毒親がピンチに陥った時。家族の反応は?その2

毒親育ち

家族を支配し、害を及ぼす存在である毒親がピンチに陥った時には、家族は寄り添うどころか、冷たい態度しか取らなかった…

その1からの続きです

その1で記したように、毒父が人生でワースト3にはいるレベルの危機が訪れた時。

家族は誰一人として、父の悲しみに寄り添うことはありませんでした。

外からこの様を見ると、「父は1人で苦しんでかわいそう!」と思われる方もいるかもしれません。

しかし、彼と長年生活を共にした家族側からすると・・毒父がこれまでの間どのような関係性を家族と築いてきたのか

それが危機によって、あらわになっただけなんですよね。

父も、かつての家族の窮地の数々には無関心でした

それどころか「うるさいから黙れ」だの「俺を巻き込むなめんどくせえ」だの、弱った家族に追い打ちをかけるような態度をとってきたのですから…

また、私にとって、この父に起こった大きな出来事と、それに対する周りの態度などを近くで見続けることは、今後生きる上で役に立つような様々なことを学び、考える機会となったんですよね

この記事では、

  • リストラを受けて荒れる毒父の様子
  • そんな毒父の姿を見て(反面教師的に)学んだこと

このことについて記していきたいと思います

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リストラによってプライドの源泉(=会社)を奪われ、荒れる毒父

それを冷ややかにスルーする家族

父は会社からリストラを宣告された後。それはそれは荒れました

何で俺だけこんな目に遭うんだ!

なんで、長年がんばってきた俺が、会社を追放されなきゃならないんだ!

家では(いつも以上に)錯乱状態。暴れ、叫び、酒量が増える。

家族は冷ややかにその様子を横目で見ながら、仕事や夜遊び(※妹のみ)など、自分の人生を粛々と過ごします

荒れ狂う父、そしてその根底にある父の悲しみに寄り添うことなんて、誰一人、ただの一度もありませんでした

仕事が続かないのは社会が・会社が・人が悪い!俺は悪くない!

父はリストラ仲間と集まって酒を飲んだり、しばらくぶらぶらと毎日を過ごした後、やがて次の人生に進む気持ちとなったようです。父は、リストラ者専用のハローワーク窓口に通いました。

リストラ者専用のハローワーク窓口‥

当時は中高年のリストラ者があまりにも多く、こんなふうに、手厚く再就職をあっせんしてくれる仕組みがあったんですよね。

私は就職するタイミングが就職氷河期でした。

身銭を切って電車に乗り、汗をかき涙を流しながらいろんな会社を回って不採用を突きつけられていた自分の厳しい就職活動を思うと、とても信じられない厚遇ぶりでした。

貴族の就活かよ…団塊の厚遇はんぱねぇなぁ…と横目で見ていました

リストラに遭うまでは、長く1つの職場で働いていた父。

しかし、貴族仕様のハローワークで探してもらい、手厚く用意された職に就いても、何かと理由をつけてすぐにやめてしまいます。仕事は何一つ長続きしませんでした。

辞めてはハローワーク、辞めてはハローワーク。まるでなにかの行のように、それを繰り返していました

家に戻れば職場や人の悪口ばかりです。

仕事が続かないのはあの会社がおかしかったからだ!

職場の人間がおかしなやつばっかりだったせいだ!

仕事が続かないのはあの会社がおかしかったからだ!

俺は悪くない!

家族は相変わらず、父が大声でわめく様を、死んだ顔で聞き流していました。

とても不便な場所にある家に文句‥いまさらかよ

また父は、リストラに遭った後から、この住んでいる家が、どんなに不便な場所にあるのかについての文句をブツブツと言い始めたんです

は?

今さらかよ?

この住んでいた実家は、かつて父が突然、独断で住むことを決め、ついこないだ越したばかりだというのに、また引っ越し作業をしなきゃならなかった・‥という経緯がありました

「眺めがいい、自然豊か!いいところだからここに住む!」…父が抱いた、そんな大変メルヒェンな理由で住むこととなったこの家。

本当に泣きたいほど不便な場所にあったんです…

父以外の家族はこの家に越してからというもの、どこへいくにもバスや電車をいくつも乗り継ぎ、通勤や通学に毎日たくさんの時間やエネルギーを使うことを余儀なくされていました

しかし父だけは違います。彼だけはマイカーがある。どこに行くにも通勤もすべて自分の車で移動、ドアツードア。不便など感じることはなかったのでしょう

この家はいかに不便な場所にあるか。それによる時間やエネルギーの喪失はいったいどんなものか?

家族が日常的に、移動でたくさん苦労していることをを顧みるなんて、ましてや不便さを嘆く家族の声に耳を傾けることなんて、父はこれまで一度たりともなかった。

それがここにきて、やっと不便だとほざき始めるだと?今さらなにいってんだこのおやじ…

自分が勝手に選んだ家で、家族に長年不便を強いていたことに少しも思いもやらず、いざ自分が不便を経験してはじめて騒ぎ始める…?

怒りやいらだちがおさまらず、もう彼の言動など聞く気にもなりません

聞かなかったことにして無視して別室へ向かいました

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父を見て(反面教師的に)学んだこと

人は窮地に立つことで、すべてがむきだしとなる

父のリストラを通して見えたこと。

それは、人が窮地に立つと、下記の二点が恥ずかしいほどにむきだしとなり、それを隠し通すことが出来なくなるということでした

  • 身近な周りの人と、これまでの間、どのような関係を築いてきたのか?
  • その人の本性とはどんなものか?

