本当に、大きな声では言えないのですが、私は、子供が辛いんです
嫌いを通り越して、もはや辛いんです。表現がおかしいのはわかっているのですが、とにかく子供にまつわる様々な嫌なことが重なりすぎて、子供が辛くなりました
私のような「子供が辛い人間」が出来上がってしまった理由は、以下の4つが浮かび上がります
やはり、元凶の大半は毒親育ちということが関係しています
- 無邪気な子供として生きることを許されない子供時代だった
- 自分と違って、無邪気に生きられる他の子が許せなかった
- 子供を嫌うことを、周りの大人に許されなかった
- 子供に恵まれず、子供を見るだけでも辛くなった
以下に詳しく記していきたいと思います
無邪気な子供として生きることを許されない子供時代
子供の頃の私は、家庭内で、子供としての無邪気で自然な感情を出すことや、自己主張などは、親に一切許されませんでした。
泣くと「うるせえから泣くな!」という怒声が飛んできます。親の機嫌が悪い時にはそこにプラス暴力を振るわれます
”罰として”捨てられる宝物、買ってもらえない文具
子供がよくするようないたずらなどをすると、親は激怒します。それたけではなく「お前が悪いことをした」罰として、大切にしていた宝物のおもちゃをゴミとして捨てられます。
前から買ってもらえる約束をしていて、とても楽しみにしていた文房具は、突然買うことを禁止されます。それもこれもみな、私が悪いことをした罰でした
このように私が子供らしい、無邪気な感情を出すとおそろしい目に遭う環境だったため、私は、ごく幼い頃から感情を出すことをやめました。
親の顔色を見て、親が不機嫌にならないような言動を心掛けるようになっていました
子供なら自然に出すことが出来る感情やふるまいを周りの大人から厳しく禁止され、そして自らも抑圧する子供でした
自分と違って、無邪気に生きられる他の子が許せない
私と違い、なぜか、妹は自然な感情のままに生きることを許されていました。
それは別記事でまとめたので、よろしければご覧ください
この扱いの違い、子供ながらに理不尽を感じていましたが、その感情をそのまま出すと、恐らく私はここで生きていくことが不可能になります。そのため、気持ちを抑えながら、理不尽の中を黙って生きていました
「なんでも許されるいとこ」の子守を強要される
そんな中、私が小学生になったころ、親戚の家に、いとこが産まれました。
その子は世に生まれた瞬間から、周りの人たちにとても歓迎されていました。
祖父母をはじめ、伯父伯母である私の両親も、それはそれは溺愛していました。
どうしてここまで異常に可愛がられたのか?子供の頃には理解できませんでしたが、今考えると、その子が生まれたのは、親族の中でもヒエラルキー上位の家だった、ということが大いに関係していたかもしれません
そして、私にも同じように、その子を無条件で可愛がることを自然と強要される空気になっていました
いとこは、自分がやりたいことを大声を出して常に主張し、嫌なことは泣いて叫んで拒否します
私に対しても、いつも、遊べ、楽しませろ、機嫌を取れ、と迫ってきます。
本来ならばそれは子供のありのままの姿なのでしょうが、私はこの子のような感情の出し方を許されてこなかったので、いとこに感情をぶつけられるたびに、とても当惑しました。
いとこは、自由に感情を出しても、私のように、親に「うるせえ黙れ!」と張り飛ばされるようなことはありません。それどころかかわいいかわいいとますます可愛がられます
私といとことの、扱われ方の余りの差に混乱する
- 「私は生まれてからずっと、自分の感情を表に出すのを禁じられ、我慢しているのに、どうしてこの子は許されるの?」
- 「許されて愛されて自由なこの子を、なぜ”許されない私”が、可愛がったり世話しなきゃならないの?」
私といとこの許され方の違いと、そんな”許された子”を常に無条件で可愛がらなくてはならない状況が辛かったですし、なぜ、ここまで扱われ方のあからさまな違いがあるのか。子供の頭では全く理解できずに混乱しました。現在いい大人になった今の私でも理解が及びません
自然と、このいとこが憎くて嫌いになりました。
この理不尽な扱いの違いの理由は明確な説明などあるわけはなく、いつまでたってもわからず、子供ながらに、ストレスや怒りがたまる一方でした
とっとと子守に戻れ!
