毒親は子供に世話をさせ、「子供が生きるためのエネルギー」をガリガリと削る その3 ー毒親のせいで疲れて動けないのに”怠けものだ”と責められるー 

毒親育ちは疲れている

この記事は、毒親は子供に世話をさせ、「子供が生きるためのエネルギー」をガリガリと削るシリーズの、その3となります

その1では

  • 毒親は子供をどのように利用し振り回し、疲れさせるのか?
  • 子供の私はどうして必死に毒親をかばったのか?その理由
  • 必死に毒親をカバーする子供にただ乗りしていい思いをする毒親

ということを、

その2では、

  • 子供に自分の武勇伝・愚痴・悪口を聞かせ続け、称賛や肯定を強要する毒親
  • 毒親の愚痴のゴミ箱という「親の精神的世話」をさせられつづけた私は、どんな子供になったか

ということを書いてきました。

毒親は子供に自分の世話をさせ、「子供が生きるためのエネルギー」をガリガリと削る その1
親は子供を守り導くという役割がありますが、毒親は子供の導きよりも何よりも、我欲を満たすことが最優先です。そのためには「子供を平気で利用」します。毒親に利用され続けた子供は、自分の人生を生きるためのエネルギーをガリガリと削り取られ、動けなくなってしまうんです‥
毒親は子供に自分の世話をさせ、「子供が生きるためのエネルギー」をガリガリと削る その2 ーグチを子に垂れ流し続ける毒親ー 
毒親は子の成長をアシストするよりも、我欲のために子を利用するんです。その一つとして、たまった愚痴や人の悪口を、子に吐き出します。子供は黙って毒親からの愚痴や悪口を受け止めるゴミ箱役を強制的にさせられます。その悪影響や後遺症についても記していきます

こちらのその3では、

  • 毒親のせいで疲れた子供になってしまったのに、その原因である毒親に「お前は怠け者だ!」と責められる理不尽
  • 毒親育ちは学校や社会でも「怠け者の烙印」を押され、自分でも自分のことを責めてしまう悪循環を生きる

こんなことを書いていきたいと思います

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毒親のせいで疲れた子供になってしまったのに、その原因の毒親に「怠け者」と責められる理不尽

これまでの記事でご紹介したように、私は幼い頃から、おかしな言動をする毒親の尻ぬぐいや愚痴聞きなどの毒親のケアを、日常的に強要され続けてきました。

毒親育ちは子供の頃から毒親にぶんぶん振り回されるんです。

そんな日々が続けば、いくら元気いっぱいの子供だって、疲れ果ててしまいます‥

毒親によっていろんな方向に利用され続け、疲れ果てる、毒家庭に生きる子供

しかし、毒親共は子を利用し、振り回し疲れさせていることに、恐ろしいほどに全くの無自覚なんです‥

それどころか・・毒親のせいでくったくたに疲れ果てている子に対して、

お前は怠けものだ!

子供のくせにのろのろしやがって!
もっとしゃきっとしろ!

家でダラダラしてないで

子供は外で元気に遊びなさい!(外に放り出される)

こんな風に、子供が悪い!お前は怠けものだと決めつけ、罵倒します

自分を振り回し、くったくたに疲れさせたその張本人・犯人から「お前は怠け者!怠けるな!」と責められるって、理不尽がすぎるって思いませんか?

毒親育ちというのは、幼い頃からそんな理不尽の中を生きなければならなかったんです‥

例えると、突然刃物で切りつけられ、血がダラダラ流れている状態だっていうのに、その切りつけた張本人から「おまえ血なんか流してんじゃない!お前はたるんでるから血なんか流れるんだ!」と説教されるようなものですよ。

毒親家庭という密室では、社会で到底適用されないような毒親ルールが堂々とまかりとおっている。

それは外からはほぼ気づかれにくくて、子はそのルールに従って、小さい頃から毒親から好き放題使役され、くったくたに疲れさせられる。

子供の疲れ果てたその姿を、毒親からは、一方的に悪だ怠けだと責められる‥

毒親家庭に生まれ、搾取対象の子として扱われると、自動的にそんな地獄のような子供時代を送ることになるんです

毒親育ちが子供の頃、一見やる気がなくて動きたくない子だったのは、決して怠けやめんどくさがりのせいではなく、人生開始早々から、子供を利用し続け、子供の生きる気力を奪ってきた毒親のせいなんだよ!ということを、いつも理不尽に使役され、罵倒され続けてきた子供だった私は、声を大にしていいたいのです‥

