私は、親から望まれない性別で生まれました
「男が欲しかったのに、女が産まれちゃったんだよね~」と、幼い頃から、親から言われ続けてきた女です
これまでの自分を振り返ると、親が望まない性別で生まれ育った子供には、以下の5つの特徴があります
男が欲しかった家庭に生まれてしまった、生まれながらに望まれない存在だった女は、一体どんな人間になったのかというと、
生まれた時から親にありのままの存在を否定される環境下にいたことにより、幼い頃から混乱と自己否定が非常に強く、大変生きづらい人間になりました
特徴の5つを、私の生い立ちエピソードと共に、くわしく書いていきたいと思います
幼い頃、女なのに女であることを否定され、混乱する
えぇ~!?女?嫌だぁ、いらなぁい!
私の両親は、生まれる子は、男の子を強く希望していたそうです
付ける名前も洋服も、すべて男の子用のものを準備万端に整えていたそうです
しかし、生まれたのは、残念なことに女でした。私です
「女が産まれたってわかった瞬間、えぇ~!?女?嫌だぁ、いらなぁい!って声が出たわよ」
笑いながら、よく母は、私にそう言っていました
男の子として生きることを強要される
両親は、男の子を持つ夢をあきらめきれなかったのでしょう。
私にはいつも、男の子用の服を着せ、髪の毛は男の子のように、短く刈り上げていました
周りの女の子が着ているような、かわいいピンクやレースの服、ヘアアクセサリーは絶対禁止です。
女だけど、男の格好をする。女だけど、普通の女の子の格好は禁止。
私は女の子の可愛い服やヘアアクセサリーが大好きでした
どうして周りの女の子たちはかわいくしているのに、私は違うの?私はだめなの?
まったくわけがわかりませんでした
しかし幼い子供ですから、どんなにがんばっても、自分で洋服を用意することはできません。
親にされるがまま、男の子の格好です
また、悲しいときや、辛いときに泣くと、「うるせえ!女々しく泣くな!」とげんこつが飛んできます。
女々しくてって言ったって、女なんですけどね…。しかも幼児にめそめそ泣くなと張り飛ばすって、今考えても信じられません
同じ女の子が、みんな普通にしていることが許されない。なぜかみんなと私は全く違う。
置かれた状況が理解できず、物心ついたころから、混乱の中を生きていました
悲しいエピソード
ある日、母と近所の八百屋さんに行った時のことです。
八百屋さんのおばさんに、笑顔で「僕かわいいね、何歳?」と尋ねられました
幼い私は、違和感を感じ、黙り込みました
「私は女の子だから、僕、じゃないのに…」
おばさんの質問には答えたい。でも、そうすると、私は男の子だ、ということを認めることになってしまう。それは嫌だ。
いろんな思いが交錯して黙っていると、母からの平手打ちと罵声が飛びました
「なんでお前は自分の年齢が言えないんだ!」
「ごめんなさいねぇー出来の悪い子で。5歳なんですよー」
私は、僕じゃなくて、女の子だから、答えなかったのに。
でも、短く刈った髪に、ズボン姿の子供である私は、外から見ればどうみても僕であり、男の子扱いされるのが親や周りの大人にとっては正解でした。
悪いのはどこまでも、男に生まれなかった私だったのです
このように、親が子供の性別を拒否することで、持って生まれた性別とは違う扱いを強要されることで、幼い頃から、子供の頭では理解できない混乱の日々を過ごさなければならないんです
男でも女でもない、どっちつかずな存在になる
浮いた存在
幼稚園や小学校などの集団に入ると、私は「男のような女の子」として、女の子の中からは浮いた状態でした
少し成長した思春期頃は、女らしさがない変な女、という、引き続き、なかなか難しいポジションでしか生きられませんでした
普通の思春期の女の子が夢中になるような、おしゃれやメイク、恋愛を楽しむことなどは、私には許されないからと、興味をもつことすら自然と自分に禁止していました
