毒親の元に生まれ育った私が、人生の危機を感じた3地点。
- 第1の危機:小学生の時。私の親はもしかして異常ではないかと気づく
- 第2の危機:高校生の時。燃え尽き症候群で不登校になる
- 第3の危機:アラサーの時。これまでの疲れの積み重ねにより、重度のうつ病になり、親との疎遠を決意する
こちらがその1、その2です
ここでは第3の危機・アラサー(重度のうつ病と親との疎遠)、その時のことを綴っていきたいと思います
私はこの危機を、毒親との疎遠を実行することにより、解決に向かいました
毒親と疎遠を続けている現在、体調などコンディションの悪いときこそ、少しの罪悪感が湧いてくることがありますが、それでも、毒親に絡まれていた頃とはまるで違う人生を歩んでいます。身も心もとても軽いです
しかし、ここに至るまでには、たくさんの毒親トラップをくぐりぬける必要がありました
もっといい子になれば、親は私を認めてくれるかもしれない
その1、その2で触れたように、私の親は、どんなに苦しんでいる私にも、優しく寄り添うことはありませんでした
特に、不登校などの自分たちにとっての「いい子」ではないとき。つまり私が、自分達の利益にならない存在の時は、それはもう徹底的に私をなじり、嫌がりました
しかし私は、そんな目に遭い続けてもなお、
- 「親が私に冷たく当たるのは、私が悪い子だから」
- 「私がもっといい子になれば、親は私の方を振り向いてくれる、認めてくれる」
ずっとこんな風に考えていました
今ならば「そんな妄想捨てろ!あいつら一生変わらないよ!」と当時の私に言ってあげたいのですが、残念ながら今のところ過去に戻る術はありません
子供って、親に対してなんて健気なんでしょうね。あれほどひどい目にあわされ続けた毒親に対してなお、こんな風に考えるなんて。愚かしいほどに健気です
無償の愛、という言葉がありますが、あれは子から親への愛情のことを示しているのかもしれません
その証拠に、私の親からの愛情は決して”無償”ではなく、それどころか「結構な厳しい条件だらけの愛情」でしたからね…
「親孝行しなければならない」という強迫
私が、親が認める「いい子」でいなくてはならないという呪縛にとらわれていた大きな理由の一つとして、幼い頃より、親族から言われ続けていた「親孝行しなさい」という説教の影響の大きさがあります
毒になる親族、つまり毒親族は私に会うたびに、いつも同じ内容の説教をしてきました
- 「あなたは長女なんだから、お父さんとお母さんをもっとしっかりと支えなさい」
- 「もっと親の相手をしてあげなさい」
- 「もっと親孝行しなさい」
子供の頃も、大人になってもなお、「親をよく知る親族がここまで言うのなら、親には孝行し続けなければならないんだな」と思い続けていたのです
しかし。今なら、この毒親族のセリフに込められた真意がわかります…
「お前の親うるさくてめんどくさいから、こっちに来させるな!お前が全部背負って面倒を見ろ」
こういうことでした
毒母は基本的に、人との距離感の取り方がものすごくおかしいのです。気心しれた親族には、自他の境界線の隔てなどなく、いつもべったり状態でした
恐らく親族は、このべたつく毒母にうんざりしていたのでしょう。そのため、親孝行というきれいな言葉を使い、私に毒親のすべてを背負わせたかったのだと思います
しかしながら、この親族の言葉の真意に気づくのは、私が親をはじめ彼らと疎遠にし、考え方を変えてしばらく経ってからのことでした
それまでは、「親のために尽くさなければならない」という思想にがんじがらめになっていたのです
不登校になってしまって申し訳ございませんでした
親孝行しなければならない。親に迷惑をかけてはいけない。
いかにこれらの言葉が私にこびりついていたかがよくわかるエピソードが一つあります
私が高校の不登校を何とか脱した後、私は両親に、本当にとんでもない迷惑をかけたと心から思いました
そして、両親に向かって「不登校という迷惑行為をしてしまい、大変申し訳ありませんでした」と謝罪したんですよ…
不登校という、おそらく「生まれ育ちのおかしさからくる疲労」という不可抗力から起きてしまった出来事でさえ、自分が悪いことをして親に迷惑をかけてしまった、と、ひたすら自分を責めていたのです
毒親はそれに対して、どんな反応を示したと思いますか?
