本心を殺し、毒親に寄り添い、いいなりに生きていた時の話

毒親育ち

私は、本心を殺して、毒親のいいなりに生きてきた過去があります。若い大事な長い時間を、エネルギーを、毒親優先に使ってしまった痛恨の過去です

「うちの親っておかしい」

そう気づいたとしても、幼い子供は簡単に親をチェンジすることも家を出ることもできませんよね

しかし。やがて時がたち成長して、自立できるような年齢になってもなお、私は家を出ることにパワーを使うことなく、しばらく親と共に生きてしまっていました

この若くて貴重なときに、親へ差し出したエネルギーや時間はどう悔やんでも取り返すことはできません

どうして当時の私は、長く毒親の元にとどまってしまったのでしょうか?

この記事では、

  • 親がおかしいとわかっていたのに、どうして本心を殺して、毒親に長い間従ってしまったのか?その大きな2つの理由
  • 本心を押し殺して毒親に従っていた時、私は一体どんな心境だったのか?

このことについて、記していきたいと思います

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昔からうすうす気づいていた…「うちの親って変」

子供の頃から「うちの親って、ほかの家の親と違うな」っていうことにはうすうす気づいていたんです。

だって、暴力などの恐怖や脅しを使って子を思うがままに動かす親なんてあんまり、というかほとんどまわりにはいなかったんですよね。

友達の親のほとんどは暴力で子供を従えたりしませんし、もっとも驚くことは、よその親子って、親と子の会話が通じてるってことです。

うちの毒親って、日本語は話しているのですが、まぁおもしろいくらいに意思の疎通ができないんですよ。私がどんなに丁寧にわかりやすく話をしても、毒親には言っていることが通じないんです

彼らも長年の日本語話者なのに、どうして話が通じなかったのでしょうか?

本当の理由はわかりませんが、毒親と長年暮らした肌感覚で推測すると、毒親の理解力がないことと、そもそも毒親は子の話にまったく興味がなく、子の言っていることを理解しようという気持ちがゼロだったからだと思われます。

そんな他の家庭とわが毒親の違いすぎる違いをみても、幼い私はどうすることもできなかった。

この親と暮らすしか選択肢がなかったんですよね。

どんなに親がおかしくても、泣いても吠えても現実は何も変わらないんです。だから、何を考えてもしょうがないから考えるのやめた。

毒親に対して沸き起こる様々なネガティブな感情や感想をすべて押し殺し続けながら、私は毒家庭に暮らしてきました

もしかしたら、この違和感をもっと大切にできていれば、もう少しはやく毒親の元から離れられたのかもしれません

でも私は生き延びるために、違和感をできるだけめちゃくちゃに心の奥底に押し殺し続けてしまったんです。

結局私が毒親から離れることができたのはアラサーの頃でした

アラサーというのはは仕事や子供を持つことなどを選択するたくさんの人生の節目が集中する大切な年代です。

そこに親との疎遠というビッグイベントがねじこまれることで、私の人生にはそれはそれは多大な悪影響を及ぼしてしまいました

どんな悪影響かというと、これまでの長年の無理がたたって重度のうつ病となってしまったことをはじめ、希望していた子供にはめぐまれず、そしてパートでさえ働くことも不可能になりました。

このように、親が毒親だったこと、その違和感を長年押し殺し続けた果てにやがて我慢の限界がきて、大爆発してしまったんです

しかもその大爆発のタイミングが最悪だったがために、私のアラサー以降の人生は、子もない仕事もない、何かを楽しめる気持ちすら持てない、あるのはうつ病だけ…という大変悲惨なものとなってしまいました

親がおかしいとわかっていたのに、どうして本心を殺して、毒親に長い間従ってしまったのか?