変化する体、乖離する心。女の子であることを楽しめない
おしゃれもせず、女の子っぽいことは何一つ知らず。しかし成長するにつれて、身体は女性らしさを帯びてきます。
変化していく体が気持ち悪くてどうしても受け付けることができず、隠すように、シャツとパンツといった、男の子がするようなダボッとした服装をしていました
生まれたときから、親からあれほど女性という性を否定されてきたのですから、女性らしくなってくる自分の体に違和感や嫌悪感をもってしまうんですよね
女の子として生まれ、女の子として普通に生きてきたまわりの子たちは、昔から自然に親しんできたおしゃれを、引き続き楽しみ続け、ますますかわいさに磨きがかかります。
ファッションやヘアメイクを、どんどん楽しみながら身に着けていきます。
あまり身なりにかまわなかった友人も、どんどんおしゃれに目覚め、年頃の女の子としてとてもかわいくなっていきました。
孤立
彼女たちとは、重ねてきた過去や、趣味嗜好や考え方が全く違うため、当然、話が合いません。
また、男の子は思春期になると、かわいい普通の女の子たちに夢中になり、「なんかへんな女」である私とは親しくするような子はいませんでした
ごく普通の女の子として存在することができず、ファッションや可愛い髪型の研究など、普通の女の子が何の疑いもなく楽しめるはずだったものも全く楽しむことができない。
「男でも女でもない、へんな存在」として、孤独に生きることしか許されませんでした
社会に出ると、女性としての役割分担を押し付けられて混乱する
社会で嫌でも”女性であること”に直面させられる
社会にでると、嫌でも性別や性差を感じさせる出来事が一気に増えます。
女性として生きられなかった人間である私は、社会でどんどん女性としての役割やふるまいを要求され、辛さはもちろんのこと、さまざまな怒りや混乱の感情に襲われたものでした
今は時代の変化と共にだいぶ変わったと思いますが…私が社会人になったころ、
- お茶くみや果物の皮むき、受付や接待などの主に女性のみに担当させる業務の多さ
- 女性の仕事は、先輩男性をサポートする業務が多い
- 化粧は半強制、服装もスーツではなく、「女性らしい」ビジネスカジュアルを要求される
このような、女性だからという理由だけで、強要される業務や振る舞いがたくさん存在しました
戸惑いと困惑を深める
ずっと女として生きることを歓迎されずに生きてきた私にとっては、社会での女性の在り方に対して、困惑することだらけでした
- なぜ、これまで家で禁止されていた、女性がする台所仕事(お茶くみや果物の皮むき)なんて、仕事場でやらなきゃないの?仕事場は仕事をする場所じゃないの?
- 男性は仕事だけしてても許され、女性にだけしなきゃない雑用があるって何?
- なんでいつも、男性の陰の下働きみたいなポジションなの?
- なんで宴席では客や上司にお酌などの接待をさせられるの?
- なんで女性だけ、化粧とか女性らしい服装とかを要求されてるの?何で女性は、毎日すっぴんにスーツじゃだめなの?
性差による分業が厳然として存在している社会に、女性としての人生になじむことを許されずに生きてきた人間が放り込まれたわけですから、当惑だらけです
家庭で長年強いられ続けてきた女ではない、かといって男でもない、よくわからない立場と、社会という、性差分業が厳然と存在し、それを求められること。
どう適応したらいいかわからず、日々、不満といら立ちで頭がおかしくなりそうでした
同性に相談しても、いまひとつ伝わらない
周りの女性たちは、女の子として育つ過程で、女性として社会で生きる訓練や、心の準備が自然にできているのでしょう
こんな私のねじれてゆがんだ悩みを話しても、理解されませんでした
まあ、気持ちはわかるよ、という優しい前置きこそはありますが、
仕事しないでお茶くんでればいいんだから、楽でいいじゃない?
女子っぽいビジネスカジュアル、選んで着るの楽しいじゃない?
