こんにちは!
この度、ブログを始めることにしました、ティーコと申します
このブログでは、数々の残念スペックを持った40代既婚女性が、襲いかかるハードイベントやトラウマに負けずに生きる様や、気づいたことなどを書いていこうと思います
氷河期で毒親育ちでうつ病で
40代、でピンと来る方もいらっしゃるかもしれませんが、ご多分に漏れず就職氷河期を通過してきました
地獄の就活の果てにたどり着いたのは、ブラック企業。早朝から深夜まで、休出当たり前、低賃金の職場環境で、何年もの間仕事をしてきました
また、この世代にありがち(?)なのですが、生まれ落ちた場所は毒親と呼ばれる条件を多く兼ね備えた両親のもとでした
これが、現在の私の人生にも深く暗い影を落としています。いわゆるトラウマ・後遺症の数々に苦しめられているのです
私はこのように、生まれた瞬間から家庭と社会から粗末に扱われがちな設定下で生きてきたわけです
まだありますよ…
しばらく前よりうつ病の診断を受けており、定期的に通院し、投薬治療を受けています。
うつ病の影響でうまく働くことができず、やむを得ず専業主婦状態です。
負の要素が山盛りなスペック持ちです
親に従わなければ命はない
私の親は毒親でした。
自己中心な生き方をする毒親からの、理不尽な要求、そして暴言や暴力は日常のことでした
私がこの毒親環境で生き延びるには、親のいいなりに生きるしかありませんでした。
自分の感情なんて出せません。うっかり出したら命の危険があります
命を守るための親ファーストです
その生き方は、大人になって親元から離れても、様々な形で私の心身に残り続け、苦しめられてきました
子供の頃から毒親にされてきたことの一部を、ここにご紹介したいと思います
- 習い事させてやるから人並み以上の結果を出せ
- 「学歴の高い子供」が欲しいから、勉強していい学校へ行け
(でもお金が惜しいから安くて近い大学限定) - 俺たちの職場や人間関係の愚痴や悪口をいつでも聞け
- ストレス発散のために、お前を殴らせろ、蹴らせろ
いやー、ひどいですね!
このように、私は生まれ育った家庭で、毒親からの理不尽でおかしな要求に応え続けていました。
毒親たちは、私が独立後、新天地で新生活を始めた私に対しても、相変わらず自己中な要求を押し付けてきたんです
もしかして、私が独立後の方が、実家にいる時以上に依存や執着が強くなったかもしれません…
俺たちの獲物・いいなりに動く道具が逃げそうだ、と必死になったのでしょうか
慣れない新生活に苦闘しながらも、毒親の要求に必死で答えていた私が、アラサーにさしかかったころでしょうか。
心身に、異変が生じたのです。
具体的には
- 大きな不安と恐怖が襲ってくる
- なにもしたくない、できない
- 涙が突然あふれてくる
こんな症状があらわれ、日常生活を送ることすら難しくなってきました
その過程を、詳しくまとめた記事がこちらです
長年毒親のいいなりに動き、その上、自分の人生をたった一人で構築しなければならない
人生の過渡期と親の要求を同時にこなさなければなかったその時期に、無理が限界にきてしまったのでしょう。
はじめて訪れた心療内科で、重度のうつ病と診断されました
倒れてはじめて、わが身を、わが毒親をじっくりと振り返る
うつ病と診断されてしばらく、長い時間、私はろくに動くことすらできませんでした。
家に引きこもり、布団をかぶり、ひたすら自分のこれまでの人生を、そして、自分がこうなってしまった元凶である親のことを考え続けていました。
心療内科医とカウンセラーのサポートを受けながら、自分のことと同時に、なぜ、私の親は、娘である私をナチュラルにここまで追い詰めるような人間になってしまったんだろう?
