毒親が、宗教やマルチや、そういうものが大好きな理由

毒親育ちと搾取

わが毒親は、宗教とかマルチなどが本当に大好きでした

そういう人や団体を見つけては、自分から近づいていってどっぷりと依存し、その人や団体の教えや売り物を崇め讃えたり、自分の大切な持ち物(エネルギーや時間やお金)を簡単に貢いだり、

子供の私に対して、あんたもこの人(団体)はとても素晴らしいから一緒に通いなさい!とか、これを買いなさい、食べなさい!とか、子の私に強要したり‥といった行動を取っていました

どうして毒親はマルチとか宗教が大好きなのか?というと、

核家族での孤独な育児、そのさびしさのあまり、暖かそうな団体に寄ってしまう‥という理由も多分にあると思うのですが、

一番の理由は、生まれ育った毒親家庭の仕組みが、カルト宗教やマルチの仕組みととても似ていて、その慣れ親しんだ仕組みに魅かれてしまい、自ら寄って行ってしまうから、なのだと思います

この記事では

  • 子は幼い頃から「毒親家庭ルール」で生きるように、強制的に調教される
  • カルトやマルチに親しみを感じてしまう、哀しき毒親育ち
  • 毒親家庭とカルト宗教・マルチの似ているところ
  • 踏みとどまれるか、巻き込まれるか?分岐点での行動は、毒親への気づきの有無が大きい

こんなことを書いていきたいと思います

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子は幼い頃から「毒親家庭ルール」で生きるように、強制的に調教される


毒親家庭では、素直な感情を出すと、それを気に食わないとカッとなった毒親にボコボコにされます

特に、親や親の指示に対してネガティブな感情を持ったり、外に出すことなどは厳禁でした。

そんなことを少しでも表に出せば、毒親からの猛烈な否定や攻撃にさらされます

このように、毒親家庭では、親の言いなりに生きることを強要されます

少しでも毒親の気に障ることを言ったりやったりすると、徹底的に否定され罵倒されます。

それだけではなく、幼い子には命の危険を感じるクラスの暴力暴言を、毒親から浴びせられることもありました

こんな仕打ちを親からされた子供というのは、脳に傷がつくレベルでの衝撃を受け、これが強烈な”学び”となってしまうんです

どんな”学び”を得てしまうかというと‥

毒親育ちの子
毒親育ちの子

この家では、子供が親に歯向かったら命が危ない

毒親育ちの子
毒親育ちの子

だから、自分の感情を殺して

親のいう事をだまって飲み込まなければならない‥

毒親育ちの子
毒親育ちの子

この場所で生き延びるためには

自分の感情を殺して、親の指示や、

親の喜ぶことを優先してやらななければならない

…毒親育ちというのは、ごく幼い頃から、このような強烈な負のインプットがなされます

そうすると「自分より強い人には感情を殺して盲従し、その人が喜ぶことを(自分の心を殺してでも)最優先でやらなければならない」と、

生き延びるために、自分自身にこんな生き方を強いるようになるんですよね

家庭内でこのような生き方を植え付けられ、このような生き方を長年だまって行っているうちに、こんなとんでもない考え方がごく普通であり、慣れ親しんだものとなってしまうんですね

カルトやマルチに親しみを感じてしまう、哀しき毒親育ち


そんな毒親育ちが、カルト宗教やマルチ団体に出会うと‥「あっ、これ!(生まれ育った毒親家庭の)慣れ親しんだ雰囲気と同じ!」と喜んで自ら飛び込んでしまいがちなんです・・

そして誰に頼まれずとも盲従し、せっせと自分の大切な持ち物を貢ぎ続けてしまう。

そうなんです。宗教やマルチって、ありかたや形態が、毒親家庭ととっても似てるんです

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毒親家庭と宗教・マルチの似ているところ

宗教やマルチというのは、

教祖や代表者などのトップ(や指導役、上役など)が君臨していて、

そして、定められた教義やルールがあり、それが絶対のものと決められています

そこに集まる人はそれらを絶対視し崇拝し、上に立つ者や定められたルールの通りに動くことを求められます

もちろん、自分のことなんて後回し、自分の感情なんて二の次、です

まとめると‥

  • 絶対的にえらい人やルールがあって、それを絶対視する
  • 集まった人たちは、えらい人に喜んでもらいたい。
    →自分の持ってるエネルギーやお金などを差し出したり、言う事を聞いて、ルールに一生懸命従う
  • 居場所がほしかったり、仲間やえらい人からの称賛を得るために、自分の感情などは押し殺し、えらい人ファースト、団体ファーストで動いてしまう

