「えっ、普通家庭の人って、大人になっても親や祖父母に助けてもらえるの?」その2 ー毒親はその逆。子からひたすら奪いますー

毒親育ち

こちら↓の記事の続きです

”その1”では、普通家庭の親というのは、子供が大人になっても、親は子に寄り添い、出来る限りのサポートをする‥という場面をたくさん目の当たりにした、私の驚き体験を記してきました

この記事”その2”では

  • 普通家庭の親とは対照的である毒親について
  • 私の毒家庭での実体験=
    子供の成長と共に搾取がエスカレートする毒親の生態をご紹介
  • 「親孝行教」にしばりつけられ、親のいいなり状態が続いた絶縁前の私について

私が生まれ落ちてしまった毒家庭で体験した「成長した子供からの搾取がますますエスカレートした毒親。そのエピソードの数々」

そしてそれに抗えなかった、毒親からの長年にわたる親孝行という洗脳に染められていた、かつての私について、

を書いていきたいと思います

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わが毒親の、”成長後の私”に対する搾取エピソードーお前(子供)のものは俺のものー

毒父「お前は将来、教師か看護師になれ」

私が幼い頃から毒父によく言われていたことで、未だに記憶にしつこく残っているものがあります

それは、

お前は教師か看護師になれ

このセリフなんです

これってどういうことかわかりますか?

教師と看護師。これは毒父の

”ぼくが(昭和脳で)かんがえたさいきょうの自分の幸せのための子供の職業”

なんです‥

お前が教師になれば、
教師っていうのは女でも一生食いっぱぐれなく稼げるから
俺たちも老後は金銭的に楽できるな!

(=子が安定的に稼ぐ金が、
生涯自動的に手に入ると思い込んでいる)

お前が看護師になれば、
俺たちの介護や下の世話をうまくできるようになるだろう。

俺たちは安心して老後過ごせるな!

(=子をケア職に就かせて手にするスキルを

自分らが死ぬまで使い尽くせると思っている)

どうです?おぞましいでしょう?

自分の老後、子供が持ったスキルやエネルギーや金を使って、自分たちが生涯楽して過ごせるようにと‥

毒親が望む、抜群の金orスキルが手に入るどっちかの職業につけと‥これ本当に、幼い頃の私によく言い聞かせてたんですよ‥

毒親は自分の欲を満たしたり幸せのために、子から生涯様々なものを奪ってしていく気満々という、その搾取スタンスがよくわかるエピソードだと思います

私は教師にも看護師にもなれなかったために、この毒親の強欲な夢は泡と消えたのですが、それでも奴らは、大人になった私から、その時々で絞れるだけのものをこってりと搾り取っていきました

そのおぞましいエピソードをご紹介していこうと思います

お前が獲得したものを、早く俺たちに差し出せ!

私が働きはじめると間もなく、毒親たちは、稼いだ金を俺たち親のために使え!と要求しはじめました

幼い頃、心を込めて用意した手作りプレゼントは奴らにとってはただのゴミ扱いでしたが、

私が就職後、さっそくねだられて買わされたブランド品に、毒母は目を剥きだして喜んでいましたね‥

毒父に至っては、「欲しいから買え」と言われて買った靴(私は買ったこともない高額なもの)を、

「これ欲しいと思ってたけど、やっぱり気に入らねえな」と放置するという、心のままの大変自由な行動をおとりになりました

玄関でほこりをかぶって放置される高級靴を通勤時に目にするたび、心にぐちゃぐちゃっとした何かがたまっていったものでした

毒親はこのように、成長後の私から、搾取できそうな芽を目ざとくみつけてはかぶりつき、むしゃむしゃと食らいついてきたんです

「お前のアパートは俺たちの無料宿泊所!」

結婚後、実家から出て新生活を開始したときのことも、また悪夢すぎて未だに忘れられません

長年住んだ実家を出る、という大きな変化のただなか

私は慣れない新生活に苦闘しているというのに‥

そんな私の状況など、毒親は少しも考えようともせず、それどころか追い打ちをかけるように私に欲求を押し付け、我欲のままに行動してきました

やつら毒親はどうやら、実家を出て私が住むことになった狭い賃貸アパートを、便利に使える自分用の無料宿泊所だと思い込んでいたようなのですよ‥

やつらは「あたしたち、あんたのアパートに泊まりに行ってあげる!」突然のアポなし突撃をたびたびしてきたんです

私の新居であるアパートに突入した毒親は家中をかぎまわり始めます。

「あらぁここ寝室ぅ?」とプライベートなスペースにまでずかずか入りこむのはもちろんのこと

冷蔵庫を勝手に開けた毒母に、作り置きをしていたおかずを食い尽くされました

毒母は口のまわりに食べかすをつけながら、なんか謎に表情をゆがめながら「これアンタ作ったの?フン、まあまあな味じゃない」と言われたときについ湧き出した本心(殺意)を必死で抑え込んだことは、未だ鮮やかな記憶として脳に刻み込まれています

家に突撃して家中をかき回すだけでは飽き足らず、

  • せっかく来たんだから、有名な観光地へ連れて行け!
  • 美味しい店に連れていけ!

と次々と要求をぶつけてきます。

毒親がわがアパートに突撃してくるたびに、私は余計な支出を繰り返し、やつらのいる間は観光や遊びに付き合うために、新天地で始めた仕事もたびたび休まなければなりませんでした。

夜は夜で、毒親のために手配して用意したレンタル布団にブーブーと文句を垂れます

こんな誰が使ったかわからないレンタル布団は使いたくない!

あたしたち用の新しい客用布団を買っておいておきなさい!

(…じゃあ旅館の布団もホテルのベッドも使えないってことだよな…?一生家で寝てろ!