しかし、いくらいとこを嫌いでも憎くても、この子の子守をちゃんとしなければ、私は親族の集まりで居場所がありませんでした
少しでも子守に手を抜くと、親族の冷たい視線が私を刺します。
連日朝から晩まで続く子守に疲れ、大人たちがくつろいでいるリビングに逃げると、「ちゃんと〇〇ちゃんの面倒を見ろ!」と、すぐに追い返されます。
親の方針で、夏休みなどのまとまった休日期間はいつもこの家に長期滞在するのが慣習だったため、私は強制的に、本当に嫌々、子守をさせられていました
私の子供嫌いは、自分と違って、自由きままに生きることを許された妹といとこという存在、そして彼らの存在を強制的に認めさせられるだけではなく、彼らの子守を強制されたことから始まりました。
このような環境下に置かれ、自分と違って、わがままや無邪気を許されていた子供のことが大嫌いな子供になってしまいました
子供を嫌うことを、周りの大人に許されなかった
年下の子をちゃんと可愛がれる人
親戚の中には、同世代のいとこがいたのですが、その子はごく自然に、年下の幼いいとこを可愛がることができてるんです。私は信じられませんでした。
- 本心から可愛いと思って、世話ができてるんだろうか?
- それならなぜ、私は年下のいとこを全く可愛いと思えないのだろうか?
- 自分が冷たい人間だから?
子供の私には、自分と同世代のいとこの、小さい子に対する心持ちや応対の自然さが全く違うのはなぜなのか?全くわからずに、混乱していました。
ある日、思い悩むあまり、思い切って、母に相談したんです
「私、年下のいとこのことを、全く可愛いと思えない。
いつもさせられる子守が辛い。
どうしたらいいのかわからない」
母は、私の話を聞くと、みるみる般若のような怒りの表情に変わり、私をにらみつけながら、大声ででこう言いました
- 「何馬鹿なことを言ってるんだ!いとこちゃんは可愛いに決まってるだろう!」
- 「小さい子を可愛がれないのは、心の冷たいひどい人間だ!」
「お前は、子供を可愛がれない、子供が好きになれないという感情を絶対に持ってはいけない」という母からの猛烈な否定のメッセージが入った絶望的な返答でした。
引き続き、私の素直な感情を出すことは禁じられたのです。
「子供を可愛く思えない、嫌い、世話したくない」という感情を持つことが許されない
このことを母からの言動で察し、これ以降は、子供に関する、わきあがるネガティブ感情は封印して、黙って子守をしていました
後から気づいたのですが、自分より小さい子を可愛がれる同世代のいとこは、生まれてからずっと、両親から可愛がられて、わがままも存分に許されていました。
親から愛情をたっぷりかけられて育っていたので、小さい子への愛情のかけ方を知っていたし、かけることができる愛情の貯金があったんだとおもいます。
十分な愛情をもらえず、愛情貯金がなくスカスカだった私とは、気持ちの余裕が、全く違っていたというわけです。
比較対象ですらありませんでした
インプットなきアウトプットを要求されていた
今、冷静に考えると、周りの大人から、長年愛や許しをもらえなかった子が、よその子に、愛や許しを惜しみなく与えなくてはならない、
子供時代の私は、そんな無理、無茶を強要されている状態でした。
インプットなしで、アウトプットを強要され続けるんです
それはそれは辛かっただろうな、辛くて当たり前だよ、と当時の自分に哀れみの心と同情心がわきます
子供だから、逃げられないものね。辛かったね。そんなの嫌いになって当たり前だよ。当時の自分に、そう声をかけたいです
子供に恵まれず、見るだけでも辛くなった
子供に恵まれない辛さ、追い詰める毒親
結婚後、子供に恵まれなかったということも、私の子供に対する気持ちに大きな影響を与えました。
このトピックに関して、最も私を責め続け、病むまで追い詰めたのは、他でもない毒親でした
私は結婚後、早く子供を授からなければいけないという焦りがありました。
子供が可愛い、欲しいという心からというより、子供がいる家庭を持つという形を、私も一刻も早く手に入れなくてはならない、と言う気持ちが大きかったのです。
その焦りに強い影響を与えていたのは、毒親からの頻繁な催促でした。
結婚後間もなく、毒親からはこのような要求をぶつけられ続けました
- 早く子供を産みなさい!早く孫の顔を見せろ!