けっこう可愛いし。ファッション誌きれいでかわいいのたくさん載ってるよ
こんなアドバイスをもらいました
周りの女性たちは、私ほどの強烈な違和感や拒絶は感じずに社会人生活を送れているということが、彼女たちと話すことによってわかります
性別を否定された歪みが増大した
- 女性として存在を許されない、でも男でもない、おかしな立ち位置で生きてきた自分
- 女性としての振る舞いを要求される機会が多い社会
親から強要され続けてきて作られた自己と、社会からの要求がねじれているんです。
女性を否定された生い立ちを持ちながら生きてきた人間が、社会では普通の女性としての振る舞いを要求される。それは、混乱で身動きがとれなくもなりますよね…
親が子の性別を否定すると、子供は特殊な育ちをした、特殊な悩みを持つ身として、このようにいくつになっても、混乱と孤立の中を生きなければならないのです
自分が持って生まれた性別をバカにしがち
私を産み育てた親が、自分の性別を嫌がっていることを肌で感じながら生きてきたため、自分の性別を、ごく幼い頃からナチュラルに馬鹿にしてきました
女なのに、女を馬鹿にする。これは、自分否定と同じことです。
自分に生来与えられたものを肯定することができない。
こんな性別大嫌い。こんな性別で生まれた自分なんか大嫌い。最初から、存在しなければよかったんだ…
常に自分を否定する、いつもとても苦しい状態でした
自己肯定感の欠如
「ありのままを、自分自身で認める、受け止める」という、いわゆる自己肯定感を心の根底に持つということは、人として生きる上での基本であり、とても大事なことです
ゆるぎない自己肯定感を持つからこそ、辛くて思い通りにならない人間関係や、ままならない社会の厳しい環境でも、たくましく生きていくことができます
しかし、私のように、生まれた瞬間から持った性別を否定された子供は、容易に自己肯定などできるわけがありません。自分を生み出した親から否定されるのですもの、そんな自分を肯定できるわけないんですよね
日々自分を否定しながら、苦しい日常を過ごさなければなりません。
親も自分も、ありのままを認められず自己肯定感を持てない
重大な自己否定
持って生まれた性別を親に否定されるということは、ありのままの自分を、生まれながらに親に拒絶されたということです。
これもまた、重大な自己否定につながりました
自分の親が、自分のことを強く否定している。
産んだ親が否定するぐらいなのだから、自分というのは、誰にも受け入れてもらえない存在に違いない。
そう自分自身を強烈に否定しており、自分のことなんか大嫌いでした
自分は親にすら肯定されない惨めな存在だという深い傷は、生きる上で様々な悪影響を及ぼします。
自己肯定感を持てず、自分に自信をもって生きることができないというのは、人生を進めることにおいて相当に大きなハンデです
ゼロから自己肯定感を育まなければならないという困難
そして、大人になってから、自己肯定感を持つことの大切さにやっと気づき、そこから自力で一から育むというのは、非常に困難が伴う作業です。
生まれた瞬間から否定され続ける環境に生まれ落ちる、という時点で、生きづらい人生は約束されていたようなものでした
「親に望まれない性別を持った子供」として生まれ育つと、このように生きづらい残念な5つの特徴を持つ人間ができあがる、という話でした
現在は、私を否定する親から距離を取って時間が経ち、以前よりもいきづらさ、苦しさは緩和しました
しかし、まだそのくすぶりは私の体内に存在します。
親の安易な子の否定、子の性別の否定というものが、ここまで一人の人の人生を困難にするということを物語っています
コメント
はじめまして。コメント失礼します。
Twitterで毒親関連を検索中ティーコさんをお見かけしこちらのブログに辿り着きました。多分ですが年齢的に氷河期を経験されてるので同世代ではないかと思います。
私の両親(と姉)はかなりの毒でしてそれをずっと悩みつつ生きてきました。完全に気がついたのはほんとここ5年くらいで遅いわ!と自分にツッコミを入れるくらいです。
こちらの記事に性別を恵まれなかったと書かれていて共感しかなかったので思わずコメントさせていただきました。
私は歳の離れてた姉がいて両親は不妊治療の末やっと生まれたのが私でした。うちは家業をしており跡取りが欲しいのに姉も女だったので次こそは!とみんなが思って名前も男のしか考えていなかったそうです。結構女の子が産まれてその一字を取って私の名前ができました。私の立ち位置は家族のオマケでした。ティーコさんとは逆に女らしくないとという圧が父親は強かったので昭和の偏った植え込みをさせられてそれを母親に嫉妬されるという悪循環で苦しんで生きてきました。ずっと必要されてない子供だと思っていたので無意識に一生懸命親の顔を伺っていたみたいです。
私も悩み続けやっと光が見えてきたばかりですが少しずつ自分を取り戻してるところです。なかなか世の中では解ってもらえない境遇だったのでこのようなお話に出逢えて私だけではないという気持ちが待て救われました。ありがとうございます。
またこっそりお邪魔させていただきます。応援してます!
