前回の記事では、毒親育ちにとっては、搾取というものがあまりに身近で、時に自分から”搾取の渦”に突っ込んでいってしまう‥ということを書いてきました。
なぜかというと、生まれた毒家庭では、ナチュラルに搾取され踏みにじられ続けることが当たり前だったため、
家の外で出会う搾取するのが大好きな人や団体に無意識になじみを感じてしまい、つい自分からその危険地域や危険人物に近づいたり、大切なものを自分から差し出してしまうことがあるから、なんです‥
そんな毒親育ちのしみついた哀しい性を書いてきましたが、
今回の記事では
搾取されてしまう人(私)、搾取から身を守れる人。その違いを思い知る
ということについて書いていきたいと思います。
X(旧Twitter)で、とあるpostを目にしたのですが、そこで「普通の人って、こうして搾取から身を守るんだ‥」と驚き、
搾取があまりに身近だった過去を持つ自分との違いや、未だにその搾取根性のカケラが己の体内に残っていることを実感したんです
「搾取されない人」のマインドって、こうなんだ‥!
Xのタイムラインにたまたま流れてきた、この漫画↓を読みました
毎回遅刻してくる友人、というタイトルです
長かったのですが、とても興味をひかれて一気に読み進めてしまいました。
※以下、この漫画のネタバレをします!ご覧になっていないかた、そして結果を知りたくない方は、ご注意ください!!
‥このpost主は、待ち合せにいつも遅れてくる友人に対して、我慢の限界を迎え、怒りを表明し、友人を疎遠にしたんです。
私はこのpost主さんが取った怒りの表明や、疎遠といった行動に、まず「ん?」という違和感を持ったんです
そして、このことに違和感を持った自分に対しても驚いたんです
え、私、どうしてこのpost主さんの行動に違和感を持ったんだろう‥?
どうして違和感をもったのか?自分でもそれがよくわからず、そのまま寄せられたコメントや引用postをじっくり読んでいくうちに、なぜ私はpost主さんの言動に違和感を感じたか?に気づいたんです
私が毒親に搾取を許していた長い長い間。実家に住んでいた頃。
この人とはまったく逆の行動をしていたし、させられていたからで、
その搾取の残りカスが、未だ自分の体内にしぶとく残っていたせいだったんですよね…
私はかつて、人から待たされることが、日常でした。
でも当時の私は、そのことに特に怒りを感じることなく、「待たされれば待つのが当たり前」、と思っていたし、いつまでもぼんやりと待っていたものでした
ある時など、友人と待ち合わせして一時間以上も来ず、連絡もなかったので、心配しながら待っていたところ‥なんとその人は私との約束を忘れ、寝落ちしていたということもありました
その後、支度をする彼女のために、さらに一時間以上も待っていたのですよね
当時の私は、なんて粗末に考えられ、扱われていたのでしょうか‥
しかも粗末に扱われることを、特に怒ることなく、当たり前に自然に受け止めていた自分‥
過去のことであっても、ちょっと今では考えられない行動です
待たされることが当たり前ー粗末に扱われるのが当たり前、な毒親家庭
なぜ私はかつて、ここまで極度に待たされること、粗末に扱われることに抵抗や拒絶を感じることがなかったのかというと、
これはやはり生まれ育った毒親家庭での長年の扱われ方に関係してるんです。
毒親家庭では、子が親に待たされる=自分の時間を粗末に扱われる=自分自身を粗末に扱われる事なんて、当たり前のことでした。
毒親に待たされることなんて、それはもうめちゃめちゃ当たり前で日常でしたしね…
たとえば毒親から「ここに迎えに来て!」と突然連絡がきて、車で毒母を迎えに行った先で何時間もまちぼうけを食らったり、
「アタシのパートが終わるまであそこのスーパーで待ってて!」と突然指示がきたり‥
こんな扱いを受けるのが長年当然となっていたものですから、家の外でも人に待たされるとか粗末に扱われることなんて当然のことだったんですよね
またされて当然、時間やエネルギーを毒親に消費されて当然、という、毒親家庭由来の搾取体質が心底しみついてしまっていて、家の外でも、自分の大切な時間やエネルギーを搾取されることを何も疑問を持つことなく、受け入れてしまっていたんですね…
搾取にNOを言える人、されるがままに搾取を許してしまう人(私)
先に紹介したpostをした主は、そんな私とは全くの逆の行動を取りました。
彼女は「待ち合わせでいつも待たされる」=自分の時間や存在をいつも粗末に扱われることに拒否感・不快感を抱き、
そして自分を粗末に扱う人に厳しい言葉を伝え、そして疎遠にした。
恐らくこのpost主さんは、自分と自分の持ち物(自尊心や時間やエネルギーなど)を日常的に大切にできている人なのだと思います。
だからこそ、自分の大切なもの・大切なものである自分自身を守ろうという心の動きが自然に発生し、自分を粗末に扱う人をまっすぐに非難することができて、そして同時に自分を粗末に扱う人を拒絶する(=疎遠にする)、ことができたのでしょうね
翻ってかつての私は…
毒親家庭由来の搾取根性が骨の髄までしみついてしまっていて、
自分を粗末に扱う人に怒りの気持ちを持てず、そしてされるがままに、粗末に扱われることを許してしまっていた。
しかも‥つい最近このpostを読んでいてやや違和感を感じたということは‥
自分には未だにその気(搾取されて当たり前!なマインド)が自分の体内にしつこく残っているということに、改めて気づかされたのですよね‥
子供の頃にされてきた、毒親による搾取は本当に根深く私の体内に残っている。
まるで根が残っていつまでも生えてくるしつこい雑草のようです
次の記事では、かつての私のように、搾取され体質になりがちな毒親育ちが簡単に搾取されないようになるには、搾取から自分を守るためには、一体どんなことが必要なのかな?いうことを、自分の体験から書いていきたいと思います
https://teako2020.com/dokuoya-sodachi-sakusyu-kara-miwomamoru1/
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