毒親育ちは、子供の頃からすでに疲れています
それはなぜかというと、下の3つの理由が挙げられます
- 本来安心できる場所である家庭が、緊張や恐怖でいっぱい
- 毒親に罵倒や否定され続けていて、エネルギーを削がれている
- 外(社会)では、常に普通の人のふりをして生きなければならない
生まれ落ちてしまった家庭が毒親の巣であったために、日々毒親からの様々な攻撃にさらされながら、必死に生きている毒親育ち。毎日生きているだけで疲れています。
その上、外に出て勉強や友達との交流などの社会活動をしながら、「普通の人のふり」をして生きていかなければならない。
こんなたくさんの重荷を背負いながら生きなくてはならない毒親育ちは、子供の頃からとっても疲れているんです…
本来安心できる場所である家庭が、緊張や恐怖でいっぱい
家庭というのは、子供にとって、安心と休息を得られ、親からは人生の先輩としての様々なアドバイスを得られる暖かい場所ですね。
学校や友達との関わり(家の外、社会)で疲れた子供は、一日の終わりに家庭で温かく受け止めてもらいます。
家庭では、親に適切なケアとアドバイスをもらい、十分な休息を取ることで、子供は疲れを癒し、パワーチャージし、次の日には再び元気に社会に飛び出すことが出来ます
しかし…毒家庭は違います。
まず、毒両親というのは不仲が多く、夫婦ケンカの罵声が飛び交う中で子供はおびえて暮らします。
時には親のけんかの仲裁や機嫌取りのために、小さな体や心を必死に使わなければなりません。もちろん精神も体力も消耗するばかりです。
このように、毒家庭とは、毒親のために子供がどんどん消耗する、安心や休息とは程遠い修羅の世界なのです。
また、毒親は子供に暴力や暴言を振るうこともよくあります。
理由は「しつけ」ともっともらしいこともいいますが、主にストレス解消として子供に暴力を振るう毒親も少なくありません。私の家の毒親はこのタイプでした
親の気分で突然暴力を受ける。こんな場所で安心や休息など得られるわけがありません。
毒親育ちは、疲れを癒したり、休息と安心できる場所を持たず、24時間、常に地雷の中にビクビクいるような感覚で生きているんです
毒親に罵倒や否定され続けていて、エネルギーを削がれている
普通の家庭では、子供が新しいことにチャレンジしたり、好きで打ち込めることを見つけたら、それを肯定し、応援してくれる場合が多いと思います。
しかし、毒親家庭では、子供がなにかをがんばろうとすると、毒親はよくその姿をバカにします
「お前にこんなことできるわけない」とチャレンジをする前から子供の気持ちをボキボキに折ります。
なぜ毒親は、このような態度に出るのか?というと、まずは子供のやることなすことすべてを馬鹿にして、たまっているストレス解消をすることが多いのです
自分より圧倒的に立場の弱い子供をストレス解消の道具として利用するんです。そこには良心の呵責など少しもありません。人の皮をかぶった鬼畜ですよね
そして、毒親というのは、子供が自分の知らないことに挑戦し、やがて自分の手の届かないところに羽ばたくことをとても嫌がり、全力で妨害するような性質があります
自分自身の人生に不満だらけの毒親は、たとえ自分の子供であっても、楽しく新たなことに挑戦し、羽ばたこうとする人間は目障りな対象と認識し、親の権力を使ってバカにしたり、羽ばたきを妨害するのです
そして、もし子供が新しい世界に旅立ってしまうと、自分の思い通りに使える道具がいなくなってしまうという不安や恐怖もあるのだと思います
毒家庭というのは、このように、どこまでも毒親の自己中心的な考えファーストで、混乱の家庭が運営されているのです。一体どこに、子供の気が休まるところがあるでしょうか?まったくないですね。
毒親育ちと普通親育ちの違いについてをまとめた記事がありますので、もしよかったら読んでみてくださいね
外(社会)では、常に普通の人のふりをして生きなければならない
毒親家庭の常識は、世間の非常識
世の中は、普通の家庭で、普通の親に育てられた人間が多数派です。毒親育ちは少数派です
そのことを嫌でも思い知る瞬間はたくさんあります。
たとえば、友達とおしゃべりしているとき。毒親家庭であった、日常的な出来事を何気なく話すと、場の空気が凍り付き、会話は止まる、ということを何度も経験します。
ただの普通のエピソードとして、「きのう親が夫婦げんかして機嫌悪くて、父と目が合っただけで殴られたんだよね~」なんて言うと、和やかな会話は止まり、空気は凍り付き、一瞬で引かれます。みんなの目は泳ぎ、楽しく和やかな雰囲気は一変してしまうんです
毒親育ちは、このように
- 友達の家庭と自分の家庭の「普通」は、明らかに何かがいろいろ違う
- 自分の家庭のことを言うとドン引きされる
そんな場面に何度も何度も遭遇するうち、やがて、外では自分の家庭のことは極力話さないようになります。まわりの多数派との和やかな空気を乱したくないからです
それでも、どうしても自分の家庭のことを話さなければならない機会が訪れるときがあります
そんな時は、瞬間的に頭をフル回転してエピソードを吟味・抽出、時には創作します。これまた疲れる作業です…
これくらいのエピソードなら、そのまま言っても大丈夫かな…?
