人との適切な距離感がわからず、白か黒か?両極端になりがちな毒親育ち

毒親育ち

人と関わるとき、自分と相手にとっての適切な距離感を取ること。

これはとっても難しいことですが、人と快適に関わり合うためには必要な対人スキルの一つですよね。

しかも距離感というのは、関わり合う人によって違っています。

家庭や社会、親しい友人と同僚など‥それぞれ違った距離感を設定して接していく。

ほんとうに難易度が高いことだとしみじみと思います。

人の悩みの上位にはいつも人間関係がある、というのは当然のことだと感じます

毒親育ちというのは、長年生まれ育った家庭で、毒親という「自分が産み育てた子に特別おかしな距離感で接してくる人間二人」の元で生きるしかなかったために、

人との適切な距離感がいつまでたってもわからずに変な距離感しかとることができず、人との関わりの失敗を繰り返してしまいがちです。

外で出会う人たちと、お互いの適切な距離感を取ることが本当に泣きたいくらいに下手で、いつまでたっても苦手なんです‥

例えばどんな失敗をしてしまうかというと、

出会ったばかりの人だというのに、極度に自己を開示してしまって自他の境界線があいまいな状態にしてしまったり、

逆に、もう誰とも関わらない!と人との関わりをバッサリと断って自分のからにこもってしまったり

両極端になりがちなんですよね

普通の人たちができているように、お互いが快適な距離感で、人とゆるっとつながるということが本当に難しいんです。

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この毒親育ち(というか私)の対人関係の失敗行動パターンをみると、いわゆる白黒思考、ゼロヒャク思考という言葉が思い浮かびます。

これは認知の歪みのひとつのパターンとして知られる、物事のとらえかたです。

毒親家庭の悪影響により、この思考の歪みが幼い頃からこびりついてしまっている毒親育ちは、人間関係にもその歪んだ考え方が適応してしまいがちなんです

白黒思考、ゼロヒャク思考とは?

私にはいわゆる「白黒思考・ゼロヒャク思考」という考えの癖がしみついています。

wikiを見ると、白黒思考とは、誤った二分法、に密接に関連する概念、として説明がされています。

誤った二分法 - Wikipedia

白黒思考とは‥

ある範囲の選択肢があるのにそのうちの両極端しか考えないという場合もあり、これを白黒思考 (black-and-white thinking) などと呼ぶ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%A4%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%BA%8C%E5%88%86%E6%B3%95

つまり、イエスかノーか?

善か悪か?

のような両極端の選択肢しか、自分にはないんだ!と思い込んでしまう考え方です。

私にはこの白か黒か?ゼロか100か?という考え方が心身にべったりとしみついてしまっているので、人と関わるときにももちろん、この考え方が自然と適用されてしまっていたんです

毒親育ちと白黒思考の親和性

わたしはなぜ、このような極端な思考になってしまったのか?というと、

恐らく、毒親家庭での毒親からの扱われ方が大きく影響していると考えられます。

私は毒親から長年

親にとって役に立つ人間(いい子、親の欲を満たす子)なら存在してもいい

親にとって役立たない人間は存在する価値がない
だから(親にとって)役立つように生きろ!

このような扱われ方をされてきました。

こんなルールの中で長年生きてきたら、思考だって当然偏りますよね‥

それが対人関係で、一体どんなふうに影響を及ぼすのかというと、私がこれまで人に接するときのマインドはこのどちらかになっていました

私は人とうまく関われる!

私は人となんて全然関わることはできないんだ‥

一人でいるべきなんだ

この両極端な二択状態しかなかったんですよね。

この二つを行ったり来たりしていたんです

こんなマインドでは、穏やかでゆるやかにつながることのできる人間関係なんて築けるわけありません。

いつもいつも失敗ばかりでした。

そして極端と極端を行き来するため、いつも疲れていました。

その疲れにより、人と関わる=疲れるという強烈な刷り込みがなされてしまいました‥

残念な悪循環ですね

白でもない、黒でもない、グレーのグラデーションがあるのかもしれない…

こうして、人間関係でたくさんの失敗をさんざん重ねた後に、どうして私は失敗ばかりなのか?と内省を重ねることで、

それがやっと自分が毒家庭由来の「白黒思考」に染まった状態であるのが原因だった、ということに気づいたんです。

今は人間関係を色に例えると、白でも黒でもない、グレーのグラデーションという場所があって、そのグラデーションというのがまた幅が広くて多種多様なんだろうなぁ、ということにうすうす気づき始めました。

