先の記事で書いたように、わが毒父は、生命の危機を感じる位の虐待行為を幼い私に平気でするクズだったんですが、
母は、父から虐待されている私のことを、ただの1度も守ってくれたことがなかったんですよね。
ボーっと傍観するか、溺愛妹だけを連れて逃げて、その後↓のように、虐待されて呆然としている私に「おとうさん嫌ねぇ」とまるで他人事のように愚痴ってくるか‥
毒父の派手な虐待に隠れがちでしたが、母もまた、私を虐待する親でした
私に暴力をふるう毒父をいさめないどころか、毒母は、毒父を必死で正当化し、「あたしたちはお父さんに養ってもらってるんだから(がまんしなさい)」などと私に言い聞かせたんです‥
暴力毒父に対する認識をむりやり歪ませ、子にますますの心理的負担を強いた。十分凶悪じゃないですか‥
毒母は毒父から虐待を受ける子を守るより何より、自分が生きるこの環境(毒父と結婚生活をつづけ、専業主婦で生きられる環境)を守ることが大切だった。
毒母の専業主婦生活を守るためには、例え夫が暴力的でモラハラな男でも稼ぎがあるから別れない。
そのためには子供の犠牲なんて二の次、無視するにかぎる、というマインドだったんですね
毒母は、
- 自分の子が、夫に暴力を振るわれても、かばったり守ることをせずに傍観するだけではなく
- 自分の夫が暴虐的であることを必死で否定したり
- 「あたしは子供のためにお父さんとは別れないの」と、暴虐夫と別れられないのを子供のせいにする
‥などの、彼女の生活を守るという第一目標のための、彼女なりの必死の努力をしていたんですね。はたから見ると、歪んだ努力ですけれどもね。
この毒母の歪んだ努力というものは、子である私に、毒父からのひどい虐待を耐えさせたり、大きな不安を抱えさせるなどの様々な負担を強いる上に、私の”物事に対する認識や認知”などをおおいに歪ませました
毒父の暴虐を、必死で正当化していた毒母
母は、父がおかしいことや、自分含め家族に暴虐的にふるまうことを必死に正当化していました
ある時、母が毒父にめちゃくちゃ怒鳴り散らされ、うなだれて落ち込んでいたんです
ハラハラしながら隣の部屋で待機していた私は、毒父が外に出ていったあと、すぐ母のそばに寄って、「おとうさんこわかったね、大丈夫?」と聞いたんです。
そうすると母は首を横に振り、「何言ってるの!これはね、お父さんとお母さんのコミュニケーションだから!ケンカじゃない!」と言い張っていたんです
え?
お母さん、そんなに辛くて悲しい顔をしているのに?
母を責める父はまるで般若のように恐ろしく、横からどう見ても恐怖しかなかったのに?
目の前で見た事実と、母が語る言葉の違いに、幼い私は混乱しました。
母はこうして、毒父の暴虐という事実を必死にごまかして正当化して、毒父のいる家庭で生き延びようとしていたんですよね
あんたたち子供のために、辛い結婚生活を続けているんだ!
しかし、そんな毒父正当化の日々は相当きつかったらしく、母はいつも私に愚痴をこぼしていました
その愚痴というのは、
あたしがお父さんと別れないのはね、あんたたち子供のためなのよ
子供からお父さんを引き離すのはだめなことだから、あたしは辛さを耐えているの
この家庭を維持しているのは子供のため。
そう、子供がいるせいで、自分はこんな地獄みたいな家庭で耐えている、ということを、あろうことか子である私に言い聞かせていたんです
お前たちのせいでこのひどい男と暮らしてんだと子供のせいにする。それを子に言い聞かせて罪悪感を持たせる。
幼い子に対して、何という卑怯な手を使うんでしょうね‥
人は限界を超えたストレスを抱えると頭がバグって、やっちゃいけないことを平気でやってしまう‥にしても、やることの質が悪すぎますよね
そして犠牲になるのは、その場で一番弱い立場である子供。
こんなことを母親から言い聞かされれば、
私が存在しているせいで、お母さんはあんなこわいお父さんと離れられないんだ‥
お母さんが辛いのは自分がいるせいなんだ‥このように、自分が悪いと思ってしまいます。
子供が自分のせいでお母さんが辛い思いをしている、という罪悪感を持つことなど、母には想像する余裕や頭がなかったのでしょうか?それとも意図的に罪悪感を持たせ、子を自分の味方に引き入れようとしていた‥のなら極悪すぎますね
おわりに
毒母は、子供の安全や精神的な健全性よりも、自分が専業主婦としてくらせるこの家庭を守るのが最優先だった。
だから、毒父の暴虐性を必死で正当化したんです。
しかし、暴虐男と暮らして男を正当化する日常によるストレスは極限となり、「この家庭を維持しているのはあんたたち子供のためだ」と禁じ手の愚痴を、あろうことか子供に垂れ流していたんですよね
派手で目立ちがちなのは毒父の暴力や暴言、モラハラの態度だったのですが、それに隠れていた毒母も保身のために、自己中で、子にとって残虐なことを平気でやっていたんです
幼い私は、母の愚痴を正面から受け止めてしまい、「私がいるからお母さんは苦しんでいるんだ=自分のことよりもまず、お母さんを助けなきゃ」という歪んだ使命感に縛られてしまいました
私は恐らく、幼い頃にこの「母を助けなければならない」という歪んだ使命感を持たされたせいで、母の強烈な依存や侵入を許してしまう素地ができてしまったのだと思います
コメント