私の親は毒親だ、と気づく前。
自分の親は、「ちょっと変わってるけど普通の親」だと思っていたんです。
なかなか話が通じないのも、私のことをいつも否定したりバカにするのも、うちの親は天然だから、個性が強いからだと思っていたんですよね。
そんな時に「毒親」という言葉に出会ったんです。
当時の私はどんな反応をしたかというと…
毒親という言葉に対して強烈な拒否反応が出たんです!
親を毒親だなんて、親に対してなんて失礼な言い方なの!
しかし…その後、心身に異常が出始めたとき。
自分の親の言動を疑う、という行為をはじめてすることで、私の親は、自己中で子供に大きな要求を押し付ける毒親だった、ということを認めざるを得なくなりました
この記事では、下記3点のことを、起きた順番に記していきたいと思います
- 毒親という言葉との出会い。「なんてひどい言葉なんだ!」
- 「まさか、自分の親が毒親だったなんて!」毒親の気づき、その前後の気持ちの大きな変化
- 当時読みあさった「毒親本」
私の親は普通の人たち。ちょっと個性が強いだけ
親が毒親と気づく前。「うちの親は個性がきついけど、普通の人たち」だと思い込んでいたんです
思えば私は、幼い頃から親の言うことは絶対聞かなければならない。大人になったら親孝行することが当然だ、と思い込まされている状態でした。
自分の親がどんな人であれ、親に対して疑問を持つことなんて絶対してはならないと思っていました。絶対服従の教祖のような存在ですね。
どうしてこんな考えになったのかというと、幼い頃から親に暴力などの生命の危険で脅されるような環境にいたからだと思います。
この環境で生き延びるためには、気持ちを殺して親に従い生きるのがサバイバル術でした
親には親孝行しなきゃならない
親に対して否定的な感情を許されない環境で生まれ育った私は、「親がおかしい」「親が嫌い」なんて口に出して言うのは、子供のようなわがままな行動だと軽蔑していました。
人間は、大人になったら親の全てを受け止めて、親に感謝しなければならない。
なぜかというと、自分が死なずにいられたのは、親のおかげだから。
ここまで死なずにいられた礼として大きくなったら親孝行をしなければならない。親孝行とは、生き延びた人間にとっての義務だって思い込んでいたんです。
盲目的に親に従う親や親族をずっと見てきた
こんな考えを持つに至ったのは、私の両親が自分の親に盲目的に尽くしていた姿をずっと目にしていたことも大きかったです。
↓↓↓こちらの記事に、我が両親がどのように自分の親、つまり私の祖父母に尽くし続けてきたかを書きました。
しかし祖父母はどんなに尽くされても、いつも感謝一つお礼一つないんです。そんな寂しい関係性であっても、それでも親孝行をなによりも優先しなければならない。
親への盲信を目の前で長年見せられてきて、それが大人としての当然の姿勢だと刷り込まれていました
「毒親」という言葉との出会い
このように親に盲信的に生きてきた当時の私が、ある日「毒親」という言葉を知りました。
この言葉を知って、どんな反応をしたと思いますか?
毒親!?なにこれ?なんてひどい言葉なんだろう!
親は大切にしなきゃならないものなのに・・・
こんなこと言うなんて子供じみてる!
こんなふうに強い否定の気持ちでいっぱいだったんです。
もちろん、「うちの親が毒親だ」、なんて少しも思いません。先ほども言いましたが、うちの親って個性的だけど、毒親ってほどじゃないよね、という認識は変わらないままだったからです
なぜ、あれほどまでに「毒親」という言葉を拒絶したの?
当時の私は、どうしてあそこまで「毒親」という言葉に過敏に反応し、大きく否定したのでしょうか?
今考えると、素直に「うちの親は毒親だ!」という感情を持つことが出来る人に対する妬み・羨ましさの裏返しだったと思います。
当時の私は、本心を殺して親に寄り添うことが子として当然のことだと思い込んでいました。
自分の人生を削って親のことを優先して、実は心の奥底では親に対して疲れ切っていた。
そんな自分から見ると、おかしな親から離れて自分の人生を取り戻して、おかしい親のことをちゃんとおかしい!毒親!と言える人たちのことが心の奥底でうらやましく妬ましかった。
だから、過敏に反応したり否定していたんだと思います。
あなたたちばかり親から離れて自由になってずるい!
私なんて親ファーストで生き続けてこんなに疲れ、人生を侵食されているのに!
許せない!
同じタイプが拒絶反応を示しているのでは?
