毒親

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毒親育ち

「子供の頃に戻りたい」なんて少しも思えない毒親育ち

毒親育ちは子供の頃に戻りたい、なんて少しも思えません。毒親におびえ、周りの人との付き合いに疲れ果てていたあの頃になんて戻りたくない。「戻りたい」と素直に考えられる人とその人生が羨ましい‥
毒親育ち

毒親仕込みの「必要以上に力んでしまう癖」。これをなくすために取り組んでいる事

毒親家庭では常に全身に力が入り緊張状態で生きていました。疎遠後もその名残・後遺症は心身に残り、常に体に無駄な力みがあります。この悪癖・後遺症を少しでもなくすべく実践していることを書いていきたいと思います
毒親育ち

毒親に「感情を出すこと・持つこと」を禁じられた子は、どんな”生き辛さを持つ人間”となったのか?

毒親は子が素直な感情を持ち、それを出すことを極度に嫌がります。怒りをはじめとした”身を守るための大切な感情”を奪われ抑え込まれた毒親育ちの私は、一体どんな生き辛さを抱えた人間となったのか?を書いていきたいと思います
毒親育ち

「怒りという感情は悪だ、持つな!出すな!」と毒親に強いられ、怒りの感情を殺す癖がついてしまった

。毒親家庭では、「素直な感情を出してはだめなんだな」と思わされることがとても多かったんです。特に怒りという感情を持ったり出すことを強く禁じられました。一体毒親からどんなふうに、私はそう思わされていたのか?それを書いていきたいと思います
毒親育ち

毒父に隠れていたけれど、毒母も子に結構なひどい虐待行為を働いていた

毒父の暴虐に隠れていて目立たなかったものの、毒母も相当あくどい虐待行為を子に働いていたんですよね。毒父からの暴力から子を守らず、自分だけ逃げる。「私がこの家庭を維持しているのは子供がいるから」と子に言い聞かせ、子に罪悪感を持たせる。最低ですよね
毒親育ち

「毒父からの恐ろしい虐待行為」を認めたり、言葉にして外に出すのにとても時間がかかった理由

毒親からの加害行為で命の危険を感じるレベルだったのは、毒父からのものでした。しかし、そのものすごく恐ろしい毒父からの虐待を、私は長年客観視や言語化することができませんでした。その理由をまとめました。
雑記

「無視されること」は慣れていると思っていたのに

毒親は不機嫌になると、私を無視しました。それが日常だったので、「私は無視されることには慣れている」と思い込んでいたんです。でも‥中学校で集団からの無視に遭ってから、それは間違いだということにやっと気づきました
毒親育ち

私が大人になるにつれ、毒家族の異常さが目につくようになったー毒母編ー

私が大人になるにつれ、毒家族の異常さが際立ち違和感を持つようになりました。この記事では毒母の奇行エピソードの一部をご紹介したいと思います。毒親によってなされてきた毒親教の洗脳が、毒親の奇行によって崩されるという可笑しさですね‥
毒親育ち

私が大人になるにつれ、毒家族の異常さが目につくようになったー毒父編ー

私が大人になるにつれ、毒家族の異常さが際立ち違和感を持つようになりました。毒親に長年されてきた「親孝行教」への洗脳が、皮肉にも毒親自身の奇行によって崩れてきたんですね。この記事では毒父の奇行エピソードの一部をご紹介したいと思います
毒親育ち

私が大人になるにつれ、毒家族の異常さが目につくようになったー毒親に溺愛された妹編ー

毒親家庭に生まれ育つと、その異常性に鈍感になりがちですが、やがて自分が社会人になりたくさんの人と関わる機会が増えることで、毒家族の異常性を嫌でも自覚する機会が増えてきました。エピソード1として毒親に溺愛された妹についてを書いていきたいと思います
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