なお、気づけただけで、リアルの人間関係で実行には至れていません‥

ここで、私が白パターンの状態、黒パターンの状態のときはそれぞれ、私はどんな風に考え行動していたのか?ということを振り返っていきたいと思います

「私は人とうまく関われる!」白パターンの私

長い間人と関わらず家で休養に努めたり、静かに過ごしているうちに、だんだんとエネルギーがたまってくるのでしょうか?

「もしかして、私、いまなら人とうまく関われるかもしれない」という思いがふつふつと湧いてくるんです

特に春になるとこの気持ちになり、ソワソワしはじめることが多いので、夫からは私のこの行動様式を「春の珍事」と命名され、半分呆れられています。

春の木の芽時になると、身も心も開放的になってしまう変質者がわきでてきて逮捕されるニュースをよく目にするように、春になるとチャレンジしたい!外に出たい(解放したい)!という気持ちに人はなりがちなのでしょうか?

今ならきっと、私も普通の人のように働いたり、
そしてまわりの人と気軽なコミュニケーションを取れるんじゃないかな?

そんな思いがだんだん強くなり、私は仕事や趣味のサークルなどを探しはじめ、そして思い切ってそこに踏み出すんです。

最初は、普通の人のように通勤をして、仕事をして、周りの人とコミュニケーションができていることに感動します。

私、普通の人みたいに生きてる…!

仕事を終えた帰り道にその感動の余り、涙が流れてきたこともありました

でも‥

知り合ったばかりの人たちとやりとりをしながら、新しい仕事や趣味などに一から取り組む‥

今まで長い間、一人の殻にとじこもっていた人間が、突然これだけのことを一気にし始めるって、よく考えるとだいぶ難度高いですよね、無理がありますよね‥

当然、日を追うごとに疲れてきます。

これまでしてこなかったレベルのすごい無理をしてる状態なので当たり前です。

でも、趣味サークルはともかく仕事は疲れたから休む・・とは簡単にいくものではありません。

その上職場に行けば人との関わりは嫌でも避けられません。

私は枯渇しつつあるエネルギーを振り絞って、なんとか毎日出勤し、仕事をし、周りの人とのコミュニケーションをがんばります。

お昼を職場の女性たちで一緒に食べる決まりのある職場、というのが一番つらかったですね‥

休めるはずのお昼休みが、一緒にいる人たちに気を遣いながらお昼ご飯を食べることで、一日の内で一番消耗する時間となってしまっていました。気の休まる暇がありませんでしたね‥

こんな無理をしている状態はいつまでも続きません

やがて、不眠や食欲不振、不安や心配の増大、という体調の悪い方への変化が襲ってきます。

そしてうつ病の悪化という最悪の事態が訪れる形で、ドクターストップがかかり、仕事を続けることは不可能となり、私は再び家にこもることになるんです‥

たまに、職場内で出会った派遣やパート仲間の中には気が合って雑談を楽しめる人とのうれしい出会いもあったのですが、せっかく仲良くなれても私が職場を離れると、時と共に自然とご縁が切れてしまうケースが多く、長く続く交友関係を築くことはかないませんでした

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「私は人となんて関われないんだ。一人でいるしかないんだ」黒パターンの私

