毒親は子供に理不尽な暴力や暴言をぶつけたりなど、わざと子供が嫌がることをして、ストレス解消をしたり八つ当たりをすることがあります
幼い我が子を一方的に責め、苦しむ姿を見てスッキリするんですよ?
悪魔ですよね?
私には、かつて毒親にされた仕打ちの中で、
- あれは子供のためにやったこと‥では絶対ない!
- あきらかにストレス解消として、
子供に八つ当たりしてスッキリしていたとしか考えられない
という毒親からのひどい仕打ちの記憶がたくさんあります。
毒親育ちのみなさんにも、そんな記憶が一つや二つどころじゃない数の記憶が残っているのではないでしょうか?
毒親の子いじめ、が非常に悪質だと思うのは、親という立場を悪用することです
親と子というのは圧倒的な差があります。
親という圧倒的な上からの立場を利用して子をいじめるのですから、子は逃げ場もなくただ毒親のなすがままを受け止めるしかありません
しかも毒親は、この子どもいじめを「しつけ」「子供のためだから」という美しい理由・美しい言葉でコーティングして、あたかも正しいことをやっているかのように装うんです。
黒のくせに白の皮をかぶり、誰にも(自分自身にも)文句をつけられないように巧妙にその悪行を善行に仕立て上げ、子を痛めつける。
だから毒親には、子をひどい目に遭わせてしまった、なんて罪悪感は一切ないんです。それどころか、子供のためにいいこと・必要なことをやってやっていると思い込んでいる。本当に悪質ですよね‥
その上周りの人たちからも、毒親による子いじめはわかりにくいんです。「親が一生懸命子供のためにしているのね~」と軽くスルーされやすい。
毒親育ちの子は幼い頃、逃げ場がないままに、毒親のいじめを受け続けるしかないんです‥
この記事では、
- 私がかつて毒親からされたしつけという美しい嘘にくるんだ、毒親からの八つ当たり、ストレス解消の中でも特別記憶に残っているエピソード
- その時の仕打ちによって私はどんなふうに歪んでしまったのか?
このことを書いていきたいと思います
楽しみにしていた漫画雑誌のふろく
子供の頃、私はりぼんという少女向けの雑誌を購読していました。
ふろくもかわいくて楽しみでしたが、中でも一年に一度、年末になると、りぼんに登場するキャラクターが描かれた、来年用のかわいい手帳がついてくるのが本当に楽しみだったんです
私は、手帳がふろくについてくるりぼんが発売されるその日を、指折り数えて待ち望んでいました。
辛いことがあっても「でももうすぐかわいい手帳が手に入るんだから、大丈夫!」と心の支えにして乗り越えていたんです。
しかし‥ここに毒母によるしつけという名の意地悪がさく裂しました
一体何が起きたかというと‥
もうすぐ近づくりぼん発売日。手帳がとても楽しみでウキウキしていた私は、毒親にそのことを何気なく話したんです。
もうすぐりぼんが発売されるんだ!
今回はね、付録がとってもたのしみで本当に待ち遠しいの!
こう笑顔で話しました。話してしまったんです。
普通の親ならば「そうなの、そんなにいいものが発売されるの。もうすぐ欲しいものが手に入るのね。よかったね!」などと子供の喜ぶ姿を見て一緒に喜んでくれるのでしょうね。
でも。毒親は違うんです。
このことを子の弱みとして握り、自分の都合のいいように利用するんです。
毒親の底意地の悪さがしみじみとわかるような悪用をします
わが毒親は、手帳のことを一体どんなふうに利用して、私をいじめたのかというと‥
それからまもなくのことです。
私は、毎日毒親から課せられているピアノのレッスンを、ある日、遊びが楽しくて、決められた時間通りにやりませんでした。
子供にはありがちな、ささいなさぼりをしてしまいました。
この時の毒親は、いつものように怒鳴って怒るだけではなく、意地の悪い罰を私に与えました。
そうだ。お前は悪い子だから、
罰として今度のりぼんだけは絶対に買うのは禁止だよ。
これは悪いことをするあんたが悪いんだからね
あれだけ楽しみにしていたりぼんを、今月に限って買うのを禁止する、というのです
理由は「ピアノを練習しないお前が悪いから」だと。
これまで、毒親からは、罰としてりぼん購入禁止というものを受けたことはありませんでした
それに、今とはちがってメルカリなどがない時代ですので、月刊誌は発売されている間に買わなければ、その後は手に入ることはまずありません。
今月号を買うことを私が特別に楽しみにしていることを毒母が知ったとたん、このように、私が最も苦しむような罰として、そのことを悪用されるんです。
毒親は、私がひどく悲しむことをわかって、それをあえて禁止し、私の心を踏みにじります
私は泣きながら、何度も土下座して毒母にお願いしました。
「お願いします、今回のりぼんはずっととっても楽しみにしていたんです。どうか今回だけは買わせてください」と。
でも、何度お願いしてもダメでした。
- 約束を破ったお前が悪い。
- お前が悪いから今月号は絶対に買ってはだめだ。
これは悪いお前への罰だ
こう繰り返されます。
‥何ヶ月も楽しみしていた手帳のふろくがついたりぼんは、毒親によって、買うことを禁じられました。
大人になった今、このことを思い返しても、あれは子供にとって必要な制裁だった、しつけとして必要なことだった、とは決して思えません。
その逆としか思えない。
子が本当に楽しみにしていることを知ったとたん、それを親の権限を使って奪う。
