まだ日本が豊かだった頃、私は子供でした。
当時の教師や親はいわゆる団塊世代。彼らは戦後直後に生まれ、その後は高度経済成長〜バブルという豊かな時代を生きていた世代です
ちなみに、彼ら団塊の世代はいま、年金の面で一体どんなふうに豊かを享受しているかというと‥
団塊の世代が受け取っている給付額は1985年に支払った社会保険料の2.2倍となっている。
団塊世代は社会保障を明らかに「受け取りすぎ」…現役世代・将来世代はまるで「高齢者の奴隷」!?【経済学者が解説】
要するに、支払った以上に給付を受け取っているのであり、この差額は現役世代や将来世代の負担に他ならない
うらやましいですね‥
Xでの拾い画ですが、団塊以降との違いはこう↓だそうですよ‥
やや話がずれましたが‥そんな団塊世代の中の親教師の一部には、昔の話をひんぱんに子供に聞かせたり、授業や演劇や合唱などの機会を使って昔の文化や昔の遊びなどを子供に体験させる機会をたくさん取ったりして、「昔の遊びは今の遊びよりももっと工夫されていてすごいんだ!」ということを子にしらしめるのが好きな人たちが一定数いて、私たち世代が子供の頃には彼らの薫陶()をたびたび受けたものでした
昔を懐かしみ、昔のよさを知る。自分のルーツや先人のことを知るというのは、とても大切なことだとは思います。
しかし‥当時私が度々受けてきた、この一部の大人たちによる”昔をしっかり振り返ろうキャンペーン”には、なにか他の意図がが含まれているように感じていたんですよね。
でも、小さい子供には、うまく言語化ができなかった。
私が感じ取っていた「団塊世代だった親教師たちから、昔を振り返ったり、子に体験させる言動に見える他の意図」、これは一体何だったのか?を今改めて考えてみると、
- 昔の事物を引き合いに出して、(当時の)現代を生きる子を軟弱だ!と責めたり、
- 現代を生きる子が熱中するゲームとかそういう最新の遊びを否定したい
こんな(当時における)現代を生きる子に対するネガティブな念、だったんじゃないか?と思うんです
その根源は、
俺たちは子供の頃にこんなに豊かな生活なんかできなかった!
今の子ばっかりずるい!
という当時の現代を生きる子達への原始的な嫉妬のような思いで、
それを「しつけ」とか「昔をしのぶ」というきれいな皮に包んで、子供たちにぶつけていた団塊世代の大人が残念ながら一定数いて、私はそれをほのかに感じ取っていたのではないかと思うんです。
もしそうであるならば‥子供に対して、自分のフラストレーションをぶつけ、大人の自分の立場を使ってそれを自分にも他人にも正当化するような、そんなやり口ってずるくて卑怯ですよね
しかもいま、私がたとえ親や教師になっていたとしても「今の遊びより昔のファミコンとかのほうがいい!やってみろ!」って子供に昔自分が楽しんだ遊びをもっともよいものだとして押し付けようだなんて少しも思いませんよ‥そんなふうに昔を推してくる、押しつけがましい指導している現代の親や教師なんて、そうそういないですよね‥?
昔の遊びや劇や歌を、子に異様にやらせたがり、称賛させたがった“その類の”教師
私たち世代が子供の頃、ある一部の先生、(学年全体を牛耳ることができる主任クラスに多かった)は、授業や課外活動などで何かにつけ”昔の人の苦労話”を聞かせたり、昔の遊びに取り組ませたり、昔のわらべ歌や昔苦労した時代の日本が舞台の劇なんかを子供達に折に触れてみっちり取り組ませるのが大好きでした
子供が昔に触れる機会を、授業や学校行事を通してめちゃくちゃ多く取っていたんです。
その度に、
お前たち現代の子供!昔の人たちの苦労をちゃんと見なさい!
ほら、それに比べて現在を生きるお前たちは甘いってことがわかるだろう!