そもそも狭いアパートのどこに、お前たちだけが使う客用布団をしまう場所がある?

誰が邪魔な布団を管理すると思っている?

そんなことは毒親には関係ないんですね‥

布団といえば、やがて父を置いて一人でアパートに突撃するようになった毒母は、突撃の常連としてこんな行動に出たんです↓

毒親との疎遠後、まず最初にしたのは、この送り付けられた布団を粗大ごみ(有料)として捨てることでした

どこまでも私に迷惑と手間かけやがって‥

このように、彼らは一貫して、俺たちの快適のために、成長したお前を便利に使うのは当然!

そして子供の生活をサポートするどころか…我欲を満たすためなら、子の生活なんか簡単に踏みにじって邪魔したって、なんとも思わないんですよ。

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毒親から長年されてきた「親孝行という洗脳」にしばりつけられていた

エピソードを改めて振り返ると、毒親の行動の数々に唖然とすると共に、

どうしてここまでの毒親の横暴に、私は耐えて許容していたのか?と疑問に思いますよね

自分自身の実際起きたエピソードであるにも関わらず、このがまんっぷりは信じられませんしドン引きします‥

これは、毒親の長年にわたる「親孝行」の洗脳の成果なんです

私は昔から、「親孝行」という言葉を、毒親から様々な形で押し付けられていました

そのため、「成長した子供は親孝行をしなければならない」という考えにがちがちに縛られ、親のために行動すること、親の勝手なふるまいを許容することを思考停止状態で行っていた状態だったんです

学校が終わって働き始めてもなお、「一人暮らししちゃダメ!ママとずっと一緒に暮らすの」と幼い頃より言い聞かされていた私が、実家にとどまり続けていた当時の気持ちなどをまとめた記事です↓

その上、毒祖父母に尽くす毒親の姿を幼い頃から見続けていたので、「どんな親でも親に盲従し、なんでも許容するのが親孝行だ」と思い込んでしまっていたんですよね‥

まちがった情報の刷り込み。毒の連鎖、の発端ですね。

こういった親のわがままを許容するのも、親孝行ということなんだよね‥?

と思い込み、自分に言い聞かせ、必死の我慢をしていたのですよね‥

「子供はまだか!早く孫を見せろ!」誰よりも妊娠出産を私に強く要求してきた毒親

毒親共の要求エピソードに戻ります。

私が結婚した後から始まった毒親からの要求の中でも、私がボロボロになるまで苦しめたもの。

それは、子供の催促でした

だれよりも執拗に「子供はまだか!」「子供を産め!」と騒ぎ、私を病むまで追い詰めたのは、他でもない、この毒親達でした

毒親からの孫の催促は、もう思い出したくないくらい、それは激しかったです。強く要求したり、違う会話中、隙をついてねちねちとつついてきたり‥

毒親にとって孫というのは、自分たち爺婆の好きに扱える&ひまなときにいじくりまわせる&まわりにみせびらかせるという、何拍子も揃った取り回しの良い、理想のおもちゃだったのでしょう

奴ら毒親はいつも異常に世間や周りの目を気にしていて、

  • みんながやっていること、持っているものがすごく気になる!
  • あたしたちはみんなよりいいものを持ちたい!
    ただし自分が努力するのは嫌だから、面倒なことはすべて子にさせる)

という性質だったため、

毒の同世代が続々と孫を持ち始めたことを目の当たりにし、それが妬ましく羨ましすぎて暴走したあまりに、「孫を産め!」私が病むほどの苛烈な要求になったのだと思われます。

この毒親からの苛烈な子供の催促は、たくさんの二次被害を私にもたらしました

子供を見ること、声を聞くことさえ辛くなってしまったり、子供を持てない自分はだめな存在だ‥と強烈にネガティブなマインドが植え付けられ悩みが深くなったり、果ては重度と診断されたうつ病になるきっかけの一つになるなど‥

この出産要求は毒親との絶縁の大きなきっかけのひとつになりましたので、大局的に見れば、私にとってひどい痛みを伴った”災い転じて福をなす”、とも言えなくはないですが‥

このように、毒親の、成長した私に対する要求というのはどんどんエスカレートしていき、私はそれに振り回され、無駄な金と時間を使わされ、果ては自分の人生を運営することが危ういところまで精神が追い詰められたんです

まとめ

彼ら毒親が私から搾取してくるとき。その言動を改めて思い返すと、

おまえがガキの頃には、
ものすごい面倒を我慢して育ててやったんだ

だから、大人になったおまえからは、

その分のリターンをたっぷりと搾り取るからな!

こんな意気込みが伝わってくるんですよね

いや、産んでくれっていってないんだけど‥

お前たちのような毒親の元に生まれるくらいなら、生まれない方がよかったくらいに思ってるんだけど‥

たまたま生まれついた場所がとんでもない人間の棲む場所だったばかりに‥とんだとばっちりを食らわされるものなのですよね、毒親育ちって。

やっと大人になるまで生き延びた‥と思ったら、自活するためのスキルやお金やエネルギーを丸ごと奪おうと、毒親が待ち構えているんですよ?

私の大人になってからの毒親被害(実話)の数々をここまで書き連ねてきましたが、

毒親というのは、成長した子から、ますます搾取の度合いを強める、ということ。

伝わったでしょうか‥

またしてもお話が長くなってしまいましたので、その3に続こうと思います。

その3では、

普通家庭では親のみならず、年齢を重ねた父母、つまり祖父母までもが子(孫)のことを心配して、できる限りのサポートをするということを、

毒親育ちの私は、とある「人生相談ラジオ番組」を愛聴し続けることで知ってしまった‥

こんなことを書いていきたいと思います。

長い記事に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました

もしよかったら‥続きのその3もおよみいただければ幸いです‥

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