前回の記事では、私が生まれ育った毒親家庭は、「子供が素直な感情を出すことを許さない。感情を殺せ」という雰囲気だったことを書いてきました。
この記事では、そんな毒親家庭で長年素直な感情を認めることを許されず、出すことを禁じられた私は、一体どのような生き辛くて歪な人間になってしまったのかを書いていきたいと思います
怒りは害ある侵入を防ぐ大切な役割がある‥それを毒親から奪われると、侵入を防げなくなってしまう
まずはじめに、怒りという感情は、人にとっていかに大切なものかということについて書きたいと思います。
私は実は怒りというのは大切な感情だということに気づけたのは、何とつい最近のことでした…
長年怒ることを親から禁じられ、怒りの気持ちを抑えつけられてきて、その上自分自身でも「怒りはだめなことだ」と思い込んできた期間が長かったために、気づくのが大幅に遅れてしまったんです
怒りというのは、自分の大切な領域へ不埒な人間や団体の侵入を防ぐという大切な役割があるのだそうです
漫画家・三森みささんのこちらのXpostでは、怒りや感情ついての考察をマンガでわかりやすくされていますが、
このポストの中で、怒りというのは実は人にとって本当に大切な感情だ、ということが描かれてあります
三森みささんのpostよりイラストを引用させてもらいます↓
毒親があれほど私に持つことを許さず、そして出すことを厳しく禁じた「怒り」。
それは実は、自分を守るための、とても大切な感情だったとは‥
毒親というのは、怒りという「他のみだりな侵入を拒絶する大切なモーション」を早々に子から奪い、子を、”自分の言いなりにうごく道具として作り替える”ことに熱心だったということがわかりますね‥
自分が産んだ子は自分の”もの”!
自分が自由にいじっていいんだ!
お前(子)には感情なんて持つ資格はない!
私たちに従え!
この一心で子の感情を禁じ、そして侵入・支配を続けていた。
これ人権侵害ですし、後遺症を発生させるクラスの傷害だと思うんですが、どうして親子だと罪に問われないんですか‥?
このように、毒親育ちは生まれて間もなくから、自分の心の奥底からわきあがる怒りという感情を認めること、そしてそれを適切な場面で外に出すことを許されなかった。
家庭でその訓練をする機会がまったく持てなかったんですもの、社会に出てから怒りをはじめとする感情を適切なボリュームで・適切な場面で出すことなんて、そんなのできるわけありませんよね。
怒りとは、自分を守るための大切な感情であったこと、
それを長年親によって抑えつけられたこと。
このことに後からやっと気づいたとき、愕然とし、そしてその場所から、自分一人でゼロから模索・構築しなければならないんです。
素直な感情を出すことを当然のように許されてきた周りの人は、素直な感情を持ってそれを自然に表現しながら軽やかに生きているというのに、その横で、ゼロから、地を這うように失敗を重ねながら、新たな生き方を身に付けていかなければならない。
この違いですよ。泣けてきますね…
感情を禁じられた私は、どんな「生き辛い人間」となってしまったか
それでは、怒りをはじめとした感情を持つこと・出すことを禁じられた私は一体どのような”生き辛い人間”となってしまったのか?を具体的に書いていきたいと思います
「侵入的な人や団体」へ、怒りによる適切な線引き・拒絶ができず、侵入を許してしまいボロボロになる
毒親に素直な感情、特に怒りの感情を持つことを禁じられ続け、結果、何をしされても怒りを抑え込んで黙るようになった私に対して、毒親はそれはもうやりたい放題でした。
一人大切に守りたい子供のプライベートな領域にずかずかと入り込んできては好きに踏み荒らすことなど日常茶飯事。
怒りをはじめとした感情表出を禁じられた私は、親による侵害行為にじっと耐えるのが当然、という状況でした。
そんな環境で長年生きてきた私が社会に出ると、たとえば外で出会った毒親のような侵入的なタイプの人に瞬間的に不快な侵入をされたとき、とっさに「ここから先には入ってこないで!不快だからもうこれ以上近寄らないで!」という怒りを伴った意思表示をするのが困難になってしまっているんです。
嫌な人や団体などから易々と侵入を許してしまって、なされるがままとなって・・それからしばらくたった後からやっと、
あれって本当は、とっても不快だったよな‥
でも、とっさに「やめて!」と主張したり、
否定や怒りを全然出すことができなかった‥
こんな風に一人で悶々と考え込んでしまうんです
この侵入的な人・団体をとっさに拒絶する、という動作は、実は私には未だに困難で日々苦闘しています。出会った人と和やかに交流するということだけでも大変なのに、相手が侵入してくる人だということを見定め、うまくかわして、うまく距離を取る、というのが本当に本当に大変!
