毒親育ちは、大人になっても様々な後遺症に苦しめられます。
一体どんな後遺症があるか?といいますと、たとえばうつ病などの病気という形で現れることもありますが、そのほかには
- 普通の人が普通にできることを身につけることができなかった
- 普通ならば感じなくてもいい苦労や疲労を、人一倍感じてしまう
このような、病名はつかないけれども生き辛い性質が身についてしまっていることが多いんです
この数々の生き辛い性質によって、日常生活では普通の人ならスルーできる辛さや余計な疲労感を人一倍感じてしまいがちです
中でも最も毒親育ちを生涯にわたって苦しめる後遺症とは、人間不信、人間嫌いの感情です。
生まれて初めて出会った人間が毒親だったことで、人間に対する印象が極悪になってしまい、幼い頃から人間が信じられず、大嫌いになってしまいました
この人間不信・人間嫌いという後遺症によって、毒親育ちが生涯にわたって受けるマイナスのダメージは本当に大きいんです
この記事では、毒親育ちが負った人間不信・人間嫌悪についてと、それによってどんなマイナスのダメージを負って生きなければならないのか?そんなことを記していきたいと思います
健やかな花、栄養失調でひょろひょろの花
毒親の元で生まれ育ったけど、大人になったらきれいさっぱり毒が抜けました!
普通の人になれたの!
なんてなるわけがありません…
たとえば、育った環境が違う、2つの花があったとします。
一つは育つのに適切な鉢に植えられて、太陽の元で、水や栄養を与えられてすくすくと育てられた。
もう一つは水はけの悪い適当な鉢に押し込まれ、日陰でろくな栄養も水もなく、ひどい環境に置かれていた。
この2つの花は、果たして同じように育つでしょうか?育つわけないですよね。
その、ひどい環境に置かれ、今まで必死で命をつないで生き延びた、栄養不足でひょろひょろで今にも倒れそうな花というのが毒親育ちというわけです
毒親によって、人が大嫌いになった
毒親育ちは、生まれ育った家庭の中で、幼い頃からの毒親による暴力・暴言やいじめの数々を受け続けてきたことにより、
- 人間というのは、自分に害を与える恐ろしい存在だ
- 人間を信じたり、近寄るだけで痛い目にあう
こんな人間に対するネガティブな印象を嫌というほど実感・体感してきました。そのため、人間不信・人間嫌悪の感情が、小さい頃から自然と身に付きました
本来ならば、親というのは、子に健やかに育ってほしい、という願いを持ち、たくさんの愛をくれる存在であるはずですよね
しかし毒親は逆です
自分の欲求を満たすのが第一。自分の欲求に従い、子供にずっと害を与え続け、生涯の傷になるほどの数々のダメージを負わせるのが毒親です。それを家庭という密室で何年もの間行っていくのです
こんな場所に生まれ落ちてしまい、毒親の悪意にさらされてきた毒親育ちが、人間っていいな!人間大好き!なんてなるわけはありません
人は自分に害を与える。人とは恐ろしい存在…
このように、毒親育ちは幼い頃から、家庭内で人間に対する恐怖と絶望を深く刻み込まれ続けてきているため、人間が嫌い、怖いという感情をごく自然に持つこととなったのです
人を完全に避けては生きられない
人が怖い。人が嫌い。
しかしながら、人としてこの世に生まれてしまった以上、自分以外の人間と、誰とも関わらずに一人で生きることなど、到底不可能です。
これまた毒親育ちにとっての避けられない残酷な現実です
人が怖くて信用できず、人と一緒にいるだけで辛いという性質を持つと、この世界でただ普通に生きるだけでも、様々な苦しみを感じなければならないんです
生まれた場所には毒親がいた、という自分でどうもできない不運によって、毒親育ちはこのように、生き辛さを常に感じずにはいられない、激重なハードモードな負荷をインストールされているのです
人間不信・人間嫌悪で損をする場面
おかしな家庭環境の影響により、人間不信・人間嫌悪を深めてしまった毒親育ちは、具体的にどのような行動をとってしまい、どんな考え方を持つのか?それによってどんな損をするのか?
それを記してみたいと思います。
いい人、優しい人を疑い、遠ざけてしまう
根深い人間不信は、素敵な人との出会いすら、自分の手でダメにしてしまうことがあります
例えば、成長したその後、運よく仲良くしてくれる、いい人や心優しい人に出会った時。
毒親育ちはどんな心境になると思いますか?
いい人、優しい人である彼らに嫌悪感を抱いてしまうのです。
ごく身近にずっといる人間が毒親という劣悪な性質を持つ人間だったため、劣悪な性質を持つ人間が”普通”であると無意識で思っています
そのため、優しい人やいい人を「異質」だと認識してしまうのです。
もしくは、
どうせ、「いい人の仮面」はいつかはがれて、どうせ毒親のように危害を加えたり、利用しようとしてるのでしょ…?