ぷっち さま
はじめまして!ブログをお読みいただき、そしてコメントをいただきありがとうございます。
親に望まれない性別で生まれ、そして男の子の名しか用意されなかったと‥同じ境遇ですね。
しかも同じ就職氷河期生まれ。家庭からも社会からも、なんか投げやりに扱われてきたな、なんて感じてしまいますよね
親にも望みがあるのはわかるのですが、なぜそれが叶わなかったことを幼い当人に聞かせるのでしょう‥
子供は自分がしたことではないけど自分のせいで、しかも自分ではどうにもできないことで親を不快な目に遭わせてしまった、といらない罪悪感を人生開始早々に刷り込まれ、生き方を歪ませてしまいますよね。
私の体験談をお読みになることで、少しでも心がフッと軽くなることがあったのでしたならば、とてもうれしいです!
これからもブログを書いていきたいと思っていますので、もしよかったらまた、のぞいてみてくださいね。
検索でこちらにたどり着きました。私と同じ境遇の方がいるのだ!と思い、思わずコメントさせて頂きました。
うちは親がマスオさんで家に入り跡継ぎを熱望した結果、私が生まれたという感じです。誕生日が5月4日という、男の子の節句の前の日という恨めしい偶然もあり、いつでもどこでも毒舌の笑いのネタとして、公言しまくっていたのを幼心に覚えています。母親は父親に、迎合する人で、一緒になって卑下し、父親が執着しない妹を猫可愛がり…私が男装させられたのは、思春期に入ってからです。5年生ぐらいからですか、自宅に男物の服しかなくなり髪をベリーショートにさせられました。ちなみに自由服の学校です。この頃から母親から嫉妬心みたいなものを感じてました。当然新しい友達はできず、クラスでイジメにあい、家でも疎まれ、外では痴漢にあい、助けられお前が悪いと親に怒鳴られ事件はないものにされ…(今思えばネグレクトとか虐待?のたぐい)
それでも膨らんでくる自分の胸に違和感を感じ、生まれてきたことを恨みました。段々心が、虚無になっていくのを覚えています。大きいTシャツ云々のところ、まさにそう!そうなのっ!て思いました。
完璧に男装させられていたのは、2年ぐらいなのですが(中学はスカートの制服だった)、失ったものは多く…
ちなみに高校は、中学の先生が親から何かヤバいものを感じ取ったらしく、先生の後押しで強制的に女子校に入れてくれました。でも、それでも、自分の性別に違和感ありありなので、今も自分のことをオネェのように思い過してます。見た目も性別も、女性なんですけど、心はオネェ。でも、おネェキャラって素敵ですよね。私は好きなので、女性を参考にするより、彼女らを参考に生きてますw。その方が違和感ないんですよ。
私も自己肯定感とか自分を無条件に愛するということは、なかなか難しいです。努力と学びを永遠に続けるしかないのかなと思ってます。
私は親を今も良くは思ってません。段々老いていくのですが、ザマミロとしか思えない…けれど、この恨みの炎のようなものをガスコンロみたいに調整していこうかなと思ってます(この炎、絶対に消えませんから…)恨みとか怒りで自分の人生を丸焼けの黒こげで台無しにしたくないですからね。
とりとめのないことを…すみません。
本当にブログに書いてくださってありがとうございました。このことを、ずっと隠し続け、また悩み苦しんでいました…。誰も理解してくれませんし…同じ境遇の方が、頑張っておられるのを知り、とても勇気が出てきました。ありがとうございます!
