引き続き、AさんBさんという、毒母と同世代・同属性の女性を通じて私が感じた、「毒親と普通親の違い」を挙げていきたいと思います
子供の個性を馬鹿にせず尊重し、好きなことを伸ばす
AさんとBさんは、子供が自分の好きなことを持つことや夢を持つことにとても寛容で、その上、そんな子供たちへのバックアップや応援を惜しみませんでした
夢や希望を応援されてきたAさんのお子さんたちは、子供の頃から好きなこと、部活や趣味に没頭し、そしてそれらの延長上にある進路に進みました。
お子さんたちは、現在もその得意を生かしながら、人生を前向きに進み続けています。
Bさんの娘さんも勉強熱心なご両親の背中を見ながら勉強や仕事に励み、いまも前進し続ける人生を送っています。
ひるがえって(もういい加減毒親にひるがえるのも嫌になってきます…!)我が毒親…
たとえば私は幼い頃から絵を描くのが大好きだったのですが、毒親の気分でバカにされたり否定的な言動をとられることが多かったんです
変な絵!こんな人間いないよ!
この余白!紙がもったいないわぁ
こんなふうに、私が絵を描くことをいろんな角度から難癖をつけて否定し、そして描きためた大切な絵の数々を、定期的にゴミとして捨てました。
泣いて抗議すると
あんなのゴミにしか見えなかった!
ゴミみたいに置いていたお前が悪い
と逆ギレされます
好きで熱中していることに対して毒親からネガティブな言動を取られ続けてきた私は、あるとき、気持ちがぽっきりと折れて、絵を描くことを一切止めてしまいました。
もう罵倒されたり否定されることに、疲れてしまったんですよね。
あれから何十年も経ちますが、あんなに好きでなんでもイラストとして描いていたのがうそのように、私は何も描けなくなってしまいました
もしも今でも楽しく絵を描き続けていられれば、SNSで同じ趣味の人との交流など、楽しい時間を過ごせたのだろうな‥とSNSで流れてくるすてきなイラストを見るたびに思います。
そして毒母は同時に私に、くだらない絵なんか描いてないで、勉強していい成績を取れ!と頭ごなしの強要をしました。
子供の私は従うしかありません。
でも、この強要された「勉強」に関しても、毒親はたくさんのトラップをまきちらしました
まず、
うちにはお前を私立に入れるお金がない。
私立と名の付く学校禁止だからな!
と宣言されてきました。勉強していい学校に入れ。でもお前に使う金はない!
頭には「乾いたぞうきんを絞る」という言葉が浮かびました
私は強要された勉強をしていくうちに、英語に興味を持ったんです。
あるとき、父が持ち帰ってきた会社の社内報を読んでいて、父の会社が、社員の子供の留学費用や海外の学校の学費などを負担してくれる制度があることを知りました。
もちろん試験があるのですが、それに合格すれば、お金もかからずに留学して興味のある英語を身に付けるチャンス。
こんな機会じゃないと、私の学費を極限までけちるこの家庭では生きた英語を学ぶことなんか永遠にない‥ぜひこの奨学金制度の試験にチャレンジしたいと考えました。
その案内を持って、母に「この制度に申し込みたい。テストを受けたい」と私の意志を説明すると、毒母からは即答が返ってきたんです。
こんなのお前なんかよりもっと優秀な人が選ばれるに決まっている!
よく見な?過去に留学している人たちは、
首都圏の有名私立中学に行っている優秀な人ばかりじゃないか!
どうせお前は落選して、お父さんの会社内で恥をかくからだめだ!
やっとみつけた目標にチャレンジすることすら、世間の目を気にして禁止されました
好きなことは奪われ、やりたくないことを強要され、それも複数のトラップを巻いて難解な道を歩かされて疲れてクタクタになる毒親育ち。
がんじがらめの中、疲れた心身を引きずって、日々を生き延びるので精いっぱいです‥
AさんBさんの家庭のような普通親の家庭に生きる子供たちのように、親に応援されながら、自分の興味あることに熱中してスキルを伸ばし、まっすぐの道を走り続けるのとは大違い。
それどころか、毒親からのきまぐれでまかれる複雑なトラップまみれの道で疲れ果てて、自分の人生をこれからどう生きるのか?なんて考えることすらできませんでした
AさんとBさんが築いた家庭で生まれ育った子供さん達の人生と、毒親家庭での疲れるばかりで何にも残らない、惨めな人生。
そしてその後の圧倒的な仕上がりの違いを見るにつけ、ああ、普通親に育てられるのと毒親の元に生まれてしまうというのは、同じ人間に生まれてもこんなに大きな違いが出るものだな、ということを、身を以て、改めて思い知るんです…
子供におかしな寄りかかり方をしない
ジブリ映画・耳をすませば。
今も定期的にテレビ放映される名作ですよね。
私はこの映画を見て一番深く印象に残ったのは、主人公・雫のピュアな初恋エピソードよりも何よりも、雫の両親の生き方でした。
父は図書館司書。母は大学へ社会人入学と、両親それぞれが生きる目的を持ち、それに向かって日々努力を重ねて、自分の人生を充実させている。
しかしながら、子供を完全に放置しているわけではなくて、雫の生活態度や心境の変化にはしっかりと気づくんですよね。
子供の受験という大切な人生の節目、衝突しながらもしっかりと子供の意志を確認する機会を取り、しかも、子供の意志を尊重するんです‥
我が毒親と真逆すぎて、映画を初めて見た時には羨ましさと衝撃で唖然としました。
我が毒親は、子供に対して気分で暴力を振るい暴言を吐いたり、一方で境界線を越えたべったりおかしな依存をする。
一方で彼らは、子供のことなどいつだってなにもわかろうともしないし興味もない。子供が人生に悩み苦しむときは、面倒くさがって気づかないふりをされました。
してほしくないことばかりを執拗にしてきて、してほしいことは面倒がって一切やってくれない。
これが毒親です
そんな毒環境が当たり前だった私は、この「耳をすませば」の両親を見て、
こんなのうそだ。こんな親いない。
これは現代の話の皮をかぶったおとぎ話だよ!
