毒親から心身への暴力を受け続けることで、価値観はずれ、暴力に鈍感になる毒親育ち

毒親育ち

生まれ育った家庭内で、毒親から体と心の暴力を受け続けると、悲しいことに心身への暴力が身近な存在となってしまいます

この悪影響によって、心身への暴力を受ける痛みと与える痛み、そのどちらにも鈍くなってしまうんです

しかし、この毒親家庭内でしみついた「暴力は身近」な価値観は、社会に出るとみんなに嫌がられ、「やめて」「それは間違っている」と一斉に非難の的となります。

私は、まわりのみんなから非難されたり、衝突が起こることによって、社会では、毒親家庭ほど暴力が肯定されていないことにやっと気づいたのですよね‥

私はそのたびに

家ではこれが普通だったけど、
外では言っては(やっては)だめなことだったんだ‥

こんな驚きを覚えるとともに、間違いに気づく度に、毒親家庭でつけられた”間違った行動や考え方”を必死に直してきました。

しみついた価値観を一から変えるという作業はエネルギーを消耗します。疲れます‥でも、社会でやっていくためには、みんなが持つ価値観にむりやりでも変えていかなければなりません

「叩いたりなどの武力的な暴力はたとえ軽くでも人にやってはいけない」というようなことは注意を受けてすぐに止めることができましたが、暴力に対する鈍感な心や精神的な暴力に対しては、

肉体的暴力ほど「すぐに行動を変えなくてはいけない」という緊迫感・切迫感がなかったために、私は未だ鈍感なままきてしまったように思うのですよね‥

毒親家庭では普通だった”心身への暴力は身近である”という間違った価値観。

社会に出て、「それはおかしいよ」と友達やクラスメイトに指摘されたことで治せた部分治せずに鈍感になってしまったままの部分、それぞれのエピソードを記していきたいと思います

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「たとえ軽くでも、人を叩いてはいけないんだ。」指摘されて間違いに気づき、直した行動

小学校に入学して間もなく、私は、険しい顔をした、クラスの男の子たちに囲まれたんです

そして、「俺たちに暴力を振るわないでほしい」と言われました。

私は家でいつも親にされていたようにコミュニケーションのつもりでクラスの男の子を小突いたり軽くたたいたりしていました。

女の子はあまり暴力のコミュニケーションを好みそうでないことはわかっていたので、元気な男の子に限定していました。

暴力が染みついた人間なりにマナーを守っていたわけです

でもある日、私は男の子たちにそれを「やめてほしい」と真剣に言われたんです。

このことがきっかけで、私はやっと

元気な男の子相手であっても、ふざけて軽くであっても、
周りの子に暴力を振るうのはコミュニケーションじゃないんだ。

みんなにこうして怒られるくらい、だめなことだったんだ‥

と気づくことができたんです‥

自分にとっては暴力が日常で、家庭で毒親から小突かれたり叩かれたりというのはごく普通のことだったので、外でもそれが普通だと思い悪気なくやっていたために、これには本当にびっくりしました。

「わかった。いままでごめん。もうしない」と頭を下げると、男の子たちは去っていきました

この出来事によって、友達にはコミュニケーションとしての暴力を振るうことはよくないんだ、という衝撃の気づきがありました。

生まれ育った毒親家庭ではごく普通のことだった暴力のコミュニケーションは、社会ではたとえふざけてでも軽くでもしてはいけないことだというのを、同級生の子達からの注意でやっと気づくことができたんです

ただし、ガキ大将クラスから理不尽に殴られたり蹴られたときに限っては、されたようにやり返していました。身を守るための専守防衛です。

しかし、小学校高学年になるころには、このような理不尽な暴力を振るう子はいなくなったので、その後私が人に手をあげることは一切なくなりました

肉体的暴力とは無縁となった一方で、”精神的な暴力””暴力に対する心の鈍感さ”は、長く自分の中から追い出すことはできませんでした。

「自分が精神的な暴力を受けること」すら鈍感なままだった

理由なく人を無視する、いないものとして扱う、という行為は精神的暴力といえると思います。

私はこの無視という卑劣な行為を、幼い頃から不機嫌な毒父から日常的にされていたために、受けることに慣れすぎて鈍感になっていました

中学時代のあるとき、私はクラスの女の子たちからしばらくの間、集団無視に遭ったんです。

でも、そのことに対して特になんとも思わなかったんですよね‥

中学生ではすでに人との付き合いに疲れ始めていて、一人でいることが気楽だというふうに思ってしまっていたため、むしろ「これで人に気を遣うことなく一人ですごせるわ。ラッキー」と一人でのんびり過ごしていました。

人と一緒にいるのがしんどい。一人が一番落ち着く毒親育ち
毒親育ちは、人間へのイメージが極悪です。それは毒親という「嫌な人間の手本のような存在」を親として生き続けなければならなかった悪影響からです。人と自然に付き合うことができず、どんなにいい人と出会っても、仲良くし続けるのは至難の業。一人が一番ほっとするんです‥

ちなみに、仲良し同士でグループを組んで行く修学旅行も、はみでた子達をよせ集めたグループでした。

はみ出もの同士、それぞれが行きたいところとその時間を冷静に話し合いながらサクサク決めて実行するのは、それはそれで合理的でよかったです

無視をされてもいっこうに効果がない私に疲れたのか、何日後かして、無視した子たちの方からぽつぽつと話しかけられ始めたんです。

これが毒父の場合、家族で必死に機嫌をとってよしよししてやらないと毒父の不機嫌と無視は終わらなかったので、毒父のほうがずっと扱いが困難でした。

私を無視していた子から話しかけてくれるんだ‥
私から必死に機嫌取りしなくてもいいなんて、
みんなうちの父よりずっと大人で人間ができてるなぁ‥

と逆にへんな感心をしました

ここでの考え方もまた、ふつうとはダイナミックにずれていますよね‥

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このように、暴力にまみれた毒親家庭で生まれ育つと、暴力とは無縁な普通家庭に生まれ育った人たちとは全く違った価値観を持つこととなります。

それらを、普通育ちの人との衝突によって「ここは私が間違っているんだ。治さなければならない」といちいち訂正しながら生きることを強いられます。

この作業は本当に疲れ、エネルギーがそがれます‥

毒親育ちが疲れているのは、この生まれ育った場所で培った価値観と、一般の価値観を常に比較や訂正をしながら生きなければならないという途方もないエネルギー消費が伴う作業が必要だから、なのかもしれません

価値観や考え方を、変える努力によって変えられる部分と、引き続きしみついてしまって取れない部分がありました。

武力による暴力こそ振るわなくなりましたが、中学時代の私が受けた集団無視に鈍感であったように、今の私もおそらく、無視などの精神的加害行為や、自分が受ける加害行為については、普通の人よりもずっと鈍感なままかもしれません

無視はたとえ自分がされたところでまわりに迷惑はかからないし、何より人と懸命に関わるよりも、人から無視されて一人でいたほうがよほど気が楽、と自然に思ってしまうために、強制的に直す決意が先延ばしのまま、ここまできてしまったのですよね‥

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