- お前より後に結婚した人がどんどん出産してるのに、なんでお前はいつまでたっても産まないんだ!
- どうして俺たちだけ孫がいないんだ?いつまでたっても孫に恵まれない俺たちは不幸だ!
この毒親、私が子供の頃や思春期の頃は、女の子らしく装うことをことごとく禁止していたくせに、いざ私が結婚すると、だれよりも強く孫を催促するのです。
子の性別の否定という、私を非常に生きづらくさせるような壮絶ないじめをしておきながら、出産という、女性としての存在証明の最たるものと言えるカテゴリーへの要求は人並み以上でした
この毒親の自分勝手さと強欲さ、今思い返しても、ほんとうに驚き呆れるばかりです
いつものように親に従わなければならない
しかし、当時は、自分の親は毒親なのだとことにはすこしも気づいていません
親の要求に対し疑問の一つも持つこともできず、いつものように、私は親の言うことに従わなくてはならない、そうしないと命が危ない、
そんなふうに、子供の頃にすりこまれたままの思考パターンが自動的に作動していました
しかし、いつまでも妊娠はできません。
専門の病院で治療をしても一向にその気配がありませんでした。辛い日々が何年も続く間、私の心はだんだんと閉ざされ、歪んでいくのが自分でもわかりました。
子供の声や姿を目にするだけで自然と涙が流れて気持ちが落ち込んだりなど、どう考えても普通ではない精神状態に陥りました
そんな日々が何年も続いた果てに、私は妊娠するどころか、うつ病になりました。
自分の心を守るため、子供に関わること全般を、避けるようになりました。
このような経過をたどることによって、私の心は、子供に対して閉じてしまいました
そんな状態に陥った私に、母が言い放った言葉が強烈に心に残っています。
「子供なんて、いても何もいいことないよ」
少なくとも、あなたの口から聞きたい言葉ではなかった。
子供が辛い人生は続く
私はなぜ、子供を嫌いを通り越して辛さを感じてしまうようになったのか?
過去の子供にまつわるあれこれを振り返ってみると、ごく幼い頃から、私は子供を嫌いになるように仕向けられた運命に乗ってるんじゃないか?と思うくらいの不幸な巡り合わせをあちこちに感じます
私の今後を考えると、子供を好きになるイベントが発生する可能性はほぼなさそうですし、自分から積極的に子供を好きになろう!いう気持ちが湧いてくることはありません。
このまま、子供から距離をとり続け、子供と縁のない人生を過ごす可能性が高いです。
長年のネガティブな経験の蓄積が、私をそんな人間に仕立て上げました。
変えようとしても、この長い間の蓄積は無視できず、そう簡単に変わることなどできません
嫌う、避ける、という心の動きやそれに伴う行動は、エネルギーを消耗します。できることならば、せめて、子供に対する感情は「無」という状態であればよかったのに。心からそう思います
年齢や、患った心の病を考えると、私が子供を持つことは生涯ないと思われますので、「子供に縁がなく、子供が辛くて子供を避ける人」としての人生は続きそうです。
子供をそっと避けながら暮らすマイノリティとして、息を潜めて生きる日々は続きます
コメント