生まれてからしばらくの間、毒親家庭で、毒親からの侵入を感情を殺して許すという状態が当たり前の状態だったのが、その真逆のあり方(嫌なものは嫌だといってガードしたり、拒否したり、撃退する)を、実地で適宜判断しながら対応しなければならないわけですから‥こんなの難しくて当然ですよね
自分の本当の感情がすぐにわからない。その適切な出し方もわからず爆発する
毒親に長年怒りなどの感情を持つことや出すことを禁じられてしまうと、自分が今感じている感情を認めることや、それを適切なタイミングやボリュームで人に表現すること、というのが本当に難しくなってしまいます
私は40を越えた今でも苦闘中ですし、失敗ばかりです
自分の素直な感情を長年押さえつけられ、その癖がついてしまうと、自分の感情ー嫌とか楽しいとかやめて欲しいとか、素直な感情に対して鈍感になってしまって、自分が今どんな感覚でいるのかが分からなくなってしまうんですよね。
何かされても、とっさに感情がわかずに固まってしまい、反論や反撃の機会を逃してしまうんです
しかも、怒りや悲しみという負の感情というのは、あまりに大きなものを我慢しすぎてそれがたまりにたまって限界を迎えると、爆発しちゃいけないところで、驚くべきボリュームで爆発してしまうんです
あらぬところでの大爆発は、自分自身で驚いて「やってしまった‥」と自分を責めたり、そして時に居場所を失うような悲惨な状況になるだけではなく、時として、まわりのなにも関係がない人まで驚かせてしまったり、迷惑をかけてしまいます。
抑えつけた感情が限界を迎え、みんなが「あなたはどうして突然そんなに怒るの?」と困惑するような場面で怒りを突然大きく爆発させてしまい、まわりの人たちを驚かせてしまったことが、私にはこれまでたくさんあります
今思うと本当に恥ずかしく、申し訳ないのですが‥私には怒りの感情を適切に出す方法を習得する機会が全くなかったために、限界まで膨らんだ感情を外に出す方法は、当時これしかなかったんです‥
おわりに
「子が素直な感情を出すことを決して許さない毒親」が跋扈する家庭に生まれた私は、幼い頃から怒りをはじめとした感情を持つことを強く禁じられ、抑えつけられてきました。
そのうえ毒親は、子が一人大切に守りたいプライベートゾーンに平気で入り込む侵入的な人間で、私が「入ってほしくない」と思う領域にまでずかずか入りこんでは好き放題踏み荒らしてきた。
プライベートな部分に好きに侵入してくる毒親に対して、当時の私には怒りや嫌悪の感情は確かに心の奥底にあったのですが、毒親家庭で生き延びるためには、それを長年殺し、抑えつけるしかなかった。適切に出す方法を学ぶ術も機会もなく‥
こんな毒親家庭で生きるうちに、私はいつしか自分の素直な感情というものがよくわからなくなり、そしてたとえ持てても、それの適切な出し方を学べないまま大人になってしまったんですね
感情を出すことを禁じられ、抑えつけられ続けると、自分の本当の感情がとっさにわからなくなったり、外部からの侵入的な人や団体からの侵入・侵害や踏み荒らし行為に対して「嫌!やめて」と思って適切な防御をしたり、嫌なことを相手に伝えるといった行動がとても困難になってしまいます
一方で、侵入や不快に対する本心の怒りというのは確実に、心の奥底に、確実にたまりにたまっていて‥あるときのささいなきっかけによって、パンパンに膨らんだ風船が割れるように、変なところで制御もきかずに突然大爆発してしまうんです
「素直な感情を持ち、感じること、それを適切に出すことの大切さ」にやっと気づくことのできた今の私は、そんな大爆発を防ぐためにも、素直な感情を大切にすること、そして出すべきところで適切に出す訓練を、実生活で失敗をかさねつつも行っている最中なのですが‥
何度も言いますけれど、もう私40超えて人生折り返しですよ‥?本当に遅すぎる、ゼロからのセルフ矯正・自分育てにげんなりしながらも、未だ日々苦闘しているところです
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