その考察を突き詰めました。それをまとめた記事がこちらです
父編
母編
むさぼるように「毒親本」を読みました
また、その頃どんどん出版されていた毒親関連の本を読み漁りました。
父母の性格やそれぞれの経験こそ違いますが、毒親育ちという境遇に置かれた人たちの心の動きや、されてきた仕打ちというのは、みんななぜか、どこか似てるんですよね…
私が当時、特に印象に残ったのは、田房永子さんの母がしんどいという本です。
コミカルなイラストタッチなのですが、それがまたお母さんの強烈な性格を増幅させる表現方法となっています…
強烈なお母さん、いつも黙っていて何を考えているのかがわからないお父さん。
しかし田房さんが成長し、やがて仕事・結婚と人生の歩みを進めていくうちに、いままでわからなかった両親の本性がどんどんとむき出しになっていく様は、読んでいて戦慄しました…
カウンセラーの信田さよ子さんの本も貪るように読んだものです。
墓守娘という衝撃的な表現には驚いたのですが、
「ああ、毒親というのは、自分が老いて死ぬまでの子守、じゃなくて爺婆守をさせるために娘をしばりつけるのか…」
この言葉に含まれた意味に、あらためて納得しました
そして、やはりこの中にあるエピソードが自分の体験にいちいちとっても似ていて、ついつい「ギャッ!」と声を出しながら読み進めました
自分の好きなことがわからない
毒親たちは私に、好きなこと、楽しいことを禁止しました
お金がもったいない、そんなバカなことやめろ。
なぜそんなに否定するのかはわかりませんが、とにかく私が楽しむようなことをことごとく禁止、否定、そして嘲笑しました
新しく楽しい趣味を見つけるとバカにされます。
少しずつコレクションを楽しんでいたものや道具などは、ゴミとして捨てられました
そんな環境下にいた私はいつからか、自分が好きなことを持つのをやめました。
どうせ捨てられる。どうせ馬鹿にされる。
私は、好きなものなんて持ってはいけないんだ。そんな諦めの気持ちでいたんです
そこから長い年月が経過し、心身に限界を感じて心療内科に駆け込んだとき。
精神科医から、一番初めの質問として「あなたの好きなこと、やっていて楽しいことって何?」と尋ねられたんです
その時、心には何も浮かばず、答えることができなかったんです
精神科医は「そうか…あなたは今、好きなことが、何も思い浮かばないんだね」と私の答えを繰り返しました
そこでやっと、好きなことが何一つ思い浮かばないというのは、恐らく異常な心理状態なのかもしれない、ということに気づいたのです
うつ病に倒れたことで、自分自身がこんな悲惨な状態にあることに、やっと気づいたんです
ブログをやってみたい
しかし。コロナ禍でイレギュラーな心配や不安が増し増しな2020年、
- ブログを書いてみたい
- 自分の気持ち、これまでの経験を発信してみたい
こんな気持ちがふつふつと湧いてきて、勢いでブログを開設しました。自分でも驚く、積極的な行動力です
うつ病の治療による長い休養や、これまでの人生の振り返りを繰り返したことで、自分の感情がだんだんと復活したのかもしれません。自分にとってはいい変化だとおもいます
これから何ができるかな
毒親育ち・氷河期経由・うつ病並走中・子なし・無職・・・
絶望的スペックの数々を搭載する私ですが、
このチャレンジは、一体どこにどう向かうのかな?
