毒親の元に生まれ育った私が、人生の危機を感じたとき、3地点。
- 第1の危機:小学生の時。私の親はもしかして異常ではないかと気づく
- 第2の危機:高校生の時。燃え尽き症候群で不登校になる
- 第3の危機:アラサーの時。これまでの疲れの積み重ねにより、重度のうつ病になり、親との疎遠を決意する
ここでは第2の危機・不登校になった高校生の時のことを書いていきたいと思います
ちなみに、この危機をどうやって乗り越えたのか?といいますと、
高校生の時の私は、人生の危機をスピリチュアルにすがってなんとか乗り越えたんです…
はじめに…以前の記事で、スピリチュアルって怪しいよねって言ってました。ごめんなさい!
実は…以前アップした記事の中では、冒頭「スピリチュアルって、なんか怪しいですよね(笑)」というスタンスで書いていました
ごめんなさい!こんなこと言っといて、実は高校生の頃、生きる支えにするくらいにどっぷりスピリチュアルにはまりこんでいました!
弁解を許してもらえるのなら…私は、現在はスピリチュアルとはあまり深いお付き合いすることなく生活しています
現在のその立ち位置で、話題としてあがってくるスピリチュアル関連の話題を見聞きした時、私は一体どんなふうにとらえたかといいますと、「怪しい」というワードが出てしまいました…
それでも、記事によってスタンスが変わっていることに、違和感を感じた方もいらっしゃったかもしれません。すみませんでした
スピリチュアルに対しては、過去の自分と現在の自分のとらえ方や付き合い方が変わっている、という風にご理解いただけたら幸いです
第2の危機:高校生の時。燃え尽き症候群で不登校になる
他の記事でも触れたことがありますが、私は中学生の頃、
- 親の学歴コンプレックスによる勉強の強要
- このおかしな環境から逃れたい
こんな理由で、好きなことなどを何もかも捨てて勉強に没頭し、中学3年生の春、無事に志望校に合格することが出来ました。達成感でいっぱいでした
しかし、賢明なみなさんならご存じかと思いますが、「高校入学はゴールではなくスタート」だったのです
実は、中学時代の担任には「お前はあの学校は行くべきではない」と進路指導で言われていたんです
この担任とはあまり良い思い出はなく、「どうせいつもの意地悪で言ってるに違いない。私は志望校は絶対変えない」と私は決意を曲げずに受験しました
そうしたら…ハイレベルかつ膨大な量の高校学習が私を待ち受けていました
必死で追いつこうとしますが、私は高校受験にすべての力を使い果たしてしまっていて、疲れて勉強に身が入らないんです。いわゆる燃え尽き症候群の状態でした
あいつ(中学の担任)の言うことが正解だったのかな…ふと頭によぎりました
日々の勉強についていくことが出来なくなるにつれ、学校に行くことも辛くなってきました。そしてとうとう、不登校の状態になってしまったのです
両親は「甘えるな!ふざけるな!学校へ行け!」と、毎日私を無理やり学校に行かせようとしました
両親は進学校に合格した私のことをあちこちの知り合いに自慢して回っていました。いつもは私のことなど粗末に扱う癖に、自慢の道具になるときだけは全力で利用します
”難関校に合格した自慢のたねである娘”が、不登校などという恥ずべき烙印を押されることは、彼らには決して許されないことだったようです
しかし私はどうしても学校に行くことができませんでした。朝から泣き叫ぶ母、怒鳴る父が周りを取り囲む中、私は布団の中で耳をふさぎ、体を丸めていました
しかし。両親は一通り泣きわめき怒鳴り散らすと、いつも何事もなかったかのようにスッと自分の生活に戻っていきます。途中で私を罵倒するのに疲れてめんどくさくなってしまうのだと思われます
また、私が辛さの余りリビングで大泣きしてしまった時がありましたが、そんなときも、両親は私に寄り添うどころか、目を合わせることすらなく、私を無視してお茶を飲みながらテレビを見ていました
進学校に受かっても登校しないガキなんて役立たずで邪魔なだけだ
リビングで泣く面倒なガキの相手なんてうざいから、無視に限る!