おかしな親から早急に離れられていれば、人生を再出発できるタイミングはもっと早めることができたはずです

それなのに、私はそうはしなかった。

私がいつまでも毒親にとらわれ、脱出が遅れてしまった理由はこの二つです

  1. 周りから親孝行教を押し付けられ、それに従うのが当然だと思い込まされてきた
  2. 親の愛が欲しかった。認めてもらいたかった

くわしく書いていきたいと思います

周りから親孝行教を押し付けられ、それに従うのが当然だと思い込まされてきた

親を大事にしろ、一族での交流を最優先にしろ、という毒親や毒親戚からの洗脳はものすごかった。

毒一族の結束ってすごいんですよ

たぶん彼らはそれぞれ所属する世間で嫌われ者なために、孤立した同士、最後の砦として血のつながった同士での結束が固まるんじゃないかと推測されます。

でも、それだけじゃなく、私は周りの友人が親と仲良くしたり、大切にしている姿を見て、やっぱり親は大切に仲良くしなきゃないんだな、と思い込んでいました。

しかし…今考えると、私の強要される親孝行と、友人たちが自然に親を大切にするって、出発点が大違いなんですよね。

友人は親に大切にされていたから、自然に親を大切にできていたんです。

一方で私は、親や周りの毒一族からギャーギャー言われているから仕方なくの義務感で、まるで仕事のように、親孝行をしていたんです。やりたくないのに無理をして親孝行という名の親の奴隷をしていたんです

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親の愛が欲しかった。認めてもらいたかった

親に従い続けてしまった理由、悲しいですがこれは本当に大きい

親がどんなにクズでも毒親であっても、子は親の愛に飢えて、愛をもとめてしまうんです。

特に毒親育ちはろくな愛情をもらっていないために、常に愛情に飢えている状態です。

そんなところに毒親の気まぐれでちょっと優しくされただけでも「うれしい!こんな風に、もっと親からの愛がほしい!」と張り切って親の奴隷をしてしまうんですよね…

でも、毒親には、子に正常な愛情をコンスタントに与えられるような機能はどこにも備わっていません。

そのことを知らない私はひたすら毒親の言いなりになり、尽くし続けました

ここで私はどう考えたかというと…

親から愛をもらえないのは親がおかしいのではなく、私がいけないんだ

私がもっと親の言うことをきき、親の要求を叶えていけば、いつか私が満足するくらいの愛をもらえるはず!

そんな淡い期待を持ってしまっていたんです。持ち続けてしまったんです。

今考えると、なんて愚かで哀しい子供の性(さが)なのでしょうね…

実際には、毒親にはどんなに尽くしても、返ってくるのは「子が親に尽くすのは当然」という態度、「これじゃ足りない!もっともっと俺たちに尽くせ!」とますますエスカレートする要求

私がどんなに必死になって尽くしても、いつも見返りの愛どころか、ろくな承認すらもらえない状態でした。

私はやがて、がんばりに限界がきて倒れたことにより、これまでのような親への尽くし行為が不可能になり、親との関わりも以前と比べて激減しました。

私がそうなっても、毒親は私をいたわるどころか「今のお前はおかしい!元のお前に戻れ!」「これまでのように要求に応えろ!」という押し付けをしてくるのですよね…

私はくたくたになって力尽きて倒れたことにより、やっと我が親の異常さを思い知り、これまでの尽くし行為が無駄だったことを思い知ったのです。遅い。遅かった…

子供にとっての、「親の愛」というものの吸引力は果てしない。

いつでも愛情に飢えている状態の毒親育ちならなおさらです。自分を犠牲にしてでも親の愛を求めてしまう。

飢えをしのごうと、私のように倒れるまで、「毒親から愛情を得る」という不可能な課題に対して、必死に無駄な努力を傾けてしまうんです…

毒親のいいなりになっていたときの気分はどんな感じ?

毒親の要求を満たすことを人生の最優先にしていた頃、私はどんな心境だったのかというと…

自分は本当にいいことをしているのだという、高揚した気分でした

このとき、周りの人にも

親って大事だよ。

親の言うことをきいて、親を最優先に大切にするのは当たり前だよ

聞かれてもないのにまわりにえらそうに言って回っていました

だからその逆に「親が嫌い」と公言する人を下に見ていましたね

親を大切に思えないなんて、なんて大人げない人なんだろう…人の心があるのかな?

という風にすごく否定的にとらえていました。

毒親という言葉にも過敏に反応していました。

毒親という観念に出会った時は、ものすごく驚いたとともに、

こんな考え方をするなんて人間おわってる、なんて大人げないんだ!

