毒親にされた辛い仕打ちをSNSで書いたり、うっかり親の嫌な話をしてしまったとき。
あなたさ、いつまで親の悪口言ってるの?
もういい大人なんだから、いい加減親のこと悪く言うのやめなよ…
こんな風に、とても否定的な反応を返されることがあります
さいきん話題になった「親ガチャ」という言葉に過敏に反応し、否定する人もまた同じタイプといえるでしょう
私は、「いい年して親の悪口を言うな!」と面と向かって注意されたり、ネットやメディアで「親ガチャ」という言葉に対する様々な否定的発言やツイートなどを見ていくうちに、
親をネガティブに語ることに対して強い否定や拒否を示す人というのは、少なくとも以下の3パターンのタイプが存在することに気づきました
その3つとは?
- いい親に恵まれた人。子供を傷つける親という存在を知らない
- 親が毒親だったけど、軽症で克服できた人。いわゆる生存バイアスがかかっている可能性がある
- 「自分は毒親を克服した!」と思い込んでいても、実はまだ親から受けた傷が治っていない人
特に。
この3番目に挙げたタイプは、体感として、親を否定的に語ることに対して、とても強い嫌悪感や拒否感を表すことが多いです
おそらく、せっかくフタをして、見ないようにしていた傷に触れられることに、苦痛を感じるからなのだと思います
この記事では、親をディスることばに否定的な、3パターンの人たちについてを考察していきたいと思います
いい親に恵まれた人
親に恵まれて生まれ育ったから、親から虐待されたなんて知らないし、そんな不幸はみたくもない。
自分が経験したことがないことはわかりようがない。ましてや、自分の知らない辛い不幸なんて、目にしたくもない。
自分や自分の心を、嫌な情報や存在から遠ざけたい。
普通の幸せな家庭に生まれ、愛情をたっぷり受けて生きることが出来ている人って、自分に害を及ぼす物事から距離を取るのがとても上手な人が多いんです。
余計なエネルギーの消耗から身を守るのが上手い。害=聞きたくもない毒親不幸話から、自分を守るための回避行動を自然に取ることができるのでしょう
でも、そんなタイプが、あるときテレビなどの巨大メディアで、一斉にネガティブなコメントをする姿を目にすると、さすがにこちら側の人間は、ちょっと心に「うっ」ときますけどね…
先日、「親ガチャ」という言葉について、さまざまなメディアで大きな話題となったとき。
多くの芸能人が、「そんな言葉けしからん」「親が悲しむ」などという否定的コメントを発していたのは、記憶に新しいところです
その時の複雑な気持ちを、↓↓↓のブログ記事にまとめました
親が毒親だったけど、軽症で克服できた人
毒親が、子供に害を与えるスタイルは千差万別です。人の性格がみんな違うように、毒親の毒の出し方も違います。
例えば虐待とひとことで言っても、様々な害の与え方があります
そして、これらの技をシングルかダブルかトリプルか(アイスみたいですね)、組み合わせて繰り出したり、または、一つの技をねっとりと濃厚に与えたり…
毒技の繰り出し方というのは、使い手である毒親にとっていろいろです。
また、その被害を受ける子供も、耐性をはじめとした、持って生まれた条件がそれぞれ違います。
親から受けた傷が浅く、現在の日常生活に何の支障もなく生きられている元・毒親育ちというのは、様々な理由から、毒親からの重大なダメージを回避できた人なのだと思われます。
そんなタイプと、毒親からの大ダメージを一生涯残る傷レベルで負ってしまった重度の毒親育ちとを同列に論じるのは、ちょっと辛いものがありますね…
また、軽傷で克服できたタイプには、生存バイアスというものがかかっている可能性が高いです
生存バイアスとは一体なんでしょうか?説明をみてみましょう
生存バイアス(せいぞんバイアス)とは、何らかの選択過程を通過した人・物・事のみを基準として判断を行い、通過に失敗した人・物・事が見えなくなることである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E5%AD%98%E8%80%85%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9
どういうことかというと、
親からのダメージをあまり受けることなく克服することができた自分を標準・基準として考えてしまうため、
そうじゃない人、つまり、現在進行形で親のことで苦しんでいる人のことを、「甘い!自分はしっかり克服できたというのに!」「いつまでもそんなんじゃだめだ!」と断罪してしまうんですね
「自分は毒親を克服した!」と思い込んでいても、実はまだ親から受けた傷が治っていない人
僕は、毒親を克服したんだ!
もう親の悪口なんて言わないし、僕は親を大切にしているんだ!
この、「自称・克服済の元毒親育ち」の中には、毒親・親ガチャという親ディスことば全般を否定するだけでなく、現在進行形で毒親に苦しんでいる人を過剰に否定し、責める場合がすくなくありません。
かつては同じ苦しみを味わってきた同士だというのに、一体どうして、今もなお親で苦しみ続ける人を攻撃するのでしょうか?
その理由は、2つ考えられます
自分が克服できたんだから、あなただって克服できるでしょ?
