私には妹がいます
少し年下です
彼女は見た目にとても恵まれていて、ちいさなころから可愛い、可愛いと周りから言われていました
彼女もそれには自覚的で、幼いころから男女問わずたくさんの友人に囲まれリア充でした
私はというと、「妹かわいいよね。お姉ちゃんは・・・えーと・・・」といった感じでした
端的に言って、見た目格差が大きい姉妹だったうえ、周りや親からの扱われ方も天地ほどの差がありました
見た目に対する親の態度
見た目格差について、普通の親はなにがしかのフォローを入れたり、見た目に恵まれなかった子を少しでも可愛くみせたりほめてあげるなどの行動をとるのでしょうか?
我が家には全くありませんでした。
それどころか「近所の〇〇さんね、妹ちゃんは可愛いけど姉ちゃんブスねって笑ってたわよー」
とゲラゲラ笑ったり、
「知り合いの△△さん、妹ちゃんとあなたの顔が似てるっていうの!あんたと妹ちゃんの顔、一体どこが似てるのよ?失礼な人ね!」
と真剣に怒ったりしていました
私の見た目を悪く言ったり、妹と比較して笑う人と一緒に笑い転げていました。私の顔を見ながら。
いやー無邪気で自分の心に正直なひとですよねー自分の親ながら本当に。はあ未だにむかつく…
ちなみに、私の顔を馬鹿にする親のそばでは妹も一緒に笑い転げ、周りの人に「お姉ちゃんと似てるね」と言われると、あからさまに不機嫌な顔になっていました
女の子にとって、容姿を評価されるのって、けっこう小さくても過敏に反応してしまうし、それがネガティブな評価だと大きく傷つくんですよね
私は長らく、自分の姿を正面からまともに鏡で見たり、自分が写った写真を見ることができませんでした
自分は醜いに違いない、醜い姿を確認したくない。と本気でおもっていました
だって産んだ親がブスだと笑うほどの容姿なんですからね…
だけど今、改めて私の子供の頃の写真を見ると、ごく普通の顔立ちなんですよ
妹が容姿に恵まれていたから、並ぶと劣るだけで、本当に普通の子供の顔です
親のささいな言葉や態度によって、いかに子供は感情が大きく振り回されるかということがわかります
姉妹間で気質も違いすぎる
妹は、私の目から見ると、私の人生と比較すると、自由に好きに生きていました
やりたくないことや、嫌なことに直面すると、すぐにやめる。
親を含めて、人から少しでも嫌なことを言われると、すぐにすねて不貞腐れる。
見た目が可愛いので、途中で投げ出しても、すねて不貞腐れても、その姿を可愛い可愛いとちやほやされるため、そのまま自信に満ちた大人になりました
一方私は、妹のようにちやほやされたことが全くないため、幼いころから
- 私には妹のようにほめそやしてくれるような人はいない
- 私の元には誰もいないし来ないので、たった一人で生きられる力を付けなければならない
という覚悟が否応なしに生まれていました。
そこが逆に可愛げがないと、大人たちに嫌がられたりもしました
特に親戚のおじ達からは「かわいげがない」というようなことを結構言われていました
私は何をどうしても裏目に出て、どうしたらいいんじゃと幼いころはいつも不貞腐れていたように思います。
そこがまた周りの大人たちが(略)という悪循環の中を生きてきました
当時の写真には、満面の笑みで写る妹の横で、笑顔もなく暗い表情の私がいます
陰と陽のような、対照的な姉妹でした
姉妹の扱われ方が違いすぎる
親に対してすねる。反抗的な態度をとる。
私にとってはとてもとても恐ろしくてできない芸当でした
だって、私が少しでも親に逆らうと、親からの暴力や怒鳴り声が容赦なく襲ってくるのですから・・
一方で、妹はいつも自由に平気ですねたりごねるんです。
その様子を見ても、親は怒るどころか「あら、また妹ちゃんがかわいくすねてるねー」と目じりを下げるだけです
親から暴力を振るわれたり、怒鳴り散らされる妹の姿なんて、ただの一度も見たことはありません
私にとっては暴君、恐怖の根源でしかない父も、目じりを下げて「あ、すねた、妹ちゃんがまたかわいくすねたー」と歌まで作って歌いながら、ニコニコと嬉しそうにふくれっ面をした妹をかまうだけでした
当時はそんなものかと流していましたが、今考えると、どうしてそこまで姉妹間にあからさまな態度の違いがあったのか、未だにふつふつと怒りがわいてきます
いえ、もしかして当時の私は、その違いに気づき、ショックは受けていたものの、小さい子供であるためにこの場所で生きるしかないため、自分の生命の維持のために、あえて本心を押し殺して「そんなものなのか」と思おうと努めていたのかもしれません
順調な反抗期を迎えた妹、抑え込んだ私
妹は溺愛され好き放題にすくすくと育ち、ティーンのころには元気に反抗期を迎えていました
精神の方も順調な発達過程を進んでいました
そこで、両親は私へ謎の指示を出したのです
「妹ちゃんの気持ちがわかるのはお前だけだ。お前がなんとかしろ」と、反抗期の妹の世話を私に押し付けてきたのです
今考えても、はぁ?知らねえし…な謎の指示ですよね…
反抗期の子供の相手は、産んだ親がやれよ…
当時の私は、自活する力を蓄えるべく勉強やバイト、友人や先輩との交流などで心身を休ませる暇なく動いていました
そこになぜか「反抗期の妹を世話しろ」と、親から私がやるべきこととして、お達しが来たわけです
彼女はとある芸術で生きると決めたらしく、普通の就職はしない、つまらない人生は送らないと、日々夜遊びに励んでいらっしゃいました
私は芸術のなんたるかなどわからないのですが、知人で同系統の芸術に携わる人を何とか見つけて、彼女の作品を見てもらう機会を作ってもらったり、親に反発して親と話をしない状態の妹と、親との意思疎通の橋渡しをしたりの日々でした
夜遊びで家に帰らない妹を心配する親をなだめ、日々妹に連絡を入れ、帰宅を促していました
ほんと今考えるとバカ達のためにバカみたいな小間使い状態です…
長くなりすぎたので、その2に続きます
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