中学生というのは、それまでとは違い、部活や友達付き合いなどを通して、独自の人間関係を作り出す年代ですよね。
新しい環境・人間関係が楽しくて忙しくて、家なんかに帰りたくない!友達とずっと一緒にいたい!なんていう子が大多数だと思います
私はその逆でした。
入った部活も早々にやめ、友達に背を向けて、学校が終わるとすぐに家に帰っていました
中学生の娘が部活も友達付き合いもせずに、まいにちひたすら家に早く帰ってくるって‥普通、親はちょっと心配になりますよね?
毎日まっすぐ家に帰ってくるこの子‥
友達いないのかしら?部活しなくてもいいのかしら?
普通の親なら、我が子がこの様子なら、こう心配したり尋ねたりしますよね?
でもこれが毒親のおかしさなのですが‥わが毒母は喜んで、笑顔で、毎日早く帰る私を出迎えていたんです。
そして昨日の残り物の煮物なんかを出しながら、帰ってきた私をリビングに座らせて、愚痴や噂話を長時間ずーっと私に聞かせていました。
毒母は家にまっすぐ帰る中学生の私を心配することなんて全くなく、それよりも、「早く帰ってきてあたしの話を存分にきいてくれる道具」として便利に使いました。
毒親は、どんな時でも我欲さえ満たせばOK、子供のことなんて考えるのが面倒、どうでもいいんです。自分に手間や迷惑さえかけなければ子供なんて放置。役に立つ道具として利用できればそれでよい‥
そんな毒親らしい言動ですよね‥
どうして私は、「毎日家に直帰する中学生」だったのでしょうか?
なぜ私は、部活も友達付き合いもせずに、家にまっすぐ帰る中学生活だったのかというと‥
家に早く帰って、さびしがりやの母を安心させなければならない
母は異常な寂しがり屋でした。一人で過ごすことが耐えられない性質で、暇さえあればご近所さんや友人知人と道路で立ち話や長電話、誰か家に招いておしゃべりをするような人でした
でも、そんな母にいつでも付き合ってくれる人なんて、もちろんいるわけありません。みなさんそれぞれ生活がありますし忙しいですし、依存的なわが毒母にガッツリ付き合えば病みます
「●●さんはすぐに話を切り上げてかえってしまうんだから!」「あーあたしに友達なんていない!寂しい!」と騒ぐ母をなだめるために、母が孤独にならないように、私はなるべく母と一緒にいるよう心がけていました。
一緒にいる時も、母が喜ぶような話題を探し、母が笑顔になるような会話を心掛けていました
私は幼い頃から、母のグチの聞き役でもありましたしね‥
せめて私がいる間は、母を孤独にしてはならない、母の相手をしなければならない、ということを、幼い頃から自分の義務だと感じて実行していました
母が寂しがったり、悲しい顔をするのが嫌だったのですよね‥
毒親に振り回され、運動部は続けられなかった
中学校入学時、入部した運動部は、最初は楽しく活動できていたんです
しかし‥運動部というのは、長期休暇や休日がメインに活動をしますが、私はそれを入部早々から、毒親によってしょっちゅう休まされていました。
部活よりも、毒親の実家帰省やでかける用事などに連れられることを優先させられていたんです
部活のがんばりどきにたびたび休むことを余儀なくされてしまうと、当然部活にはついていけなくなり、居心地が悪くなり、私は部活を続けることができなくなってしまったんですよね‥
毒親の欲求に基づいた行動がメインであるわが毒親家庭で、私は中学校入学後も毒親の行動に振り回されることにより、私は部活という、中学生としての経験ができる機会や、中学生らしい居場所を奪われてしまったんです
私の帰宅で、喜ぶ母を見るのがうれしかった
これは搾取子の悲しさあふれるエピソードなのですが‥
母が帰宅する私を見て、喜ぶ顔を見るのがうれしかったんです。
私が帰宅することを喜んでいた母の内心とは、きっと、
自分の話をずーっと逃げずに聞き続ける道具(=私)が早く帰ってきた!