これ、毒親家庭と仕組みがそっくりなんですよね‥

だから、毒親育ちというのはうっかり気を抜くと、まるで毒親家庭を模したような、宗教やマルチにはまりやすいのだと思います

このことは、毒親育ちの搾取子を経て、やがて自らも子から搾取を平気で行うわが毒母を長年見てきて気づいたのですが、

他人事のようにこんなこと言っている私も、ついうっかり気を抜くと、宗教やマルチのような形態の団体を、じっくりと見てしまうことがあります。何ならなつかしさすら感じるんです

毒親育ちにとって、カルトやマルチって、みているとうっかり心地よさを感じちゃうんですよ。

長年無理やり、生き延びるために順応してきた毒親家庭と、とても似た形態を持つ団体なのですから‥

でも、私は、自分の親が毒親だと気づき、長年搾取をされてきたことに違和感、そして怒りを感じるようになってからは、そのような団体に、以前のように強い魅力を感じることはなくなりました。

むしろ、毒親と距離を取るようになってからは、搾取に妙に過敏になり、少しでも搾取のにおいや、毒親に似たようなにおいを感じたら、すぐに警戒して距離感を持つようになったのですよね‥

踏みとどまれるか、巻き込まれるか?分岐点での行動は、「毒親への気づきの有無」が大きく関係している?


毒親育ちにとって魅力的にみえてしまう人や団体が目の前に現れた時。

わが毒母のように、なにも考えずに突撃していくか?

私のように立ち止まるか?

その違いは‥

生まれ育った毒親家庭のおかしさに気づけたか否か?違和感や怒りを感じられたか否か?を自覚できたかどうか、というのが大きく関わっているのではないかと思います

自分の生まれ育った家庭がおかしかったこと、自分の親が、ひたすら子から吸い上げる毒人間であることに気づかず、いえ、もしかしておかしさを見て見ぬふりをして盲信しつづけた毒母は、なじみ深い人や団体に向かって突っ走る人間のまま年を取り、

あるとき、毒親や毒親家庭に疑問を持ち、そこから距離を持つことができた私は、母のように、それらに容易に自ら足を踏み込むことはめったになくなりました

真逆ですね‥

まとめ

毒親家庭で生まれ育った人間は、それととても似た形態を持つ人や団体に親しみやなじみ深さを感じてしまい、フラッと近寄りがちです。

そのままつっぱしって、特定の人や団体を崇拝するか、それとも踵を返して距離を取るかは、かつて生まれ育ったなじみの毒親や毒親家庭を盲信したままでいるのか?それとも、疑問を感じておかしいと断じて距離をとったか?

という違いが大きな分岐点となるのでは‥?ということを書いてきました

でも、わが母がが老年になるまでそれを一切することなく、それどころか、産んだ子までも、ナチュラルに毒一族への搾取の犠牲にしたことを何とも思わず、突っ走り続けていることからわかるように、

自分の生まれ育った家庭や親を否定するというのは、ものすごく困難なことなんですよね。

毒親に気づき、突き放して疎遠にした私も、やはり、親や頼る実家がないというのはものすごいハンデだと感じますし、寂しさや苦しさはぬぐいされませんから‥

反面、そう考えると‥毒親から心身を離し、考え方の癖を取り去るべく苦闘して生きる毒親育ちというのは、

そんな、普通では耐えきれないレベルの大きな寂しさや苦しさを抱えて大変な思いをして、

毒親や、似たような人や団体から、

日々たった一人で、自分で自分を必死に守っているということですよね

それは本当に大変な大仕事ですよ‥

本来いちばんの味方である親がいちばんの敵(搾取の主)だという大変な状況下で、毒親によって歪まされた精神を必死に修正しながら、

毒親や、似ている人や団体から、自分を守るために、長年孤軍奮闘する毒親育ち。なかなかまわりの理解を得ることはないのですが‥本当にものすごいことを日々行っているんですよね。

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