前回の記事では、毒親からの「あんたばかりずるい!」という言葉で姉である私が自助努力で得たものを、ずるい扱いされた上に、
”それを持っていない、かわいそうな妹にあげなさい”と、私が手にしたものを妹に渡せと主張するという、
力ずくで姉妹差をなくそうとする毒親の謎ムーブの話をしましたが、
このムーブの源には、わが毒親の信条だった「うちの子達はなんでも平等」があるんです
この、彼らのいう平等というものが本当に曲者で‥
今考えても、これはぜんぜん平等なんかじゃなかった。
そのからくりは‥
①長女(私・搾取子)が必死で得たものを不当に奪われ、
②次女(妹・溺愛子)にそれを差し出したり、他にも次女だけが労せずいろいろ得る
という、平等を騙ったその実は、
溺愛された妹だけが楽していい思いをするような、悪質な悪平等の仕組みでしかなかったんです
この記事では、毒親が押し付けてきた「うちの姉妹は平等」の、その内容と大いなる矛盾についてくわしく書いていきたいと思います
わが毒親が主張する「うちの子供たちは平等」の内実
わが毒親が私と妹の間に作り上げた平等とやらを、わかりやすく図で表してみました↓
毒親の理想は、子供たちが↑となっている状態でした
どんなときでも、うちの子達の持ち物や状態は、おんなじ!
平等じゃないとだめ!
そこで例えば、私が努力の末に、学歴やお給料や人脈などを手に入れた状態になると、目に見えた姉妹平等状態は崩れますよね?
そうなると、毒親からの、私への大合唱が始まります。
「おまえばかりずるい!」と‥
姉(私)が新たに持ち物を増やすと、毒親のいう”平等状態”はくずれる。
でも、私は自助努力で得た、のですよ?
しかし、私の努力なんて毒親には関係ない。
姉妹がみため不平等状態であることが、彼ら毒親には決して許せない、子供たちが不平等状態(=溺愛妹がかわいそう!)だ、と考えるようなのです
…おかしいですよね‥
そして、毒親たちはどうするかというと、この、姉妹間でできた差を不当な方法で埋め、”見た目平等”の死守をがんばりはじめます‥
①姉(私)が努力で獲得したものを「お前ばかりずるい!妹ちゃんにもあげろ!」と騒ぎ立て
②それだけではなく、親からは妹だけに様々な援助やプレゼントをせっせと与え、
③こんな歪な中身でできている「子供たちの、見た目だけの平等」にすることに汲々とします
…これ平等ですかね?
ちなみに妹は、黙ってれば分け前がもらえるとわかってるので、騒ぎ立てる両親のうしろで、いつもちんまり待機してました。腹立つわぁ‥
平等であると言い張り不平等を行う。きれいなことばで汚い事実を包み隠す、毒親のやり口
彼らにとっての「子供は平等」とは、↑の図で示したように
①姉である私の我慢にただ乗りしたり、私の必死の努力の産物を「ずるい」と断罪し、
②それをむしりとって妹に与え、
③それだけではなく、親から妹にだけ、特別にせっせと“不足分”を与えてできあがる
非常にいびつで、単なる溺愛子優先の不平等だったんですよね。
そんなの平等でもなんでもねえよ!
不平等を、平等だと言い張る。
おかしなことを、正しい言葉で押し隠す。
これは毒親がつかう常とう手段でした
毒親はいつも、言っていることとやっていることが逆なんです
彼らは長年にわたって、毒親として、私の心身をめちゃめちゃにした加害者だった。
心身を病み、彼らとの交流に限界がきて疎遠にすると、
「子供が冷たい。冷たい子供に放っておかれるかわいそうな老親」という被害者を装い、周りの同情を必死にひいて、私をますます追い詰めました。
加害者の癖に、その逆の被害者ぶる。
こんなことを息を吸うようにしてのけていた人たちでした。
これまで語ってきた、子供への平等の強要という面でも、彼らは同じ方向性で動いているんですよね。
「自分たちは子を平等に扱う!」と平等という美しい言葉を多用し、公平な親を装いながら、
実は反対の不平等を子に押し付ける。
うちの子達は平等!と声高に主張するその実は、
搾取対象の子が豊かになることを嫌がり阻止し、
溺愛する子が楽してますますいい思いをする不平等を推進していた。
言ってることとやってることが、まるで逆だったんです
かつて不平等な扱いを受けてきた、我が毒両親
こんないびつな平等を子に押し付けたわが毒両親は、子供の頃、
父と母、それぞれ自分の育った家庭であからさまに差をつけられ、不当な扱いを受けて育ってきました。
なぜ私がそれを知っているのかというと、
私が子供の頃から、まるで物語のように、両親の昔の愚痴をさんざん聞かされ続けてきたからです
父は・・・
弟が溺愛されるなか、自分だけが毒祖父母にこき使われ、その上世代からも折檻を受けたとよく私に話していました
母は・・・
「跡継ぎの男が欲しい」と待望してる家に、女として一番目に生まれました
後に待望の男の子として生まれた母の弟はそれはそれは溺愛され、親の愛もエネルギーもお金も学歴も何もかも、弟にかっさらわれてしまったそうです。
母はかつて勉強が好きで、どんなに大学に行きたいと親にせがんでも、「うちには弟を大学にやる金しかない。」とすげなく断られ、
高校の半ばには勉強する気が失せた!とこれまた私が幼い頃から、何度も何度も言い聞かされていたものでした
「だからうちは平等に育てるの!!!」ということを、いつもまるで心からの悲鳴のごとく、そして恨み言をはらす呪文のように唱えていたんですね。
彼らの中には、かつて自分たちが遭ってきた兄弟間の不平等を、自分たちは決してわが子に行わないという強い決意があったようです
でも…彼らが考えてわが子に実行する平等とは、先に述べたように、決して平等ではなく、平等のきれいな言葉に隠した圧倒的不平等だった。
まるで逆のことを行なっている。不思議ですねぇ…
長くなってしまったので、その2に続けたいと思います
その2では、わが毒親の主張する”平等を騙る不平等、矛盾だらけの平等主義”からみえる、
兄弟姉妹は絶対平等!を標榜し強要する親というのは、長子の日ごろの苦労にたいするねぎらいの気持ちというものがまるでないということ、
毒親の行動をみていて、かつて「毒親たちが育った家庭でされてきた不平等」を、自分の下の世代からすっぱりと断ち切ることは本当に困難なことであることがわかる
ということを書いていきたいと思います
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