毒祖父、毒祖母についてー毒親の親は毒だった

毒親育ち

みなさんのおじいちゃん、おばあちゃんって、どんな人ですか?

テレビや物語で見るような、孫をとても可愛がったり真剣に心配してくれる優しい存在ですか?

私の祖父母はそんなイメージとは大きくかけはなれていました。どこか意地悪で、こちらを見る目が冷たくて、私にはいつも興味なさそう。

接するたびに、冷たさや意地悪さを感じて心が冷えていたんですよね…

まあ、あの毒親を産み育てたという時点で、普通の情愛というものが欠けた人間だということは、十分に理解できるところですけどね…。

この記事では、我が毒親を産み育てた祖父母のその心冷える性格や言動と、彼らとの嫌なエピソードの数々や、そして改めて思い知る毒親の異常さなどを書いていきたいと思います

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優しいおじいちゃんおばあちゃんって思いたかった…

私の祖父母は遠方に住んでいました。

祖父母の家を訪問すると、そのときは笑顔でいらっしゃいと声をかけてはくれるんですよ。

でも、彼らの行動やまなざしは、いつもどこか冷たいんです

悩み戸惑う外孫
悩み戸惑う外孫

気のせいだよね?祖父母って孫が可愛いんだよね?

信じたい外孫
信じたい外孫

だって漫画とか物語に出てくるおじいちゃんおばあちゃんって、孫が可愛くてしょうがないって

書かれてるもん!

私はそう思いたかったんです

でも…祖父母の家に滞在中、同じ時を過ごすうちに、祖父母の冷たさ、意地の悪さに嫌でも触れることで、私の心はだんだん冷えて、固まっていきます

そもそも私は、祖父母とまともな会話をした記憶が一度もありません

祖父母のほうからやさしく話しかけられたり、暖かい会話をした体験がゼロなんです。

強烈な記憶として残っているのは、私の言動を指差し、馬鹿にされて笑われたり、失敗をなじられたエピソードばかり…


でもね、よく考えてみると、あの毒親というモンスターを産み育てた張本人なわけです。

まともで普通で愛に満ちた人間なわけないんですよね…

毒親だって、生まれた時から毒を持っているわけありません。

やはり成育家庭が毒にならざるを得ない環境下だったから、ああなったんです。

私の両親がなぜ毒をもつようになったのか?それを以前、それぞれブログ記事にまとめましたが、毒親が毒親になってしまったのは、彼らがおかれた環境、そこにいた祖父母の悪影響が大きいに決まってるんですよね。

そんな私の祖父母は、あまり可愛がれなかった孫としての私の目からはこのように映っていました

  1. 特定の孫を可愛がる・平気で孫差別をする
  2. 親族の「私いじめ」に加担する
  3. 私に目を向けるのは手柄を立てた時だけ
  4. なによりあの猛毒親を産み育てた張本人である

一覧表にするだけで、ろくでもなさが漂っていますが…そのひとつひとつを、実際のクソエピソードと共に辿っていきたいと思います

特定の孫を可愛がる・平気で孫差別をする

こんなあたたかい交流、一度たりともありませんでした…

祖父母には同居の内孫がいて、その子を特別可愛がっていました。(※私にとってはその子はいとこにあたりますが、ここではわかりやすく「内孫」という表現をします。)

内孫と外孫(私)の扱いが違うというのは、他の家庭でもよく見る一般的な話かもしれません。

でも、わが祖父母はスペシャルな境界線を引いていました。

ひとことで言うと、内孫のために、外孫を使用人かベビーシッターのように扱いました

祖父母の家に訪問すると、私より年下の内孫たちは「ティーコちゃん遊んで!遊んで!」長旅で疲れた私に全力で向かってきます。

疲れたから少し休みたい…と思ってふと顔を上げると、内孫の背後から、祖父母の目が鋭く光っているんです。

私たちのかわいい内孫ちゃんを、しっかりお世話しなさい…!

目つきと顔で訴えてきます。

私はその空気を察知し、休む間もなく、強制的に内孫の世話に入ります…。

途中、少しでも内孫の気分を損ねたり、世話の手を止めるようなことがあると、内孫はすぐ祖父母に泣きつきます

泣き叫ぶ内孫!
泣き叫ぶ内孫!

おばあちゃーん!ティーコちゃんがいじめたー!

早く俺をいい気分にしろ!
早く俺をいい気分にしろ!

ティーコちゃんが遊んでくれないー!うわーん!

そうすると、祖父母はものすごく恐ろしい顔をして「ティーコちゃんはこの子達と遊べないのか、そうか」ぼそっとつぶやきます。

  • お前のことを何日も泊まらせてあげてるんだ。その間、内孫ちゃんの世話くらいちゃんとしろ。
  • 少しは役に立ったらどうなんだ。

その冷たく怖い表情と言葉から、私に向かってこんな暗黙の指示がとぶんです。

祖父母宅への滞在は長期にわたることも多く、私はその間、ずっとわがままな内孫の世話にあけくれて、本当に疲れていました。

一方我が両親はその時なにをやっているかというと、着いてすぐに親族達との宴会です。楽しく酒を飲みはじめていました

酔って大声で自分の自慢やマウント取りを始めていて、私の苦悩どころか子供のことなど我関せず。

わたしが子守に疲れてたまらず宴会場に転がり込むと、「子供はあっちにいってろ!」すぐに子供の集まり場に追い返されます。


また祖父母は、内孫のいたずらは笑って許すのに、私の不注意は決して許されませんでした

あるとき、私は不注意で、キッチンのおかずをリビングに運ぶ途中、皿ごと床に落としてしまいました。

そうするとまず毒母が飛んできて私を殴り、おかずをつくった祖母の元に連れていかれました。

この馬鹿者!なんてことしてくれたんだ!おばあちゃんに謝りなさい!