こんなできすぎな親、いるわけない!
必死でこんな風に思い込もうとしましたが‥
周りを見渡すと、親が自分自身の人生を充実させながら、子供とは適切な距離で接して、要所要所でしっかりと向き合い、子をサポートする親は、決しておとぎ話だけのものではなくて、現実にはけっこう存在するんですよね‥
これまで例に挙げ続けている、AさんBさんのように。
私は、生まれ育った家庭内での毒父からのモラ行為や暴力、そして毒母からのべったり依存や、境界線を踏み超えられ、踏みにじられることに長年耐え続けました
なぜかというと、子供は、生まれ落ちた家庭からしばらくの間逃げられないということもありますが、一方で、「親孝行っていうのは、この親からの不快で気持ち悪い数々の干渉を我慢することなんだ」、と長年思い込んでいたんです。
でも果たしてそうではなかった。
うちの親は毒親で、生まれ育ったこの家はおかしな毒家庭だった、ということに遅まきながらやっと気づき、毒親からの境界侵入・踏み荒らし行為に今までのように耐えるのも限界がきて、親を疎遠にする決意をしました。
疎遠にして何年も経った現在。後悔など微塵もなく、それどころか、親と関わるエネルギーなんてこれっぽっちも残っていません。
毒母からのメールの着信が来ただけで鳥肌が立ち、気持ち悪さを感じるほどの拒絶感です。こっちにくるな。近寄るなと全身が拒否しています
たまたま生まれた家庭にいた親が毒親だった。
毒家庭でずっとモラハラ行為や過度の干渉、侵入などのおかしな関わり方をされ続けた子供は、やがて我慢の限界がきて、親をだれよりも嫌悪し、親から遠ざかります。
これまでの我慢の反動は、それはそれは大きいです。
実際、私の、毒親に対するものすごい拒絶感に自分自身で驚くくらいですから‥
子供が小さい頃から現在まで、親子がずっとほどよい関係性でいるAさんBさん家庭とは大違いですね。
子供が大人になってから親とどんな関係性を持てるのか?というのは、これまでの親子の関わりの蓄積が容赦なく表出するのでしょう。
有名な「老後は親の通知表」という言葉も、このことを言っているのかもしれません。
干渉や侵入など、子供に長年おかしなよりかかりかたをしてきた毒親は、やがて我慢の限界がきた子供によって「もういい加減にしろ!」と反動をつけて突き返され、疎遠や無視をされることになります
まとめ
普通親であるAさんBさんとの交流を通じて、私の目に映った「普通の親」の特徴とは。
あらためて以下に一覧を記します
そして、AさんBさんの家庭と、わが毒親が築いた家庭を比較すると、
子供にとって毒親となる人間、だれも幸せではない毒家庭を築いてしまう人、つまり毒親の特徴もうきぼりとなったんですよね↓
親が自分の人生やパートナーなど対して、不満だらけで不幸な状態が常態化すると、ストレス発散に子供を利用します
「しつけ」という美名でかくした、子供いじめに走るんです。
理不尽に殴ったりののしったり、子供が好きなことを認めず、そればかりか親の権限を悪用して取り上げたりなにかを強要したり、
自分の気まぐれで過度な禁止や否定などの非道な行為の数々を、家庭という密室内で行い‥
そして子はどんどん歪みます。
毒家庭の中で生きるしかなかった毒親育ちは心身を病み、自分の人生が送れないどころか、普通の人として生きることすら困難になったり、過度の不安や心配を抱え続けてしまうという後遺症に苦しむことも少なくありません‥
普通親の元で育ち、日々力強く生きる普通育ちとは、成長後の生き方に、人生に、文字通り雲泥の差が出ます
AさんBさんという、いわゆる「普通の親、普通のお母さん」と接する機会を持ったことで、
たとえわが毒母と同世代・同性の、たとえ同じ”お母さん”と呼ばれる人であっても、それぞれが作る家庭の中身は全く違うものであり、その中で生きる子供は天国と地獄くらいの違いがあり、
そして子供が成長後にどんな人生を送るか?ということにも大きな開きができてしまうことを、身を以て知ることとなりました。
この記事を最後までくださった皆さん。とても長い記事に最後までお付き合いいただきありがとうございました。
みなさんの生まれ育った家庭は、AさんBさんのような家庭、そして私が生まれ育った毒家庭。どちら寄りでしたか?
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