庭とは。共に歩む妻を大切にし、次世代を担う子供に愛情をかけて立派な人間に育てていくこと…そんな、家庭に対する一般的な認識は、彼の頭にはまったくありません。
彼にとっての妻と子とは、自分が圧倒的に上の立場でいられる踏み台、サンドバッグでした。決め台詞は「お前らのことを、だれが養ってやってると思ってるんだ!」
この黄金のセリフさえあれば、妻子をいたぶりいじめることはとても簡単です。養ってやってるんだから、俺の言うことを聞け。俺に養ってもらってるお前たち(妻子)は、俺のストレス解消のサンドバッグであることは当然なのです
彼のいつまでたっても満たされない、解消されない不満、そしてその歪みとストレスのはけ口がすべて妻子に行くのは必然でした。
彼はさきほど記したように、無視・暴言・暴力といった方法で陰湿に妻子をいじめることで、彼が抱える大きなストレスを解消しようとしていたのです。
しかし、親との関係性という根本を解消してないのですから、どんなに妻子をいじめても、いつまでも彼はスッキリと満足することはありませんでした。陰湿ないじめは続き、密室で地獄のような家庭が、長年の間運営されていたのです
父は一方で、未婚の人に「結婚はいいぞ、子供はいいぞ」とさかんに結婚や子供を勧めていました。それを横で聞いていた私からすると、「自分より圧倒的に弱者が家庭にいると、ストレス解消のサンドバッグに使えるから便利だぞ!」ということを人に勧めているようで、恐怖と不快な気持ちでいっぱいになったものです
まとめ
毒親の作られ方。人はどういう人生をたどると毒親になってしまうのか?
うちの猛毒父の成り立ちや、できあがった人格を一言でまとめると、以下のようになります
親から認めてもらいたくて必死なのに、いつまでたっても認めてもらえない。
そんな不満や怒りをたくさん抱えた男が、
妻子という自分より立場が弱く逃げられない、非力な女子供をいじめることで、決して消えないストレスを発散しつづける状態である
「どんなに親に尽くしても親から認められない」という長年のストレスを、妻子をはじめとした弱者をいじめたり利用することで解消しようとする。これが毒父の暴虐やサイコパス的人格発動のメカニズムです
しかし、元を断っていないので、ストレスや怒りはどんどん噴き出すばかりで、妻子へのいじめは決して止まることはないのです。
例えると、底に大きな穴の開いたバケツに、水をたっぷり入れようとして「どうして水がたまらないんだ!お前が悪い!」と周りの人を殴っているという状況ですね。はたから見ると、ただのバカですね。
元を断つとは、バケツの穴の存在を認め、それをふさぐか、新しいバケツに替えるということ。
つまり、親のクソっぷりを認め、いつまでも承認をくれない親をあきらめる、親を捨てる、という決断や気づきに至らなかったところに、父の不幸がありました。その不幸を放置することで、父の周りには、不幸な人間がどんどん増えました
以上が、うちの猛毒父の生い立ちを振り返ることで、一人の毒親は一体どうやって生産されたのか?ということを考察した記事でした。あなたの毒親の成り立ちと、どこか共通点はありましたか?
コメント
初めまして。
「とことん父親の命令に従って満足させなければ悪い子」という洗脳からようやく抜けつつあります。
また、私が辛い事があっても共感するどころか弱い!と否定したり無視したり自分の苦労自慢や武勇伝にすり替えた父親がおかしかったんだとも気づきました。
家の父親も、サイコパスの傾向があったのかもしれません。
親が悪かったんだという気づき、親が変わる事はないという容赦のない事実、親への怒りは、支配から抜ける上で大切な過程ですよね。
ちなみに家の弟は、それでも父を肯定し父の味方をし、弱い人への共感が少ない事やフラストレーションをぶつける事から負の連鎖が続いていきそうな予感がします。