そもそもなぜ、私は毒親の無茶な要求を聞き続けてしまったのだろう。 その2

毒親育ち

毒母の毒に気づくこと・離れることが遅れた理由。

その1の続きを書いていきたいと思います

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「かわいそうでちょっと変な母親」を、私が守らなければならない、と思わさていた

その1で紹介した内容のように、とっても巧妙な方法で毒を発し、子である私に毒を注入しつづけていた毒母。

彼女は加害者であるにもかかわらず、被害者を演じるのがものすごくうまかったんです。

毒母は一体どんな被害者面をするのか?というと、主に「暴力的な夫にいじめられてかわいそうなお母さん」、というスタイルでした

母はいつも子供の前で、暴れる父やその暴言を、悲しい顔でうなだれて受けます。

子供には、母は「お父さんにいじめられるかわいそうなお母さん」としか映りません。

そんな母は私にいつも、父の愚痴や悪口や泣きごとをぶつけてきたものでした

暴力的な父から母を助けられない私は、

幼い頃の私
幼い頃の私

何もできない私は、せめて、

かわいそうな母の愚痴ぐらい聞いてあげなくてはならない

と、必死で母の愚痴を聞き続け、そして一緒になって、父の悪口を言っていました

でも、よく考えると‥

夫がそんなにひどくて嫌な人間なら、子供に愚痴や悪口ダラダラたれ流す前に、とっとと離婚なり別居なり考えろって思いますよね‥?

でも毒母はそれをしませんでした。

その上、あろうことか、猛毒モラ父と別居や離婚ができないのを、子供のせいにしていました

どういう理屈でそうなるか?というと、

辛く不幸で<br>悲しい姿をする毒母
辛く不幸で
悲しい姿をする毒母

離婚すると、あなたたちからお父さんを奪うことになる。

辛く不幸で<br>悲しい姿をする毒母
辛く不幸で
悲しい姿をする毒母

それはだめ!

だからあたし、子供のために、離婚しないの!

子供のために、お父さんからの横暴に耐えてるの!

こんなふうに、子供のためにモラ猛毒夫とは離婚しない!子供のため!耐えてる私!を自称し、しかもそれを子にそのまま言うんですよ‥

モラ猛毒夫と離婚しないことを子供のせいにして、離婚や片親になるとかそういう自分に降りかかる面倒を避けていた、と見えなくもないんですが‥

毒母にとっては、子のために犠牲になるアタシだったんだそうです

私としては、正直、父親がいないことよりも、猛毒父から長年モラハラ行為をうけ続ける方が地獄でした

40を越えても未だダメージによる後遺症に苦しむくらいに、心身をメタメタにやられましたしね‥

毒父がいる地獄のような家で長年ビクビク暮らすくらいなら、正直とっとと離婚してもらいたかった。

離婚すれば経済的に貧窮する!とはいっても、ドケチな毒父と暮らしていても、生活費や学費などをケチられるなど、豊かに安心に生きられたとはとてもいえませんし‥

実際父が死んだときも何にも思わないくらいには、父からは心がすっかり離れていましたしね…

でも、幼い頃から母のこの悲劇のヒロインの演技を見せられていた私は、長年、まんまと騙されていました。

いつもお父さんにいじめられているお母さん。

私にお父さんのぐちや悪口を悲しそうにいうお母さん。

私たち子供のせいで、離婚ができないお母さん。

そんなお母さんはかわいそうなんだ、私が守らなければならないんだ

と私は幼い頃から強く思い込んでしまったのですよね。

お母さんってなんか不安定で変な人。私が一緒にいて支えなければならない‥

母は昔から、なんだか言動がおかしく浮いていたり、とっても頼りない人でした

外で一緒にいると、突然変な動きをしたり、変な発言をしてまわりから浮いたりして、子供の私が恥ずかしい思いをさせられることが多かったんです

そんなおかしくてちょっと一人で生きられなさそうな、一人でいると何をするかわからないような母のことは、私が見守ってサポートして生きなければならない、という義務感に子供の頃から支配されていたんですよね‥

被害者しぐさがうまく、そして、外でなにをしでかすかわからない、頼りなくて変な人間だった母

そんな人が母親だったばかりに、私がこの人を守らなければならない、受け止めなければならない、と思わされてしまった。

その義務感の裏に、母からのじわじわとしたいやらしい形の虐待は隠され、私は知らず知らずのうちに、毒母の毒に侵されていたんです

大人になり自分が倒れてやっと、母の長年にわたる、猛烈かつ巧妙な毒に気づくこととなりました

それまでは、母親ファーストの言動を必死で取っていた私もまた、恐らく、外から見ればおかしな人間だったのだと思います

さびしがりやの母に寄り添わなければならない、と、部活も友達付き合いもせず、家に直帰していた中学時代のお話です↓

ちょっと変で(いやだいぶ変‥)たよりないお母さんを私がサポートしなければならない。

そんな気づきと義務感が、ごく幼い私の心の中にすでに生まれていたことの記事です↓

毒親は外面がいい。まわりから気づかれにくい。助ける人もいなかった

毒親は家の中ではくるっていても、外面が異常にいいので、周りにはおかしさが気づかれにくかったんです

いえ‥例え「この人たちおかしい」って気付いたとしても、面倒な人となんて関わりたくないですし、きっと気づかないふりをしていた人も少なくなかったのでしょうね

モラ猛毒父とみえにくい毒をまきちらす母が織りなす地獄の毒家庭に介入してくれる人、助けてくれる人はどこにもいませんでした。

でも‥時に外で、毒親から一方的に攻撃され、うなだれる私を、真剣に励ましてくれる人に出会うことがありました。

そんな時は本当にうれしくて、何十年経っても、ずっと心の中の宝物のような思い出になっています

まとめ

私は長年、毒親からの攻撃にさらされつづけることで、大切なエネルギーや時間をたくさん吸い取られ、心身の健康や、人生そのものをだいぶだめにされてきました。

ボロボロの心身をひきずり、なんとか前進しようと日々努力を重ねていますが、でも、どんなにもがいても絶望的に欠けている部分や、刻み込まれて消えないおかしな思い込みや刷り込み、そして取り戻せないものが多くて、愕然とするばかりです

そこに直面するたびに、どうしてあの人たちからもっと早く距離を取れなかったんだろう、と悔やんでも悔やみきれない思いになります

でも‥毒親家庭に生まれてしまうと、今まで述べてきたように、生まれてすぐから自動的に様々な毒トラップにからめとられてしまうことで、親のおかしさに気づき、離れる行動をとることはとても難しいことでした

そんなカオス環境で生き延びるには、自分自身の考え方や、物事の捉え方さえも、ぐちゃぐちゃに歪ませなければ生きて来れなかったんですよね‥

毒親からの恐怖や洗脳で心身をめちゃめちゃにされ、加害者である毒親に自分からよりそって必死に尽くす生き方が芯からしみついてしまっていました

その悪影響はものすごいものがあり、例え大人になっても、長年すっかり毒の洗脳に浸かって生きるしかなかった私には、正常な判断や行動を起こすことは困難だったんです

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