彼らはうなずき、「お前があんなおかしなことになり、俺たちは本当に辛かったが、俺たちはよく耐え抜いたなぁ」と自らの苦労だけを振り返り、”不登校=私にかけられた迷惑行為”を慈悲深く許してくださったのですよ…
「結婚」というターニングポイントの出現
親に従う日々が続いていた私に、ある時、大きなターニングポイントが訪れました。結婚に伴う遠方への引っ越しです
実は、私は小さい頃より親のそばから離れてはいけない、と言い聞かされてきました
- 「あなたはこれからも、私とずーっと一緒に暮らすのよ。就職も進学もここから通うの」
- 「結婚しても、スープの冷めない距離に住みなさいね」
こんな感じです
毒母はいつも不安や恐怖を抱え、依存心が強烈に強い人でした
そんな毒母にとって、絶対に自分を裏切ることなく、いつも一緒で言いなりになる都合の良い存在。それが私だったのだと思います
私は親元から離れずにいいなりに動く人間になるよう、小さい頃から恐怖や暴力を使ってじっくりと調教されてきました
しかしながら、私の結婚相手は遠方に住んでいたため、私は必然的に、実家や住んでいた地域を出ることとなりました
そのことを毒親はものすごく嫌がり、毎日嘆き悲しんでいました
そんな親の姿を見て、幸せなはずの結婚前後、「私は親不孝のとんでもないことをしているのではないか…」と、いつも気持ちが沈んでいました
私が引っ越すときに親からかけられた言葉は、元気でね、とかしっかりね、でもなく「しょっちゅう実家に帰ってきなさい」でした
結婚、引っ越し後も毒親からの要求は止まらなかった
実際に、遠方に越してきてからも「一体いつ帰ってくるのか。もう一か月も帰ってきてないじゃないか!」電話で怒鳴られます
私は慣れない新生活を送るので精いっぱいだった中、夫に事情を話し、自分の独身時代の貯金を使って高い交通費を支払い、たくさんの時間を使って遠方の実家に度々帰省していました
母は私が持ってきた手土産にケチをつけることから始まり、いつものように何時間も愚痴や周りの人の悪口を吐き散らし、パートの送迎や買い物の付き添い、様々な手伝いをさせます。結婚前と変わらず、小間使いの如く私を好きに使います
結婚・地元から離れた場所での新生活という人生の大変動期を迎えている私に、新生活を放置して、実家を優先しろ、あたしを優先しろ!という無茶を平気で要求し続けてきました
私がどれだけ力を振り絞り、お金や時間を使って帰省しているのか。そんなことなど全く気にする様子もなく、一方的に自分の要求をぶつけ続けてきます
子供はまだか?早く子供を産みなさい!
結婚してから数か月が経った頃、毒親から「あること」を強く要求されるようになりました
「子供はまだできないのか?」
子供の催促です。毒親は周りの孫持ちがうらやましくてしょうがない一方で、自分が同じように孫を持てないことが悔しかったようです
どんな言葉で私を煽ってきたのかというと
- 〇〇ちゃんはあんたより後に結婚したのに、もう子供ができたんだって!
- ◆◆さんはいつもいつも孫自慢ばかりで、私は気分が悪い!
- △△ちゃんは、もう2人目だって!いやー、こっちには1人もいないのになぁ!
- 近所の・・ちゃん、最近実家にずっといるでしょう?なんでだと思う?出産前のさ・と・が・え・り
- あたし、60超えても孫がいなくて、おばあちゃんって呼んでもらえないなんて辛い…(泣きながら)
- お前、子供っていいぞ~。なんでいつまでたっても産まないんだ?お前バカか?
まぁ次から次へとよう出てくるわ…と感心するほどの、バリエーションに富んだ妊娠催促が繰り出されます
私の罪悪感を刺激しつつ、孫に恵まれない自分の哀れさをアピールする。毒親には人を煽り、自分の哀れさをアピールするコピーライティングの才能がありますね!
毒親からの妊娠催促。私はいつものように、「遂行すべき親からの指示」ととらえました。そこに自分の意思はありません
しかし、子供は授かりもの、決して自分がコントロールできることではありません。いつまでも妊娠することはなく、焦った私は、専門の病院に通い始めました
専門病院はいつも人であふれ、診察は一日がかかりになることもしばしばでした。そして治療には身体に苦痛を感じるものが多く、私の心はだんだんと暗く沈んできたのです
私のこの状況、なんかおかしいんじゃないか?
