前回の記事では、自分が成長するにつれて毒家族の異常性が無視できなくなってきた・(妹編)を書きましたが、
ここからはいよいよ本丸である毒親の奇行、まずは毒父のエピソードについて書いていきたいと思います
前回にも書いた通り、毒親からの恐怖による長年の調教により、私は幼い頃から、毒親によって「子供は黙って有無をいわさず親孝行教」にどっぷりと洗脳されていました。
洗脳されたその頭で、毒家族をどうとらえていたかというと‥
うちの家族はおかしいんじゃなくて、個性的すぎるだけなんだ。
だから、親のことをおかしいなんて思ってはだめなのに‥!!
しかし‥このように必死で毒親への忠誠を誓おうと思っても、それをどんどん上書きしてくる毒親の奇行により、心がゆれはじめたんですよね
私は必死に、日々心の中にわきあがってくる毒親への疑問を抑えつけていたのです。が、しかし‥
やつら毒親の奇行は、私が大人になってからはとどまるところを知らずどんどんエスカレートし、私の洗脳由来の必死の思いを上回っていきました
皮肉なことに、毒親が長年行ってきた、私の内部への「親が絶対教」の洗脳は、毒親自身の自己中きわまりない奇行によって、どんどん崩されていった、ということですね
毒親って、直情的で計画性がなくてバカなんだってことがわかりますね‥
要求だけではなく、気持ち悪い依存が増す
私が大人になるにつれ、↑のように、子供の頃とは段違いに様々な要求がエスカレートしただけでなく、気持ち悪くも、毒親の、私に対する依存が増してきました。
「どこか連れてって!」「これ買って!」とまるで子が親になにかをねだるようになり、妙に一緒にでかけたがるようになったんです
普通の親って、大人になった子には、どんどん干渉も少なくなっていくんですよね?
そして子には自立を促す。
毒親は逆でした。
大人になって、できることが増えた子供にどんどん甘え、よりかかって来るようになったんです‥
私の本心では、こんな毒親の態度に接すると、いつもどこか嫌悪感や気持ち悪さがわきでてくるんですよ。「親は絶対である」という長年の洗脳と、本心からわきあがる毒親へのネガティブな思いが体内で争っているような状態でした
大人になって働くようになれば、毎月お給料が発生して経済的にも豊かになり、行動範囲やできることだって格段に増えますからね。
毒親にとっては、「便利道具(搾取対象の子供)が大人になると、ますます便利に利用できるようになる!」と単純に喜び、ベッタリくっつきますます子供を便利に利用しまくろうとしていたのでしょう
社会人になったころの、毒父からされた唖然とするような仕打ちエピソードをここに一部ご紹介したいと思います
知人に引くほど値切りを要求して、私に恥をかかせた毒父
私が働いてしばらく経った頃、父親が「車を買い替えたいからいいディーラーを紹介しろ!」と私にいいました
私の知人に車販売会社に勤めている人がいたため、その知人を紹介したんです。
知人にとっても父にとっても、よいことなのだと思っていたんです、その時は‥
父はその知人から、新しい車を購入することに決めて、とてもいい車を紹介してもらい、私は知人に感謝の気持ちを伝えました。
ところがそれからしばらく後‥その知人、ではなく、知人の知人から、とんでもない情報が入ってきたんです
父が車を購入する際、ただでさえ”知人価格”として車を値引きしてもらっていたにもかかわらず、毒父は意地汚くも、さらに値引きを要求し、その上さまざまなサービスをするよう強引に迫り、知人はそれを泣く泣く飲んだ、というのです
知人は「ティーコさんのお父さんのご購入は、まったく売上にならないどころかマイナスだった‥上にも怒られてしまった」と嘆いていたのだそうです‥
知人は私に気を遣って、私にその事実を伏せてくれていたようでした。しかし知人の知人に愚痴をこぼしていて、それがたまたま私の耳に入った、ということでした
穴があったら入りたいとはこのことか‥と私は顔から火が出るくらいに恥ずかしくなり、すぐさま知人に父の愚行を知ったことを伝え、同時にお詫びをしました
父に問いただしたところ、謝罪どころか全く悪びれる様子もなく、それどころか
前に乗ってた車の方が高級で乗り心地がよかったなぁ!
この車は安っぽくて嫌だ!
