「自分の親は毒親」と認めるのは、”自分の自然な感情”を肯定するためのファーストステップ その2ーどんな親であっても、「子が親を否定する」って難しいー

毒親育ち

その1の記事では、

  • 毒親家庭はどれ一つとして同じものはない。毒の出方がバラエティ豊かすぎる‥
  • 他の毒親育ちの体験談と自分を比較し、自分の悲しさや辛さを否定・抑圧してしまいがち
  • 毒親育ちは長年、毒親や社会から、素直な感情を出すことを禁じられてきた

ということを書いてきました。

「自分の親は毒親」と認めるのは、”自分の自然な感情”を肯定するためのファーストステップ その1
毒親育ちは毒親から、自然な感情を出すことを長年禁止されてきました。そのため、自分が辛かった・苦しかったという素直な感情を認めるのが難しいんです。素直な感情を肯定して認めるのは、毒の呪縛から離れ一人の人間として生きるのに不可欠なことなのに、です…

毒親育ちというのは、毒親や社会環境によって身についてしまった悲しい行動パターンによって、辛い・悲しいといった「自然にわきあがる本当の感情」を素直に感じることができなくなってしまっているのですよね…

こんな性質持ちのまま社会に出ると本当に苦労します‥

人と自然なやりとりができないんです。不満などをためこんでうまく出すことができず、ある日我慢の限界が突然訪れ、爆発してしまったり(実体験。それも何度も)

普通の人として、社会で普通に自然に生きることが困難になってしまうのですよね‥

この記事の続きであるその2では、↓↓↓のことについて書いていきたいとおもいます

  • どんな親でも「子が親を否定する」ことの辛さ苦しさ
  • 毒親育ちにとっての普通である、「大人になっても頭が親のことでいっぱい」という状態は、実はかなり異常なこと‥
  • 大人になった普通家庭育ちは、親のことなんか全然頭にない」という驚愕の事実
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どんな親でも、親を否定するのは、子供にとっては辛く苦しいこと

心に強烈に残る、毒親からのたくさんのひどい仕打ちの記憶。

そして未だに自分を縛る毒親からの命令や罵倒。

それでもなお、自分の親をどうしても毒だったと、悪だったと、認めることは、子供にとってはとても辛いことです。

子供はどんな親でも心の底では親を肯定したいし、自分はその親に、大切にされたって思いたいんですよね。

自分の脳が心がいつまでも「親がおかしい」「親は毒親だ」と認めることができない苦しさは、私もとてもよくわかります。

だって私なんて、こうして何年にもわたって毒親からの悪行の数々をブログやTwitterでバリバリと書き続けているというのに、

いまだに

やっぱり私が悪いのであって、親は悪くなかったのかもしれない‥

やっぱり、私が親不孝な考えで暴走してるんじゃないの?

こんな考えにとらわれて苦しむことがありますもの‥

余談ですが‥

ちなみに、これまで自分を観察しているうちに、こうして”親ではなく私が悪いんじゃないか?”と深く思い悩む時ってどんなときかな?という傾向がつかめたんですよ‥

  • 疲れているとき
  • 他に大きな悩みや心配事があるとき
  • 夜(一日の疲れがたまっている時)

このどれかのタイミング、もしくはこれらが重なったタイミングが多いんです。

つまり、心身が元気な状態では、このような考えに支配されづらいのかもしれない、ということですね。

心身の健康を保ってどちらも元気でいることは、自尊感情を持つことに必須、なのかもしれません

信じたくないんですよね。

自分の親は子供である自分のことが邪魔で嫌いで、大切にしてくれず、八つ当たりの標的や道具として粗末に扱われたことを‥

何かの間違いだった。子供は、本当は親は自分を大切に思っていた、だから自分のためにやってくれていた、と思いたいんです

親から大切にしてほしかったし、ずっと好きでいたいからこそ、かすかに残る毒親とのいい思い出や楽しい記憶に必死で縋り、粗末に扱われたことを脳レベルで認めたくないんですよね

子供って健気で哀れですね‥

大人になっても脳が毒親に支配されるっていうのは異常な状態

でも‥「大人になってもなお、いつでも脳内には様々な形で毒親からの言動が居座っている」という毒親育ちの状況を客観的に見ると‥

一人で生きられないから、毒親に怯えながらも一緒に暮らさなければならなかった小さな子供の時だったらまだしも、

こうして毒親から心身が離れることができる大人に成長した現在もなお、心や脳に、毒親のことあれこれが未だに深く巣食っていて、しかも現在もその悪影響に苦しまされ続けている状態って、これははっきり言って異常な状態ですよ‥

普通の親に育てられてたら、まずありえないことなんです。

普通家庭で育った人は、親のことなんてほとんど考えずに生きている!

以前、田房永子さんの著書を読んでいて、ある一節にとても驚いたことを覚えています

(どの著書かは忘れてしまいました・・思い出したらこちらに書きますね)

田房さんが大学生か社会人になりたてくらいの頃、まわりの友人や知人などの普通家庭育ちの人たちの様子を見て気づいたのだそうなのですが、

普通家庭で育って大人になった人というのは、日常的に、親のことなんて全然考えていないのだそうです

彼らの脳内は親の存在なんてほぼ0%

いつでも過去の記憶や命令やドロッとしたさまざまな毒親のメモリーが脳を覆い尽くされた状態の毒親育ちとは大違い。田房さんはこのことに驚いたのだそうですよ‥

大人になってもなお、毒親のことや、かつてされたひどい仕打ちの嫌な思い出で頭がいっぱいになってしまっている毒親育ちとは大違いですよね‥

私も、大学や社会で普通家庭育ちの人たちと関わりを持つ中で、田房さんと同じことを感じたものです。

普通家庭育ちの人たちは、親からされた過去の仕打ちの記憶に苦しんだり、そのせいで自分の人生が後退するなんてこととはまっっったく無縁。

彼らの脳内や行動の源はいつだって自分。「自分はこうなりたいからこのことをがんばる!」という風に、自分の人生のために行動や感情を全投入していました。

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普通家庭育ち「親のことを考えるのは、自分の時間や体力などに余裕のある時だけ」