沈んでいく心を抱え、私はだんだんと、自分の置かれた状況に疑問を持つようになりました
- 私は結婚して実家を離れて、新生活を開始したばかり。ただでさえ大変な状況にある
- それなのに、親からの要求は止まらないどころか、エスカレートしている
- 私の心身の負担はどんどん大きくなっている
ぎらついた目と笑顔で、次々と私に指示を飛ばしてくる毒母とは対照的に、私の心は暗く沈んでいく一方。この状況、おかしいんじゃないか?
疑問を持ったタイミングとほぼ同時に、体と心に異変が生じ始めました
どんなに体を休めても、疲労感が強くて思うように体が動かず、そして常に異常な不安や苦しみが私を襲うようになりました
特に夜は心配事で頭がいっぱいになり、一晩中ネットで心配ごとについての検索をしてしまいます
親の要求に応えながら、不安と心配の中で力を振り絞って家事や仕事を行い、その合間に倒れこむように眠る、というおかしな生活スタイルでした
これが、幸せいっぱいであるはずの新婚生活?おかしいんじゃない?
かかりつけの病院に行って診てもらっても、体はどこも異常なし。
「体に異常がなければ、もしかしたら原因は心にある?」私は生まれて初めて心療内科を受診しました
家庭環境が原因の、重度のうつ病と診断される
心療内科では、これまでのわたしの成育歴、そして現在の状況を、時間をかけて詳しく話しました
そうすると、医師からは「あなたの家庭環境には問題があり、それが原因の一つとなって、重度のうつ病の状態になっています。できるなら、いますぐにでも入院が必要です」と驚くべき診断がなされたんです
まさか自分がうつ病。しかも入院が必要なくらいの重度。そして、うつ病になってしまった原因の一つには、生まれ育った家庭環境がある…告げられた事実に大きなショックを受けました
同時に、これまで親孝行だと無理をして必死でがんばってきた「親の言いなりに動くこと」が、実は自分の心身を蝕んでいた大きな原因であったと指摘された事に衝撃を受けました
暴れ狂う毒親
その後、親には心療内科を受診したこと、重度のうつ病だと告げられたことを話しました。その上で
- うつ病は心身の無理が禁物らしい
- どうやらこれまで、私は心身にずいぶん無理をさせていたようだ
- これからは今までのように、言いなりに動くことはできない
主治医からの指示と、それに従った私の今後の展望を淡々と伝えると、親は狂ったように騒ぎ始めました
毒親がかみついた部分。第一に、私が心療内科へ行ったことへの非難です
- 「精神科なんて行ってはダメだ!あんなところ、薬をたくさん飲まされておかしい人間にさせるひどい場所だ!」
- 「即刻行くのをやめろ。病院名を教えろ。私が乗り込んで医者を叱ってやる!早く病院名を言いなさい!」
母はいつものように、遠路はるばる私の新居に押しかけ、ものすごい剣幕で私に詰め寄りました
「精神科とは、薬をたくさん飲まされて、人間をおかしくさせるひどい場所」…
確かこの数日前、母が言ったそのままの内容のテレビ特集が放映されていたことを、私はぼんやりと思い出しました
とある精神科を告発するドキュメンタリー番組を鵜呑みにして、彼女は怒り狂っていたのです
私の親とはこんな人だった、私はこんな状況に置かれていたんだ
その後も、親はことあるごとに、常軌を逸した言いがかりや突撃を繰り返してきました。お前はおかしくなってしまった!一刻も早く元のお前に戻れ!