あーあ、買い物失敗した!
とグチを吐きやがりました‥
父は昔から金に汚く極度にドケチな性質で、たとえ私の知人にであっても平気でドケチを発揮しました
いえ、なんなら
あんた娘の知り合いだろう?
だったらもっと安くしろよ!サービスでオプションつけろ!
と私を利用して知人に迫ったに違いありません‥目に見えます
お金とは、感謝の気持ちを伝えるツール
余談になるのですが、お金というのは物やサービスと交換するための手段、というだけではなく、
売ってくれた相手に対して「いいものを提供してくれてありがとう」「ここまで導いてくれてありがとう」という感謝の気持ちを表す大切な役目があると思うんですよね。
毒父にはそのような感覚を持っているとは到底思えなかった。
もともとの自己中ドケチ性質なのか、極貧出がゆえの根深い金への執着心からなのか‥それはわかりません
毒父は、お金を使って人への感謝を示す気持ちなど微塵も持ち合わせず、
「お金=たとえ汚い手を使ってもケチるものだ、出し惜しみするものだ、俺さえ得すればいいんだ」という考えが根深くあり、
そのためなら、たとえ娘の知人相手でも容赦なく要求をぶつけまくります。娘の顔をつぶすのだってお構いなし。自分の得のためだけにとことん強く主張し、そして折れた相手からこれでもかというほど絞りつくすんですよ‥
わが毒父は、こんなゴミみたいな自己中・自分さえよければいいという価値観で生きていたことがわかりやすく表されているエピソードですね‥
プレゼントした旅行先で不機嫌に。食事もろくに手を付けずふて寝する毒父
私が働き始めると毒親からのおねだり・無心がどんどん増えたのですが、つよく要求されたそのうちの1つに「旅行に連れてけ!いいホテルや旅館を探してこい!」というものがありました。
どうやらまわりの人が、子供から旅行に誘われたの♪と聞かされていたらしく、それを妬ましく思い、私を利用してどうしても実行させたかったようです
見栄や欲を叶えるために道具として子を利用する。毒親しぐさですねぇ‥
当時の私は薄給のブラック企業勤めで、旅行なんて楽しむ余裕などなく、もちろんいいホテルや旅館なんてまったく縁がなかったので、仕事の合間に人に聞いたりネットや本で必死に探して予約をし、旅行プランを練り、予約手配をしました
そして迎えた旅行当日。毒父の様子がおかしいんです。旅行中、なんだか知らないのですが不機嫌スイッチが入って無言になりました。
毒父は昔から気に入らないことがあるとすぐに不機嫌になり、平気で家族を何日も無視するような人間でしたが、それがまさか、このおねだり旅行でも発生するなんて・・
夕食は併設されたすてきなレストランで、地元の食材をつかったとても凝っていて、きれいで美味しい料理を用意してもらったのですが‥
不機嫌メーターがマックスになった毒父は、料理にろくに手を付けず、プイと横を向いてだまって、顔をゆがめてひたすらタバコをスパスパと吸い続けていました
その後「俺はもう飯はいい!部屋で寝る」と叫び、食事途中なのにプイッと席を立ち、1人で部屋に戻り、布団をかぶってふて寝していました
父がいなくなった席に置かれた、どんどん冷めていく、手付かずのおいしい料理。
当時の、ここまで用意した自分の気持ちを踏みにじられ落ち込んだ気持ちと共に、今でも妙に鮮やかに記憶しています
ブラック企業で働く中、要求に応じてひとり必死でねん出したプランニングの労力や時間やお金。何より私の真心を、いつもの毒父の不機嫌でぐちゃぐちゃに踏みにじられ、本当につらく悲しかった。
一方その時、共に旅行に来た毒母はどうしていたかというと‥
「お父さんっていっつもあれだからねぇーほんといやねぇー」と1人で酒を飲み酔っ払い、食事をガツガツ食らっていました
毒父に嫌な目に遭い、うなだれている私へのフォローなど皆無だったことが、ズタズタに傷ついた心をますますえぐりました
以上が、私が大人になってから毒親のゴミムーブがエスカレートし、毒親に洗脳されてきた私であっても、どうしても毒親にたいして疑問を持たざるを得なくなってしまった‥そのエピソードの一部(毒父編)を書いてきました。
次は毒母編を書いていきたいと思います
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