毒親育ちから見た、毒親育ちと普通親育ちとの違いをたとえ話を使ってわかりやすく書いていきたいと思います
同じ種族の同じ生き物とは思えないくらいの違いを感じます…
生まれた場所が、美しく舗装された道路か、けもの道か
普通親育ちと毒親育ちの違いを、ここでは、道路を使った例え話で説明してみたいと思います
普通親育ちの美しい道路
普通親育ちは、生まれてくる前に、親や周りの人によって、きれいに舗装された道路が用意されています
誕生や存在を歓迎されていて、生まれてすぐに快適に人生が開始できるような環境を準備されており、それを無条件で与えてもらえます
誕生を喜ばれ、この世に生まれ落ちた瞬間から、きれいな道をまっすぐ歩くことだけに集中できる環境にあるわけです
毒親育ちのけものみち道路
一方で、毒親育ちは、ろくに手入れのされていないけものみちに産み落とされます
毒親は、人生の不満で一杯で余裕がなく、自分以外の人間に愛を与えることなど不可能な人間なのです
そのため、毒親は、子供に生きやすい道など用意する気持ちなど微塵もありません
それなのになぜ子供を生むのでしょうか?
その理由とは、「自分の役に立つための道具」「子供がいるほうが世間体がいいから産んだ」などです。どちらかというと、自分の何かしらの欲求を解消するために子供を希望します。
心から子供がほしいから産んだ、という普通親のような理由ではありません
このように、毒親の元に生まれてしまうと、けもの道を必死で自らの手で改良しながら前進しなければならない運命なのです
心を込めて用意されたきれいな道を、ただまっすぐと前へ進むだけでよい普通親育ち
草や岩だらけのけもの道を、自分で開拓しながら、
必死で前に進まなければならない毒親育ち
生まれた時点でこのような大きな違いがあります
育つ過程での違い
応援され、手厚いケアやメンテをもらえる普通親育ち
道を走る普通親育ちを、普通親たちは、子供の近くを並走しながら、いつも子供を応援してくれます
いつも近くから子を見守る普通親は、子供が不調なとき、すぐに察知してくれます。そんな時はすぐに道路の補修、つまり子の心身へのケアやアドバイスをすぐにしてくれます。子供がいつでも順調に走り続けられるように、適切なメンテナンスやケアをくれます
普通親育ちは常に、親からのたくさんのバックアップやフォローを受けながら、安心して走り続けることができるのです
罵られ、キャパ以上の要求をぶつけられる毒親育ち
一方で、毒親育ちは、生まれ落ちたけもの道を、一人で必死で整備しながら、一人で歩かなければなりません。そんな状態ですので、歩き始めてまもなく、すでに疲労しています
それだけではありません。毒親の気分で、毒親から走ることを妨害されたり、時に道路から突き飛ばされることもあるんです
毒親は、必死で道を進む子供を、応援するどころか「お前はだめだ!」「もっとうまく見栄え良く走れ!」そうダメ出しや否定の声を浴びせ続けたり、自分たちのきまぐれやストレス解消のために、子供の走り方を馬鹿にしたり、つきとばして転ぶ様子をみて大笑いします
毒親育ちは、常に毒親からはこのようなネガティブな攻撃を受け続けているため、走ることに集中ができません。自信などとても持てません。
毒親にいつどんな攻撃をされるのか。びくびくしながら走らなければならないその心は、混乱と不安でボロボロです。
書いていて毒親の自己中さと最低さに改めて腹が立ってきます
自分の人生を子に負わせる毒親
中には「俺たちもう自分の道路を走るの疲れたから、お前、俺たちを背負って歩け。」と自分の道を歩くことを放棄し、子供にドカッとおぶさる毒親も存在します。
普通親に育てられた方にはとても信じられないかもしれませんが、本当にいるんですこんなのが。私の実家にもいました
しかも、毒親は子供の背中におぶさりながら、「あっちの子が走っているようなきれいな道がうらやましい!お前もあんな道を作れ!」と無茶な要求をわめいたり、子を否定・罵倒し続けます
毒親育ちはただでさえ疲れているというのに、そんな重くてうるさいゴミを背負わされ、疲労がどんどん重なり続けていきます
親に逆らえないよう洗脳されている毒親育ち
しかも、毒親育ちは、洗脳状態であることが少なくありません。どんな洗脳を受けているかというと…
- 「親孝行」というきれいな言葉に包んだ「毒親の要求を満たさねばならない義務感」に従わされている
- 幼い頃から親からの暴力などで、恐怖で支配されている
このような状態なので、どんなに自分が辛いと感じていても、辛さよりも毒親ファーストです。常に毒親に逆らわずに従うよう訓練されています。
そのため、親を投げ捨てたり無視するという行為は頭にも浮かびません。必死で親の言うことを聞くのです。これでは自分の人生に集中できるわけがありませんね…
子供を応援し、サポートしつつも子供のやりたいことを尊重してくれる普通親
- 子供の否定や妨害をし、中には子供におぶさって自分の人生まで背負わせる毒親
あまりにも違いすぎる違いはおわかりいただけたでしょうか?