混乱の中、私の心の中では、このような気づきが湧いてきました
私は、「この親」に対して、親孝行=親の言いなりに生きなければいけない、って思い込んでたんだ
そのせいで、こんなにも生きることが辛く息苦しいものになってしまったんだ
結婚、転居。うつ病発症、そして毒親の暴走。
こうなってはじめて、私は自分の親の真の姿、私の置かれている現実にやっと気づいたのです
新たな生き方の模索
これまでの親孝行と称した「親への言いなりの人生」をいったん止めて、新たな生き方の模索が始まりました
そうなると、嫌でも私の過去を振り返らなければなりません
振り返ると、私の過去の人生とは、親の言いなりになるばかりで、自分の意志を殺し続ける日々だったということ、それがいかに酷い生き方であったか、ということに直面します
頭がどうにかなってしまうんじゃないかというくらいに苦しい苦しい振り返りでした
心療内科の勧めに従い、今後も引き続き、親との接触は控えるようにしました
うつ病には無理は禁物なのです。自分が疲れて負担に感じてしまうことは極力避けるように、という主治医の指示を考えると、親との交流は、疲労の根源と大きな負担でしかありませんでした
それと同時に、今まで無視し続けていた「自分の感情」に耳を傾け、大切にする生き方を一から探り始め、実践していく学びをはじめました
この分野は主にカウンセラーにサポートしてもらいました。カウンセリングを重ね、そしてきっと今のあなたに役に立つよ、と勧められた書籍を読みながら、少しずつ歩みを進めます
自分の意思を上手に表現する、「アサーション」という技術について教えてもらいました。すべてが親のいいなりだった私にはとても必要なものでしたね…
そうすると、親はますます暴れ狂いました。どのような常軌を逸した行動にでたのかを一部抜粋します
- 「あなたが心配だから」と連絡もなしに遠方から私の家に何度も突然突撃訪問してくる
- 大きな段ボール一箱分の果物や漬物10袋など、異常に大量の食材、または使わなくなった大量の古食器など、量やチョイスがおかしい宅配便を連日送りつけてくる
- 「あんなにいい子だったあなたに早く戻ってほしい」と切々と自分の気持ちだけを長々と綴った文章を、メールや手紙として送りつけてくる
- 毒親族を使い、電話や手紙で説教させる。「あなたはひどい娘だ。あなたの親はとても悲しんでいる!反省しろ、大人になれ、もっと親孝行してあげなさい!」
もうこれらを目にすることすら辛くなっていました
しかし長年の慣習で、親を無視することや、ものを破棄することに大きな罪悪感が伴います
私は泣いて自分を責めながら、親からの連絡はひたすら無視を続けました
そして送りつけられるものを、罪悪感を抱えながら、ごみとして処分していきました
うつ病発症、現実の直視、生き方の転換、親との疎遠…第3の危機は怒涛の展開でした
このように、結婚後、親からの要求に対して生まれた違和感から、第3の危機が私に訪れました
しかし、そこから私の生き方や考え方は怒涛のように変化していったのです
第3の危機を迎えたことで、私が気づいたことの一覧です
- 親のおかしさ、私と親との関係性のおかしさ
- 自分にこびりついていたおかしな考え方や生き方
- 毒親との関わりは、自分にとって負担や害であったこと
- 自分の心身や生活を守るために、害の根源から遠ざかること(親との疎遠)が必要であること
- 「自分の感情を大切にする生き方」を獲得する必要性
まさに考え方や生き方の大転換でした
あれから何年も経過しましたが、私は現在も親との疎遠を継続しています
私の状態はどうかというと、年を重ねるごとにだんだんと生きやすくなってきました。うつ病もよくなってきたんですよ!
自分の気持ちを大切に、ささやかな幸せを幸せと感じられる暮らしを送ることができています
しかしながら、今の私を客観的に見ると、
- 長年の疲労の蓄積で心身はボロボロで、無理が効かない
- お金はなく仕事もできず子供もできず、たよれる親族は一人もいない
- 毒親後遺症のせいか、人とリアルで関わるのも怖くてしょうがない。引きこもり状態
こうしてみると、なんだか悲惨ですね(笑)それでも、昔よりもずっと穏やかで幸せなんです
ここに来るまでには、何年もの時間と大量のエネルギーを必要としました
罪悪感、これまでの人生の否定、現実の直視…消耗が続きました。消えてしまいたいと思ったことも、一度や二度ではありません。よくここまでたどり着いたな、と自分でも思います
このように、第3の危機は、私にとっての重大なターニングポイントとなりました
味わったことのない様々な苦しみが次々と私を襲いました。
しかし、その苦しみを乗り越えた結果、自分の人生を生きる、自分を大切にするという自分ファーストの生き方を身に着けることができたんです
私にとって、今後の人生を主体的に生きる上での大切なターニングポイントでした
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