疲れた子供だった私

毒親の精神的ケアをさせられ続け、子供時代にすでに疲労困憊だった私

一体、どんな子供だったのか?その具体的エピソードを書いていきたいと思います

陽だまりで一人ゆっくりしたい。誰もいないところでゆっくりしたい‥

いつもおかしな行動をしたり、放っておくと危うい親を、私がしっかり支えなければ‥

グチだらけ、自分語りしたくてしょうがない親の話を、私がいつも受け止め肯定しなければ‥

いつも毒親のことで、こんな風に気が張っていた子供の頃の私。

幼い頃からもう心も体もクタクタでした

そのせいで、幼稚園でお遊戯中や、小学校の授業中も、私はいつも「お願い、早くこんな疲れること終わって‥今すぐにでも休みたい‥」と願っているような状態でした

そんなときにふと、暖かい陽だまりができている空き教室や、だれもすわっていないベンチなど、一人でのんびりできそうな場所を見つけては、そこで一人でゆっくりすごす叶わぬ妄想をしていたんです

この疲れる状況から逃げられないのなら、一人になれないのなら、せめて意識だけでも別世界に飛ばし、必死に現実逃避をしていたものでした

その場にぺたっと座り込む小学一年生。もう動きたくない。もう勘弁して‥

小学校に入学した時。

びっくりしたのは、小学校というのは、幼稚園と違って、やさしい先生の声掛けやボディタッチなんて一切なくなるんですよね。

毒親からろくな愛情をもらえずに愛情飢餓状態だった私は、幼稚園にいてくれた、やさしい先生からときどきもらったハグやタッチで、なんとか生きるエネルギーをチャージしていたのだとおもいます。

それが、小学校入学と共にまったくなくなってしまった…

それどころか、小学校というのは、冷たいコンクリートの教室に大人数で閉じ込められ、何をするにも監視され大声で号令をかけられ、それに黙って従うような集団行動を強要される日々だった。

わたしにとっての小学校とは、厳しい看守(担任は、鬼瓦みたいな怖いヒステリー教師でした)の監視の元、せまくて暗い、怖い檻の中に閉じ込められたのように感じました

そんな中で迎えた、小学校に入学して初めての運動会。

運動会って当日だけ運動すればハイ終わり!じゃないんですよね

当日のずっと前から、グラウンドにしょっちゅう集合させられ、どっかからわいてきたいかつくて声のでかい男性体育教師にメガホンで怒鳴られながら、外で行進とか出し物をずっと練習されられるという日々が続きます‥

私はこの運動会の練習で、毎日恐怖と疲労でくったくたになりました

いつものようにグラウンドで長時間どなられながら、出し物や行進をさせられていたとき。

春ののどか晴れわたった空を、鳥が気持ちよさそうに飛んでいきました

鳥を横目で見ながら、私は、

「気球にのって空に逃げる妄想」も大好きでした
「気球にのって空に逃げる妄想」も大好きでした

いま、空から大きな鳥が飛んできて、私だけを乗せて、ここから遠くに連れて行ってくれないかな‥

空に、誰もいない世界に逃げたい幼い子供‥
空に、誰もいない世界に逃げたい幼い子供‥

誰もいない遠い場所で、私は鳥と空を飛んだり、木の上でゆっくり暮らしたい‥

といういつもの妄想で頭をいっぱいにして、せめて辛く疲労ばかりの現実から意識だけでもそらそうとしていました

そして迎えた運動会の当日の朝。

体操着姿の私に、家の玄関の前で、親から「記念写真を撮るからそこに立ちなさい」と言われたのですが、私は朝からすでに、立つ気力もなく、無表情で玄関前にぺたっと座り込みました。