わーいわーい♪
こんなクソみたいな理由だったんだと思うんですよ‥
でも。搾取子である私は、母に帰宅を喜ばれるのがうれしかったんです
これまでは母には放置されたり粗末に扱われてきて、ろくに構われてこなかったので、家に早く帰りさえすれば、母が喜び、その上母と二人でいっしょにいる時間を持てることがうれしかったんだと思います。
哀しいことに、毒親に適切な愛情をかけられてこなかった私は、愛情飢餓状態に陥っていて、その空いた隙をまた、毒親によって利用されていたという状態だったのですよね‥
搾取子とは哀れなものですね
それを我欲を満たすために残酷に利用する毒親は、どこまでも歪んでますね‥
実は心の奥底にあった違和感‥それを押し殺す
私と毒母は当時、このように、完全に歪んだ共依存状態でした
でも当時はこれでいいと思っていたし、いいことをしていると思っていたんです。
私は母を喜ばせている。いいことをしてるんだ。
親孝行してるんだ!
毎日、私が早く帰ってくるのを喜ぶ母を見るのがうれしい!
そんなふうに思う一方で‥
実は同時に、心の奥底になんかもやーっとした違和感や嫌悪感が浮かんでいることにも気づいていました。
気持ち悪い。本当は私こんなことしたくない。いますぐ叫び出してどこかへ逃げ出したい‥
でも、そんな感情は、私の子供じみたわがままだ、と私は押し殺してしまった。
もやっとした違和感や嫌悪感。
実は、それは心の奥底から湧き出でる自分の本心だったんです。
本当は親となんて毎日一緒にいたくはなかった。そりゃそうですよね。中学生、思春期。
本当はきっと、中学校で自分自身でつくりだす、新しい人間関係や新しい居場所で楽しみたかった。
でも、当時の私はその本心を認めたり、実行できる状況に生きられていなかったんですね。
毒親家庭に生まれ育つことにより、毒親の毒がじわじわと体中を侵食し、私の言動は歳を重ねるごとに歪んでしまった。
毒親の毒は、年を重ねるごとに、私の体を脳を、そして行動を支配していったんです。
中学生になるころには、このように、本心を殺して、毒親が喜ぶ行動を自ら行うようになってしまっていました
毒親家庭では、子供がその年代で、その子らしく生きることができなくなる
毒親というのはこのように、生まれた子に毒を注入し続けることで、子供が幼い頃から、子供の生活の端々から、子供がその年代らしく、その子らしく考え、行動し、生きる機会を奪います。
毒親家庭に生まれ育った子供は、毒親からの毒が体中に回り、本当の感情を殺して行動し、また毒親によって作られた歪みや空洞を、自分をそう仕立て上げた張本人である毒親にまた利用されて‥毒親に従って生きることを優先してしまう。
その積み重ねで、毒親はやがて我が子を歪みや欠けだらけ、普通には生きられない、毒親育ちという人間に仕上げるんです
この毒親の悪影響をかわせたり逃れられた毒親育ちさんがもしもいるのならば‥
恐らく、友人や学校などの他の場所に居場所を作ることに成功したり、周りの人たちとの交流でよい関わりを持てた機会があったのだと思います。
当時の私はそれらすべてがなかった。
中学生の私は部活も辞めざるを得なくなり、友達との交流も断ってしまい、家にこもってしまった。
毒母を喜ばせたい、毒母の笑顔が見たい。それを自分の行動の最優先事項としてしまった。
毒から逃れるチャンスや術はなく、体内に回った毒の通り、目の前の毒親の言動に従い‥ひたすら自主的に毒親の毒牙にかかりつづけていたような状況でした
学校とも部活も友達からも背を向けて、毒母の待つ家に毎日毎日直帰していた私の中学生活。
あなたそれおかしいよ!とだれかにただしてもらえる機会もなく、おかしいと気づく機会もおかしな環境から離れる術も何もなく、私はひたすら毒母の相手をして、毒母の愚痴や噂話を聞き続けながら、中学生という年代で得ることのできる団体行動の機会や、友達と交流を深めるといった、さまざまな貴重な機会をごっそりと失っていたんです
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