このへんの話をそのまま出すと引かれるから、もうちょっと普通の人の家庭っぽく、エピソードをアレンジしよう
こんなふうに、家の話をするだけで、一瞬で様々な方向へ考えを巡らせなければならないため、ちょっとした会話ひとつでも疲労感でいっぱいになってしまうんです
不潔状態や皮膚病などを放置される。そこから自力で「普通の人」にならなければならない
普通の家庭に育った子との違い。それは外見にも明らかに現れます。
私の子供の頃の外見はこうでした
このように毒親の元に生まれ育った子は、手をかけるべきところに、適切に手をかけられていない子が多いんです
なぜかというと、毒親は子供の身なりや清潔を保つことに無関心、または面倒で放置、または身の回りを清潔に保つ、ということ自体を毒親自身が知らない、大切さに気付かず知ろうともしないからです
一方で、まわりの女の子のお友達はこのような感じでした
特に髪の毛の違い。これは本当にきつかったです。
周りの女の子たちは、きれいにブラシでとかされ、ブローをしたツヤツヤサラサラの髪に、かわいいヘアアクセサリーを付けたり、編み込まれていたり、毎日いつも美しいヘアスタイルでした。
幼稚園や小学校低学年の年齢では自力では無理ですので、親御さんなどのご家族が、毎朝ケアをしてくれていたのでしょう
一方、私の髪は起き抜けのままのボサボサ、もしくはゴムで乱雑にひとつにしばったスタイルばかりでした。
たまに親が「お前の髪が伸びてきて、目障りだ」という感じで目をつけられたときに、近所の床屋に連れていかれ、短く刈られていました。扱われ方がもはや犬のトリミング以下です。
女の子なのに、いつも犬以下の扱いをうける私に対して、床屋の奥さんは気の毒におもったのか、髪を刈られ終わった私に、いつも優しい笑顔でお菓子をくれたことを覚えています
幼い子供は、服や髪のケアなどの身だしなみや、皮膚病や鼻炎などの病を自力でどうすることもできません。その見た目だけで、いかに親から適切なケアやサポートをしてもらってないか、ということが一目でわかってしまいます。
不潔でボサボサ頭だと、クラスでも嫌がられたり、からかわれる対象になることがよくあります。自分ではどうにもできない、そして自分のせいではないことでいつも嫌な目に遭うのは本当に辛いことでした
やがて自分で身だしなみなどを自力でコントロールできる年齢になると、自分ひとりの努力で、必死で周りの人のようにヘアスタイルを整え、清潔になる努力をしなければなりません
例えば、先ほど挙げた髪のケアひとつとっても、親に十分なケアをしてもらった経験も教わったことすらないため、一から自己流で必死に行います。
しかし、どんなにがんばっても、子供の頃からお母さんにちゃんとケアしてもらってきた子達とは歴然とした差が付きます。
ケアを長年もらってきた子たちには考えられないほどのたくさんのエネルギーが必要ですし、どうがんばっても、まとまりがなく、どこか小汚いスタイルしかできません
このように、髪の身だしなみ一つ取っても、毒親育ちが「普通の人たちの普通」になるまでには、たくさんのエネルギーが必要なのです
毒親の元に生まれ育った子は、常識や身だしなみなど、普通に与えられるはずのものを全く与えられないまま、社会に放り出されます
そして、普通ならしなくてもいい努力の数々を孤独に必死に行うことでやっと、社会でスムーズに生きられる人として、スタートラインに立つことが出来るんです
うっかり気を抜いたら、不潔でボサボサの、毒親にいじめられドン引きされていた子供時代に戻ってしまいます。
そのため、いつも必死で普通を装い続ける必要があります。「必死が常に続く状態」というのは本当に疲れます…。だから、毒親育ちは普通に生きているだけで、疲労感でいっぱいなんです
Mちゃんと私の親の違いに驚いた思い出