私は申し訳ない気持ちでいっぱいで、祖母に何度も何度も謝罪をしました。

しかし、どんなに謝っても、祖母は目すら合わせてくれず、私の謝罪を全く受け入れません。

それだけではなく、祖母はその後しばらく、私をそこにいないものとして冷たく無視しました。

母は「おばあちゃんが怒っている!お前がおばあちゃんにとんでもないことをしたせいだ!すべてお前が悪い!」と追い打ちをかけるようになじりました。

滞在中、私は生きた心地がしなかったことを覚えています。私がどんなに謝罪をしても耳を貸さない。いまいましい孫の存在をシカト。祖母の慈愛というものは微塵もない世界でした

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親族の「わたしいじめ」に加担する


このツイートで書いたように、私は親戚の伯父たちに嫌われ、時に陰湿といえるいやがらせをうけていました。

この時に撮った写真は大きく引き伸ばされ、焼き増しされて親族達の手にわたっていました。

祖父母はあろうことか、その、私の写っていない子供集合写真を、祖父母宅のリビングに飾りはじめたんです。

もし祖父母が、ただ一人写ることを許されなかった私の気持ちを少しでも配慮してくれたのならば、せめて写真は人目のつくところに飾ったりなんてしないですよね。

でも、祖父母は長い間、それをリビングに飾り続けました。

一度たまらず、祖父母宅のリビングに、親族達が集合しているとき、飾られた写真を指差して、「これ、私だけが写ってないんだよ!」と大声で叫びました。

大人たちは誰も何も言わず黙っています。その沈黙の中、私は母に口をふさがれ、廊下に連れ出されました。

「お前は黙ってて。お願いだから。みんなの目があるから」

私は、いじめから誰も守ってくれる人のいない冷酷な大人たちの中に放り出されていました

親ですら、いじめの首謀者の伯父、そしていじめ仲間である祖父母の味方でした。

そのときの味方が一人もいない絶望感、怒りの感情を殺された気持ちは、今でも忘れられません

私に目を向けるのは、手柄を立てた時だけ

もう意地悪な祖父母の家なんて行きたくないよ~(心で泣く)

毒親はとにかく祖父母にほめられたくて、認められたくてしょうがないんです。そのために、遠方の祖父母宅を、子供を連れてしょっちゅう詣でます。

その時は私を、祖父母に褒められるための道具として使用しました。

どう利用するかというと、たまに私が良い成績を取ったり、習い事で賞をもらった時には、その証拠を持ち、大声で必死にその内容を祖父母にアピールします。

そうすると、祖父母は一瞬こっちを向くかな?くらいの興味を示すんですよね。「ほぉすごいなぁ」たった一言を添えて。

そのたった一瞬の興味を引くためだけに、私は常に毒親から勉強や習い事を強要されていたんです。

それにしても、手柄をたてないとほめないって、戦国武将と家来かよって思いますね。

そこに愛が通っているとはとても思えません

そしてこれ以上褒められエピソードを私からしぼりとれないとわかると、私の失敗談を披露したり、私のその場での言動を笑いものにしたりと、私を嘲笑の道具として使用しはじめます

子供を道具として使用しつくすという感じです。祖父母は意地悪な顔をしてゲラゲラ笑っていました。

祖父母と写真、これらにはろくな思い出がない…

私がバカにされ、笑う道具にされた時の写真が一枚、実家に残っているんです。

親族の前でなぜか服を脱がされ、半裸にされた顔面蒼白の私。3歳くらいでしょうか。横には私の腕をつかみ、大口を開けてゲラゲラと笑う祖母の顔、親族たちが写し出されています。

率直に言って地獄の一コマです

なによりあの猛毒親を産み育てた張本人たちである

はい、この事実がある時点で、もう祖父母は普通じゃないことが確定していますね。

あの猛毒親を産み育てた。そして現在進行形で子供を苦しめるレベルのモンスターに仕立て上げ、野放しにした張本人たちです、まともなわけはありません。

これ以上の説得力の高さはあるでしょうか?いやない…

まとめ

いかがでしたでしょうか。我が闇の猛毒一族の、そのトップに君臨する毒祖父母の冷たい人間性は伝わりましたでしょうか?

祖父母の大半はすでに鬼籍に入りましたが、彼らが生み出しこってりと醸成させた毒は、まだ完全にこの世からはなくなりきっていません。

「毒の連鎖」という言葉が重くのしかかります。

この連鎖を断ち切らない限り、毒親への盲従、無駄なエネルギーの浪費、子にのしかかる余計な重荷、という様々なマイナスの荷物が、次世代へどんどん続いてしまうのです。

私は彼ら毒一族の群れから飛び出し、その連鎖を断ち切ろうと人生をかけて解毒をしていますが、果たして私が天寿を全うするその直前。一族の醸した猛毒が勝つか、私の解毒作業が勝っているか。はたしてどちらでしょうか?

命を懸けたチキンレースは続きます…

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