そんなふうに、どんなにいい人であっても、どうせ裏があるんでしょ?と、疑ってしまうんです
たとえ、奇跡的に仲良くなれたとしても、途中からなんだか居心地が悪くなったり、嫌悪感が心の中で大きくふくらんでしまいます
やがて仲良くすることに限界が来て、仲良くしてくれた優しい人の元から、自ら去ってしまうことも少なくありません
- 人は害を与える存在
- 人を信じたらだめだ
- いい人といると居心地が悪い。
毒親によって、人間に対するこんなネガティブな認識が強烈に埋め込まれているために、せっかくのいい人とのすてきな出会いの場面でも、嫌悪感を抱いたり、その人から離れてしまうなどの、損になる行動を取ってしまうことが少なくないんです
集団行動が辛い。人といるのが辛い
生まれ育った家庭で、人は自分に害を与える存在だという強烈な体験をし続けてきているため、毒親育ちは基本的に人のことが嫌いです。なるべく人とは一緒にいたくありません
しかし。人が長い時間を過ごさねばならない学校や職場というのは、その大嫌いな人間の集団の中で、ときに協力しながら、人と人とが密に関わりあいながら過ごさなければならないんです
学校や職場などは、毎日毎日、朝から晩までその状態が続きます
率直に言って地獄です。
毒親育ちは、保育園や幼稚園の頃から、この強制的集団行動に嫌悪感を持ち、ただそこにいるだけでも大きな疲労を感じます。
しかし、そこから逃げ出すのはとても難しいため、幼い頃から集団生活に嫌々参加し続けることで、疲れ果てています
人に助けを求められない
普通の人なら、もしも困った時は親や友人に助けを求めますよね?
そうすると、周りの人は積極的に手を貸してくれて、無事にピンチから逃れることが出来ます。
助け合い、お互い様という世界で生きています
しかし。毒親育ちには、ピンチに助けてくれる親がいませんでした。
少しでも弱みを見せると、バカにされたり嘲笑される。辛くて泣いていると「女々しく泣くな!」と逆に張り飛ばされる。
励ましや助けを得られるどころか、「お前はダメな子だ」と余計に攻撃されることも少なくありません。
そのため、人に弱みを見せたり、助けを求めるということができません
余談ですが、私は就職氷河期世代、いわゆる「お前の失敗はすべてお前のせい」の自己責任世代です。
毒親家庭でろくな人間になれなかったこと。
そして、運悪く、社会に出るタイミングの社会環境が悪く、どんなに努力をしたところでろくな職につけなかったことまでも、
失敗はすべてお前のせい!
一人で背負え!
一人で何とかしろ!
このようにすべて自分の責任とされてきました
生まれた場所は毒親家庭、社会に出てからは就職氷河期ということで、お前の失敗や不幸は全部お前のせいだ、とされる環境下にずっといる状態だった、ということになります
率直に言って運がなかったんですね
どんなに困っても、親も社会も何も助けてくれず、失敗はすべて自分の責任だとされる世界に生き続けていることで、生まれながらに深い孤独、そして絶望を味わい続けています
いつも体に余計な力が入っている
人は信用できない、誰も頼れない。やがて、何でも無理やり一人で抱え込むような人間になります
全てを抱え込むために、いつも体には余計な力みがあるんです
生まれ育った家庭では、少しでも弱みを見せると、毒親からの罵詈雑言や暴力が飛んでくる環境下にいたため、絶対に外に弱みを出してはならない。
そんな強烈なルールが自分にしみついてしまっています
普通なら人に気軽に相談してガス抜きできるレベルの悩みや不安なども、すべて体内に必死でためこんで我慢するために、常に全身に無駄な力が入っている状態なんです
そしてそのため込みが、やがて限界がきたとき。はたから見ると、突然爆発したように見えるんです…
例えば職場では、
不満や不安などを出さないように、ひたすら自分の中にためこみ、顔に出さないように、力を込めて自分に押し込んで、日々必死に働いています。
弱みを見せると、辞めさせられるのではないか、嫌われるのではないかという考えになってしまうんです
そんな日々にある日限界がきて、突然糸が切れたように仕事を辞めてしまうことも少なくありませんでした
おそらく周りの人は、「なにも言わずに黙々と働いていたのに、なぜ突然辞めたの?」とまったく意味がわからなかっただろうな…と思います
まとめ
毒親育ちは、人間不信・人間嫌悪という毒親から与えられた危害による後遺症により、生涯にわたって余計な疲労を負ったり、大きな損を受けることが多くなります
人間が人間を嫌う。人間との行動を辛いと感じてしまう。
そんな考えが強烈に染みついていることは、人生に計り知れないほどのマイナスの影響を及ぼします
人間と一緒にいると辛い。
毒親育ちは、そんな致命的な後遺症を背負いながら、人間としての長い一生を、辛い思いをして生きていかなければならないのです
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