だから、現在も毒親に対するトピックなどに、極度に反論したり、強く拒絶するようなコメントを目にするとこう思ってしまうんです。
このコメントを書いている人も、もしかして、やりたくもない親孝行や、親への歩み寄りを無理してやっているのかもしれないな…
かつての自分を思い返しながらこう考えてしまいます。
そして、毒親という言葉に対して否定的な反応をしている人には、私はそれ以上は立ち入りません。
毒親の自覚や疎遠という、これまでの思考や行動をガラッと変える大きな変化というのは、やはり、自分自身で心の底から考えつくした末に決断すること必要だと、かつての自分の体験から知ったからです。
考え方や生き方。ましてや親との関わり方・親をどう考えているか?というのは究極の個人的な領域であり、他人の言葉や介入でどうこうなる分野ではありません。
すべてはその人本人の気づきから出発することなので、たとえ誰がどんなに説得したとしても、受ける側にその気持ちがなければ、それは響くことはないんです。かつての私がそうでしたから…
親ファーストの人生に無理が生じ、うつ病に倒れる
親孝行を重ね、自分を削りながら親に寄り添った人生を送っていたのですが…私の人生が進むごとに、謎の息苦しさや負荷がたまっていくんです。
その上、日々自分の新たな人生に苦闘する私に、毒親たちは相変わらず自分の欲求を満たすことを求めます。
なんなら変わっていく私が嫌なのか、しがみついて私の変化を妨害してくるのです。
新たなステージでの生活と、これまでの親ファーストの日常。この何重にも及ぶ巨大な負荷の数々についに耐えきれず、私はうつ病に倒れたんです。
あらためて毒親という言葉を調べてひっくり返る「私のことだ!」
うつ病に倒れた時。心療内科の主治医からは
あなたが苦しんでいる症状は、親子関係に由来することが多いんですよ
こう言われたんです。
当時の私は驚きました。
え?私たちの親子関係は普通なのに…そんなことある?
実際に、その場で私の親子関係は普通です、と主治医に反論しました。
親は個性的だけど普通の人で、私たちは会話も交流もある、ただの普通の親子関係だ。
そう思い込んでいたからです
しかし…この医師のいうことがひっかかった私は、そういえば少し前に毒親という言葉があったな。私は損言葉に過剰な拒否反応を起こしたことがあったな、ということを思いだしました。
その頃、ちょうどいわゆる毒親本ブームが起きていました。
毒親。
子供に害を与え、後遺症を与えるタイプの親。様々な考察がなされ、関連書籍が発売され、ネット上ではたくさんの人の毒親体験談がどんどん書かれていた時代だったんですよね。
私がかかってしまったうつ病という病。それには親との関係が深く関わっていると主治医はいう。
親子関係とうつ病。
親のことを表している文章や書籍を読めば、もしかしたらなにかヒントだけでも得られるかな?
こう思って、私はかつて拒否した毒親というワードを恐る恐る検索して読んでみたんです。
そうしたら…腰を抜かさんばかりに驚きました。
「これ私のことじゃん!」「これうちの親のことじゃん!」
私が親と関わる中で体験してきたこと、心の動きがまるで誰かに記録されてたの?と思うほどに同じエピソードだらけだったんですよ…
毒親エピソードというのは、年代や時代を超えて、笑ってしまうほどに共通性があるんですよね。
手当たり次第に毒親本を読む
それからは、夢中になって毒親育ちさんのSNSや、毒親関連の書籍を手当たり次第に読み漁りました。
どんな本を読んだかと言いますと…
毒親本の元祖ともいえる・毒になる親。
この本は内容が刺さって息苦しくなってしまうので、読んでは閉じ、また読んでは閉じるを繰り返していました。
そして、かわいらしいイラストですごいことを書かれている数々のコミックエッセイを出版されている、田房永子さんの著書。
著者の田房永子さんの本は、その後も新しいものが出版されるたびに買い求め、読み続けています。
田房さんご自身は現在、毒親にまつわる文書を書くことはあまりありませんが、その深い考察力を元に、様々な視点から、生き辛さを克服していく姿や文章がとても勉強になり、そして励まされます
こうして様々な毒親本や体験談ををあさるように読んだ後。
あらためて我が親との関わりや会話の数々を思い返したら…これまで長い間、
- 私は途方もない時間やエネルギーを親に絞り出し、使っていた
- そして、親はそれを当然の如く受け取っていた
- これらは決して親子のスタンダードな関係性ではない。疲れるわけだよ…
このことにやっと、だんだんと、気づいてきたんですよね。
会話1つでも、いつも注意深く彼らの言いたいことを汲みながら、言語にならないメッセージを拾い上げる。
そして、言葉にはしていないけど私に要求している彼らのその望みを、早くかなえなければならないと自分を駆り立てる。
しかしどれだけ与えても尽くしても、我が親はちっとも満たされることはなく、「もっとくれ!もっとよこせ!」と私に様々な形で要求してくる。私はその親への対応で疲れ切っている…
その事実に気づいて愕然としました
まとめ
最初は目にするだけでも心が大きく拒絶していた「毒親」という言葉と考え方。
しかし、実生活と親との関係がじわじわと苦しくなるにつれて、その言葉は決して他人事ではない、自分ごとだったということに気づいてしまったんです
毒親という言葉が自分事だということに気づき、受け止めるには、心身の大量の消耗と、長い長い時間が必要でした。
今は当時ほどの心の大きな揺れこそ収まりましたが、それでも未だに、惑いやくすぶる心との対話をしながら、
「毒親の元で疲れ切ってへとへとになった私が、これからどういう風に生きていけばいいか?」
このテーマについて、現在も日々模索しながら生きています。
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