子が辛さの余り泣き叫んで苦しみ、親に向かって必死に土下座して許しを乞う姿を見て喜ぶ。
…大人目線で振り返っても、毒親の歪んだ悪趣味や底意地の悪い行動としか思えません。
ふろくにかわいい手帳がついたりぼんの発売日。
りぼんを買っていたクラスの女の子たちは、さっそく手帳を学校に持ってきて、楽しそうに見せあいっこしていました。
私は涙をこらえながら、本当に辛い気持ちで、横目でその様子を見ていました
「しつけのため」「子供のため」という毒親の正当化
恐らくこのことをいま母に言ったとしても、そんなこと忘れた、悪いことをしたお前が悪い、そもそもしつけのためにやったんだ、と母は自分の行為を正当化して私を責めるのが目に見えています。
そう、しかも毒親の悪質なところというのは、本当はただの子いじめやストレス解消だったくせに、「しつけ」「あなたのためを思って」という親だけが使える美しい言葉を悪用して、子供を傷つける言動を平気で正当化するんです。
だから毒親は、悪いことをした、なんて少しも思ってなどいない。
何なら「私は子供のしつけのためにいいことをしてやった」くらいに思っているんですよ‥
毒親にこのような理不尽ないじめの仕打ちをされ続け、しかもそのひどい仕打ちも「お前が悪いからこうなるんだ」「悪いお前をしつけているんだ」と子供自身が悪いと一方的に責められ続ける。
こんなことが、毒親と同居している長い年月の間、日常茶飯事として行われてきます。
子供は、理不尽な仕打ちに対する湧き上がる怒りや不満などの感情を出すことを許されません
それらを押し殺し、毒親から一方的に押し付けられる「お前が悪い」という言葉によって、自分を責め続けていくわけです。
こんな状況下で、子供は正常な心身になんか育つわけがないですよね‥
自分の好きなもの・好きなことがわからなくなる
毒親によるこの強烈な意地悪行為で深く傷ついた私は、それから、毒親には本当に楽しみにしている事、大好きなもののことを隠すようになりました
そしてかつての教訓から、もし毒親に「あなたは何が好きなの」と聞かれた時用に、”ダミーの好きなこと”(毒親にののしられたり奪われてもよいもの)を用意したりして、用心深く行動するようになりました
このような日々を送るうちに、私は、自分が好きだと思うものや「いいな」と思うもの、いいと思える感情自体が、だんだんなくなってきてしまったんです
それはそうですよね。
好きなものを少しでも毒親に知られると意地悪く奪われてしまう環境、自分の好きなものを自由に好きと言い、愛でる事ができない環境だったのですから‥
毒父が不機嫌になると、家中の物を掃除と称して捨てまくる行動を取ることがよくあったんです。
不機嫌な”掃除モード”の父は、私の部屋にも突撃してきて「きたねぇ部屋だな!ゴミばかりだ!捨てろ!」と命じられました
とんだとばっちりですが、私は毒親に逆らえません。すでに、そのように調教されてしまっています
私は無の感情で、命じられるがままに、毒父にごみと指定された、自分の持ち物である雑貨やコミックを、無の心で捨てるようになりました
好きなものを罰として奪う。ゴミとして扱う。
やつら毒親は、子供にこんなひどい仕打ちをしても罪悪感なんてものは一切ないんです。だって、やつらにとっては「子供のための躾」「いいことをしてやった」なのですからね‥
私は10代早々には、毒親によって「自分の好きなこと・好きなものがわからない」という、哀れな心を持つ人間になってしまったんです
コメント
はじめまして。
この記事に書かれていること、私の親そのままでした。漫画雑誌やゲーム、マニキュアなど見つかれば発狂され、挙句店に返してこいと怒鳴られました。どれも禁止されていて、祖父母に買ってもらったものでした。
特に父親の方が酷く、母はそれを見て見ぬふりでした。今思い返せば理不尽なことたくさんあったなぁと…
こんなのほんの一部ですよね笑
毒親育ちの子供時代には心をえぐるエピソードが多すぎて。
あと、急に掃除スイッチ入って物を捨てまくるというムーブ笑笑
あるあるすぎてちょっと笑いそうになりました。本棚ひっくり返したりして。
毒親って根底に子供をいじめつけてやろうという精神があるから、家庭は違えどやることって似通ってくるんでしょうね。
私は今、うつと摂食障害と一緒に生きています。育った環境のせいなのか、元の性格のせいなのかわからないのですが…
子供時代、学生時代に溜まってきた膿が少しずつ出てきてるのかななんて思ってます。
正直、20代全部おじゃんになりそうですが、死ぬこともきっとできないのでなんとなく生きてます。
他の記事も興味深く、時には共感しながら読ませていただきます!
コメント失礼しました!
うに さま
はじめまして。このブログを見つけてくださり、そして感想までお寄せいただきましたこと、とてもうれしいです!ありがとうございます。
親からのしつけと称したいじめ行為、いつまでも辛い思い出として忘れることができませんよね。
私はかつてのあの親たちの年齢を超えましたが、どう考えても子供のための行いだとは思えません。
日々の不満だらけのストレス発散、ガス抜きとして弱い立場の子をいじめた、としか考えられないんですよね。
私の過去の経験や、経験を通して考えてきたことなどを、これからも文章にしていきたいと思っています。
クスッと笑ったり、何か少しでもお役に立てることがあったらうれしいです!
よかったらまた読んでみてくださいね。