ここで、普通の親に恵まれた子が、いかに自分とは違うケアをもらっているのかを知り衝撃を受けた、幼い頃の体験談を書いてみたいと思います
私が小学生の時、仲良くなったMちゃんという女の子がいました。彼女は明るく楽しい子で、いつもたくさんのお友達に囲まれていました。私もMちゃんが大好きでした
Mちゃんは、お母さんが本当に大好きでした
Mちゃんが母の日に向けて書いた作文のことを、衝撃的な記憶として今でもよく覚えています
お母さんはいつも、私から何も言わなくても、悩んでいる私に気づいてくれてアドバイスをくれます。 わたしは、お母さんからのアドバイスのおかげで、いつも悩みがパッと消えて楽しく暮らせます。 私はお母さんが大好きです
え?…親って、子供が悩んでいる状態に気づいてくれるの?
親が、「子供の悩みが消えるようなアドバイス」をくれるってなに?どういうこと?
私が一度も経験したことのない、まるで別世界の出来事が書かれていることに驚き、当時の私は、文集に載っているこのMちゃんの作文を、何度も読み返したものです
毒親は、子供が悩んでいる状態なんて気づくことなどまずありません。
というか、子供が悩んでいる姿なんて関心がありません。子供は自分の思い通りに動かすことのできる道具でしかないため、子供に悩みや苦しみなどの感情を持つことは、毒親にとって、ただの面倒な状態なだけです
Mちゃんとのケンカに、うちの毒親が取った対応は?
ある日、私はこのMちゃんとケンカしてしまいました。これからどうしたらよいかわからずに、困ったあまりに毒母に相談してしまったことがありました。そうしたら、毒母は驚きの手段に出たのです…
話を聞いた毒母は、すぐにMちゃんの家の親御さんと、なぜか担任の先生へ怒りの電話をかけはじめました
電話口ではすごい剣幕で、
うちの子がこんなこと言ってるんだけど!今後、うちの子におかしな態度を取るな!ちゃんと仲良くさせろ!
という内容を大声で伝えていました。いわゆるモンペというものの走りでしょうか…
目をひん剥きながら電話口で吠え続ける毒母を目の前に、私はどうすることもできず、恥ずかしさやいたたまれなさでうずくまっていました
電話が終わった後、母から「これでいいだろう?お母さん、Mちゃんと先生に電話してやったから!この件はもう終わり!」と大声で言われました
これ以上、あたしに余計な面倒をかけるな!
そんなオーラをびんびんに感じました。
その翌日からは、Mちゃんと担任の先生からは、腫れ物に触るような、よそよそしい態度で対応されるようになってしまいました。当然です。私に少しでも変なこと言ったら、おかしな親が怒りの電話してくるんですから…
私はこれから絶対に、親に悩み事を話してはいけない。毒親に悩みを相談すると、周りに大きな迷惑をかける上に、悩みが拡大する。
悩みがあっても、自分一人で解決しなければならないんだ。そう深く心に刻まれた出来事でした
重荷を背負わされ、いつも疲れている毒親育ち
このように、多数派の普通の人たちにとっての「普通」と、毒親育ちの「普通」とは、違いがたくさんありすぎます
毒親育ちは、子供の頃からたった一人で、誰にも教えてもらえない、生きるのに様々な必要なことを身に着けながら、たった一人で悩みを解消し、十分なケアもアドバイスもない中で、逆に毒親からの暴力や妨害に遭いながらの修羅の世界を生きなければなりませんでした
そして、うっかり漏らせばドン引きされてしまう「毒親家庭での出来事」を封印し、周りの人にとっての「普通の人」を必死で装い続けながら、社会活動を行わなければならないんです
こんなたくさんの重荷を背負いながら、これまで生きてきた毒親育ち。いつも疲労感でいっぱいなのは当たり前といえます
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