自分の人生ながら、遠くの方から見守る気持ちでいます
見切り発車でよろしくおねがいします
40代という年齢故、ネット黎明期からネットに親しんできた故、触れてきた時間こそ多いのですが、発信経験は決して多くはありません
主に書かれたものを読むだけ。気分がいい時にたまに、匿名掲示板に自分の気持ちをポツポツと書き込む、くらいなものでした。
発信を続けるうちに、徐々にこなれた仕様になっていくのでしょうか?自分のことながら、変化が楽しみです
なによりも、「これがやりたい」という気持ちが体の内部からわきだし、実行に移せたことがうれしいです
見切り発車ではじめたブログですが、これからも過去のこと、現在何を思っているかなど、様々なことを書いていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします
コメント
コメント、失礼します。たまたまTwitterでティーコさんのツイートを見かけて、ブログの記事をいろいろ読ませていただきました。
私は自分の親は毒親じゃないって信じていました。毒親という言葉自体が苦手でした。でもティーコさんの正直で温かい文章にはどこか惹かれるものがあって、読み進めていったら、もしかしたら自分の中にもそういう感情があるんじゃないか。私が幸せな子供でなかったことは「当然のこと」「仕方ないこと」なんかじゃなかったんじゃないか。私はもっと自分の欲しい幸せを求めても良いんじゃないか。ということに、気づきました。
毒親という言葉が苦手だったのは、「どんな親だってそれぞれ毒だろうし、相性や運の問題が大きいじゃないか」みたいな、冷めた、斜に構えた考えからです。だけどそう思っていたこと自体が、私の本心からの逃避だったんだと思います。私が運が悪かっただけと解釈していた事だって、本当は違うかもしれない。というか今ざっと振り返るだけでも、ただの不運なんかじゃなかったらしき出来事がたくさんある。そのことに、ようやく気づくことができました。
ティーコさんの経験について読むことができて、本当によかったです。あなたのような率直な、勇敢な人の書いた言葉に触れることができて私は幸運です。ありがとうございます。まだ全ては始まったばかりですが、私もこれから、少しずつでも自分の人生を振り返っていきたいななどと思っています。
勿勿さん
コメントをありがとうございます!
毒親ということばは響きが強く、負の感情を想起させますよね…
私も最初にこのことばに出会った時は、え?なにこれ?と戸惑い負の感情しか持てなかったので、お気持ちよくわかります
私のツイートやブログ記事をお読みくださるなかで、勿勿さんのお気持ちの整理の何かきっかけとなれたことがあれば、本当にうれしいことです
そして私の書く文章にたくさんのお褒めの言葉を頂き恐縮ながらもとてもうれしく思います!
これからも、未だ心にくすぶる幼い頃の出来事や、それを一体どういうふうに処理すればいいの?そのリアルタイムの逡巡の様子をTwitterやブログ記事にしていきたいと思いますので、よかったらのぞいてみてくださいね
無趣味な人がどうしてそうなったのかよくわかりました。あなたは偉いですよ。
はじめまして。たまたまtwitterでティーコさんのツイートに出会い、こちらのブログを拝見しました。毒親育ち、就職氷河期世代、うつなど同じような経験をしていたのでとても共感しています。
私はどうも昔の記憶が曖昧で、ティーコさんが言語化してくださったお陰で思い出せたり整理できた事がたくさんあります。ブログを書いてくれてありがとうございます。
kq さま
はじめまして!Twitterからブログを知っていただき、そしえてお読みいただいてうれしいです。ありがとうございます!
毒親育ち・就職氷河期・うつ病と‥同じ経験をされてきたのですね。幼い頃から長じて現在に至るまで、本当に大変なことばかりでしたよね‥
kqさんは、かつての記憶があいまいになっていらっしゃるのですね。私はその逆で、こんなこと覚えてなくていいのに‥というところまで頭に残っているんです。
このいらない記憶を外に出すため、そして毒親へのプチ復讐のためにブログやツイートをしていますが、それがkqさんの何かお役に立てたのならば、ほんとうにうれしいです。
これからもよかったら、のぞいてみてくださいね。
はじめまして。
家庭問題についての記事を多く執筆しているライターの旦木瑞穂と申します。
主な執筆記事は、プレジデントオンラインや東洋経済オンラインで旦木瑞穂で検索していただければいろいろ出てきます。
毒親についての取材をお受けいただけないでしょうか?
取材はメールで行います。
質問を送り、それに回答していただく形で、メールを何度かやり取りさせていただき、記事を形にしていきます。
匿名で執筆し、原稿は掲載前に確認いただけます。
ご多忙のところ恐縮ですが、ぜひ前向きにご検討いただけますと幸いです。
お返事お待ちしております。
よろしくお願いします。
旦木瑞穂 さま
はじめまして、コメントをありがとうございます。
お返事はメールにて送信させていただきました。
メールをご確認いただければと思います。
よろしくお願いいたします。