そのポーズは冗談も半分混じってたのですが、

私、すごく疲れてるんだよ。

運動会の当日朝の時点で、私は立ちあがれないくらい、めちゃくちゃ疲れてるんだよ

そんな本心からのメッセージを、必死で全身で表していたんだと思います。

全身を使ったそのメッセージはもちろん毒親になど微塵もわかってもらうこともなく、「早く立て!」と腕をつかまれ、無理やり立たされましたけれどもね‥

私はこんなふうに、1人のんびりできる場所でぼーっとするという妄想にすがって、疲れでいっぱいの日常を必死に生き延びていた子供でした

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家や学校で「怠け者の烙印」を押され‥自分で自分を責めるようになる悪循環を生きる

FotoRiethによるPixabayからの画像

子供の頃の私は、一事が万事、この運動会の朝状態でした。

いつも疲れていて、何かをさせられる時はいつも、やる前から「めんどくさい‥やりたくない」「お願いだから休ませてほしい」という気持ちでいっぱいだったんです。

力をふりしぼってやり始めても、疲れがひどく、続けることが困難で、途中で投げ出してしまうことも多かったんです。

私のその姿を、毒親や教師からは怠けや反抗ととらえられ、私は彼らからしょっちゅう怒られ、ときにげんこつなどの暴力をふるわれていました。

私が幼い頃から極度に疲れて思うように動けない子供だった、その本当の原因は、「毒親のせい。毒親に大量のエネルギーを奪われていたために、自分の人生に使うことができなかった」から。

今ならはっきりわかる、この本当の原因を、当時は誰一人わかってくれる人などいませんでした。

すべては私のせい。毒親も教師も、お前は怠けた子供だ、お前が悪いと私を責めるばかり。

責められ続ける私自身も、当然、この本当の原因に思い至れることはなく、

いつも親や先生に怒られてる自分は、こんなに怒られなきゃいけないくらい怠け者でやる気がなくて悪い子なんだな

こんなふうに、いつも自分を責めるようになってしまいました

事実は↓なのに‥

私が「疲れて動けない子供」だった本当の理由
  1. 運悪く毒親家庭に生まれ、毒親からのエネルギー収奪に遭い、子供の頃にすでに疲れ果ててしまっていた
  2. 毒親は子を疲れさせている自覚がゼロ。「お前は怠けた子供だ」と子供を責める
  3. 疲れて動けない、私のその姿だけを見た教師が「お前は怠けものだ」と責める
  4. まわりの大人たちに責められ続け、自分で自分を怠け者でダメな人間だと責めるようになる

私はこんな悪循環のスパイラルにからめとられ、いつも周りの大人から責められ、そして自分自身を責め、うなだれていた子供でした

まとめ

子供に自分の世話を平気でさせたり、平気で子供を利用するような毒親というのは、子供が幼い頃からいろんな方法で、子が生きるための力をガリガリと奪うんです。

それが子にとってどんなに害悪か、どれだけ極悪なことをしているかの自覚なんて毒親本人にはまったくありませんし、周りの大人たちにも、親からこれほどひどいことをされているなんて、理解されることなどめったにありません。

本当のことを理解されるどころか、周りには怠けたり、大人に反抗して動かない子供だとみられることが多く、疲れた毒親育ちは、助けられるどころかその逆。その態度を周りの大人からも怒られ否定されます。

まわりの大人たちからそんな扱いをされ続けると、毒親育ち自身も私は悪い子なんだ‥と自分をどんどん責めるようになり、子供の時点ですでに自己肯定感や自尊心なんて地の底です

毒親育ちというのは、こんな負のスパイラルを生きる過酷な子供時代を過ごす、いや、味方も助けもなく、その上自分で自分を責めながら、ひとりサバイブすることを強要されてきたんです。

まわりの無理解の中、おまえは怠けだとののしられ、休息も許されないまま疲れは増幅し‥地獄としか言いようがないですね

毒親家庭に生まれたというだけで、毒親育ちとは、子供の頃からなんという辛い日々を生きなければならないのかということを、この体験記からほんのりとでもお判りいただけたら、

「子供のくせに怠けやがって!」と無実の罪で教師や毒親から責められ続け、自分で自分を否定し、うなだれていたかつての私も、ほんのり浮かばれます‥

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