また、のぞきに来ますね。
どうぞお元気で!
ららら さま
このブログを見つけてくださって、そしてお読みいただき、コメントをお寄せくださり‥ありがとうございます!
性別を否定され、その性別のままでいることを許されないというのは重大な自己否定につながりますよね
よりによって、産んだ主である実の親から、生まれたその時点から強烈な否定を受け続けて・・混乱するに決まっていますよね
オネエさまたちに魅かれるのもよくわかります!
みなさんこれまで、恐らく様々な悩み苦しみに直面し、それらを乗り越えてきていて、楽しいキャラの中にも憂いや人としての深みと言いますか、
見え隠れするそういった部分に魅かれます
自己肯定感を持つことの難しさ、親への怒り‥これらと、自分の今後の人生をよくいきていくことをバランスさせるというのが生涯の自分のテーマだな‥と私も
らららさんと同じように思いながら日々生きています。
お互い、納得できる着地点を探求しつつ、これからの日々をより楽しく穏やかに生きていきたいものですね。
ありがとうございました!またのぞきにいらしてくださいね。
初めまして。ティーコさんのブログを読ませてもらって、共感することばかりです。私も子なし専業主婦です。子供の頃から自分はなんでこんなに疲れるんだろう、やる気が出ないのだろうと悩んでいましたが、毒親に生きる気力を削られていたんだなと、ティーコさんのブログを読んで納得しました。いまだにエネルギーを持っていかれていて、電話で話しただけなのに2日くらい寝込みます。
私も子供の頃、床屋で刈り上げにされてました。母には男の子だったら良かったのにと言われたり。あの頃は母の期待に応えないといけないと思っていたので男の子達と遊んだり、男の子っぽく振る舞っていました。お前は胸が小さいからと言われサイズの合っていないブラを付けさせられたりで、しょっちゅう男の子に間違えられていましたね。デブでブスにロングヘアは似合わないと呪いのように言われ続けていましたし。父も私が女らしくするのが嫌みたいです。いつまでも、タイトな服は着るな!化粧はするな!でしたから。
それが突然、私が高校生くらいになると、もっと女の子らしく育てれば良かった!などと母が言い出し混乱させられました。毒親って子供を混乱させるのが好きなのでしょうかね?
らららさんのコメントにあるように、私も中学の担任から女子校を勧められて入りました。そこでは私のようなベリーショートの子が沢山いましたが…それは本人の意思でボーイッシュな格好をしている子たちでしたけど…
KOKOさま
こんにちは!ブログをお読みいただき、そしてコメントをありがとうございます。
どうして自分はいつも疲れてしまうのだろう?と昔から謎でした。
疲れやすいことを親にもよく詰られていたのですが、後から冷静に振り返ると、あの自分を詰っていた親たちにエネルギーを削がれ続けていたからだということに、
大人になってやっと気づきました。
親が娘に、女の子らしい格好を許さない、そして年頃になるとそんな子を責める‥って一体どんな思惑なのでしょうね?
幼い頃、まわりの友達のようにきれいにかわいくしてもらえないって、それだけでも日々消耗しませんでしたか?
私はうなだれて自信を持てずにいました。
自分の意思でボーイッシュでいる子とは、メンタルの状態というのは全く違いますよね…