「自分は毒親を克服できたから、あなただって克服できて当たり前。」
「いつまでたっても毒親毒親と悪口言ってるなんて弱い人間だ!」
前にご紹介した生存バイアスがきいていて、”毒親を克服できた自分”が基準となっているため、未だ毒親で苦しんでいる人を、
いつまでたっても親の悪口なんて言ってはだめだよ!
私のように、親の悪口を止めて、親孝行したほうがいいよ!
克服した自分。頑張った自分が基準となり、そうできない人たちに対する拒絶感が強い。
そんな心の動きがあるのだと思われます
実は、親から付けられた傷がまだ治っていない
親ディスことばを過剰に否定してしまう人の中には、実は、親から付けられた傷が未だに完治していないという人がいるのだと思います
傷にふたをして、みてみないふりしてがんばっているのに、思い出させないでほしい!
そんな風に、心の奥底で怒っている。
実はこの心の動きは案外大きく、無視できないものだと思います。
自分では毒親を克服した、と思っていても、実は治っていない傷にむりやり蓋をしているだけで、根本の解決には至っていない。
それでも、蓋をしたまま、傷から目を背けたまま、自分は親を悪く思うことを止め、親に感謝し、その上日常生活をがんばっている。
そんな中で、親から付けられた傷が辛い、親が嫌いだと、自分とは反対に、自分の心に正直に、親へのネガティブな気持ちを吐き出している人を見ると、さまざまな怒りが湧いてくるのでしょう
自分はずっと傷の痛みをがまんしてるのに。
親とちゃんと仲良くしてがんばっているのに。
この人たちはなんで、親を嫌だといったり親を拒否しているのか!
そんな怒りが噴き出しているのではないでしょうか。
かつての私がそうでした
どうしてこんなことがわかるの?
なぜかというと、かつての私が、まさにこのパターンだったからなんです。
幼い頃から「親の言うことは絶対」「親孝行をしなければならない」という周りからの様々な圧に屈し、親からの数々のダメージと傷に無理やりフタをしてきました
そして、自分は親と仲がいい、親孝行できている、と言い聞かせながら、長い間、無理に親に尽くしていた過去があるんです。
その無理はやがて、あるときに大爆発してしまったのですけどね
この親孝行時代、ちょうど毒親というワードが世間の話題に挙がっていたのですが、実は。
当時の私がこの言葉を見たとき、なにこの言葉?と強烈な拒否感が一瞬でわきでてきたんです。
そして同時に、「毒親」という言葉を使い、親からの仕打ちや親のことを悪く言う人たちにも嫌悪感を感じました。
毒親なんて…!おぞましい言葉!
こんな親の悪口を言って、いつまでも親のせいにしかできないのはだめなこと!
当時は本当にそう思ったんですよね。
毒親からの傷にむりやりふたをして、見てみぬふりをして。
心を殺してやりたくもない親孝行をしているそのタイミングで出会った「毒親」という言葉によって、まさにこんな思考パターンに陥った実際の経験があったからこそ、その心の動きがよく理解できるんです
毒親から打たれた釘が、全身に刺さっている
「いつまで親の悪口言ってるの?」
そんなの自分たちが一番よくわかっているんです!
私たち毒親育ちだって、いい年をしていつまでたっても親のことばかり考えたくない。
もっと建設的なことにこのエネルギーを使いたい。
でも、いつまでたっても毒親のことを考えずにはいられないくらいにダメージが蓄積している。時には突然フラッシュバックのように、思い出したくもないのに、過去の辛い記憶が噴き出してしまいます
それを外に吐き出さなくてはならないくらいに、この身に、心に、脳に、毒親からのダメージが、まるで釘のようにあちこち深く打ち込まれているんです。
親からひどい仕打ちを受けてから長い年月が経っても、日常生活が送れないクラスのダメージを負っていることも少なくありません
「毒親」「親ガチャ」という言葉を知るまで、子へ害を与える親の存在すら知らず生きてきた人、そして親の悪影響から脱却出来た人は幸いでした。
私たち重度の毒親育ちは、まだ全身のあちこちに、毒親から打たれた釘が刺さっていて、その痛みや苦しみが現在進行形で起きているんです。
それらを、日々悲鳴をあげながら、様々な方法をつかって一つ一つ抜く作業、傷を手当てする作業を“いい歳をして”なお続けています。
その過程をSNSに書き込むことで、傷の治癒や浄化のプロセスを少しずつたどる毒親育ちも少なくありません
まとめ
今回の親ガチャ騒動で、「親ガチャ」という言葉にとても否定的な意見を言う人たちを見ているうちに、一体どんな人が否定的意見を言っているのかな?と興味を持ったとともに、
かつて自分の気持ちを押し殺して”親孝行な子供”を必死で演じていた私が、当時「毒親」という言葉を始めて見たときの、強烈な不快感を思い出して、この記事を書きました
このブログを読んでくださったみなさんは、親ガチャや毒親といった、親をディスる表現=親ディスことばに対して、どんな心の動きが発生しましたか?
また、親ディスことばに過敏に反応し、否定する人って、ここに書いた以外には他にどんなタイプが考えられるでしょうか。
今後もさまざまな書き込みやネット記事などに注目していき、親ディスことばにまつわる新しい気づきがあったときには、また新しい記事を書いてみたいと思います
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