先人の工夫や苦労を偲ぶだけではなく、こんなふうな、現在や現在を生きる子へのディスをなにかとくっつけてくるんです。
当時子供だった私は、現在の子供の楽しみや、子供のこと自体を否定されたり、ケチをつけられていた感じがあったんですよね
しかし、それに対して子供は空気を読んで、親や教師が望むような答えを必死にしぼりだすんです。
「昔は大変で昔の人はすごかったです。今の子は軟弱です」
こんなふうに、その類の大人が望むような感想を言葉や作文にすると、その類の教師や親は満足した顔をしてほめるんですよ。
しかし…この類の大人というのは、例え子世代に自分の思い込みをどれだけ押し付けても、その上子から望み通りの感想をしぼりだしても、どうやらいつまでたっても満足しないようで…何かあれば「お前たちは恵まれ過ぎている、軟弱だ、お前たちの熱中するものはくだらない」とネチネチ言ってたんですよね。
お前ら子供が今熱中してる新しい遊びなんてくだらない!昔の遊びは工夫が必要なすごいものだ!
この類の大人は、例えば昔遊びや文化を子に取り組ませるだけでなく、それらと当時子供に熱狂的に人気のあった最新の遊びを比べて、「昔の遊びは頭を使う。今の遊びは頭がバカになる。軽薄だ」とか何かとディスるんです
彼らからの言葉には、「今の遊びなんか思考停止でやれる甘ったれたものばかり、物のない中で工夫してあそんだ昔遊びこそ至高!」みたいなジトッとした重苦しい「現代の遊びディス思想」が乗せられていることを感じていました。
私が子供だった当時はファミコン黎明期で、テレビゲームという新しいおもちゃに子は目を輝かせ、夢中になっていたものでした。友達のお兄ちゃんにコントローラーを渡され、マリオを生まれてはじめて右に動かしたときの感動は、40年近くたった今も未だに忘れられません‥
しかしゲームのことは、親や教師などのその類の大人たちは謎に目の敵にしていて、折に触れディスられていたんですよね。
「ゲームってこんなに魅力的で楽しいのに、これを楽しいと思ってはだめなのか」と心のどこかで楽しむことへの罪悪感を持たされていたように思います
しかし。その類の大人にあれほどディスられていたゲームは現在、日本だけでなく世界中から熱狂的に支持され認められるものすごい存在になりましたよね。
その黎明期に誕生したファミコンに夢中になった子供たちを、当時ろくに知ろうともせずに一方的に馬鹿にし否定したその類の大人たちっていうのは、いま改めて考えても「見る目がなかったんだね…」と思ってしまいます
そう、しかもその類の大人というのは、自分たちが否定しなにかにつけ批判する“子供が熱中している最新の遊び”というものが一体どういうものかを知るために実際に遊ぶようなことはせず、ただ見た目や思い込みで闇雲にくだらない!と批判するばかりなひとばかりだったんです
実際どんなものかを知ろうともせず、知らないままに闇雲に批判するなんて、「ただ子供が熱狂して楽しんでる姿を見てイライラして言いがかりつけただけじゃないか」って言われてもしょうがないですよね
今は私は「大人の世代」として生きていますが、
例えば、彼らのように、わたしたち世代が夢中になった昔の遊びと令和の最新の遊びを比べて「だから今の遊びはだめだ」なんてディス行為をしたいなんて微塵も思いません…あれ本当に何だったのでしょうね?同じ大人の立場になった今でも、まったくわかりません。
だから、当時の大人の、最新の遊びに興じる子供への妬みとか嫉妬とかで、そういうのを「昔の遊び」を引き合いに出して悪口ぶつけたかっただけじゃないの?‥と今思い返してもそう考えてしまうんですよね
今の子供は軟弱!そう言いたいだけとしか思えなかった悪趣味なテレビ番組
“昔は良かった、今の子は軟弱、今の子がやってることはくだらない”・・そんな結論ありきで、現代の子供をディスる。そんな悪趣味がさく裂していた当時のテレビ番組があったことを、私は未だに鮮明に覚えています。