こんなふうに大激怒・全否定状態でした

今やブログやTwitterで毒親の過去の悪行をほぼ毎日書き続け、悪口(という名の事実)を書き続けている現在の私とあの頃の私が同一人物だなんて、自分でも信じられません。

いいことをしているはずなのに…いつも違和感がある

でも。そんな自分はいい行動をしてる!という肯定的なマインドでいるにもかかわらず、実際に親を優先し、親と一緒に過ごしてあれこれ尽くしている時。

何をしていても常に違和感がぬぐえず、いつもなんだか気持ち悪いという思いがあったんです。

恐らく、心から親と一緒にいたい、親に何かをしてあげたいという思いなんてまったくないのに、やらなきゃないからと義務感で親のために時間やエネルギーをふりしぼっていたため、当時の私はいつも疲れていたし、本心である嫌悪感や気持ち悪さが心の底から噴き出していたんだと思います。

嫌だけどやりたくない仕事をやっているような感じだけど、耐える。

当時、下手にブラック企業での長時間奴隷労働に慣れていたということも、心身の悲鳴を無視して無理をする、という行動に拍車をかけてしまっていたのかもしれません

親を触るとぞっとする

親に触ると、全身で気持ち悪さを感じたものでした。

たとえば、一緒に歩いていた時、よろけた親の体をささえます。

そうすると親の体に少し触れただけで、私の全身がぞわっと気持ち悪さを感じるんです

私の仕事が休みの日、親が行きたいという遠くの大きな公園にドライブに行き、肩を並べて散策をしました。

そこでまるで仲良し親子のように片寄せ合って記念写真を撮ったその時に感じた、えもいわれぬ気持ち悪さは未だに忘れられません

その時は、仲良く楽しい時を過ごせていてたと思ってたんです。

でも、撮った写真を見ると、私の表情は死んでいます。おしゃれもせず汚い服を着て、髪もボサボサ。(そういう格好をすると特に母親が喜んだので、一緒にいるときはそうしていました)

口角だけ必死に上げて笑ったそぶりをしていますが、目が死んでます

自分ではたのしく自発的に親孝行していると思っていても、本心はその逆だったため、心の奥底では「もういや!もうこんなことやめて!」と悲鳴が上がっていて隠しきれなかったのでしょう

だって、長年不安や恐怖や暴力で支配されてきた人間たちとなんて、仲良くしたい!一緒にいたい!なんて心から思えるわけありませんものね…

無理にはやがて限界が来る

毒親とは、私にとって命を脅かす恐ろしい加害者でした。心の奥底では恐らく、ずっと毒親が大嫌いで恐怖の対象で拒絶していたんです。

でも、そんな奴らの子供として生まれてしまうと、毒親でも親に頼らなければ生きていけないから、その感情を認めることができなかった。

そして、周りから押し付けられ続けてきた親孝行という言葉にあらがえなかったことや、なにより私が昔から欲しくてたまらなかった親からの承認、親からの愛を求めて長い間、必死に親に寄り添い、親の求めるものを提供し続けてきてしまいました。

それは親孝行で、とってもいいことで、自分はすばらしく正しいことをやっていると思い込んでいました。

しかし、実は自分の思いとは正反対の行動をするため、私は長い間、極度に無理をしていたんです

「大嫌いで恐怖の存在である加害者に尽くす」という大間違いを長年がんばってしまった。

自分にとっては加害者であり、心の底では恐怖の存在だった毒親に必死に寄り添い、愛や承認をもらいたいと思うこと自体が大きな間違いだったのに、私は親孝行という言葉の甘美な響きと、長年の愛情欠乏のために、あきらめられずに毒親にしがみついてしまいました。

結果、その無理ながんばりに限界がきてしまい、私は親を拒絶しただけでなく、心身に長期間無理をさせた大きな反動のために心身を病み、何年もの間、人生を棒に振ってしまったんです

もしもこの記事を読んでくださっている、かつての私のように、自分よりも毒親を優先する癖がついてしまっている方がいらっしゃるのなら…

私のこの人生をかけた大失敗談をなにかの参考にしていただき、どうか私のようにご自身の大切な自分の時間やエネルギーを無駄にすることなく、自分の本当の気持ちを、自分の人生を、一番に大切に考えてほしいです。

毒親の被害で苦しむ人、私のように、毒親のために大切な自分自身の人生を削る人が一人でもいなくなることを、切に願っています。

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