…当時の親の態度を思い出して気持ちを想像してみると、こんなところでしょうか…
スピリチュアル本に救いを求めた女子高校生
このまま不登校を続けていれば、今後の私の人生はより困難が多く大変なものになる可能性が高い、ということも心のどこかでわかっていました
私はこの苦しみから逃れるヒントはないかと本屋をさまよいました。当時はネットが普及していませんでしたので、新しい情報を手に入れる場所は、主に本屋でした
そしてあるコーナーに行きつきます。ビジネス書が置かれている一角、今でいうスピリチュアル本が集められている場所でした
当時は1990年代半ば~後半、世界が滅亡するという予言者で有名な1999年が近づくタイミングでした
そんな、いわゆる世紀末思想の影響か、ビジネス書の分野にもスピリチュアルの影響を受けた本が多数発行されていました。美輪明宏氏・江原啓之氏によるスピリチュアルブームのおよそ10年ほど前ですね
私が特によく読んだのは、経営コンサルタント会社を経営しながら、スピリチュアル方面の研究に励み、たくさんの書籍を著してしていた船井幸雄氏の著書でした
企業経営者という、ビジネスの第一線に立つ人が、スピリチュアルを肯定するだけでなく、その分野を深く研究し、専門の書籍まで出すというスタイルにまず新鮮さを感じました
船井氏は今でいう、スピリチュアル分野におけるキュレーターでした。スピリチュアルの研究をしているたくさんの人々とその思想を著作で紹介されていて、私は書かれている関連書籍を貪るように読みました
そして船井氏はいつも、著作の中で「まじめで、コツコツ努力ができて、勉強好きな人は、絶対にいい人生を送れますよ」ということを、何度も繰り返し伝えていました
私は船井氏の本を読むたびに、その言葉に励ましと勇気をもらったものです
「生きがいの創造」との出会い
そして、船井氏の著作のなかで紹介していた数あるスピリチュアル本の中でも、非常に感銘を受けて、何度も読み返した本がこちらです。
飯田史彦著「生きがいの創造」
著者は飯田史彦氏。この本を著した当時は、福島大学の経営学部の教授でした。経営学を専攻する学術界の人とスピリチュアル、こちらも一見相反する2つのミックスですね
大学教授という学術界の人が、魂の存在や生まれ変わり、神と言われる存在のことなどの、バリバリのスピリチュアル分野についてを真剣に考察する。そのギャップに大いに惹かれました
スピリチュアルには程遠い立場にある人の、スピリチュアルについての考察って、一体どういうのだろう?
とても興味がわいて、読み進めました
…これは本当に余談の毒親話なんですが…
私は当時この本を新刊で購入しました。十代の高校生にとって、ハードカバーの新刊というのはとても高価な買い物です
それなのに、外面のいい毒母が「うちの娘はこんな本を読んでるんですよぉ~」と勝手に私の本棚からこの本を取り出し、母の知人に貸してしまったんです
(毒母はまったく読書をしない人でしたが、私が読んで感銘を受けた本の話をすると、あたかも自分が読んだかのように知り合いに触れ回り、勝手に私の蔵書を貸してしまうということが度々ありました)
そのあとどうなったと思います?本は結局借りパクされて戻ってこなかったんですよ?大切に読んでいたのに…
そもそも知人の娘の本借りパクするか普通…?類は友を呼ぶって本当なんですね!
母からはこのことについて、「返してくれないなんて困った人よねぇ」という、まるで他人事のただのつぶやきの他には、未だに謝罪の一つもありません
結局古書店で同じ本を買いなおしたんですが、今思い出してもめちゃくちゃ腹立ちます…
今世のこの苦しみは修行である ーとある女子高校生の気づきー
生きがいの創造は、「生まれる前の記憶」を持つ子供たちの発言の数々を集めた章からはじまります。子供たちが無邪気に話す内容には、奇妙な共通性があるのだそうです
- 生まれる前、雲の上からこの世界を見ていた
- 自分で「あの場所に生まれる」ということを決めた
- 雲の上では、えらい人(恐らく”神”や”指導霊”という存在)と一緒にいた
そこから、「なぜ人は生まれたり死んだりということを繰り返すのか?」という考察を深めていきます
この本には、飯田氏の知人の医師の他、欧米の精神医療分野で実際に行われた大規模な臨床実験の経過が丹念に記されています
それらの実験結果の数々から、飯田氏が「もはや否定しようのないことである」と言われるエッセンスをまとめると…
◆どうやら人間のコアというのは、いわゆる「魂」といわれるもので、魂は人の肉体に入り、様々な時代に生まれ変わり死に変わることを繰り返している
◆なぜ生まれ変わりを繰り返すのか?それは様々な立場での経験を積むことで、たくさんの学びを得て、魂をより向上させるため
◆人間(魂)は決して今世のみで終了ではなく、死後いったんはあの世に帰るけれど、その後、再び別の人として生まれ変わる。生まれ変わりを繰り返し、魂の向上を深める
◆やがて「人間としての学び」が完了すると、人間として生きる局面は終わり、その魂は、高次元の指導霊などに変わる
この本でなされる考察の数々に、私は目が釘付けになりました
そして、本で述べられる内容を、私自身に当てはめて考えてみました
- 今、私はとても苦しい状態にいる。しかし、これは単なる無駄な苦しみではなく、すべては魂の成長のための学び、来世のための蓄積になっている
- 今生がどんなにクソでも、学びを得ながら耐えて生き延びれば、来世はもっと生きやすい場所に生まれ変わることができるかもしれない
なんなら次は、もうこんなクソみたいな人間なんてものに、生まれなくてもよくなるかもしれない…!
