毒親育ちが社会に出ると、どうやら毒親家庭のルールは、社会のルールと違うことが多い、なんならおかしいということにうすうす気づき始めます。
しかし、子供は1人では生きられません。
この毒親家庭に生まれてしまったら、自立をするまでの気の遠くなるような時間を、この毒親家庭で生きなければならないんです。
そこで子供はどうするかというと…家庭での毒親の理不尽な言動を、無理やり正当化し、飲みこみます
そのためには、自分の感情や自尊心を地の底に叩き落し、押し殺した状態で、自立までの長い時を生きなければなりませんでした。
その無理や後遺症は、大人になってもなお、毒親育ちを苦しめます
社会の一般的価値観と、毒親家庭の価値観の違いに混乱し、苦しむ毒親育ち
こちらの記事で書いたように、子供の私は小学校で、「暴力」ということに関する、社会一般でふつうとされている価値観と、毒親家庭での価値観の違いを嫌というほど知りました
その中で私は、ある重大なことに気づいてしまいました。
普通の人たちの間では、”暴力はいけない”ということはわかった。
じゃあどうして私のお父さんとお母さんは、
その”いけないこと”である肉体的・精神的暴力を、いつも私に振るうのだろう‥?
親は、子供を大切にしてくれる存在だと思いたい。
社会では、暴力はいけないことだと言われた。
我が毒親は、その大切であるはずの子供(私)に日常的に”いけないこと”とされている暴力を振るう。
この毒親の行動は、一体どう解釈したらよいの?と混乱がおこったんです
ここで子供の私は、このような悲惨な解釈をしたんです
親が私に振るう暴力は、きっと私に必要なしつけなんだ。
本当は人に使ってはならない最終手段を
親は私に取らなきゃないくらいに、
私は悪い子なんだ
‥歪んでますよね。
でも、当時の私は、このような結論を無理やり出すしかなかったんです。
どうしてかというと‥
幼い私は親がどんなにおかしい人間であろうが、私は、この生まれ落ちてしまった家庭の他に、行き場のない状態でした。
外に助けてくれる人も施設も何一つありません。
親戚も毒だらけ、自己中で冷たい人間ばかりでした。
だから私は大人になるまで、私はここで生き延びるしか道はない、ということがわかっていた。
そのためには‥こうやって毒親から受ける理不尽な暴力をむりやり正当化し、自分の本心をねじまげてまで解釈しておかないと、この先自立できるまでの長い時間を、毒親家庭で引き続き暮らすことはできなかったんです
本心も真実もぐにゃぐにゃに歪めた無理やりな解釈をして、自分を無理やり納得させる。
これは毒親家庭という理不尽で厳しい環境下で生きることを強いられた毒親育ちが取らざるを得なかった、ひとつのサバイバル方法でした。
このように、毒親家庭に生まれてしまった子供は、社会でそのおかしさに直面したとしても、他に生きられる場所がないため、毒親からの理不尽な行動を脳内でむりやり正当化し現実を受け止めようという、涙ぐましい努力をします。
この、生き延びるための歪んだ悲しい努力によって、私は様々な副作用・後遺症に悩まされることとなりました
どのような後遺症かというと‥
- 自己肯定感が地の底。自尊心はどこいった?という状態
- 感情を長年押し殺していたことで、自分の本当の感情が出せない。わからない
くわしくみていきたいと思います
自己肯定感が地の底。自尊心はどこいった?という状態
毒親の暴力をむりやり肯定せざるを得ない状況に長くいるうちに、私は
- 「自分は悪い人間だ」
- 「本当は、自分はここにいてはいけない存在なんだ」
と思うようになりました
どうしてかというと‥
「人には暴力を振るってはだめ」というのが社会のルールだと知った。
なのに、私の親は私に日常的に暴力を振るう。
ということは、そうしなければならないほど、私というのは悪い子なんだ、と自然に思うようになってしまったんですよね‥
自分の親から、「暴力という使ってはならない手段で存在を日常的に否定される自分」のことを、自分自身で肯定なんてできるわけないんです
自己肯定感はもう地の底、どん底ですし、自尊心なんて持つことすら許されない、という状態でした‥
このようなマインドで生きていたかつての私は、子供の頃からいつもどこか辛く苦しく、
- 「なんだかどこにいても居心地が悪い」
- 「そもそも私はここにいてもいいんだろうか?いちゃだめなんじゃないだろうか?」
という思いと共にいたものです。
今考えると、「毒親に、存在も自己肯定感も自尊心も、日常的に地の底に叩き落されている」状態だったのですもの、辛くて、居場所がないと感じるのは当然のことですよね‥
感情を長年押し殺していたことで、自分の本当の感情が出せない。わからない
長い時が経って、
私は大人になり、親の力を借りずとも何とか一人で生きられるようになってはじめて、わが親が毒親だということに気づきました。
正確に言うと、「気づく」というよりも、親なしで、一人でも生きることができるようになったからこそ、「やっと”親であってもおかしいものはおかしい”と認めることができるようになった」という感じです
そして暴力をはじめ、かつての彼らの言動の一つ一つを改めて思い返すと、親としてありえない、ひどいものばかりだったことに気づくこととなります。
私は毒親の暴力を受けてから何十年も経って初めて、彼らからの仕打ちに対して、やっとはじめて怒りの感情を持つことができたんです
それまでは自分の本当の感情は殺すのが当たり前、適切な瞬間にだすことが出来ず、自分の感情がとても鈍くなった状態だったということもまた、長い時を経てやっと気づいたことでした。
毒親に養われていた頃に毒親の前で本当の感情を出せば、行き場を失うなどの命の危険があったので、おかしいものをおかしいと思ったり、怒りを感じたりするような自分の素直な感情は封印していなければならなかったのですよね。
毒親家庭で受けた後遺症に、大人になっても苦しめられる
毒親育ちは社会に出ることで、「自分がいる毒親家庭と毒親家庭でまかりとおっているルールがおかしい」と気づいたとしても、そこから抜け出して、社会のルールだけを守って生きることは決して許されませんでした
毒親家庭に生まれ、生き延びるには、社会でまかりとおるルールを守りながらも、やはり毒親家庭でのルールを最優先に守り続けなければなりませんでした。
毒親家庭では、生き延びるために毒親のおかしな言動をむりやり正当化し、自己肯定感を地の底につき落し、本心や感情を押し殺す‥という非常に苦しい状態で生きなければなりませんでした。
この自己肯定感どん底、自尊心地の底、感情をうまく出せない状態…というのはなかなか正常な状態には戻らず、社会で生きる上での大きなハンデとなって、今の私を苦しめ続けています。
これらを抱えたままだと、社会で働いたり人と関わるという、人として基本的な行動がいつまでたってもうまくできないんです。
心の踏ん張りがきかず、いつもすぐにぽきっと折れて倒れてしまうような感じなのですよね‥
毒親家庭に生まれ落ち、そこで命をつなげなければならなかったため、子供の頃から行ってきた無理の数々。
それらは何十年も経っても、毒親と決別したその後ですら、毒親育ちに様々な形で悪影響を及ぼし続けるのです
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