毒母から、「あんたばっかりずるい!」とよく言われるようになった頃の話

毒親育ち

私が学校を卒業して、(ブラック企業へ)就職した頃からでしょうか。

毒母から「あんたばっかりずるい!」とよく言われるようになりました

そして、その言葉とよくセットになって言われたのは、「あんたとちがって、次女ちゃんはかわいそう!」でした

毒母は、私のどんな部分に「ずるい!」と言い続けるようになったのか?を振り返ってみたいと思います

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お金を毎月もらえるからずるい(いや、働いたら給料もらうのは当然なんですが‥)

私は就職氷河期における長い辛い就職活動を経て、とあるブラック企業にやっと入社しました。

そこは昭和の価値観をひきずるボロ企業だったので、新人は毎日就業時間前に出社して掃除やお茶出し、ふきんの消毒などの雑用から始まり、その後やっと自分の仕事につきます。

仕事は夜まで続き、帰宅は深夜という日々が続きましたが、周りの氷河期を共に越えた人たちも似たような働き方をしていたので、社会人ってこんなもんだと思っていました

ブラックでサービス残業も当たり前、なのに給料は薄給だったんですが、それでもお給料は毎月確実に出ます。

学生時代はバイトこそしていましたが、毒親から押し付けられた格安バイト(↓のツイート参照)にめちゃくちゃ時間とエネルギーを取られ、

いくら切りつめても苦しく、大学生の私はいつも同じ服ばかりを着て、穴の開いた靴をボンドで修理してはいていました。

大学のバイトよりもずっと多いお金をもらえて、本当にうれしかったことを覚えています

初任給の明細をもらって大喜びする私に、先輩が「今はうれしいかもしれないけど、すぐにに”なんでこれしかもらえないんだろう…”って思うようになるよ~」と笑われながら言われましたが、果たして本当にその通りでした

しかしながら、少なくとも、穴の開いた靴を履く必要がないくらいには、お金はもらえるようになったわけです

氷河期の就活ですら、全力で妨害してきた毒親

2色ドット模様のねこちゃんに遭遇しました‥かわいい!

毒母は、私が幼い頃から

毒母
毒母

あなたはぜったいに、一人暮らしなんてしないでね。

毒母
毒母

大人になっても、この家から会社に通うのよ。

私にしつこく、こう言い聞かせてきたんです

長年しつこく言われてきたために、このセリフは、私の頭の中に強烈にこびりついてしまいました

しかし、就活のときには、運悪く厳しい氷河期のタイミングでした。

ただでさえ就活がきつかったにもかかわらず、長年言われてきた「家から通える会社限定!」という毒母の言葉がどうしても頭から離れず、

無駄な縛りが加えられた中で、仕事を探さねばなりませんでした。

家から通える、と、勤務地を限定しなければ、仕事はもっと早く、こんなに苦労しなくてもみつかったかもしれません。

就職氷河期と毒母の実家縛りという二重のトラップの中、やっとのことでもぐりこんだのは、前述の、家から通えるブラック企業だったわけです

念願叶った毒母は、果たして喜んだのか‥?

長年呪いのように言い聞かされてきた母の望み通り、私は家から会社へ通い始めました。

母は望みがかなってうれしかったのでしょうか?

私にはあまりそう思えなかったのです。

それどころか、働きだして、時が経つにつれ、私に対しての当たりがきつくなってきた気がしました

具体的には、毒母から

「妹ちゃんは貧乏でかわいそう。それに比べてあんたは毎月お金もらえていいね」という絡み方をされるようになったんです

妹は学校卒業後も仕事が続かず、いつまでも親から小遣いをもらい、毎日夜遊びに励んでいました。

自主的に貧乏を選択しているようなもんです。

なのに、なんで定職に就き、日々仕事に忙殺される私とくらべて「妹ちゃんがかわいそう」なのか?

今考えても、全く理解が及びません

こんなのかわいそうでもなんでもなく、妹を甘やかし続け、就業の大切さを教えてこなかった、単なる親であるあなたの、教育の失敗ですよね?

しかし、当時は親が毒親ということに気づくことができていなくて、しかも「親には孝行をしなければならない」と思い込んでいた私は、

私

そうか‥

私だけ毎月お給料をもらえていて、妹はお金がもらえない。

妹はかわいそうなんだ

私は毒母の言う通り、そう思い込んでしまい、少ない給料の中から、遊び歩く妹に、定期的に小遣いをあげていました

おかしすぎますよね‥

お前ばっかり結婚してずるい。妹に結婚相手を譲れ!お前は1人で生きろ!