彼ら普通親育ちが親のことを考えたり関わるのは、自分の余力があるときだけなんです。

毒親育ちのように、親のために身を削るような無理なんかしませんし、普通家庭のおやだって、そんなこと子にさせないんです。

自分の時間や気持ちに余裕があるときに親と一緒に過ごすだけの子供。

そんな子供に対して、普通家庭の親は「体に気を付けてがんばってね」なんてエールを贈っていて‥うらやましいですねぇ‥

大学生の頃、友人のお母さんが病気で長期入院したのですが、友人は近くの病院に入院するお母さんをそれほど見舞うことなく、バイトや勉強に励んでいたんです。

お母さん、近くの病院に入院してるんだよね?

お母さんのところ行かなくていいの?と彼女に尋ねると

お母さんからは、「あなたは今がんばっていることをがんばりなさい、こんなとこ来なくていいから、お母さん大丈夫だから」って言われてるの。

あんまりお見舞いにいくと、お母さんから病室を追い出されるんだ!

と明るく返されたんです

もしこれが毒親だったら…あれがほしいここが痛い、お前見舞いが少ないもっと病院に来い!と怒鳴り散らす我が毒親が目に浮かびます

普通家庭と毒家庭、子供に期待することって本当に大違いなんだなということがわかるエピソードですよね

このように、成長すると頭の中は自分の人生のことがメインで、自分の人生が拡大発展するために頭や体を使うのが、いわゆる普通といわれる人たちの普通の生き方なんですよね

それに対して、大人になってもなお、毒親の仕打ちからの後遺症や実害の数々に苦しみ、脳が、人生が、毒親に侵食され続ける毒親育ち。

たとえ血を分けた親であっても、自分以外の人間からされた仕打ちやその悪影響が、こんな長期間にわたって人生全体に及ぼされ続けているいうのは、とても異常な状況ということがわかりますね‥

「毒親の罪状」を認めることは悪いことではない

大人になってもなお、脳を侵食されつづけているほどの強烈な仕打ちを親からされてきた毒親育ちが、「自分の親は毒親だ」と認めることは、決して大きく間違っていることでも大罪でもないんです。

それでも、親をなかなか毒親と思い切れない毒親育ちの方というのは、きっと、毒親から長年ひどい目に遭い続けてもなお、心の奥底では「親を悪く思いたくない、親を守りたい」という強い気持ちを捨てきれない、とても強くて優しい心の持ち主なのだと思います。

でもその優しさはぜひ、これからは親ではなく、誰よりなにより大切にすべき存在である自分自身に振り向けてほしいです

毒親育ちのみなさんが持つ、その強さや優しさ、なによりご自身の大切な人生を、長年自己中の毒親に食い物にされ続けてきたこと、現在も食い物にされ続けて人生が膠着していることが、私はとても悔しいんです‥。

「自分の親は毒親だった」と認めることで、長年毒親に乗っ取られてきた自分の人生を取り戻すファーストステップを、勇気をもって歩み出してみませんか?

カレー沢薫先生「次のステップに移るために、一旦事実を認める」

「その2」の記事の締めに、私の大好きなカレー沢薫先生のご紹介と、先生の著書内の表現で、自分の親を毒親を認める・認めないで迷いがある方に響くのではないかな‥という言葉をご紹介したいと思います

カレー沢薫先生の漫画「ひとりでしにたい」5巻が発売され、さっそく購入して楽しく読みました!

この漫画は、独身生活を謳歌するアラフォー女子の”終活”を巡る苦闘を、とっても面白く書いた傑作です(私はカレー沢先生が大好きなので表現が大きくなります)

カレー沢先生は著書やコラム、SNSでいつも猫とユーモアがもりもりにあふれた素敵な作品を発表されていて、いつもお腹をかかえて大笑いしながら作品を楽しませてもらっています

先生は笑いだけではなく、どの作品でも心に残る名言を次々と連発されていますが、

私は先生の最新刊で最も心に残ったのが、この冒頭に書いた言葉なんです。

次のステップに進むために、いったん事実を認める。

ここまで生きてきた中で遭遇した、毒親を含むおかしな人や団体や出来事を、まずはおかしいと認める。

あれほんとやばくておかしかったな‥
→今後ああいうのに遭ったらそっと避けよう。

→遭わないように経路を設定しよう。

出会ってきたやばい人や団体を「やばい」と認め、そこで身に付けた見極め方や回避方法を心にしっかりと留め置くことで、今後進む人生では、これまで自分の人生を妨害してきたようなあれこれを極力避けて歩くことが出来るようになるんじゃないでしょうか?

カレー沢先生が漫画内でおっしゃっていたことと、私がこれまでブログで書いてきた、「今後自分らしい人生を歩むため、自分の親は毒親だった、自分は毒をなすりつけられていた、ということをいったん認める」ということ。

なんだか通じるものがあるな‥と思いました

またまた長くなってしまったので、その3に続きたいと思います

その3では

  • 自分が毒親って感じたら毒親!
  • 他の毒親家庭、他の毒親育ちさんたちとの「不幸の比較」は無意味!

こんなことを書いていきたいと思います

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