父は長い間「正社員として働く会社員」という立場に守られていた。

そして彼はその立場をはき違えて、まるで印籠のようにかざして偉ぶっていました

あの会社の社員だ、ということが大きなプライドの源泉となり、いつも誰に対しても尊大な態度をとっていたんです。

しかし、リストラによってそのプライドの源泉を一気に失いました

立派な仮面を一気にはがされ、かざしていばれるものが、彼には皆無となってしまいました

その上、再就職をしてどの会社に勤めても、どれ一つ長続きしない現実。

その失敗の理由をじっくり考えることをせず、すべてを「会社が悪い、人が悪い」と周りのせいにして暴れる。すねる。八つ当たりする…

人には長年「人間辛抱だ」「俺は社会人として立派に働いていてえらいんだ(だから俺は威張って当たり前)」と偉そうに言っていた人間が、いざ会社という唯一のよりどころを失うと、とたんに情けなく、すべて他責の中年男性となった…

そんな彼の真の姿がむき出しになってしまったんですよね

また、父は家庭内で絶対的な権力者でした。家族は横暴で自己中な父の振る舞いに長年耐え忍んできました。

なぜこんな態度を取られたのか?というと、父は、毎月家族が生活するためのお金を持ってくる人だったからなにも逆らえなかったんです。

だって何かあると家族に浴びせる決め台詞は「おまえら、誰に食わせてもらっているんだ」なんですよ?

こんなこと言われてしまえば、特に子供なんて、父になにもいい返せません。卑怯な言葉です

そんな父が、リストラによって、家族を食わせる立場から転げ落ちた

食わせてもらってるから。しょうがなく父の横暴を許していた家族たちは、もはやそれに我慢し耐える理由などなくなったんです

だからといって「お父さん…かわいそうに、大変ね」と寄り添うような気持ちを持つも残念ながら一人もいません。なぜなら、私たち家族もまた、父からいたわりや寄り添いなどを受けたことが一度たりともなかったからです

父はこれまで、例え家族がどんなに苦しい状況にあるときでも「そんなの甘えだ」「俺はもっと辛く苦しいのにがんばっているんだ」と悩み苦しみをばっさり切り捨て、家族をなまけ人間扱いしてきました。

そんな仕打ちを長年してきた人間に、どうして寄り添う気持ちが湧くでしょうか…?

父とはこのことについて、改めて深く話したことがありませんでしたので、この一連の出来事をを一体どう考えていたのか。どんな思いを抱いてあの言動をとっていたのか?

その正確なことはわかりません。

しかし私は、この彼のリストラ劇の一部始終を間近で見ることで、父の本性と周りの近い人間との本当の関係性を嫌でも知ってしまいました

つまり、人が窮地に陥った時には、恥ずかしいほどに真実の姿が、周りとのこれまでの関係性が、むきだしとなるのだな…ということを知ったんです

「たったひとつのこと」にオールインして縋る危うさ

そのほかにも父のリストラの一部始終を見ていて、私は気づいたことがあります

それは、

「会社なり人なり団体なり、ただ1つのもの・ところを信じ切って、そこに思考停止状態で居続けてしまうことの危うさ」

これです

父は新卒から50代まで勤めた会社を自分のプライドの源泉に、居場所に、心身のよりどころにしてどっぷり浸かって思考停止状態でありつづけてしまった。

もはや、終身雇用という古き良き制度が日本から去りつつある雰囲気は当時からほんのりあったというのに、それを知ってか知らずか見て見ぬふりをしたのか、彼は思考停止状態で浸かり続けていた。

そんなところに、リストラに遭い、すべてを一気に失ってしまったんです

大きな喪失からの、今後の人生の再構築にはたくさんの時間やエネルギーを要し、そしてその間、周り(主に家族)への八つ当たりなどの二次被害がものすごかった…とにかく自分や自分の周りの人間へのダメージが大きすぎたんですよね

ここから私は反面教師的に、振り向けるエネルギーや視点を極度に一つにしぼり、そこに長年思考停止状態でいることの危険性、を学んだんですよね

没頭する対象をたくさんつくる…なんて大げさなことでなくていいんです

「こんな世界もあるんだな」と他のことや新しい物事に少し目を向けるだけでもいいと思うんです

そんなふうに興味の先をたくさん作っておけば、いざ何かを失ってしまった時、今後のよすがとなるものを探すときの選択肢が多く、それだけ受けるダメージは減るのではないでしょうか?

「たとえAを失っても、私にはBもCもあるしな」ということは安心、保険になる、といいますか‥

自分が身や心を捧げる対象を一つに絞り、そこに長年漬かり続けた人間が、「あなたはもう必要ない」と突然宣告されてしまったとき。

ある一点に人生やエネルギーをかければかけるほど、一点集中して、自分にはここしかない、と思考停止をしてしまうほど、それを失った時の悲惨さは計り知れない。

父の暴れる姿を見たことで学んだ事柄でした

反面教師としての毒父のふるまい

長年勤めた会社。もはや自分のアイデンティティとなるくらいに、父にとって存在が大きかった場所。

その場所を突然追われ、職を失った毒父は、取り乱し、暴れ、人に当たり散らし、不平不満のかたまりのような状態でいた。

私は父のその姿を横目で見ることで、人は窮地で様々な本性が嫌でもあらわになること、思考停止状態でひとつのことを生きるよすがとすることの危険性を学びました。

暴れる毒父はうざかったのですが、その姿を反面教師とすることで、生きる上でのいくつかの教訓的エッセンスが得られた。今後の人生に生かせるヒントを得られたという点では、ラッキーなことだったのかもしれません

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