私は一筋の、希望の光を見た思いがしました。そして本を読んだ後に、こう決意しました
私は魂の学びと、来世以降の積み上げのために、
今世は歯を食いしばって生きなければならない。
これが「人生で最も楽しい時期」と言われる女子高生の考えることでしょうか…ちょっと引きますよね
しかし、当時の私には、自分を支えてくれる何かがとにかく必要でした
これまでにない人生の危機に直面しても、私の周りには、支えてくれる人や助けてくれる人は一人もいません
ここから、私がたった一人で、人生を再構築するためにはどうしても心の支えが必要だったんです。当時の私にとっては、心の支えがこの、飯田史彦氏の著書にあった「人間とは、魂の修行である」という概念でした
来世のために、いまやれることはすべてやる
この考え方に出会った後。
もう二度と人間なんかに生まれなくても済むように、魂の学びを進めなければならない。私はその一心で、目の前のやるべきことを猛烈に片づけ始めました
学校に行けなかった分の追試や補講を必死で受けて、無事高校を卒業した後、将来の選択の幅が広がるだろうと考え、大学進学を決意しました
受験に必要な分野の勉強に絞って一から学び直し、それから大学受験の勉強にとりかかりました。一年のブランクこそ必要でしたが、無事に大学に合格することができました
強い学歴コンプレックスを持つ毒親は、私の大学進学には反対しませんでした
しかし、私には余計な金をかけたくなかったのでしょう。「大学に行くなら近所の安い大学しか許さない」というミッションを課されていましたが、そのミッションも何とかクリアしました
本当は薬学部などの国家資格を取れる大学に進学したかったのですが、「学費高いからダメ」その一言で却下でした
薬剤師になれれば、恐らく高い学費などは就職後数年でペイすると思われます
しかし、残念ながら毒親の頭にはその計算式がなかったようです。彼らに養われている存在の私は、彼らに従わざるを得ませんでした
一方で、溺愛されていた妹は学費がクソ高い私大に入学して、通学がだるいという理由で即中退していました。自由でいいですね!バーカ!
スピリチュアルによって乗り越えた、第2の危機
このように、私は不登校という当時人生最大の危機を、スピリチュアル系の書籍とその考え方に支えられながら、何とか乗り越えることができたのです
「もう二度と人間なんかに生まれなくても済むように、魂の学びを進めなければならない」
高校生の私は、この一心でひとり苦闘してきたのですが、果たして来世、人間としての学びを完了して、人間以外の高次元の存在に生まれ変わることが出来るのでしょうか?
それは、人生を無事に完了したときに、答えがわかるのでしょうね…
当時辛かった私を、最も励まし支えてくれた飯田史彦氏の著書、「生きがいの創造」。
タイトルが表したその通り、私はこの本によって、辛く苦しいばかりの人生に生きる意味を見出すことができました。
そして、この本を心の支えに置きながら、訪れた人生の危機を脱出することができたのです
この本は現在でも版を重ね、著者によるたくさんの追記がなされた「完全版」が出版されています。関連書籍もたくさん出版されているようです
私と同じように、生きる意味や心の支えを欲しているたくさんの人に寄り添い続けている、ロングセラー本となっているのですね
話はその3へ続きます
コメント