毒親持ちの周りの人たち
毒親持ちの周辺ー毒の周りは毒だらけー
毒親育ちは、毒親から逃げることはもちろん、毒親の悪口(という名のただの実際の体験談)を気軽にこぼすことすら許されません
世間もですが、特に親族がそれを許さないのです
毒の親族は往々にして毒です。「親孝行」というキーワードを用いて、お互いを縛りあって監視しています
毒親というのは親族間で連鎖が起こりがちです。毒の親は毒。毒親族達もまた、自分達も毒親から生まれ育ち、いい歳になっても、毒親の言いなりに生き続けています。恐らくですが、心の奥底の本心では疲れ切っていて、そこから抜け出したいと思っているのでしょう
しかし彼らは長い間「親孝行」という言葉で自分を縛り、毒親の言いなりになることが正義で正解だと思い込まされています。親は常に正しい。子供は「正しい親」に従う。
そのため、その逆の行動をしようとする存在、例えば私のように毒親のおかしさに気づき、毒親から離れようとする脱走者のことは、徹底的に攻撃してその動きを止めようとしてきます
毒人間ができあがってしまう理由とは?
彼らはどうしてそのよう行動を起こすのでしょうか?
恐らく…脱走者が少しでも幸せになろうものなら、自分たちが長年必死にやってきた、辛く苦しい「長年にわたる毒親への孝行人生」が、とてもバカげた行為だったと気づいてしまうことが怖いのだと思います
- 「いい年して何やってるんだ!親をもっと大切にしなさい!」
- 「親を困らせるような勝手な行動とってるんじゃない!」
- 「もっとちゃんと親をいたわりなさい!」
毒親族からは、このような説教が日常的に飛んできます。自分たちがそうしてきたように、親に盲従して、親の相手をし続けろと叫び続けるのです
毒親育ちは、そのような毒親族に囲まれ監視され続けているため、逃げようと考えることも困難であるため、思考停止のままに毒親のいいなりになりやすいのです
普通親育ちには信じられない状況だと思います。普通親育ちの周りには、このようなおかしな思考にとらわれた人間はいても少ないと思います。しかし、毒親育ちの周辺は、このようなタイプの毒人間がスタンダードなのです
長くなってしまったので、その(2)に続きます
コメント
>しかも、毒親は子供の背中におぶさりながら、「あっちの子が走っているようなきれいな道がうらやましい!お前もあんな道を作れ!」と無茶な要求をわめいたり、子を否定・罵倒し続けます
うまい表現ですね。
いやもう、うちも本当にそういう感じなんです。そのまんまです。
しかも、あっちの子が走っている道も中身を知っているわけでもなくなんとなくきれいそうに見えるから、とか、近所の井戸端会議で自慢できそうだから、な、だけのレベルなだけ。それでもの凄い勢いで振り回されてほんと参った。