ネット上には様々な発信手段がある2020年の今、私はなぜ、ブログをはじめようかと思ったのか。その理由を記していきたいと思います
文章を書くのが好き
子供のころから、文章を書くのが好きだったからです
大人になってからも、愚痴や悩みを相談するのは主に匿名掲示板でした
人と面と向かってしゃべるより、文章でのやりとりがとても性に合っていました
(あの頃、私の悩み苦しみをしっかり読んでくれて、真摯なアドバイスをくれた、匿名掲示板の顔も知らない心やさしい皆さんには本当に感謝しています)
人と関わると大変消耗し、うつが悪化しがちな性質持ちの私にとって、文章作成はたった一人でPCやスマホに向かってできる大変よいものです
ブログは時流ではないかもしれませんが、私にとってはブログが自分に合う最適な手段だと判断しました
負の思い出の成仏のため
今は夫と二人暮らしです
実家にいた時のような異常な緊張や不安、恐怖などはほぼ発生することはなく、穏やかでごく普通の日々が過ぎていきます
しかし、未だ普通の生活を普通の精神で行うことが非常に困難です。ささいなことで不安や心配が募り、ぐったりと疲れてしまいます
しばらく前よりうつ病と診断され、心療内科に通院を続けているのですが、
主治医からは「あなたのうつ病は、親からの長年の接され方によって引き起こされたもの」と言われています。自分でもその見立ては納得しています
今は親とは住む距離を離れ、その上疎遠にしているため、親からの直接的な攻撃を受けることはほとんどなくなりました
しかし、ふとした時に、過去に長きにわたって受けてきた理不尽な暴言暴力などの所業が、飲み込んだ怒りの数々が、心の奥から噴出してきて未だに生活に支障や悪影響を及ぼします
おそらく体内にくすぶるやり場のない怒りと、刻み込まれた仕打ちへの怒りが、何かをきっかけに暴れてしまうのでしょう
三つ子の魂百までといいますが、幼いころに親から刻まれた負のダメージもいつまでも消え去る気配はありません
それらをいつまでも体内で爆発させ続けると体がもちません
アラフォーになり体調不良もあちこち増えてきました。そんな状態なので、過去の燻りなんかで消耗させる体力などもうありません。
だから、体内にくすぶる過去の経験を、ブログに文章化して、吐き出してしまう、ことによって、少しでも精神的に楽になれたいいな、と思ったんです
いわば私の体内にくすぶっている、数々の負の思い出の成仏作業です
それらを吐き出す手段として、自分が好きな文章というのがまず頭に浮かんだんです
毒親達へのせめてもの仕返し
生まれ育ちの影響で人生の土台がめちゃくちゃになった状態のため、どんなにがんばっても普通の生活が思うように送れない人間として、アラフォーに突入してしまいました
普通の人が普通にできることが、どうがんばっても、できないんです
何をするにも神経を使い、疲れやすく、たやすくできないことの多さに泣けてきます
ときどき、「いい年してまだ親のせいにして…」などと言う人がネットにもリアルにもいます
そんな方はぜひ一度、実際に毒親の元に生まれ育って実際に経験してから同じことを言ってもらいたい、といつも思います
両親が毒親で、自分は親から望まれない性別、彼らに望まれない容姿や性格を持ち、さほど歓迎や肯定をされず、かといってそこから逃げることも許されず、長年生き続けなければならないという経験をしたら、果たして同じ感想が出るのでしょうか
果たして今のあなたのように、健全な心身を持った大人に成長するのでしょうか
話がずれました
いつまでたっても辛さ苦しさが続くのに、加害者である親には仕返しができない
まず彼らに加害者としての自覚は全くありません。逆に育ててあげた娘に裏切られた被害者だと認識しているようです
世間もだいたいが彼らの味方です
どうやら「娘に裏切られたかわいそうな老人」という設定で、方々に私の悪口を言いふらしているようです。近所や知人、親類縁者に同情を乞い、私は親不孝者の悪い娘扱いです
親の言うことを鵜呑みにした親族や親の知人から、見当違いの説教が突然飛んでくるのがその証です
私は悪者ではない
今後も生き延びる選択をしただけだ
でも今さら物理的な仕返しをしたら、私は本当の加害者になってしまい、本当の悪者になってしまう
あんなつまらない人達のために犯罪者になるなんて、めちゃくちゃばかばかしい
せっかくここまで頑張って生きてきたのに
だから、毒親にはすべて「なかったこと」にされている、
- 毒親からされたことをそのままブログのネタにして、自分の文書作成練習の踏み台にしてやる
- 毒親から幼いころにされた仕打ちの数々を、不特定多数が目にするところへ晒し上げてやる
ブログに親からこれまでされてきたことをネタとして書いていくことは、親からやられっぱなしだった私からの、合法的なささやかな仕返しです
私は、どこまで何をやれるのか
親にはダメージを与えられ続け、社会からは就職氷河期世代として粗末に扱われました
「お前はいらない存在だが、もしここ(家庭、社会)にいたいなら、もっともっと役立つように動け。ただし愛情・賃金は少ししかあげませんけどね。」
と周りの人間のいいように使われ続けてきました
これまでの消耗の連続で正直もう疲れ切っています
何度も言いますが本当に疲れ切っています
人生の立ち位置としてはアラフォー、折り返し付近ですが、感覚としては今は人生三回目くらいの晩年で、すでに余生のような感覚すらあります
正直、私の今後は、命が尽きるまで、ぼんやりと、無気力に日々を過ごすだけなのかな、とぼんやり考えてました
しかし、このように、自分の経験や考えをブログという手段で発信しようという心境の変化と行動の変化には、自分でも驚いています
- 何かをやってみようと考えられて、実行に移せるようになった自分にびっくり
- ずっと倒れて動けないと思ってたら、知らない間にパワーが貯まってた。こんなことってあるんだ
- でも、もし、このチャレンジによってなにも残せなかったとしても、それがわかっただけでも大きな収穫だよね
今はポジティブな気持ちで、そんなことを思っています
コメント
とても共感しました。私は親や姉弟から暴力と人格否定とお金や自由や人生を搾取され続けてボロボロになりました。いろいろなものを失いました。
黒田さん
コメントありがとうございます。
黒田さんも幼い頃から、まわりの一番近い人たちからひどい目に遭われてきたのですね…
もしも普通の家庭に生まれていたら、失わなくてよかったもの、こんな目に遭わなくてよかったこと、星の数ほどありますね