その1では
- 毒親は子供をどのように利用し振り回し、疲れさせるのか?
- 子供の私はどうして必死に毒親をかばったのか?その理由
- 必死に毒親をカバーする子供にただ乗りしていい思いをする毒親
ということを書いてきました。
続きであるその2では、
- 子供に自分の武勇伝・愚痴・悪口を聞かせ続け、称賛や肯定を強要する毒親
- 毒親の愚痴のゴミ箱という「親の精神的世話」をさせられつづけた私は、どんな子供になったか?
ということを書いていきたいと思います
毒親から、愚痴や人の悪口、「オレの武勇伝」を無理やり聞かされてきた
「お母さんあのね!」と母におしゃべりする子供、その様子をほほえみながらやさしく受け止める親…暖かくて、でもごく一般的な普通の親子の姿、ですよね。
しかし。
我が毒家庭は残念ながらこれとは逆でした。
毒親が子供を利用するとき、お手軽に使われる方法の一つが、人の悪口や愚痴を、自分の子供に聞かせるというものなんです
毒親家庭では、子供が逃げられないことをいいことに、毒親の愚痴や「オレってすごい!オレのこれまでの武勇伝話」などを一方的に延々と幼い子に聞かせます
しかも、子供はただ聞くだけではだめなんです。
「お父さんすごかったんだね」「お母さんは何も悪くないよ」と毒親が満足するような、適切なあいづちを打ったりして、毒親の言うことを肯定をして、毒親を満足させなければなりません。
毒親が鼻をふくらませていい気分で去っていくと、「ああよかった‥いまの返事で、お父さん満足したみたい」と安心します
この役割‥普通親子逆ですよね‥?
こんな果てしなくめんどくさい作業を、毒親家庭の子供は、幼い頃から毒親に強要されるんです。そりゃ疲れるよ‥
子に「オレの武勇伝」を聞かせ続ける毒父。「俺はな、こんなにすごい人間なんだ!」
毒父はいつも、俺はこんなにすごい人間なんだ!こんなすごいことをしてきたんだ!という武勇伝や、小さい頃や若い頃に自分はいかに苦しい人生を生きてきたのかという苦労話を一生懸命幼い私に言い聞かせていました。
苦労話はまだわかります。
彼は原家族の中で猛烈な搾取子だったので、それは壮絶に搾取されてたのですからね‥
問題は武勇伝ですよ。武勇伝っていってもですね、その内容は↓
- 俺は勉強したことがないのに、いい会社に入ったすごい人間だ!(※時代とコネのおかげ)
- 俺は悪い仲間と、新卒の先生を泣かせて楽しんでいた!(※ただのクズ人間エピソード)
こういうレベルでした‥どうしようもないですね
子供ぐらいしか、すごいね!って聞いてもらえなかったんでしょうね
休日の日中や、特に休日の夜寝る前はいつも、毒父の長時間自分語りタイム。
寝床では子に物語を聞かせるのではなく、毒父の「俺の武勇伝・俺の不幸話」を延々と聞かされていたものでした。
おかげで、彼の創作だか事実だかなんだかわからない、彼から聞かされたものっすごいボリュームの話は、未だ私の頭にしっかりと入っています。
世界一いらない情報‥
そのおかげでこのように、毒父の生い立ちを詳しく記したブログまで書いてしまえるほどなのですよ‥
脳の容量もったいねぇ‥
毒父が自分話をするときはいつも、目がギラっとしていて、口の端に泡ができて、それを空中に飛ばしながら一生懸命口を動かしていました
「今日もすごい顔して真剣に話してるなぁ‥」と、私は父の顔や口や唾をじっと見ながら、彼の話を聞いていたものです
「そんな話、幼い子じゃなくて妻に聞かせろよ‥」って思いますよね?