毒親のおかげで、人生開始早々から人間不信を極めていた私ですが、現在の夫には、出会った頃からなぜか嫌悪感を感じることがありませんでした

付き合いが続いていた彼とは、自然と結婚話が浮上してきました

仕事をしながら結婚準備に忙殺されていた私に、またはじまったんです。母の「お前ばっかりずるい」が…

私の結婚前後には、毒親との忌まわしい記憶は山ほどあり、未だに私を不快にさせます。

まず、親に「結婚を考えている人がいる」、と切り出したとき、母は目、鼻、口、顔じゅうの穴という穴を開いてびっくりしていました。

「鳩が豆鉄砲を食ったような顔、というのは、こういう顔なんだ…」と思いながら彼女の顔を観察していました

その後、私の結婚のことを親戚中に言いふらして回ったようで、そのことを小ばかにした顔をして私に得意げに報告しました。

あんたが結婚するって聞いて、みーんな驚いていたわよ!

「あんなおしゃれもしなかったティーコちゃんが、かわいい妹ちゃんより先に結婚なんてありえなーい!」って、みーんな笑ってたわよ!

ああおかしかった!

私を笑いのネタにして、大いに楽しく盛り上がったようで、母は大変ご機嫌でした

その後、わが家にあいさつにきた夫を見て、毒母はどうやら好印象を持ったようです。

彼は毒父と違い、キレたりせず落ち着いて話ができる人間だったからかもしれません

彼が帰った後、母は真顔で私にこう言いました

あんたの彼、あんたよりも、妹ちゃんのことをよく見てたわよ。

あんたよりも、妹ちゃんのことを気に入ったみたい。

お母さんにはわかる、間違いない

彼はあんたなんかよりも、妹ちゃんと結婚させた方が絶対にいい。

だって、あんたは結婚なんかしなくとも、一人で生きられるでしょう?

どうです?このセリフの数々からにじみ出るキチっぷりこれね、ぜんぶ実話なんですよ?

言われたことをそのまま、夫に話しました。

夫はとても困惑した表情で、「ティーコちゃんのお母さんが言っていることは、全く理解できない」と返ってきました。

でも、夫が困惑する顔を見るまで、私は

私

お母さんの言う通り、

妹の方が容姿がいいから彼もうれしいだろうし、

私が一人でも生きられるのは確かだから、彼と妹が結婚したほうがいいのかな…

と自然に思ってしまっていたんですよね‥

毒親から長年注がれた毒が、体中に、脳に、すみずみ行き渡っていた証ですね

私と夫の結婚話が具体的に動き出した後、毒母は夫を妹と結婚させることは諦めたようでしたが、次は「夫さんの同僚でいい人がいたら、妹ちゃんに紹介しなさい!」とうるさく言うようになりました

夫の同僚、つまり、会社員として真面目に生きる人達が、夜遊びばかりの無職バカ女と結婚したいと思うわけないだろう‥?

本当に毒親って馬鹿なんだな、現実見えてないんだと、当時を思い出すと、改めて唖然とします

というか、そもそも、妹の結婚相手の世話なんて、姉である私に押し付ける種類のものじゃないですよね。

自分が汚した汚いケツ(妹)は、自分で責任をもってきれいにするのが、人(親)の責任ってものではないでしょうか

奴らはそれがわからず、1人苦闘しながら生きる私に「お前ばかりずるい!」と言い放ち、罪悪感を抱かせて、厄介ごとを私に押し付け、何とかしようとしてきたんですよ‥

まとめ

私は親から与えられないものが多かったため(逆に奪われてばかりだった)、必要なものを手に入れるためには長い間、髪を振り乱しながら必死の思いで進まなければなりませんでした

そしてついに、必要なものを手に入れたとき、

毒親は、その手にしている結果だけを見て「あんたばっかり持っててずるい!恵まれてずるい!」とわめきました

それだけではなく、

(溺愛している妹が)持っていないのはかわいそう!かわいそうな妹ちゃんにもあげなさい!

と迫ってきたんですよね

私が努力で得たものにもかかわらず、持ってること自体をずるいといい放ち、

それを手にしていない(手にする努力をせずに、好き勝手に遊び呆けていた)溺愛妹にそれをあげなさい!と詰め寄ってきた。

私が成長するにつれ、毒親からは、このような言動を取られることが多くなったんです

親孝行教に洗脳されていた当時の私も、こんなことが続くと、さすがに「?」という思いがだんだんとわきだしてきました

その後しばらくして、毒親の「?」な言動にいよいよ追い詰められた私は、親のおかしさを確信して疎遠を決行したのですが‥

長年盲信させられてきた親に対して疑問がわきだしたこの頃が、そのスタート地点といえるのかもしれません

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