毒家族の話(父・1)

毒親育ち

今日は、父のことについて書いていきたいと思います

父は外面がよく、外で出会う分にはいい人だったようです。しかし、家族には全く違う顔を見せていました

家の中で機嫌が悪かったり少しでも気に入らないことがあると、すぐにキレて怒鳴り散らすという性質を持つ人間でした

子供だった私はどこへ逃げ出すこともできず、毎日ビクビクしながら暮らしていました

父親のことを思い出すと未だに腹が立ったり具合が悪くなるのですが、これからかつて私が生まれ育った家庭で本当にあった出来事を、書き記していきたいと思います

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外では人当たりのよい人物、家では・・・

私の父は、見た目や人当たりの良さを周りの人に絶賛されていました

「お父さん、かっこよくて楽しくていいね」

友達だけでなく、近所の人にもよく言われていました。そう言われるたびに、私はうれしさは全く感じず、何とも言えない顔になっていました

それは、父は家の中では全く違う人格に豹変するからです

家族を無視、物に当たる、どなる

機嫌のよいときは家族とも笑顔で会話ができるんです。家族でおでかけをすることもありました

でも彼はたびたび、家庭内で突然キレ出し、家族を一定期間完全に無視したり、ものに当たり出します性質がありました

ドアを乱暴に閉めたり、逆に家族がドアを閉める音(ごく普通に閉めた音です)を「うるせえ!もっと静かにしめろ!」と怒鳴り始めたり…

このような状態に豹変します。それも予告なく、いつも突然です。一度始まると、基本的に一週間は家族と全く会話もせず、目も合わせません

苦虫をかみつぶしたような顔で無言のまま食事をし、食べ終えた茶碗を大きな音を出して食卓に投げつけ、大きな音を立てて茶の間のドアを閉めます。その後は扉が閉じられた狭い茶の間、を一人で独占して好きに過ごします

私たち他の家族は、“それ”が終わるまで、ほかの部屋で息をひそめて過ごします。そこで下手に目立つ言動をすると、父の逆鱗に触れ、この悪夢のような期間が延長してしまうため、他の家族は、なるべく物音を立てずに生活することを強いられるのです

突然よくなる機嫌

やがて父の気が済むと、何事もなかったかのように突然笑顔で話しかけてきたり、家族ドライブなどを提案してくるので、そこで、ああ、今回の不機嫌は終わったのだ、という解釈をするのです

不機嫌は、一度始まると大体1週間くらい続きました。勃発する頻度としては1か月~1.5か月おきというところでした

父が今、どんなに機嫌がよくても、いつ豹変するかわからない、父がどんなきっかけで、どのように怒り出し、自分にどのような被害が及ぶかが全く想像がつかなかったため、本当に日々神経をすり減らしながら暮らしていました。

私だけに振るわれる暴力と、それに対する母のクソ対応

暴力を振るわれることもありました。ただし父は、なぜか私にだけしか暴力を振るわないのです。他の家族は全く父の暴力の標的にならず、いつも私だけです。

母いわく、「お前が生意気だから」なのだそうですし。しかも母はいつも、私を一切かばいません。なぜ私を全くかばってくれないのか、一度母に尋ねたことがありました。

「だって、あなたをかばうと、お父さんますますひどく暴れるから嫌なんだもの」と至極当然といった表情で言われました。これ以上の会話を継続してしまうと、自分のなにかがますます壊れてしまうと自分の本能が判断したため、深入りはせずにこの会話はこれで強制終了することにしました

また、父の、私への暴力が始まると、母はいつも妹を連れて外に逃げます。私への暴力が終わったサインとして、父の怒鳴り声がやむ時が来ます。そうすると、外に逃げていた母と妹は、そうっと家に戻ってくるのです

ある日、いつものように父に一通り怒鳴り散らされ、殴られ終わった後、痛みや辛さでひとり泣く私に、避難先から帰ってきた母は私にこう言いました

「お父さんはね、何があっても、私にだけは、絶対暴力ふるわないのよ」

なぜか得意満面の表情でした。アラフォーになった今も、未だに脳裡に焼き付いて忘れられません

長くなりすぎたため、その2に続きます

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