それは80年代終盤の頃でしたでしょうか、当時の私と同世代の小学生たちを夏休みにあつめて、「子供たちに戦時中の暮らしを体験させる」というドキュメント番組でした。
和風の古い建物に寝起きさせられる子供たち。食事は毎日戦時中のようにすいとんと芋だけ。あとは昔の大変な家事などをさせられ、子供たちは空腹で力が出ず、徐々にぐったりしはじめます。
そんな子たちをカメラで写しながら、ナレーションでは「ほら見てください!贅沢な生活を送る今の子供たちは、こんなに軟弱なのですよ」みたいなナレーションが断続的に入るんです
撮影期間がやっと終わり、近くのスーパーになだれこむように入ってアイスやお菓子や好きな食べ物をうれしそうに買い食いする子供たちを、またカメラは舐め回すように撮りながら、「現代の子はこんなに贅沢に慣れていて本当に軟弱なのだ。日本はこれで大丈夫なのだろうか」みたいな嫌味なナレーションで締められていた。
…なんかここまでくると大人による子いじめじゃない?悪趣味すぎない?無理矢理昔の大変な時代の事物を何日も押し付けられてぐったりするのは当然なのに、さも子供たちが軟弱だと言い募って。
(当時の)現代に生きる子をどうしても悪い弱いって言いたいだけじゃないの?
じゃああなたたち大人が同じことを元気にやってみてくださいよ?毎日すいとんだけ食べて昔の大変な家事して、それでも元気に何日も暮らせるの?まずはテレビ撮ってるあなたたち大人がお手本みせてよ!
…当時の私はこの番組へのもやもやを、こうして具体的に言語化することはできなかったのですが、なんか子供たちばかりが軟弱で悪いと責められているような嫌な番組だなぁ‥と、見た後子供心に不快感が残り、長らく忘れられなかったんですよね
今思い返しても、「(当時の)現代の子は弱い」という結論ありきで製作された、悪趣味きわまりない番組だったなと思います。
(一部の大人は)自分たちよりもずっと豊かに生きてる目の前の子たちが、ねたましかっただけでは?
豊かな時代に生まれ豊かを幼い頃から享受する当時の子供は、一部の親や教師からやテレビ番組などからも、なにかと否定される言葉をぶつけられてきたために、「私たちはいけないの?いけないと思わなきゃならないの?」と当惑させられることが少なくありませんでした。
そんな、大人たちからの注意や指導の一部というのは、指導の皮をかぶったその実、「自分たちが味わえなかった豊かさや最新の遊びに興じる目の前の子供達に嫉妬のような思いを持ち、子世代に”目の前の豊かさに浸る事”に対する罪悪感を持つことを押し付けた嫉妬じみた行為」であったのが少なくなかったのではないか?と今になっても考えてしまうんですよね。私の穿ちすぎでしょうか?
おわりに
昔の事物や先人の苦労を知り偲ぶことはとても大切な事だと思うのですが、それを「“苦労知らずの次世代”に対して啓蒙する材料として悪用」し、自分が味わえなかったことを今楽しく味わっている子供に八つ当たりしたり、大人の立場を使って下の世代をいびって鬱憤を晴らしたりしてるとしか思えない言動をする大人たちがいる…
私が子供の頃には、そうとしか思えない言動を、仕打ちを、子に与えてくる大人が一部存在していたんですよね。
子供たちはそんな大人たちから無駄な罪悪感を持たされたり、自己肯定感の低下を招くような言動を取られていたものでした
あの大人たちの言動は、本当にずるくて嫌な行為だったな…と自分が大人になった今思い返しても、そんなふうに思います
大人になった自分は、果たして次世代を生きる人たちに対して、かつて嫌なことをしてきた大人たちのような嫌なこすいことしていないかな?と振り返る反面教師にこそなりますけれどもね‥絶対にあんな大人になんてなっていたくないものです
そういえば「お前らばかりずるい!俺らを労われ、味わった苦労を体験しろ!」というマインドはまんま毒親の持つスタイルですね。これはもしかして、団塊世代前後の人間たちの、世代的な思考の癖、なのでしょうか…
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