毒親育ちは、人との快適な距離感を取るのが苦手です。
この記事では、人との適切な距離感を取る事や、
人と関わる中で、自分にとっていいことや不快なことを判断し、それを実行に移すことが難しい毒親育ちである私が、ある人との出会いと、その人との付き合いを失敗したお話を書いていこうと思います
↑↑↑こちらの記事で書いたように、毒親育ちというのは、毒親から日常的に境界を侵入したり、逆に冷たく突き放されたりなど、身近な人と変な距離感で接することを長年強いられています
そのため、人と人の適切な距離感がわからずに、家の外に出ると人間関係にとても苦労してしまいがちなんですよね
しかも
この人は自分にとって仲良くしていい人?
それともダメな人?
私はどこまで、人から言われることに我慢すべきなの?
ここは「不快だから止めて」と主張していいの?
これらがなかなか判断できないんです。
家庭内で長年、毒親という変な人間の存在に慣れすぎてしまった副作用、ということになるのでしょうか
Aさんとの出会い
毒親育ちの方は、人との距離感を取るのに大失敗し、大きなダメージを負ってしまった過去の手痛い思い出が少なからずあると思います
私にも、中でも、今でも忘れられない、ある人との出会いとそのやりとりの数々があります。
出会ったその人のことを、ここではAさんとします。
あれは、心療内科で重度と診断されたうつ病が、数年経つにつれてだんだんと快方に向かい、主治医にはじめて短時間で軽い仕事だったらしてもよい、と言われたときの頃のことです。
…”はじめて”という表現でおわかりのとおり…
私はこの後もうつ病の悪化→軽快を何度も何年もの間繰り返し、やがてうつ病は慢性化することとなります‥
当時の私はそんな暗い未来などつゆ知らず、
うつ病もどんどんよくなってる。
私はこれから、やっと普通の人間として生きられるんだ!
こんなうれしさと期待でいっぱいでした。
主治医から仕事の許可が出た後、すぐに仕事を探して、余裕のある就業ができそうな条件の仕事を運よく探し出すことができて、私はさっそくある会社でパートとして働き始めました
パート1日目の勤務が終わって帰ろうとしたとき。
玄関で、ある女性に声をかけられたんです。
この女性がAさんでした。
Aさんは、私よりも少し先にパートとしてこの会社で働いていました
Aさんは同世代で明るい印象がありました。
ティーコさん、よかったらこれからお茶しに行かない?
私は感激しました。
働くだけではなく、同世代の女性とお茶をするなんて、ここ数年まったく縁がなかったことを、私は一気にできるようになったんだ
私、うつ病がよくなってるんだなぁ‥
快諾して二人で近くのカフェに行くことになりました
彼女は同世代、そして既婚で子供がいないという共通点があり、話は大いに盛り上がりました
当時は周りの人がどんどん子供を出産して、お母さんになっている年代で、みんなからはなんとなく置いていかれているような寂しさを感じていた‥などの共感する部分があり、話が弾み、その後も二人で一緒に食事やお茶をする機会が増えました
Aさんは子供ができないことや、子供を持った友達に対するモヤモヤなどをこれまで誰にも言えなかったらしく、会うたびにその愚痴をたくさん吐き出していました
私も似たような寂しさを感じていても、あまりまわりには話すことが出来ていなかったため、彼女の話を真剣に聞き、また私も寂しさを彼女に聞いてもらいました
数年でお付き合いが終わってしまった‥そのターニングポイント
Aさんとは何年もお茶やごはんを共にしたのですが、付き合いが長くなるにつれ、Aさんから言われることや行動に対して、「ん?」という違和感がぽつぽつと発生するようになったんですよね
でも、「これは私が人付き合いしていなかったせいで、きっと普通の人ならスルーするような事なんだよね?きっとそうだ」と自分に言い聞かせつつ、お付き合いを続けていました。
違和感を覚える理由は、自分が悪いからだ、と、自分のせいにしてしまったり、なかったことにしたりと様々な方法で押し殺し、ごまかしていたんです
でも、ある出来事によって、Aさんと私は立場ががらっと変わり、時間的にも、そして気持ちの上でも、付き合いを続けることが難しくなってしまったんです
私がパートとして働き始めてしばらくたったある日。
上司から呼ばれ、「ゆくゆくはフルタイムの正社員として働けませんか?」というありがたい打診を頂きました。
でも、私は体調面に心配があるため、しばらくはこの体制で働きたい、と申し出ました。
この打診がきたことをさっそくAさんに話すと
「あんた、社員になんかに絶対ならないでよ!」
「私を裏切らないでよ!ずっと一緒にゆるくパートで働こうね」と笑いながら言われました
(この時ですでにあんた、と呼ばれがちでした)
その後まもなく、Aさんは突然驚くことを笑顔でサラッと伝えてきたんです
私、上司から正社員の打診をされたから、即OKして、これからは正社員フルタイムとして働くことにしたんだ!とカラッとした態度で話すのです。
あれ?
