引き続き、毒親育ち視点でジブリ映画を見た時の感想を書いていきたいと思います。
その1はとなりのトトロ、その2は魔女の宅急便、についてを書きました
その3は、耳をすませばです
この作品が封切られたとき、私は主人公の雫と同世代でした。
当時の私は不登校に悩み、一人苦しみを抱えていたのですが、
同じ悩み苦しむ10代でも、主人公・雫がいるその場所‥特に取り巻く大人たちが、自分の環境とあまりに違いすぎることに愕然としました
映画を見ていると、自分のみじめさがますます浮き彫りとなって直視することが難しく、
私はしばらくこの作品から遠ざかっていました
それから長い年月が経ち‥
私は耳をすませばのテレビ放映が決まると「やった!放映楽しみー!」と待ちわびる大人になりました
すごい変化ですよね?
ここまでの心の変化があったのは、私が幸せになって、作品を落ち着いた目で見られるようになったから?‥では決してありません。
その理由とは、耳をすませばのネット実況に出会い、そのあまりの楽しさに夢中になったから、なんです‥
この記事では、毒親育ちの周りにいる大人とは大違いである、耳をすませばに登場する、親をはじめとした子供に理解のありすぎる大人たちについてと、
私が大人になって出会った耳をすませば・ネット実況がどんなに楽しいものだったか、その思い出、
そして私がネット実況を笑い転げながら見ることによって、かつて勝手に抱いていた耳をすませばへの鬱屈する思いが少しずつ溶解していったこと
などについて書いていきたいと思います
異様に理解のある、登場人物の大人たち
毒親育ち視点で耳をすませばを見てもっとも印象に残ることは、これまでのジブリ作品と変わりません。
それは、登場する大人が”立派な大人”ばかりだということです。
登場人物の大人たちに対して、私が立派な大人だなぁ、と感じた部分とは‥
- 子供を愛情をもって見守り、適切な距離感をもって接し、支えることができる
- 子供に対する理解力や包容力がすごい。
子供がどんなふうになっても受け止める余裕がある - 個人が精神的に独立している
耳をすませばに登場する両親を含めた大人たちは、そろってこんな性質が標準装備されてるんですよね
熱中するものを持ち、かつ、子をよく見ていてしっかりと向き合う両親
主人公雫の両親は、それぞれが自分が熱中するものを持っています
お父さんは図書館司書、お母さんは大学へ社会人入学。それぞれが忙しい毎日を過ごしています
これが最高に羨ましかった。
我が毒母のように、暇と心の空洞を子供で満たすべく、子供に気持ち悪い張り付き方をするようなことがないんですよね。
でも決して子を野放しにするということはなく、雫が進路を選択するときの心の揺れを、この両親はしっかりとキャッチして、雫と時間を取り、徹底的に話し合うんです
そして子供の持つ夢を理解し、肯定し、応援する‥
ここもまた毒親とは恐ろしいくらいに違いすぎます
毒親は、子供が何を考えているか?なんて微塵も気にしませんし、子供の夢を応援するなんて概念は彼らの脳内には存在しません。
毒親は、自分の子供に対して
- 自分の思い通りに動き、自分の思い通りに存在するのが当たり前
- めんどくさいから俺たちの手を煩わせるな
という風に考えています
その証拠に、私は親から「あなたは何をしたいの」「あなたがしたいことをサポートするね」といった言葉はただの一度もかけられたことはありませんでした
そして、実際に苦しんでいる最中に、毒親は私の苦しみを増やすようなおかしな行動を取るので、私はますます混乱させられました
例えば小学生の頃、クラスの友人との人間関係に悩み、私の方から親に悩みを話したとき。
毒親からはこんなことを言われました
そんなことぐらいでグチグチ悩むな!
俺の小さい頃なんてもっと大変だった(以下自分語り)
じゃあお母さんが担任の先生とその友達にガツンと言ってやればいいってこと?
それで終わりでいいのね?
これ以上あたしにグチャグチャ言ってこないでよ?
→モンペムーブ発動(担任や友人の家に突撃&鬼電)
このように、罵倒したり、面倒がったり、見当違いのモンペムーブをかましたりして彼らなりに事態の収束を図ろうとしますが、
そこには子供に寄り添う、子供の苦しみを受け止める、なんて気持ちはありません。
面倒を持ち込んだ子供を恨んで罵倒し、面倒な問題としてしかたなく(おかしなやり方で)片づけるだけ。
10代の私が不登校になった時の、毒親の数々の冷たい言動は忘れられません
子供が不登校になっても、毒親は相変わらず子供について動いたり考えることをめんどくさがりました。
毒親が、当時不登校で苦しむ私に対してぶつけてきた印象的な言葉は、以下のようなものでした
一刻も早く社会復帰しろ
あーあ、年頃の娘が家にひきこもりかよ?
俺は家にこもるような人間は大嫌いだ
あたし、あんたがどうなっても仕事や趣味はやめないからね!
あんたがかかってるスクールカウンセラーだって、それでいいって言ってたんだから!
(カウンセラーにしつこく確認したらしい)
私がこれまでの人生で一番くらいに辛く苦しい時、親からこれらの冷酷な言葉を浴びせられたことは今でも忘れられません
毒親というのは、子の苦しみに鈍感・無関心なんです。
- 基本的に子供と関わるのはめんどくさい。ましてや子の悩みなんか自分から知ろうともしない
- 子供がおかしいのは「すべて子供のせいだ」と責任を子に押し付ける
- 子供が求めていないような、見当違いの干渉をする
私の経験から、毒親は子供に関してはこのように↑↑↑考え、行動するようです
雫の両親とは笑ってしまうぐらいに真逆ですよね。
だから、この映画を見た当時の私は、子供が苦難に直面するときの、親の対応のあまりの違いに混乱し、辛さは増してしまったのですよね‥
よそのおじいさんがここまで親身に手助けをしてくれるの?