毒母は、父の話をバカにして、聞くのを拒否していました
そのため、長女の私に話のゴミ箱役が回ってきたのだと思われます。妻と違って、幼い子は親を拒否できませんし、逃げられませんからね‥
人の悪口や愚痴を、長女の私に吐き出していた毒母
毒父のおしゃべりをバカにしていた毒母。
しかし彼女は彼女で、人のグチや悪口を、幼い私に日常的に吐き続けていました
特にパートの愚痴はものすごかった。
パート仲間の愚痴や悪口を毎日たっぷりと体に貯めこんでは、それを私に機関銃のように話します。
Aさんはリーダー格だけど、意地が悪くて裏で”Aババ”ってよばれてるのよ!
※私とAババは面識まったくなし
Bさんは若いのに家を建てたのよー!
でも立地がねぇ、そんなにうらやましく思えない場所よね
※私とBさんは(略
Cさんは勤務中におやつばっかり食べてんの!
だからあんな体型なのよね!
※私とCさ(略
このような、普通なら中年女性同士で言いあうような愚痴や悪口をたっぷりと、私は小学校低学年あたりから、毒母にほぼ毎日聞かされてきました。
おかげで私は、母の勤務先の同僚の人とは誰とも会ったことがないのに、同僚の人たちがどんな人か?家族構成、居住地などの情報が、幼い私の頭には入っていました。
世界一いらねぇ情報(2度目)‥こんなの記録しちゃった脳みその領域がもったいない‥
正月に、母宛に届いた年賀状を見て、
ああこれが、あの”Aババ”でおなじみAさんね‥
お習字で書かれた宛名。字がきれい
Bさんは〇〇町に住んでて、息子は高校生‥
趣味は水彩画‥
と、いらない記憶がさらに上書きランクアップされていましたね‥
毒母は知人の悪口だけではなく、夫=私の父親の悪口も、子である私にじゃんじゃんじゃんじゃん吐き続けていたんです
母親が、自分の夫=子供の父親の悪口を言うということ。
その模様と、子供に夫の悪口を聞かせ続ける行為は、子供にどんな悪影響をもたらすのか?については、また別のブログ記事にまとめました。
毒親の愚痴のゴミ箱という「親の精神的世話」をさせられつづけた私は、一体どんな子供になったか
幼い頃から、毒親のケア係や愚痴のゴミ箱状態。
まるで親の親のように、毒親の世話をさせられつづけた子供だった私は、一体どんな子供になってしまったのか?それを書いていきたいと思います
人間に対する印象が最悪になった
毒親によって、人生開始早々から、人間に対する印象は最悪になってしまいました。
毒母から大量の人の悪口をずっと聞かされていると、
きっといま私のまわりにいる人たちだって実は、
毒親がいつも愚痴ってるような嫌な人たちみたいに、嫌な人なのかもしれない‥
怖い‥
みんなニコニコしてるけど、
陰では毒母のように私のこと悪口めっちゃ言ってるんだろうなぁ
こんな色眼鏡で人を見るようになってしまいました。
その影響なのか、たとえ一時仲良くなれたお友達ができても、その子を心から信頼したり、長く仲良しを続けることは、私にとっては大変困難なことだったんです…
例えうまく仲良くなれたとしても、本当にちょっとした「あれ?」という出来事が少しずつ積み重なっていくと、「やっぱり人は嫌だな」という思いが日ごとに強くなってしまい‥
お友達といつも一緒にいるのが辛くなってきて、あるとき、自分から離れてしまうんです
”なかよしから逃げ出してしまう”ことが多かったんですよね‥
余談なのですが、人と仲良くなるのが困難な人間になってしまった他の原因として、私が幼い頃、毒父のきまぐれでしょっちゅう引っ越しをしていたことも挙げられると思います
いつもすぐに引っ越して別の場所に移るために、誰かと長くお友達になったり、じっくり人と仲良くなるという経験をろくに積むことができなかったため、「どうせせっかく仲良くなっても、すぐおわかれだし意味ないよね」という諦めの気持ちが心にできてしまったのもまた、私の人間関係構築の困難さに拍車をかけたといえます
長くなってしまったので、その3に続きます。
その3では、引き続き、毒親の愚痴のゴミ箱をはじめとした「親の精神的世話」をさせられつづけた私は、一体どんな子供になったか?ということを書いていきたいと思います
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