裏切らないで、とかの強い言葉、ずっと一緒にパートで働こうね、とか‥
あの時のあの言葉なんだった‥?
私は驚きました
いや、だめとかそういうことでは全然ないんだけどさ‥人の言葉とか行動って、こんなに簡単に変わるもの?
なんか引っかかるけど‥これって普通の人には普通なの?
しかし、私はまだ、このことについて、ちゃんともやもやしていいのかがわかりませんでした
「そうなんだ、よかったね‥」
もやもやし始める心を制御し、普通を装っていました
私はその後、パートの契約満了を迎えてその会社から去ることとなり、彼女は引き続き正社員として働き続けました
Aさんと私は、出会った時のような”同じゆるいパート同士”ではなくなったために時間が合わなくなったこともあり、徐々に会うことが難しくなり、だんだんと疎遠になってしまいました
付き合いが途絶えたことに、本心ではほっとしていたことに気づく
Aさんと、これまでのようなお茶や食事、そしてメッセージを送り合うなどの深い関わりがなくなったことに、私は心のどこかでほっとしていることに気づいたんです
あれ、寂しいんじゃないの‥?私、ほっとしているの?
そうなんです。あんなに頻繁に会ったりかかわっていたAさんと付き合いがなくなったことに、私はほっとしていた。
実は、Aさんと積極的な付き合いを続けるここ数年、私は気を張っていて、とても疲れていたんです
その大きな理由として、いつも自分の本心が言えない。どのタイミングで、どれくらいのレベルを主張していいのかわからない。
Aさんと接していて、その場その場で感じた自分の本当の気持ちや感情をうまく出すことができず、いつも押し殺していたことがあげられます
「Aさんと会うこと自体に疲れている」という本心すら、その時々で感じていても、もしかして認めずに心の奥に押し込めていて、そのご縁がきれてやっと、浮上できたのかもしれません…
Aさんとの関わりでは、私はお互いの快適な距離感がうまくつかめず、言いたいことを言えずにフラストレーションをためるような関係性しか築けなかったんです。
つまり、人との穏やかな関わりを失敗したんですよね‥
今思えば、「気になるポイント」満載だった
Aさんから離れ、自分の本当の感情に気づいた後。
当時のやりとりをじっくりと思い返すと、実はAさんとのやり取りの中で、私は「ん?」とひっかかる、気になるポイントが満載だったんです
でも、当時その場で「おかしいな、嫌だな」と判断したり、声にすることができなかったんです
その時々で自然にわいてくる、自分の感情を大切にできませんでした
Aさんの言動に対して「?」と思っても、その場ではスルーしてしまったけど、でも、時が経ってから改めて思い出してみると、あれは違和感を感じて当たり前だったな‥という出来事がたくさんあったんですよね。
次の記事では、Aさんとのかかわりにおいて、私は、対人関係において、即「これは自分にとって不快だ」と判断し、主張することが困難なんだな‥と改めて思い知った出来事の数々を書いていきたいと思います
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