子を愛さない親はいない。
親は子に、無償の愛を与える。
美しく暖かい「親の愛」を語る言葉は、世にたくさんあふれていますね。
毒親育ちはその愛でいっぱいの言葉と、実際の家庭で毒親から受けるひどい仕打ちのギャップにたいへん苦しみます。
苦しむだけではありません。
幼い毒親育ちは、生まれ落ちてしまった毒親家庭で必死で生き延びるために、
毒親のそのひどい仕打ちの数々を、「私を思ってくれる厳しい愛情なんだ」と必死で正当化し、
自分は親から愛をもらっているんだ、と、無理やり言い聞かせる努力をします。
だって、幼い子供は家庭がどんなにひどくても、その家庭を出て一人で生きることなんて絶対にできませんし、そして外に助けてくれる人なんて誰もいませんから‥
そこで命をつなぎ、生き延びるためには、毒親にしがみつきながら、毒家庭や毒親の仕打ちを、必死で正当化するしか術はなかったんです‥
哀しくも、幼い頃から”毒親の正当化”に必死な毒親育ち
毒親育ちは、毒家庭で生き延びるために、さまざまな哀しい戦略を必死であみだし、駆使します
かつての私もそうでした。
生き延びるための、毒親育ちの哀しい行動様式の数々を思い出しながら、これまでいくつかの記事を書いてきました
(1)この記事↓では、「不幸な毒親は、わが子の幸せすら願えず、わが子も”毒まみれの不幸な一生”を過ごすことを願う」ということを書きましたが‥
毒親育ちの私は、毒親の攻撃的な、おかしな言動を「私のために行ってくれている」と思い込んでいました。いえ、そうであってほしいと必死に願っていたんです
(2)この記事↓は、親に無理やり合わせて、毒親に無理をして寄り添っていた時の、私の心情とはどんなものだったのか?を書いた記事です
(3)また、こちらの記事↓で書いたように、「私が悪い子だから、親は私に辛く当たるのだ」、と悲しいねじまげをして、辛い現実を必死で理解し受け止めようとしました。
この長年にわたる、無理で無茶な思い込みや哀しい行動様式は、私にこびりつき、後の私にまで様々な後遺症を残しました。それらは未だ心身に大きな痕跡があり、未だに苦しめられます‥
毒親から長い間、長い距離を離れてもなお、です
「毒親からの暴力暴言は”愛のムチ”‥なんだよね‥?」混乱する毒親育ち
「親は、子の幸せを願うもの」
「親は子に無償の愛を与える」
と、世間ではよく言われているんだよなぁ‥
私が日常的に受けてる親からの暴言や暴力って、本当に私のためを思ってやってくれているのだろうか‥?
毒親家庭に生きていると、彼らからの仕打ちと、世間で言われる”親の愛”て本当にイコールなの?って疑問をもつような場面が多いんです
でも、子供の私は、そんな疑問が心にわいてくるたびに、必死で押し殺しました。
世間で言われている「親は、子の幸せを願うもの」「親が子を思う愛の大きさはすごい」とかいう言葉が本当であると思いたかったし、
自分が、親から、実はしつけでも愛でもなんでもないひどい仕打ちを受けているなんて認めたくなかったんです
そのためには、親の言動がどんなにおかしなものでも、幼い私は、必死で毒親からの仕打ちを正当化しました
うちの親は、みんなの親より厳しいだけなんだ!
私のために、厳しいしつけをしてくれているんだ。
例えるなら、ライオンが子を崖から突き落とす的な、すべて子供である私のためを思っての行動なのだと‥私は毒親からの理不尽な暴力暴言を必死で正当化していたんです。
当時、他に逃げる場所も、周りには助けてくれるような人も団体もまったくなかったため、幼い私は、毒親の行動を正当化することを選びました。
はたから見ると、まるで弱い被害者が、強い加害者を一生懸命かばっているかのような異常さですよね‥
×しつけ・愛のムチ 〇やつあたり・ストレス解消・子を利用
でも、幼い私の必死の思い込みは、残念ながら間違っていました
私の親は、愛のムチでもなんでもなく、ただ単に、自分のストレスを子にぶつけ、我欲のために子を利用し、そして彼らの持つ劣等感の解消を子に押し付けていただけだった
それによってたとえ子が傷つき、疲れ果ててる姿を目にしても、それを何とも思わないような人間たちだったんです
私は毒親からの仕打ちを正当化し、ボロボロになるまで耐えて、大人になってからとうとう心身に症状がでるくらいに限界がきました。
限界がきて、毒親のそばから逃げ出して、毒親から離れて客観視することで、今までのあれこれは、みんなおかしかったんだ‥とやっと気づくことができた。
いえ、気づいたのではなく、やっと、「私がいたのは、おかしな毒親家庭だったんだ」という現実を受け止めることができるようになったんです
今、毒親が私に暴言や暴力をふるっていた顔つきを思い出すと‥あの暴力は、暴言は、子への愛とは程遠かった。
もしも子への、どうしても必要な愛のムチを振るうのだったならば、親は辛く悲しい顔をしてムチを振るうでしょう。
でも毒親は違いました。
私を罵倒したり暴力を振るう時の毒親の表情は、いじめっ子と同じような、嫌な感じのニヤニヤした顔、
または、暴力や暴言に夢中で顔は紅潮し、まるで我を忘れているような、目を見開いた本当に恐ろしい顔をしていました。
あんなの愛のムチでも厳しいしつけでもなかった。
毒親から子への、家庭内弱い者いじめ、八つ当たりやストレス解消だった。
無意識ではたぶん、ずっと前から気づいていた
きっと私は、このことを、昔からうすうす気づいていたんです。
うちの親は異常だって。
しつけではなく、異常で非道なことを親からされているのだって。
でも‥幼い私がその事実を認めてしまったら、幼い心はバラバラになってしまう。
しかも、自分は、この場所でしか生きることができないことを知っていた。
幼い命は、生まれた家庭を出て、自力で維持することなんて不可能ですものね
そして何より、親にすら大切にされない惨めな自分を認めることは何よりも辛く、幼い私にはそんなこと、到底できませんでした
そのため、私は長年気づかないふりどころか、加害者である毒親を必死で正当化や擁護し続け、従い続けていたんです
毒親育ちというのは、被害者が加害者を正当化しないと生き延びていけないような、そんな地獄を生きてきたんですね。
生まれて間もなくから、家庭内での毒親からの暴力や暴言に耐え、そんな毒親を責めるどころか必死にかばう、という本当に大変な行動を取らなければならない地獄の中で、懸命に命をつないできたんです
こんな苦労を人生開始早々から強いられてきた毒親育ち。人生開始早々から、疲労や絶望でいっぱいになるに決まってますよね‥
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