新緑が芽吹き、気持ちの良い5月に入ると、毒親育ちはそんなさわやかさとは逆に不穏な気持ちになります…
それはなぜかというと、街を歩いたり、ネット広告などで「母の日」というワードが生活圏のあちこちにあふれかえり、それによって過去の嫌な思い出がよみがえるからです…
毒親育ちにとって母の日とは、毒親に真心を蹴散らされる日でした
母の日の陰鬱エピソード
母の日にまつわるクソエピソードはたっぷりあり、それがまたいつまでも忘れられないんですよね
母を喜ばせたい!と子供ながらに一生懸命考えたりエネルギーを使うからこそ、喜ぶどころかバカにされたりゴミ扱いされる‥などという毒親のクソ反応に、毒親育ちは大きく傷つき続けてきました
そんな母の日陰鬱エピソードを、いくつかここにご披露していきたいと思います
カーネーション「この花嫌い」
母の日と言えばカーネーションですよね。お小遣いをためて、一番きれいなカーネーションを選んでドキドキしながら母に渡すと‥
あたしカーネーションって嫌いなのよね
鉢植えのカーネーションは玄関先に放置され、家に出入りするたびに、枯れたその姿を目にしては悲しい気持ちになりました
手紙→ゴミ箱
日頃の感謝を文章にして、シールやイラストなどで飾り付けた手紙を母にプレゼントした年もありました
「あらありがと」と受け取って読んではくれたのですが‥その後まもなく、ふとゴミ箱を見ると、まるで鼻をかんだティッシュのようにぐちゃぐちゃに丸めて捨てられた手紙を見つけてしまいました‥
捨てるな、とは言いませんよ?
でもさ‥もっと子供の目に留まらないような捨て方考えてくれないのかな。
まぁもともと子供からの手紙なんてゴミとしか思ってなくて、子供がそれをゴミ扱いしたところをみてどんな気持ちになるか?なんて毒親にとってはどうでもいいのでしょうね‥
バッグ→放置
お小遣いをもらえるようになってからは、少しずつその一部を貯めて、小さなバッグを選んでプレゼントしたことがありました。
母がいつも選ぶ色や形などを思い出しながら、予算と相談しつつ、いろんなお店を巡って購入したのですよね
喜んでもらえるかな?プレゼントすると‥
包みを開けた母は、なぜか馬鹿にするような表情と声色で
フン、あんたの選びそうなバッグ(笑)
バッグは一度も使ってもらうところを見ることはなく、物置部屋にほこりをかぶって放置されていました
このように、子供の頃から母の日になるたびに「今度こそお母さんに喜んでもらいたい!」一生懸命考えて用意したプレゼントは、毒親にことごとくゴミ、不用品とされ、プレゼントをバカにされてきたんです
金!ブランドもの!
何をプレゼントしても一切喜ぶことがなかった母が、その態度を180度転換したタイミングがありました
それは私が社会人になり、お金を稼ぎだしたことで、金目のもの・または金そのもの(現金)をプレゼントとし始めたころです
これまでのクソみたいな態度はどこへやら、母はまるで幼子のようにキャッキャと喜んで、私がプレゼントした現金やブランドを大事そうに抱えてたんですよね‥
この母の本当に欲しかったものとは、金目の物(または金そのもの)‥
毒母が欲しがったものとは、子供の真心や、子供との心の交流じゃなくて金目だった。
母が本当に欲しかったもの(金品)を渡して、ついに母を喜ばせることができた私はうれしかった‥かと思いきや、心がものっすごく冷めていました。
私は長年、母を喜ばせたいために心を尽くしてきた。
でも、母が実際に喜ぶのは、その子供の真心ではなくて、金、ブランドだったということを目の当たりにしたからです
この人は、子供の真心など少しも興味がなくて長年ゴミ扱い。
そしてブランドや現金にしか大喜びしない、極めて即物的な人なんだな…
毒親が欲しいものは一貫していた
そういえば‥この人が私に常に求めていることといえば、成績が優秀で習い事で結果を出す、外で自慢できる子供であれということでした。
それが、私からのプレゼントへの反応にもしっかり現れていたんです
外に自慢できるもの・直接的な欲求を満たせる金しか喜ばない!
そんなふうに、すでに全身で表現していたんですよね
社会人になってやっとわかった、確信を持てたんですよね
それまで、特に子供の頃‥
お母さんをよろこばせたいと、お金も技術もなかったけれど子供なりに必死に母のために知恵を絞って時間やエネルギーを使っても、母はそれをゴミや不用品として粗末に扱うだけで、喜ぶことなど一度もなかった。
それはそうですよね。
彼女にとって大切なのは、よそに自慢できるブランド品や、自分の欲を直接的に叶える現金。
子供の真心なんて全く求めていなかったんです。
どうにか母を喜ばせたいと毎年頑張っていた幼い真心は不必要だったから、それは毎年母によってごく普通に踏みにじられていたんです
今も、母から主に要求されることからわかることですが、彼女の欲は一貫してるんですよ
↓が現在の老母が私にたびたび要求してくることなんですが
- うちに遊びに来なさい!
- 一緒に旅行に行きたい!連れていきなさい!
これは決して、娘との交流を望んでいるわけではない。
「あたしの元に遊びに来てくれる娘がいるのよ!」「あたしを旅行に連れてってくれる娘がいるのよ!」という外に自慢できる事実がほしいだけ、なんですよね
私は歳を重ね、親からの衣食住のサポートや、親からの愛がなくても生きられるようになりました
そして親が毒親であることに気づき、疎遠にしてますます、毒親の持つ欲求ーお前は人に自慢できる子であれ!人に自慢できる金・モノが欲しい!ー
これがよく見えるようになってしまったんです。
距離を取ることにより、より客観視ができるようになったのでしょうか?
そしてますます、毒親の持つ欲に、それから発する押し付けに、私は心底うんざりし、毒親からは身も心もますます離れていくこととなりました
今、自分の心和ませてくれている目の前の存在を大切に‥
毒親育ちのみなさん。私たちは毒親に喜んでもらいたくて、子供の頃からたくさんの真心を、一生懸命捧げてきましたね。
そしてそれをゴミとして不用品として、粗末にした毒親を目の前にして、本当に悲しい気持ちを抱きました。
その辛い記憶がこの「母の日」の数々の宣伝を嫌でも目にすることによって蘇ります
いやですね、辛いですよね‥
幼い頃から自分を粗末にしつづけた人に感謝なんてしなくていいですし、思い出して嫌な気持ちになるのももったいないですよね。
今、自分を楽しませてくれて、心和ませてくれる目の前の存在(人、本、もの、動物、環境、なんでもです!)を大切にして、そこに自分のエネルギーを注ぎましょう。これは自分自身にいちばん言い聞かせています‥
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