こうして、人間関係に疲れ果て、うつ病が悪化し、結果、辞職やサークルを止めるという失敗によって、私は強いネガティブな気持ちに支配されてしまいます

ここで白黒思考の悪い方に一気に考えが傾いてしまい、自分を強烈に否定してしまいます

今回もやっぱりだめだった。

私は仕事も人間関係もいつも普通にできない。
続けることができない。
私はなんてだめな人間なんだ‥

前回に引き続き、今回も失敗してしまった自分を強く責めて深く落ち込み、一人殻にこもり、長い引きこもり期に入ります。

極力誰とも会わずにひたすら一人で過ごすんです。

以前だったら楽しみだった、好きなカフェにいって、店員さんとのちょっとした会話すら恐怖となってしまい、好きなコーヒーもおちおち外に飲みにいくことができません。

そもそも働いていないので、外にコーヒーを飲みに行くことすら贅沢なこととなり、許されることじゃなくなってしまいます。

自分が好きに飲めるコーヒー代くらい稼げる人間に私はなりたい‥

家の中で好きなことをしよう‥と、好きな本や漫画を読んでいると、登場人物が友達とたのしく過ごしてるシーンがやけに目につきます。

それを見るだけで辛くなります。

私はぜったいこんなことできないんだな‥。

また、YouTubeをちら見すると、ビジネスなどに成功している人がはつらつとした様でよく言っている事といえば「人と関わることで学ぶことが多い」っていう感じなんですよね‥

私ダメじゃん。いや、ビジネス以前に人と関われないんだからさ、人としてダメだからさ‥悪い方に受け取ってますます落ち込みます。

「白黒の間のグレー、そのグレーのグラデーションは幅広いんだ」という気づき

でも、こうやって何度も白と黒を行き来するような失敗を、長年、たくさん繰り返すうちに、

  • もしかして私は、極端と極端の間を行き来しているのではないかな?
  • 人との関わりって、白とも黒とも違うグレーがあって、そのグレーの中には幅広いグラデーションがあるんじゃないか?

ということに、いい加減、やっと気づきます‥

そして、もうこの繰り返しを止めたい‥という自分の失敗行動パターンにいい加減うんざりし、何とかしてここから逃れたいと強く思いはじめるところから、同じ失敗を繰り返すことからの脱却、への歩みがスタートします

脱却に向けて私がやってきたことは、

自分のこれまでの失敗の過程を思い出してその内容をくわしくノートに書きだしてみたり、人間関係のことや心理に関する本やSNSや記事など、気になるものをどんどん読んでいったんです

そこで、白黒思考・ゼロヒャク思考という考え方があることにたどりつきました

「これ私じゃん‥!白か黒か?と極端な考えのどちらかに振れてしまうのは、認知の歪みのひとつだったのか」

と驚きと共に気づき、そしてこの行動パターンは、人間関係だけではなく、私の思考や行動にびっしりとこびりついていることに気づくんです

そして同時に、毎日たくさんの人と接しながら暮らしている多くの人というのは、私のような極端な白でも黒でもない、グレーのゾーンにいるから人とゆるやかに関われてるのかもしれない

しかもそのグレーというのはすごく幅があって、一言でグレーといっても、その色・濃淡は多種多様なのかもしれないな‥

人と穏やかに関われている普通の人たちというのは、私が陥っている白か?黒か?という極端な思考とは全く違うところで生きているのかもしれない‥

そんなところにも気づいたんですよね

ネット世界でのコミュニケーションで背中を押してもらう

私は今だに、仕事も人付き合いもできていない状態です。

白か黒かどちらかと問われればどちらかといえば黒、の状態なのですが、この気づきを得られたこれからは、果たして白黒思考から離れ、そして、普通の人のようなゆるやかなグレーのグラデーションの中で生きることはできるのでしょうか?

そこには今、一つの光明が見えています。

それは、ネットでのコミュニケーションです。

仕事への復帰やリアルな人との関わりに関しては、あまりにも失敗しすぎていて、すでに諦めの境地にいるような気がしないでもないですが‥

でも、一人家にいながらにして、こうやってブログにこれまでの体験や考えを書いたり、Twitterで気持ちを発信することを始めたら、思いがけずたくさんの方からのいいねなどの共感や励ましをもらったり、そしてリプをやりとりするなどのコミュニケーションができるようになったんです。

これは、今の私の大きな励みになっています。

私にも、お互いがゆるやかな関係性で、人とのやり取りができるのかもしれない、いや、ネット上で実際にできているんだなぁ‥と日々うれしい気持ちになれるんです

こんな失敗だらけで毒親後遺症まみれの私でも、この時代に生まれたからこそできるコミュニケーションがあることのありがたさ。

その恩恵にあずかっています

ネット上で発信をはじめてからの、ネット上でのさまざまな出会いのおかげで、私は白黒極端の世界から、カラフルなグラデーションの世界に少しずつ足を踏み出すことができて、そして同時に白黒思考から抜け出ることへの応援をしてもらえているな‥と強く感じています

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