雫が自分の夢を大切にするきっかけとして、天沢くんの祖父・地球屋のマスターが雫に真摯に向き合ってくれたことというのは、はずせないエピソードですよね。
孫でもないよその子の話を真剣に聞いて、中学生が初めて書いた物語を真剣に読んでくれて、夢を実現させるための暖かく力強いアドバイスを雫にあげる。
泣き疲れた雫に、暖かいなべやきうどんまで作ってあげるんですよ?
なんですかこれ?こんなことってあるんですか?
‥私がこの映画を初めてみた頃、不登校に苦しんでいました。
親も頼りにならず、一体どうしたらよいかわからなくて一人悩み苦しみ、何とかこの困難を打開しなければ‥と必死だったんです。
このおじいさんと雫のシーンをはじめて目にしたとき、私は誇張でなく、声をあげて大泣きしてしまいました
そして、これ以上、この物語を見続けることはできませんでした。
こんなことありえない。
困難にあっても助けてくれる人がまわりに誰一人いなかった私には、このシーンはあまりに刺激的で、真正面から受け止められませんでした。
私は耳をすませばをこれ以上直視することができず、しばらくこの作品からは遠ざかっていました
ネットの実況に笑い転げ、過去の辛さが昇華した
私が耳をすませばをちゃんと見られるようになったのは、初見のときから時間が経ち、だいぶいい大人になってからでした
かつてこの、美しい人たちが登場する美しいストーリーが辛すぎて、最後まで見ることができなかったのですが、
大人になった私は、耳をすませばのテレビ放映が決まると歓喜し、わくわくして待つようになったんです。
ネット実況を。
ネットの実況では、物語が始まるとすぐに「こんなキラキラした中学時代なんてあるか!」という数々の怨嗟の声、「俺なんてこんな悲惨な青春時代だった‥」なんていう具体的なネガティブエピソードなどがどんどん飛び交っていきます。
中にはこれから始まる青春ストーリーに耐えきれず、冒頭でフライング憤死(※文字で)する人の姿も見受けられました
ところどころはさみこまれる、胸がキュンキュンするシーンでは阿鼻叫喚がわきおこります。
次々に書き込まれるその文章はただ暗いだけではなく、ユーモア(だいたいが自虐気味)に富んだ秀逸な表現が多く、その才能あふれる筆致に感心と共感しつつも笑い転げてしまうんです。
そして有名なあのハッピー&エモーショナルリア充クライマックスでは、みんな一斉に「うわあああああ!」とそれぞれのスタイルで発狂します。
リロードが追い付かないくらいみんな(文字で)一斉に叫び、モニターからは謎の熱い一体感が伝わってきます。
例えるなら、ジェットコースターの数々の小波を乗り越えた後の、いちばんきわどい落下に、みんないっせいに、これまでで一番の大声で叫ぶ感じでしょうか。
わかるよ!わかるその気持ち!うわああだよね!
私は実況を最初から最後まで笑い転げながら楽しみました。
本編が終わっても、楽しすぎて興奮はなかなか冷めず、夫からは理解不能なものを見る冷たい視線を送られたものでした。
もはや本編よりも実況を追うことがメインイベントと化していました。
実況に流れてくる数々の文章は、決して暗くなりすぎず、読む人をくすっと笑わせるユーモアを交えつつ、表現のセンスも抜群なものばかり。
かつての私のように、このキラキラ美しい物語に打ちのめされていたであろう人たちによって、抱いてきた鬱屈する思いなどの共感がすぎる文章がどんどんと書き連ねられていくんです。
そんな実況サイトでの文才きらめく文章の数々を、私は大笑いしながら夢中で見ることで
この美しい物語に、様々な思いを抱いてきた人というのは、
私以外にもこんなにたくさんいるんだな‥
と、ちょっとほっとして、より冷静にこの作品をとらえられるようになったものです。
当時、実況サイトでユーモアと悲哀織り混ざる名文を書き込んでいた、たくさんの名も顔も知らない豊かな文才をお持ちの皆さん、当時は楽しいひとときを本当にありがとう…
お陰で私が耳すまとの(私が勝手に一方的に抱いた)鬱屈した気持ちは笑いと共に少しずつ消え去り、楽しい実況の思い出へと上書きされました。
‥私の、耳をすませばとの向き合い方、屈折していますか‥?
まとめ
作り話、ファンタジーだと頭ではわかっていても、同世代の主人公が出ているとどうしても自分とのあまりの違い(特に周りの大人たちの質)に直面し、打ちのめされ、辛くなってしまった十代の頃。
辛さのあまり、しばらくこの作品とは遠ざかっていました。
でも、それから長い年月が経ち、私はネット上の顔も名前も知らないたくさんの文才豊かな実況民のみなさんによる楽しい実況タイムによって、その辛さ苦しさは徐々に取り払われていったんですよね‥
以前「耳をすませばが大好き!胸がキュンキュンして何度もDVD見ちゃうんだよね!」という人に出会ったことがあるのですが、
この私と耳をすませばの関わり方は、真正面からまっすぐにこの作品を愛する彼女からしてみれば、決してありえない、邪道なものなのでしょうね‥
でも最後にもう一度言いたい…
2000年代の耳すま実況は最高に面白かった。
実況をみて笑い転げることによって、私はかつて長い間囚われていたいくつかの呪縛をも一緒に笑い飛ばし、肩の力をふっと少し抜くことができたんです
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